第二十七話 加奈の長い一日~後編
「うおお……ずっとしゃがんでいたから体中のあちこちが痛い」
目的に到着したレオは、転がる様に車外に出て、腰の部分を両手で押しながらぼやくと、自分の遥か頭上に聳え立つ建物を見上げながら「でかいな……」と、言葉を漏らした。レオが口に出したでかいは――高いを意味する。 これは自国の城と比較したものであるが、広さや幅はあっても、この世界の様な高層建築物を実現する術はまだ得られていなかった為だ。
建物を見上げたレオは大口を開けたまま、建物の屋上部分を確認しようとするが、はっきり捉える事が出来ない。 視力に自信があったレオが不満の舌打ちを鳴らした時、今の自分の体が流星のものである事に気付き、ああ……そうだったな。 と、安堵の言葉を漏らす。
「ふ……ならばこの勝負引き分けだな」
負けず嫌いのレオは、最初この建物を目にして、自身の視力と高層ビル屋上の確認を勝負の秤に掛けており、見えない――敗北であったのが、何よりも気に入らなかったのだが、今の体が流星のもの――敗北では無い――引き分けと、いう事にしたのだった。
「何一人で訳の分からない事を仰ってるの? 到着して直ぐで悪いのだけど、これから貴方にして頂きたい事があるの」
「……俺にして貰いたい事だと?」
「ええ。 実は――」
「お待ちください、お嬢様。 そこからはこの私がご説明申し上げましょう」
運転席の方から扉を開ける音がして、中から大きな熊が――否、体格の良い、大きな男がぬっと姿を現す。 ちなみに大きな熊とは、レオが目にした第一印象であり、本能的に襲われる……と、勘違いしたものだ。
「……爺や」
「本日は無理矢理此方へお連れする形となってしまった事をまずはお詫びいたします。申し遅れましたが、私、お嬢様が幼き頃より専属で執事を務めさせて頂いております、佐野十蔵と申す者です」
「ああ、俺は――」
と、口を開いたレオだったが、十蔵の顔に刻まれた刀傷を見た瞬間、直ぐに閉じてしまった。 物腰優しそうな面持ちには余りにも不釣り合いな横一文字の傷は、間違いなく戦の中で命の取り合いをした爪痕であると、気付いたからだ。
普通の者であれば、一見裕福な家に仕えている初老の執事――白髪、白髭をきちんと手入れしており、優しい瞳に身だしなも完璧。 にしか見えないが、レオは違った。 眼。 この男の眼は幾戦もの刃を凌ぎ、死線を掻い潜った者しか持たない者の眼。 そして――その眼で何十人とも言えない敵を屠ってきた者である事の証、最後に自分と同じ兵の「匂い」がすると。
一度手合わせ願いたいものだ――十蔵の眼を見据えながら、そんな邪な思考が頭を過る。 やがて自己紹介の途中であった事に気付いたレオが、再び口を開こうとした時、レオの考えている事を全て悟っているかの様に、十蔵が破顔した。
「……貴方が噂の流星様ですな。貴方の事は良くお嬢様から聞かされていますので良く存じ上げていますよ。とても頼りがいのある良い紳士の方でおあせられると。ほっ、ほっ、ほっ」
「そうなのか?」
そうなのか――信じられない。 最初の頃はお釣りがくる程、流星に嫌がらせをしてきたというのに。 加えてプライドという高価な衣装を纏っいるのだ。 そんな加奈が流星を頼っているだと? いや、それは今の俺に頼っているのであろうが、今はそんな事はどうでもいい。 ともかく加奈の口からその様な言葉が出ていようとは……。
加奈の方を真意を問う様に見つめると、照れくさそうに加奈は視線を反らす。 なんという事だ、十蔵の言った事は強ち嘘では無いらしい。 レオは一瞬身震いしてしまう。
