第三十二話 恐るべき魔喰の力
加奈がじいやに命令し、野営用のテントを用意――否、これをテントと呼ぶには少々無理があるだろう。入口がジッパーを引いて入るという代物では無く、普通に扉が付いている。その外見はれっきとした――。
「何がテントだよ、これじゃあ、まるっきり家じゃないか……」
慣れないナイフとフォークを握った桃子が、呆然としながら辺りを見回す。高価そうなテーブルに椅子、行き届いた電化製品に家具や寝具一式、最後に風呂場(檜使用)、そして今、加奈の背後には専用の料理人が控えている。
「あら? 桃子、西洋料理はお口に合わなくて? まぁ、この狭い部屋では少々、食欲が落ちるのも致し方無いと思いますけど」
「いや……お前、野営の意味分かってねえだろ? 思いっきり私の想像のキャパを見事に振り切ってくれたよ」
一時間前の事を思い出す桃子。最初は何処からともなく部下が現れてテントを設営したのだが、そのテントは桃子が想像していた三角形の……では無く、よく学校の運動会等で用いられるテントの方で、吹きさらしの中、地面に敷かれた高価そうなカーペット上にこれまた高価そうな丸いテーブルと椅子が置かれた不思議な物だった。そして椅子に座った加奈は、卓上に用意されているティーポットからほのかに湯気を立てている紅茶を部下に注がせ、静かにティーカップを口に当てた。
この様を目のあたりにした桃子は「ほんと、お嬢様って奴はテントってもんを分かってないなー」と呆れ顔で突っ込むも、「え? これは単なる『待機所』ですわよ?」と一蹴され、頭の中がクエスチョンマークで一杯になった時、不機嫌そうにしていた加奈が「ふう、やっと、来ましたか」と、言った言葉の意味を知る事となる。
沈みかけた夕日を背に何やら機材をぶら下げたヘリコプターが次から次へと飛来したかと思うと、土中から虫が湧いたように、作業員がわらわら加奈の元に集まって来たや否や、「えっさ、ほいさっさ」と、瞬く間にこの「家」を建設してしまったからだった。
『――お嬢様、テントの設営に少々時間を掛け過ぎてしまい、誠に申し訳ありません』
加奈の傍に置かれた無線機から、聞き覚えのある男の声が発せられた。
「じいや、特に支障は無いから気にしないで。まぁ、少し部屋が狭いというのが気になりますけど……」
『申訳ございません。私の配慮が欠けておりました。では直ぐに部屋を拡張する様、手配致しましょうか?』
「いえ、それには及びません。で、監視の方はどうなってますの?」
『はい。お嬢様が確認されたとおっしゃられました謎の飛行物体の出現エリアを全て囲む様、部下に指示しております』
「そう。ご苦労様。何か進展があったら直ぐに報告して頂戴」
『かしこまりました』
言葉の通り、家の外では、迷彩服を着用し武装した部下達が「こちらシルバーフォックス、東エリア、特に異常なし」等、情報を交換し合いながら見張りをしている。その部下の一人が、明らかに他の者とは違う戦闘服を身に纏い、悍ましいオーラを放っている一人の猛者、総隊長なのだろう、逞しい男の背中に向かって「全エリア共、異常有りません!」と報告をすると、踵を返した白髭の男は、鋭い眼で部下を見据えながら、ゆっくりと口を開いた。
「……良し。直ぐに配置に戻れ。良いか、よく聞け。草木共が騒めく音全てに耳を傾け、闇に蠢く者は、その眼を集中させ、何人たりとも絶対に見逃すな……」
「い、イエッサー!」
震える手で敬礼を終えた部が逃げる様に立ち去ると、その男は「ほっ、ほっ、ほっ」と腰に手を当て、夜空を仰ぎながら、満月の光で頭に装着した暗視ゴーグルのレンズを鈍く光らせた。
「……おい」
「何ですの? 桃子」
加奈のやりとりを始終見ていた桃子は、どの角度から突っ込んで良いのか分からず、「いや、何でも無い」と諦め口調で、見慣れない西洋料理にフォークを突き刺した。
