第四十三話 栄三郎と純一郎
――未だ身動きの取れないレオ達を前に、容赦なく無抵抗な生徒達の生霊を吸い続けるブラキオ。このままこの階の生徒達は全滅してしまうのか? と思われたその時、流星が脱出への手掛かりに気付いた。
「レオ、落ち着いて『魔眼』でよく見て。何か床から生えてきた物が、僕達の足元に絡まってるから!」
「な、何だと!? …………!!。 こ、こりゃあ、魔魅樹じゃねえか! ブラキオの奴、こん厄介な物を魔界から召喚してやがったのか!?」
「……ほほう。その存在に気付く奴がおるとは、中々見所のある者よ。じゃが、今更気付いた所でどうにもなるまいがなあ、ひっ、ひっ、ひい!」
ブラキオが親指と人差し指を擦り合わせて音を鳴らすと、結界が解け、床から悍ましい顔を覗かせた魔魅樹が「ギギギ……」と呻きながら、レオ達の両足に長い枝を巻き付けている姿が浮かび上がった。
「レオ、この魔魅樹が厄介ってどういう事なの!?」
「流星、この野郎はなあ、魔獣の様に直接襲い掛かって来る事はねえが、こいつが一度地面から現れ己の足を取られると、そのまま魔界までひきずり込まれちまうんだよ!」
「ひきずり込まれたら……どうなるって、き、聞くだけ無駄かな?」
「ああ、流星の考え通り、『二度と此方の世界には戻れなく』なるって事だ!」
「――ひいっ!」
「ほれほれ、切るなり、焼くなり早く何とかせんと、そろそろその体が沈みはじめるぞ? ひっひっひい!」
「てめえ……! その両方の物理攻撃に加え、俺等の魔法が、こいつには効かないと知ってて言ってるだろうが!」
「さあて……どうじゃったかのう? 歳を取り過ぎると忘れっぽくなってのう……」
「――くそが!」
ずぶぶ……嫌な音を立てながらレオ達の足が少しづつ床に沈み始める。
「レオ様! このままでは――!!」
「ひっ、ひっひいい! もがけもがけ! なあに、心配せんでよい、最後にお前達が『生きたい、死にたくない』と無様に伸ばした両手を切り取って残しておいてやるわい!」
その時だった、一人の男がこの窮地の場に颯爽と現れた。
「そこまでだ! この悪党が!」
「――な、長塚先生っ!?」
流星が驚きの声を上げると、長塚栄三郎(国語担当・五二歳)は、少しだけ残っている前髪をかきあげ、眼鏡の中心に軽く人差し指を当てた。すぐその後に流星の担任、藤沢純一郎が続いて姿を見せる。
「な、長塚先生! これは一体!?」
純一郎が、床に倒れ込んでいる生徒達を見ながら心配そうに声を掛けた。
「その声……藤沢先生ですか。いや何、大した事ではありません。私が愛するこの学び舎に、少しばかり招かざる客が迷い込んだまでです」
「し、しかし生徒や他の先生達の肉体と魂が引き離されてしまう等と、これはただ事ではないでしょう!?」
「確かに……この様な事態に陥る事は流石の私も予想外でしたね。ですが、まぁこういった異世界の夢物語は子供の頃、親に嫌と言う程聞かされていましたから……ですがそれは、藤沢先生、貴方も同じ事では?」
「――!? た、確かに私も親に魔力がどうのこうのという話は聞かされてましたが、まさかこの様に実際目にする日が来るとは……!!」
「ふっ。藤沢先生、それが今の影響を受けていない私達二人の運命ではないですかな? そして、私達が今ここに立たされている意味、同じ立場の貴方ならもうお気付きでしょう?」
「私がここに立たされている意味……」
純一郎は、人外の者に足を掴まれたまま、目の前で沈みゆくレオ達を見ながら、何故に私は、他の者と同じ様に魂が引き離れていない? 何故この世で無い者が見える? 何故、何故と必死に考えを巡らせ、やがて一つの結論に辿り着いた。
「生徒達を……守る」
小さく呟いた純一郎に栄三郎は「正解です」とにっこり微笑んだ。
「お前等は確かに他の人間とは少し違うみてえだが、何も変わらねえ! 無駄死にするだけだ! 早く何処かに逃げてくれ!」
レオは魔魅樹の恐ろしさを知るが故に、二人にここから早く立ち去る様、声を張り上げる。