「――流星様、先程のお話の続きですが」
突如、驚きを隠せないレオの耳に十蔵の低い声が届き、その内容が脳内に展開される。 どうも加奈の親が経営する吉崎銀行ともう一つの白鳥銀行とやらが合併の話をするとの事。
「ですが、合併云々ついてははほぼ決まった様な物でして……本来の目的ですが、お嬢様と、その白鳥銀行の跡取りとの――」
「――ふん、政略結婚って奴か。どこの世界でもくだらん考えを起こす野郎は存在するって事だな……」
「左様です。 そこで流星様にはこれを阻止して頂きたい所存。 お察しの通り、お嬢様はこの様な事等、当然望んではおられません。私はそれを思うと心苦しいばかりで……」
「爺や、そんなに心配しないで。こんな茶番はさっさと終わらせて、また何時もの様に――」
「何時もの様に――で、何だって?」
刹那、十蔵の声でも無い、無論自分が発した声でも無いなんとも言えない粘っこい声がいきなり会話の中に割り込んで来る。 そこでレオはある事に気付く。 加奈の様子が突如変化したのだ。 先程まで感じていた、何時もの高慢ちきな態度はその陰さえも見えず、相手をはっきり見ながら物事を言う顔が何故か地面に向いている。 成程、よほどこの声の持ち主と関わり合いたくないらしい。
「加奈。 俺様の『人形』が何時からそんな風に立派な口が利けるようになったんだよ?」
「猟兄様……」
「へえ。青いドレス、中々似合ってるじゃないか。文字通り人形みたいだぜ」
そのまま近付いてドレスを掴むと、強引に引き上げて自分の鼻に押し当てた。
「い、いやっ! は、離して!」
突如現れた敵――加奈の兄。 レオは冷静に分析を始める。 十蔵の物とは違う人を見下した冷ややかな眼。 ああ、あれは俺が一番もっとも嫌う者が持つ眼だ。 それに自分が裕福である事を見せつけるかの様に身に着けている装飾類の数々は吐き気がする。 で、手に持っているあの赤い薔薇は何だ? 己を誇張しようとする為のアイテムか? む、待てよ。 そういえば、俺の部下にも一人いたような気がするな。 確か戦果を上げる度に、周りの女共に向けて投げていた様な気がする――誰だったか。
「ふん、何か裏で手を回してやがると思ったら、何だ? その野郎に助けて貰おうとでも思ったか?」
レオを睨み付けた後、今度は激しい口調で不満を十蔵にぶつけるが、十蔵は沈黙を守ったままだった。 これは自分の主があくまでも加奈であるとい事を主張しているという事なのだろう。 何れにせよ、嫌がる女――例えそれが気にくわない加奈であろうとも。 に力でねじ伏せる、威圧するという行為はレオが最も嫌う行為であった。 直ぐ様拳を握り締め、目の前の猟をぶっとばすという行動に出ようとしたが、重々しい視線がそれを制した。 それは未だ沈黙を守っている十蔵であった。
「この老いぼれが! てめえ、余計な事をしやがって! 後でたっぷり説教してやるからな! 覚悟しておけよ! おい、その野郎は事が済むまで何処かに閉じ込めておけ。邪魔をさせるな!」
「かしこまりました。猟坊ちゃま」
どこから出没したのか、猟と同じ白色のスーツを纏った部下――黒のサングラスを装着。 らしき者が、両腕を無造作に掴む。
「……何だ、お前等? 離しやがれ」
レオは直ぐに周りの雑魚を一掃しようと両手に力を込めたが、加奈の様子が心の隅で引っかかり、力を緩めて、期会を待つ事にする。
「けっ、折角『ママ』が、お前如きの我儘を聞いて、下賤な学校に行く事を許してくれたっていうのによお、その恩を仇で返しやがって……!」