――艇内。依然二人は抱き合ったままだ。乱れたメリッサの衣服の隙間からは激しい呼吸に合わせ、豊満な谷間が垣間見える。感極まったメリッサが思わず流星の胸元のシャツを掴んで引っ張ると、勢いでボタンが数個飛び散り、鍛え上げられた逞しい胸板が少しだけ顔を覗かせた。
少しだけ隙間を開け、互いが見つめ合ってゆっくりと顔を近付けていく。やがて唇と唇が重なりそうになったその時――。
「ま、待ってください……出来れば、その、元の姿に戻って……欲しい」
人差し指で口を軽く押さえ、隣の生命維持装置室の中で眠っているレオの方へと潤んだ瞳を流す。レオの本体はこれから起きるであろう衝撃的な出来事等、無論分かる筈も無く、透明な液体の中で時折、口元から水疱を浮き上がらせているだけだ。
「ああ……俺は端からそのつもりだった。だから、此処にお前と来たんだぜ……」
「え!? 本当なのですか? でも、レオ様は……あの……桃子の事が気に入っていたのでは?」
「おいおい、おかしな事を口走るなよ。俺は昔からお前一筋で、あんな小娘なんて最初っから目じゃねえさ」
「う、嬉しいです!」
『「う、嬉しいです!」じゃ、ねーよ! 何喜んで真に受けてんだ、馬鹿姫っ!』
この二人のやり取りに思わず突っ込みを入れるレオ。
――ククク。良かったですねえ。晴れて誤解が解け、メリッサ姫の想い人、レオ隊長殿と両想いになれるのですから――。
――と、言っても、もうすぐ貴方はこの世から消えてしまいますけどねえ! クククク!。
『てっ、てめええ!』
必死に主導権を取り戻そうと、流星の中で足掻くレオだが、底知れないクロノスの魔力がそれを許す筈も無い。
「じゃあ、生命維持装置室のロックを解除するから、パスコードを教えてくれよ?」
「はい。って、レオ様、パスコードをお忘れになってしまったの?」
核心を突かれて、その目に一瞬だけ動揺が見えたクロノスだったが、「この体になって色々な事があったから、そのショックで忘れた」等と言って誤魔化すと、メリッサはあっさりと信じて簡単にパスコードを口に出してしまった。
『ぬうう、絶対に言ってはならん事を何の躊躇も無く、口にしやがった』
――馬鹿な女です。よっぽど貴方を信頼しているのしょうねえ。ククク!。
クロノスはメリッサの頭を数回撫でると、踵を返し、悍ましい顔を覗かせながら、生命維持装置の制御を束ねる入力パネルに手を伸ばす。
「じゃあ、俺が隣の部屋で、もう一つの装置に入ったら後の事は全てお前に任せたぜ?」
「…………」
メリッサは何も答えない、その変わり軽く頷いた様にも見える。
『お前……俺の生命維持装置を……「停止」する気だな?』
――ご推察の通り。本体を失った魂がどうなるか当然、貴方は理解されているでしょう? そうです! 空気の様に溶け込んで「無」となる、つまり、この器を巣食う邪魔者が一人、消滅する訳です! ククク!。
『――っ!』
込み上げる笑いを必死に押さえながら、クロノスはパスコードの入力を始める。心の中でクロノスはレオに向かって「あと三つ……さあ、あと二つ!」と、死のカウントを叫んでいた。
そしてクロノスが「これが最後です!」と、最後のコードを入力した時だった。心地よい解除音の代わりに「入力ミス」を警告する不協和音が艇内に響いた。
「……すまない、メリッサ。どうやら俺はちゃんとパスコードを聞いてなかった様だ。い、今一度教えてくれ」
パネルに手を添えたまま、震える声を絞り出す。
「いいえ、パスコードはちゃんと合ってます」
平然と答えるメリッサ。
「じゃ、じゃあ、なんで解除されない?」
メリッサの納得のいかない回答に苛つき、踵を返したクロノスの表情が醜く歪んだ。そのメリッサは既に距離を置き、「戦闘態勢」に入っていたからだ。
「は、はは……何を馬鹿な事をやってるんだお前?」
「『解除されない』のでは無く、『解除させない』のです。何故なら貴方は『クロノス』ですからね!」
――なっ!?。
『――!?』
「お、俺がクロノスだと? そんな馬鹿な事がある訳がない――」