「おやおや……逆に生徒達に心配されてしまう様になるとは、私も少しは『良い人』になったのでしょうか……」
栄三郎は懐にゆっくりと手を忍ばせ、カッターナイフを取り出す。
「いえ……私も昔やんちゃな頃がありましてね、とある業界では皆に良く『アカエイ』とか恐れられて、ふふ。あの時は浮かれていたのでしょうかねえ……」
カチカチ……普段見慣れた道具も、栄三郎が刃を押し出した瞬間、悍ましい殺気が溢れ出た。
「長塚先生……あ、貴方は一体!?」
「――藤沢先生……あの床の化物は私が何とかしますから、貴方は援護をお願いします」
「は、はい、それは良いのですが、援護と言われても、一体私に何が――!?」
栄三郎とは違い、この学校の教師になるまで真面目一筋で生きて来た純一郎には、敵」に対する「力」など持ち合わせていない。ふと自分のポケットの中に手を入れると何かが指先に当たる感触を覚えた。純一郎は先程備品室から補充用に持ち出した袋詰めのチョークの存在に気付く。
「な、長塚先生、僕は暴力がとても苦手な人間なのですが……もし、こんな僕がお役に立てれるとすれば――」
袋からチョークを取り出し、たどたどしい手付きでそれを指の間に一本一本挟み始める。
「ふふ、成程。チョークですか、なんとも藤沢先生らしい。では後は、お互いがそれぞれ知る『秘密の呪文』を唱えるとしますか」
「は、はい、長塚先生!」
準備を終え、二人が秘密の呪文――詠唱を唱え始めた刹那、それぞれカッターナイフの刃、チョークに魔力が宿り始めた。
「さあ! 行きますよ! 藤沢先生!」
「は、はいいっ! お、お前等 よ、余所見していないで、ちゃんと前を見なさいいいっ! てやああああっ!」
純一郎は指に挟んでいたチョークを勢いよく魔魅樹に向けて放ったが、それはなんとも頼りない速度だった。
「馬鹿者が。人間風情が生意気にもこのわしに盾突くとは……そんなへろへろの攻撃が魔界でも上位に位置する魔魅樹に通用する筈が――」
だが、途中からチョークは轟音を響かせると、一気に加速し、無防備だった魔魅樹達の額を直撃した。
ばちこーん!
「ギイイイッツ!?」
魔魅樹達は額から煙を立ち昇らせながら、堪らず弓形になった。刹那、その隙を突き、一気に栄三郎が魔魅樹達の前に躍り出る。
「ギギギギギギギギ!!」
怒り狂った魔魅樹達は床から無数の枝を伸ばし、栄三郎を捕えようとするが、年齢に見合わない足さばきで、それらを華麗に掻い潜った。
「ふふ。私の恐ろしさは攻撃を避けた時では無く――」
魔魅樹の間を栄三郎が駆け抜けた刹那、栄三郎の背後で刃が一瞬鈍い光を放ったかと思うと、流星を掴んでいた枝の部分を根元から切り裂いた。
「ギガアアアアアッ!!」
溜まらず悲鳴を上げる魔魅樹。
「――その後なのです! 油断が生じたその時、私の『毒』が後方から襲い掛かる! これこそ私がアカエイと恐れられた由縁です!」
電光石火の如く次々と拘束されていた者達の枝を断ち切り、その勢いを止めないままブラキオに向かって駆ける。
「藤沢先生! 今です!」
「はいいっ! て、てやああああっ!」
先程同様、投げ放ったチョークは一気に加速しブラキオの額を襲う。機会は一回、チョークが奴の額に直撃した瞬間! と、栄三郎は一気に間合いを詰めた。
「調子に乗るな! この虫けら共があっ!」
ブラキオの両目に魔法陣が浮かび上がり、回転を始めた刹那、純一郎が放ったチョークを弾き飛ばした。タイミングを狂わされた栄三郎は強引に背後を取ろうとブラキオの横をすり抜け抜けようとするも、圧倒的な力に押し戻され、後方の純一郎と重なるようにして後方に吹き飛ばされてしまった。
「ごほごほっ!」
土煙が舞う中、純一郎は状況を確認しようとするも頭を強く打ってしまったのか、視界が狭くぼやけてしまっている。といより、どうも左半分しか見えていない様だ。気になった右目の部分に軽く手を当てた純一郎は、掌にべっとりと血がまとわりついた事に気付いた。
「そ、そうだ! 長塚先生は何処だ!? 御無事なのだろうか!?」