「そこで何をしてるの猟ちゃん?」
「あ、ママ! 今僕ね、ここに迷い込んで来た野良犬を追い出したとこなんだよ!」
先程あれ程攻撃的だった猟の口調が、母親――涼子が現れた途端、劇的に変化した。
「……そう。何時までもそんな空気の悪い場所に居ないで早くこちらへいらっしゃい」
「うん! 僕も直ぐに行くからママは先に行ってて!」
――お父様、お願い! 助けて!。
加奈は涼子の後から弱弱しい態度で付いていく自身の父親――利彦に必死に目で訴えた。
「涼子さん……やはりこんな事――」
「何ですか利彦さん? 私に何かおっしゃりたいことでも? それでなくても貴方の声は小さくて何を言ってるのか分からないのですから、もっとはっきり私に言ってくださらない?」
「い、いや……何でも無い。すまない」
利彦はは何とかしようと勇気を出して口を開くも、悲しいかな、養子である故、立場も弱く苦笑いを作った後そのまま黙ってしまった。
「……加奈、貴方は猟ちゃんと違って出来損ないなの。ちゃんと理解してる? ま、せいぜい家の為になる様、今日位は役に立ちなさい」
「加奈、分かったな? ちゃんとママの言う事を聞くんだぞ? もし少しでも抵抗する気なら――また俺が『可愛がって』やろうか?」
片手で加奈の胸を鷲掴んだ。
「――っ!」
「……良い顔だ。俺が言っている事がちゃんと分かってるようだな? くくくくっ! あーっはっはっはあっ!」
「――お嬢様」
拳を握りしめ、微かな動きを見せた十蔵に、加奈が慌てて手を翳しながら制止した。
「だ、大丈夫……私は大丈夫だから……!」
「さぁ、お前等ぐずぐずするな! 加奈は俺様と一緒に来い! 目障りなそいつはさっさと連れて行け!」
レオは拘束されたまま、建物の裏側へと連れて行かれる。その様を心配そうに加奈は見つめていたが、猟がそれを引き離す様にして嫌がる加奈の手を掴んで建物の中に引っ張って行った。
「いいか、終わるまでお前はここで大人しくしていろ!」
体中ロープでぐるぐる巻きにされたレオは背中を蹴とばされ、薄暗い部屋に閉じ込めらていた。ドアの外側では人の気配が残っている事から、どうやら見張りが役が張り付いているらしい。
「くそ……人が下手に出てたら、手荒に扱いやがって! ……にしても、何だこの部屋は?」
レオは自分の辺りに積み上げられた段ボールの箱を見渡しながら呟いた。次第に目が慣れてくると箱の中に何かのマスコットらしき着ぐるみや、催しもので使われるであろうグッズが押し込められているのが分かった。
「さてと……これからどうするか……だ」
天井を見上げるレオ。その時だった。視界に入った箱から、何かがはみ出ている事に気付いた。
「お? あれはもしかして……ふんっ!」
両腕に思いっきり力を込めると、レオを拘束していたロープはいとも簡単に引き千切れる。立ち上がり先程の物を手にとって確かめる。
「やっぱりこれは……しかも全部揃ってるじゃねえか。こいつは良い。場を盛り上げるには、これを使う手はねえ」
それは随分と使われていなかったのだろう、場所を弁えずレオが埃を払うと、周りに埃が拡散して激しく咳き込んでしまった。
「げへっ、げふっ! くそ、俺とした事が。まぁ良い」
まずはドアを蹴破って見張りを懲らしめた後、加奈の居場所を聞き出して……と、レオがこれからの行動を模索していた刹那、一瞬外が騒がしくなったかと思うと、数人の悲鳴が上がって直ぐに静かになり、その後で何者かが鍵を外す音が聞こえた。
「何だ? 何が起こったんだ?」