「いいえ、あります! 今の貴方がレオ様では無く、クロノスであるという事が!」
何処かで見た推理アニメの様に犯人を指さす仕草をし、鼻息を荒くして、どや顔を見せるメリッサ。
「し、証拠は……証拠を見せろ」
これまた何処かの推理――以下略。犯人がいかにも言いそうな台詞をクロノスが吐いた。
「ふふん、貴方がレオ様で無い証拠その一! 今のレオ様だったら異性が近付くと慌てて逃げます! 貴方の様にだらしない顔なんて絶対に見せません!」
「――うっ!?」
『うむ。その通りだ!』
「貴方がレオ様で無い証拠その二! 今のレオ様だったら私と二人っきりの時は必ず私の事を「姫様」と呼びます! 学校の中でならともかく、私からお願いしない限り絶対に『メリッサ』とは呼びません! それも、最初はそう呼んでくれますが……すぐに『姫様』に戻っちゃいますけど」
少し不機嫌そうな顔をするメリッサ。
「――がっ!?」
『ほう! 流石、姫様。良く分かってるじゃねえか!』
「貴方がレオ様で無い証拠その三!」
指で元気の無い「三」を形取ったメリッサは少し躊躇すると、目を伏せながら声を漏らした。
「今のレオ様だったら……この私では無く……きっと……あの娘を選ぶでしょうから――」
「――ぎっ!」
『…………』
正体を見破られた流星――クロノスが体勢を低くした刹那、天井の両端から詠唱らしき声が聞えてきた。魔法に長けていたクロノスはこの詠唱がかなり時間を要する事、そして、既に終わりの部分に差し掛かっている事を理解した。
「こっ、これは拘束の呪文詠唱!? お、お前! 最初からこの私がクロノスであると知ってて――!?」
「今です! お前達!」
メリッサの声に召喚される様に、先程の護衛達が現れ、その二人がそれぞれ右手と左手を翳すと、魔法陣から魔力が編み込まれた鎖が冷たい音を響かせながら、クロノスを縛り上げた。
「くっ、くそ! う、動けない!」
必死で体を揺さぶりながら拘束から逃れようとするも、足掻けば足掻くほどその鎖は嫌な音を立てながら締まっていく。
「ぐうううっ!」
溜まらず膝を落とすクロノス。
「ふふん! 私の三文芝居にまんまと引っ掛かりましたね! まぁ、こんな物に引っ掛かるのはクロノス、貴方だけなんですけど!」
『……すまねえ、姫様。俺もがっつり引っ掛かってたその一人だ』
先程「馬鹿姫」等と言って、完全に騙されていたレオが小さく呟いた。メリッサはクロノスに近付くと胸板に刻まれた刻印を見ながら、眉を歪めた。
「クロノス、貴方は本当に虫の好かない人です。先程少し見えたのでもしやと思いましたがレオ様が居るそのお体に、この様な呪詛を掛けるなんて!」
刻印に手を翳したメリッサが呪いを解く「解除」の詠唱を始めると、くっきりと刻まれていた刻印が次第に薄れ――やがて完全に消え去った。
「さて……クロノス。どうです? 動くことさえも、逃げ帰る事も出来ないでしょう? このまま貴方をその体から燻り出してあげます。さぁ、立ちなさい」
言われた通り、両腕を締めあげられたクロノスがゆらりと立ち上がる。
「お前達、このままこの者を監禁室に閉じ込めておきなさい。あ、レオ様はご不便でしょうが、魔法医達が此処に来るまで今暫くの辛抱してくださいね。レオ様も、流星も必ず元の体に戻してあげますから」
にっこりとメリッサが微笑む。観念したのだろうか、クロノスは顔を伏せたままだ。護衛達が鎖を引きクロノスを連行しようとした時だった――。
「成程……これが我が国が誇る最高峰の拘束呪文ですか? ククク……」
「『――っ!?』」
顔をゆっくりと上げたクロノスが悍ましい表情を見せながら、メリッサを睨む。
「素晴らしい……どうやらこの器の中には既に魔喰の力が宿り始めたようです」
「ま、魔喰? クロノス、やはり貴方が神器を――!?」
「如何にも……私が最強の力を手にする為に持ち出したのです。 さぁ、ご覧あれ、これこそが魔喰の力!」