そんな自分の傷の深さも気にせず、壁の土を払いながら、見失った栄三郎の安否を気遣う純一郎。やがて少し離れた壁の隅で栄三郎であろう人影をうっすらと片目で捉えた。
「長塚先生っ! だ、大丈夫ですか!?」
「はは……大した事ありませんよ。まあ、あばら骨を二、三本持っていかれた程度です」
「――っ!?」
純一郎はぼんやりだが、栄三郎の脇腹を見て言葉を失った。零距離で火薬が爆発した様に下腹部は焼け爛れ、その衝撃を物語る様に、折れた肋骨が皮膚を突き破って飛び出ていたのだ。
壁に座り込み頭を垂れたまま、ひゅうひゅうと辛い呼吸をする栄三郎に、四つん這いで必死に近寄ろうとする純一郎。その時、背後から壁の欠片を踏み潰す音が響いた。
「クソ人間が……下らん抵抗等しおって。お前等如きの魔力が魔魅樹に通用したのは流石のわしも少々動揺してしまったが、所詮は悪あがき。その姿、今直ぐ塵に変えてやるわ! ひっひっひい!」
手を翳したままブラキオが二人に近寄ろうとした刹那、「はい! 注目っ!」と背後からぱんぱんと合いの手を打つ音が聞えてくる。慌てて踵を返したブラキオは一瞬我を疑ってしまう。レオ達は魔魅樹の拘束から脱出し、ブラキオが純一郎達に気を取られている隙に、栄三郎の毒が回り、麻痺している魔魅樹達を自身の枝で雁字搦めに縛り付けていたからだ。
「ば、馬鹿な! 何時の間に――!?」
「いやあ、まさか魔魅樹共がそこの先生様の攻撃で、都合よく気絶してくれるとはなあ。そのおかげでコイツを難なく締め上げられた訳だが……マジでこの世界の魔力は侮れねえな」
「きっ、貴様あああああっ!!」
期待を裏切られたブラキオは怒りを露わにしながら、レオを睨み付ける。レオはメリッサに軽く目配せを送ると、軽く頷いたメリッサは栄三郎の元まで走り寄って行った。
「今から先生達に治癒魔法を施します。お二人共、そのまま体を動かさない様、お願いします」
「そ、その声は……メリッサ君か……皆無事なのか?」
栄三郎は虫の息で、メリッサに状況を確認する。
「はい。私達は先生のおかげで、魔魅樹から脱出する事が出来ました。本当に有難うございます」
「そ、そうか。役に立ったんだな……よか……った」
そのまま、栄三郎は何も言わなくなった。
「な、長塚先生っ! しっかりして下さい! 死んでは駄目です!」
「藤沢先生、落ち着いてください。長塚先生は意識を失われてしまっただけですから。それより、先生も早く治癒魔法を……!」
暖かい光を浴び、安堵感に包まれて安心したのだろう、純一郎は、次第に意識が遠のき始める。ぼんやりと目に映るメリッサを見ながら
「メリッサ君……君達は…………」
と、そのまま意識を失ってしまった。
「さーて、覚悟はいいか? クロノスじゃねえ、クソじじい」
両手を重ねたレオは手の骨を豪快に鳴らし上げる。
「……少しだけ状況が変わったからといって、嬉しそうに燥ぐな、小童めが」
「ほざけ。てめえは今からこの俺がボコボコのぎったんぎったんにしてやらあ」
「ふん。先程まで魔魅樹に動きを封じられていた奴が何を偉そうに……その上、自分で気付く事も出来なかった癖に、笑わせるでないわ」
「――っ!? う、煩えよ! 今直ぐその減らず口、叩けねえ様にしてやる!」
「やって見せるがいい。出来る物ならな……」
互いに悍ましい魔力を絡み合わせ威嚇し合う最中、物陰からレオ達をずっと静観している者が居た。
「……何なのですのあれ!? 床から突然化け物が姿を現したかと思えば、藤沢先生が信じられない速さでチョークを投げ、長塚先生が刃物を握ったまま、あの化け物に立ち向かい斬り掛かっていって……私全く理解出来ませんわ!」
加奈が声を押し殺しながら言葉を漏らした。
「なあ加奈……私達がここに居ても、かえってレオ達の足手纏いになるだけだ。ここは大人しく屋上に戻ろうぜ?」
「嫌ですわ! こんな不思議な光景、滅多に拝見出来ませんもの!」
自分の提案に目を輝かせて全力で否定する加奈に、深い溜息を吐いた桃子は、幽体離脱した自分の体を見ながら、「この姿になっている私等も十分不思議過ぎなんだけどなあ」と苦笑するのであった。