ドアを開け、急いで廊下に出たレオの目に飛び込んできた物――それは、ドア付近で無様に横たわっている猟の部下達、それに威厳を放つかの様に白い髭を両端にぴんと伸ばした十蔵が、清潔そうな白いハンカチで両手を拭っている姿であった。
「ほう、やるな……爺さん」
「まだまだひよっこ共には負けはしませぬ、ほっほっほっ。 ……ところで流星様、貴方はとてもお懐かしいお姿をされておりますね」
「ふふふ。だろ? これで加奈の居る所に殴りこんでやる」
「左様ですか、お嬢様はこの建物の最上階「鳳凰の間」にいらっしゃいます」
「分かった。有難うよ、爺さん。で、あんたはこれからどうする?」
「下で車を回して、笑顔で戻ってこられるお二人をお待ちしてします」
「俺に任せとけ、じいさん。加奈は必ず連れて戻る。それと戻ったらカレー食うから準備しとけよ?」
「カレーですか。かしこまりました。では、ご武運を……流星様」
「――っしゃあ、行くぜ!」
走り去るレオの背中に深々と頭を下げる十蔵。その後直ぐに数人の部下がこの異変に気付き、「捕まえろ! 奴を行かすな!」と、流星の後を追おうとする。
「申訳ありませんが、簡単に此処を通す訳にはいきません……ほっほっほっ」
「な、何だお前!? 邪魔だ、そこをどけ! くそじじい!」
十蔵は首を左右に傾けながら骨の音をさせた後、自分に向かってくる敵に「小童どもが……」と、悍ましい目で見据えた。
――鳳凰の間。周りは穏やかな雰囲気で会話が弾み、下の階が今、大変な事態に陥っている事も露知らず、縁談が滞りなく進められていた。
「いやあ、家の馬鹿息子には勿体ない位、良く出来たお嬢さんだ」
相手の白鳥家は、合併する事によってこれから得られるであろう、莫大な利益と加奈の申し分の無い容姿にとても満足していた。ちなみに息子の方だが、瓶底眼鏡を掛け、髪はぼさぼさという、とても「イケメン」とは言い難い男であった。
「いえ、こちらとしても不出来な娘を白鳥家に引き取って貰える事に、むしろとても感謝しておりますわ。ねえ、加奈」
涼子が高価そうな扇子で自分を扇ぎながらにっこり加奈に微笑むも、加奈は表情を強張らせたまま何を言わない。涼子は聞こえない舌打ちをし、
「娘が……今日はとても緊張してるみたいで……」
と、愛想笑いをする。
「くそが……俺様のママに恥をかかしてるんじゃねえ。ほら、加奈、笑え、笑うんだよ! でないと――」
テーブルの下、気付かれない様、加奈の太ももの内側に手を押し込み、無理矢理ねじ込む。
「――っ!」
「言う事を聞け……おら!」
――こんなの、こんなの嫌だ! お願い、助けて、助けて……レオっ!。
加奈の瞳が悲しみ涙で滲んだその時だった。煌びやかな大きな扉の向こう側から、何処かで聞き覚えのある歌が聞こえてきた。
『真っ赤に燃える太陽が俺の心を熱くする』
『夜空に輝くお月さまが、正義の道を優しく照らす』
その歌に部下達の悲鳴がオリジナルで加わり、直ぐ近くまでその歌声が大きくなってくると、その扉は勢い良く開け放たれた。
「な、何だっ! お、お前は!」
猟が席から立ち上がり、レオを――否。今はヒーローと言っても良いのではないのだろうか、赤いマントを翻しながら仁王立ちをしている彗星仮面トライダーを指差して叫んだ。
「もし、君が助けを求めるなら、何時でも何処でも、俺は現れる――加奈、お前が俺に助を呼ぶ声がちゃんと届いたぜ?」
「レ……トライダー!」
両手で口を押え、溢れ出す涙を必死に押さえようとする加奈。 猟はトライダーの正体に気付くと、懐から取り出した護身用の三段ロッドを伸ばしながら叫ぶ。