歓喜の声を広げ両腕を広げた瞬間、風もないのに前髪が強く靡いて、流星の整った顔が見え――ない。 そこに見えたものは人外の右目、否、目という表現をする事さえも難しいのかも知れない。 闇に染まった眼球は異常に膨れ上がり瞳孔の変わりに赤く不気味な魔法陣が浮き出ている。 やがて中央部分で閉じていた瞼がゆっくりと開くと、まるで意志でも持っているかの様にゆっくりと回転を始めた。
「ぐっ!?」
突如流星の右目に激痛が襲う。 恐らく魔喰の覚醒で大きな負担が掛かってしまっているのだろう、魔法陣の回転速度が上がると、目の周りの血管が魔法陣へ動力を注ぎ込む様に、悍ましく蠢めいている。
その激痛は流星の体のみならず、支配している側のクロノスにも及ぶ。 突如クロノスの右目から血の滴が滴り落ちたのだ。 本来であれば、他人の体を完全に支配する為には己の魂をその肉体に全て宿らせなければならない。 だがクロノスの場合、別地点から魔喰をパイプラインとして流星の右目に繋ぎ、己の魂の一部を無理矢理捻じ込んだ状態だった。
故に魔喰の魔力の源が例え流星の魂であったとしても、中途半端に介入しているクロノスにも当然負担が及ぶ。 第一、流星の持つ魔力にクロノスの魔力は足元にも及んでおらず、加えて魔喰の覚醒には膨大な魔力が必要。 それは流星と同じ位、あり得ない量の魔力を吸われて続けているというクロノスにとってかなり危険な状態を指していた。
だが当のクロノスはその苦痛を忘れる程の快感に酔い痴れている。 その理由は魔喰を通し、己に伝わってくる圧倒的な「魔力」。 吸収された魔力は魔喰によって何十倍にも増幅され、その中に蓄えられる。
クロノスがここで単純な雷の魔法を使用した場合、その雷は天の怒りを示すかの様に周りに存在する物を一瞬にして消滅させる事だろう。 詠唱する事も無く、願い、魔喰のトリガーさえ引けば一瞬にして目の前が無に帰る、その力に魅せられたクロノスはこの時、己の体の負担の事等、どうでも良くなっていたのだ。
『ああ……素晴らしい……これが、これこそが魔喰……!』
「『貴様、この期に及んで一体何を考えているかは知らないが、もはや無駄な抵抗だ。 その鎖からは何人たりとも逃れられぬ』」
『……成程。 何人たりともですか……そうですか、クククク』
頭を垂れたままクロノスは不気味に笑い、肩を小刻みに震わせ――そして願う。 この忌々しい縛りよ、朽ち果てろ と。 刹那、魔法陣から現れた闇の手がそれに応えるかの様に鎖へ絡み付くと、いとも簡単に鎖を引き千切った。
「『く、鎖が!? ば、馬鹿な!?』」
クロノスの高笑いが艇内に響いたと同時、艇内が激しく揺れ、棚に乗せていた物が次々と崩れ落ちる。 その衝撃で飛行艇を覆っていた封印が解除されると、艇外で監視を続けていた十蔵の部下がこれに気付いて、慌てて無線を手に取った。
満足したのだろう、高笑いを終えたクロノスはメリッサ達を見ると意味有り気に笑みを見せる。
「いやあ……最初は、きちんと手順を踏もうとしたんですけどねえ……この溢れんばかりの力を手にした今、そんな事はどうでも良くなってきました。 要は全てを消し去れば良いだけの事ですからねえ……クククク」
天井を仰ぎ、両手を大きく広げたクロノスは、止めども無い血の涙を流しながら、魔法陣を激しく回転させる。 それはまるで流星が悲鳴を上げているかの様にも見えた。
「桃子! 何をもたもたやってますの! すぐに現場に向かいますわよ!」
「わ、分かったから、そんなに焦るなって!」
十蔵から無線で「謎の飛行物体出現」の報告を受けた加奈は、出現場所に我先向かおうと、桃子を急き立てている。外に飛び出した二人は遠くで放っている眩い光を目にし、加奈が「あの光! 間違いありませんわ!」と、目をきらきらと輝かせて指差す一方、桃子は――。
「レオ……お前、そこに居るのか?」
と、心配そうに呟くのであった。