「その声、聞き覚えがあるぞ! お前、さっき加奈と一緒にいた奴――」
「トライダーぱあああんち!(フォントサイズ百ポイント位で)」
猟の言葉はレオの繰り出したトライダーパンチで遮られ、豪快に衝立に打ち付けられた挙句、衝立共々後方に倒れた。場内が騒めく中、レオはずかずかと利彦の方に近づくと、その胸ぐらを思いっきり掴んだ。
「なぁ、あんた加奈の親父さんなんだろ? だったら何で自分の娘が嫌がってるのに無理やり此処に連れて来させた? お前、本当に娘の幸せを考えてやってるのか? 親は常に子供のヒーローであって然るべきじゃないのか!? 答えろよ!」
静まり返った室内に、利彦の眼鏡が床に落ちて乾いた音が鳴った。
「僕だって……いや、俺だってこんな事はしたくなかったんだ……そうだ、俺は――俺は!」
レオの掴んでいた手を強引に引き離すと、白鳥家、そして涼子の方を見据えて言い放つ。
「やはりこんなのは間違ってたんだ! 白鳥家の皆様には大変申し訳ないが、この縁談――合併は白紙に戻して貰う!」
「利彦さん! 貴方、急に何を言い出す――」
「涼子さん! ……いや、涼子! お前の力は認めているが、余りにも度が過ぎている! 猟は甘やかして好きな事をさせ、加奈がやりたい事を全て取り上げていた事を俺はずっと知っていたんだ! これ以上加奈を悲しませると言うなら、離婚だ! 俺は加奈と二人で生きていく! 分かったか!」
「え? あ……そ、そんな! 利彦さん……嘘よね!? 嘘でしょ?」
あれほど傲慢な態度を取っていた涼子が、涙を滲ませながら利彦に縋りつき崩れ落ちてしまった。
「ああ、ママ……くそ、加奈! こうなったのも全てお前のせいだ! 訂正して今直ぐ謝罪しろ! さもないと、俺の人形の分際で抵抗した事をこれからずっと後悔させてやるぞ!」
起き上がった猟が威圧しながら加奈の胸に手を伸ばした刹那、その手が何者かの手によって鷲掴みにされて捩じられる。悲鳴を上げた猟が「何をする!?」と、その相手を鬼の形相で睨んだが、その目は見開かれたまま止まってしまった。
「失礼。実の妹を人形呼ばわりするなんて、どうやら君には兄の資格が無い様だ」
「――っ!」
その男は白鳥側の息子――白鳥聖司であった。
「……実は僕にも可愛い妹がいてね。笑顔がとても眩しい妹なんだ。今日は用事があって来れなかったんだけど、ここに居なくて本当に良かった」
聖司は捩じった手を解放しようとはせず、更に捩じった。
「ぐぎぎぎ! 痛……い! 手が折れる! 折れるっ!」
「何故なら……我が妹の涙を見てしまう所だったからね……だから、君みたいな奴と親族になるのはこちらの方から辞退させて頂くよ、それと――」
聖司は静かに瓶底眼鏡を外しながら髪をかきあげた。そこに先程のブサメンは居ないと言っておこう。
「もし、これ以上自分の妹に手を出すと言うなら……僕は全力を持って君を潰すよ? 僕にとっての妹とは、『この世界に息衝いている全ての妹』を指すからね」
にっこりと笑うその奥で悍ましい殺意を猟は感じ取ったのだろう、黙ったまま、必死で首を縦に振った。
「さて……と」
部屋の片付けが終わった様に両手を鳴らしながら、トライダー――レオの方に向き直ると、
「いやあ! まさかこんな所にトライダーが現れるなんて、凄く嬉しいな! あの、サイン貰っていいですか!?」
聖司は童心に返った様に興奮気味でどこから用意したのか、色紙とペンを取り出した。
「え? 俺? 悪者は全部お前がやっつけちゃったんだけど? うーんどうしようかな?」
……等と言っているが、うきうきしながら色紙とペンを受け取るレオ。まんざらではなさそうだ。色紙にミミズが這った様に「とらいだあ」と書き込むと、
「じゃ、俺もう行くから!」
と手を振りながら部屋から出て行った。聖司はその後ろ姿を目を輝かせながら何時までも見ていた。
「あ、あの……助けて頂いて有難うございます」
背後から申訳なさそうに加奈が聖司に声を掛けた。
「ん? 君を助けたのは僕じゃない、トライダーだよ?」
「私、貴方が嫌いとかそういうのではないのです。ただ、私には――」
「ああ。無理に言わなくてもいいよ。 元々僕はこの縁談に興味無くてね。何れにしても断る予定だったんだ。それに破談の報告をおどおどしながら可愛い妹が自宅で待っている事だし、何の問題もない」
屈託無く笑う聖司に加奈は心が救われる気がした。
「あの……本当に有難うございました!」
「いいよ、そんなに気を使わなくて。僕にとって君も可愛い一人の『妹』に過ぎないのだから……ふふふ」
その言葉を聞いて加奈は少しだけ引き気味になった。
「後は全て僕が片付けておくから君は早くここから立ち去るといい……それに君もトライダーにちゃんとお礼を言わないとね」
レオが立ち去った扉の方を見ながら聖司はにっこりと微笑む。
「は、はい!」
元気良くお辞儀をした加奈は、ドレスの両端を摘むと、嬉しそうに駆け出して行った。
――建物の外。加奈が下に辿り着いた時、あれ程頼もしかったヒーローは、蝉の抜け殻の様に脱ぎ捨て、車の側で「着ぐるみ、あぢいー」とへたり込んでいる。レオは加奈が無事に戻って来たのを見届けると「よぉ、遅かったな」と声を掛けた。
「……何よ、ヒーローである者が、なんて格好悪いのかしら」
「本日のトライダーショーは終了しました」
レオは自分が脱ぎ捨てた着ぐるみが、十蔵の部下達によって元の場所に戻されていく様を指差す。
「お嬢様……ご無事で何より……!」
「爺や!」
お互いが抱き合う姿は、二人が長年積み重ねてきた信頼関係がとても深いという事をレオは理解した。車に乗り込んで帰路に着く途中、加奈が何かを言いたそうに顔を赤らめながらそわそわしている。やがて意を決した様に口を開く。
「今日は……本当に有難う。私、ヒーローって信じてなかったけど、レオの姿を見て少し信じてもいいかな……って」
「そうか、俺もトライダー信者が増えて嬉しいぜ」
「私が言いたいのはそういう事じゃなくて……ヒーローって皆を守る人なんだろうけど、レオには……私だけのヒーローになって貰いたいって言うか……」
加奈がレオの方に瞼を閉じながら空間を詰めてきた。
「だから、そういう事をするんじゃねえ!」
必死に離れようとする。と、いっても人二人分の幅しかないのは説明する旨も無い。加奈はそれでもぐいぐいと顔を近づけてくる。
「そうか……そっちがその気なら、良いだろう。おい、じいさん、約束の物を出せ!」
受話器に向かって頼んでいた物を要求するとパネルが開いて、カレーが出現した。強烈でスパイシーな匂いは、加奈が放つ甘い匂い等たちどころに消し飛ばしてしまった。
「っしゃあ! 俺はこれを待ってたぜ! さあ! 食うぞ!」
「レオ! 私がせっかく今日の御褒美を貴方に上げようとしていたのに、ここでカレーとか、もう、信じられませんわ!」
その後車内では、「今直ぐ窓を開けなさい!」とか、「煩いな! 俺はこの匂いが好きなんだよ!」等、押し問答が繰り返され、そのやりとりを密かに聞いていた十蔵は、「お嬢様も本当に良い紳士と巡り合えましたな……」と、目を細めて嬉しそうにハンドルを握りしめるのであった。




