第十九話 メリッサのターン~前編
『おま……えは!?』
レオはここに居る筈もないメリッサを目を前にして、驚きの言葉を危うく漏らしそうになる。それを察したのだろうか、メリッサは怪しい含み笑いをレオに見せた。
「これは、なんて奇遇なのでしょう!? 同じ屋根の下で暮らすこの場所に、私が一目惚れしてしまった殿方がいらっしゃるなんて!」
「――何ですとう!?」
メリッサの言葉に瞬時に反応した美月が目をまん丸にして、驚きの余り髪の毛を逆立てた。
「貴方達そんな所で固まってないで、早くリビングにいらっしゃい。貴方がメリッサちゃんね。お人形さんみたいで本当可愛い娘ね。お話は全てお父さんから聞いてるわ。今日からここを自分の家だと思って、気兼ねなく暮らして頂戴ね」
「優しいお心遣い、感謝いたしますお母様」
「まぁ、なんて行儀正しい娘なのでしょう。うちのおてんば娘とは雲泥の差ねえ」
「――ぐうっ」
美月の胸に見えない剣が深々と突き刺さった。
「流星も美月もメリッサちゃんにちゃんとご挨拶なさい」
「……あ、天野川美月です。よろしく」
顔を背けて、半ば膨れっ面でぶっきらぼうな挨拶をする美月に対して、メリッサは満面の笑みで美月の両手を握って「どうぞよろしく」と返した。次にレオだが、混乱に捉われている中、なんとか名前を口に出そうとする。
「僕は天野川流――!?」
レオは最後まで名乗る事が出来なかった。否、名前を口に出した途端メリッサに思いっきり抱き付かれて強制中断させられてしまっていたのだった。その様を見た母親は「あらあら」と嬉しそうな声を上げ、美月は「うああっ!」と悲鳴染みた声を上げた。
「おっ、お前……一体何を考えてる?」
周りに聞こえない声でメリッサに問うレオに、頬ずりをしながらメリッサは色気のある声を漏らし、そっと耳打ちをする。
「レオ様……私、ちゃんと言いましたよね? 私達は離れられない運命にある――って」
ぽん。とレオの肩を軽く押しながらメリッサが離れた。見事しか言いようが無い程、メリッサが天野川家の情報を駆使し、裏に手を回す行動の速さに、レオは舌を巻きざる得なかった。
「――じゃあ、メリッサちゃんには上の階の空き部屋を使って貰いましょうか」
「有難うございます。でも、私別に流星様の部屋でも全く構いませんよ?」
――俺が大いに構うわっ!。
「そ、そんなの、断固却下に決まってるでしょ!」
レオは心の中で叫び、美月はその場で絶叫した。
「あらあら~? じゃあお母さんは若くしてお祖母ちゃんになっちゃうのかしら?」
――ならねえよ!。
「な、なっちゃ駄目えええっ!」
軽く微笑み余裕で対応する母親と本気で動揺している二人。だが、メリッサのその言葉が冗談でなかったという事は言う旨も無い。
――その晩。和やか? な夕食が終わって各々が自分の部屋で寛いでいる。メリッサは互いに自己紹介を済ませた後、平然とした顔で流星の部屋の中に自分の荷物を持ち運ぼうとしたが、それを美月が「絶対に駄目ですからねっ!」と、と部屋の前でインターセプトし、鉄壁のガードで防いでいた。
「メリッサさん、お風呂空いたのでどうぞ」
少し時間が経過した後、しぶしぶ一番風呂を終えた美月がノックをしながら扉越しに声を掛ける。この「しぶしぶ」というのは当然理由が存在する訳であって、美月はメリッサが企てているであろう、流星との風呂場での突発的イベントのフラグを何としても圧し折りたかったのだった。
「有難うございます、美月さん」
着替えを手に持ったメリッサが部屋から出てくると美月は訝しそうな顔を見せながら「ちゃんと『先に』お風呂に行ってくださいね!」と、意味有り気な言葉を残し、自分の部屋に入っていった。
メリッサは少しだけ時間を置き、静かに美月の部屋の扉の前に立つと、右手を翳し始めた。
「これより我が名、ディモル・メリッサの名を以て、己の力を示さん。汝、我の命に従い、此方の世界を遮断し、中の者を幽閉せよ」
その刹那、扉の周りに紫色の炎が勢いよく吹き上がって消滅した。詠唱を終えたメリッサは「ふっ」と、満足そうに口元を歪めると、流星の部屋の扉をノックした。
「レオ様、お風呂が空いたそうです、どうぞお入りになってください!」
「――メリッサか? お前には聞きたいことが山程ある」
静かに扉が少し開くとレオが半分だけ顔を覗かせた。
「……美月は?」
「大丈夫! そりゃもう、部屋の中で大人しくしていますよ。それよりこのお話は後にして、先に湯浴みに行ってください!」
「……お前が先に行け!」
「いえいえ、上官を差し置いて部下の私が先に湯浴みをする等、無礼千万に値します!」
「……お前、俺が入ったら絶対に入ってくるだろ!?」
「滅相も有りません! レオ様、この私の両眼をみてくださいよ! 私がそんな恥じらいの無い乙女に見えますか!?」
「見える! だから先に行け、これは上官命令だ!」
……等と、先に入れ、いえいえ、入りませんの押し問答が暫く続くが、このままでは埒が明かないと判断したレオが先に折れた。「いいか! 絶対に入ってくるなよ! 絶対だぞ!」と何処かで聞いた様な台詞を繰り返しながら、何回も踵を返し威嚇しつつ、風呂場に向かう。
風呂場で湯煙と心地よいシャワーの音に包まれたレオは大きな溜息を吐いた。
「くそ……何でこんな訳が分からない状態になちまったんだ」
頭上から勢いよく降り注いでくる湯を受けながら、レオは髪を洗おうとシャンプーに手を伸ばす。
「髪の毛を綺麗にするあの液体はどこだ?」
「レオ様、それならここです!」
「おう、ありがとな」
「いえいえ、お礼には及びません!」
「――ん?」
シャンプーを受け取った所で会話が途絶え、シャワーの音だけとなった。
「うお!? おおおおっ!?」
慌てて立ち上がり、周りにある物をあちこち弾き飛ばして逃げ惑うレオの目の前で、湯煙の中からメリッサが姿を現した。
「お、お前ええっ! お、俺は言いましたよ!? 入って来ては駄目よ! と!」
混乱で口調がおかしくなるレオを前にして、メリッサはシャンプーを手にしたままにっこりと微笑む。
「はい。ですからちゃんと節度を守って、体を布で隠しておりまので。どうかご安心ください!」
ちなみにメリッサが言っている布とは水着を意味している。
「なーんだ水着だったのか、それなら安心したぜ――じゃねえ! それ、根本的に内容がすれ違ってるだろーが!」
「まぁまぁ。そんな細かい事は気にせず、観念してさっさとそのお体を私に隅から隅まで洗わせてくださいよ……ふふのふ」
嬉しそうに、じりじりと距離を詰めてくるメリッサ。
「おま……こんな所を誰かに見られたら……」
「でしたら尚更お静かに。奥で寛いでいるお母様に気付かれてしまいますよぉ?」
ウインクしながら人差し指でレオの口を軽く押さえる。
「――っ!」
更に距離を縮めようとメリッサが身を前に乗り出したその時、王道とも言える筋書に沿って、石鹸を踏みつけ、バランスを崩すと共にレオを巻き込みながら転倒してしまった。
「いってぇ――ぶっ!?」
しこたま後頭部を強打し、ぐるぐる回るお星様を見ながら体を起こそうとしたレオだったが、直ぐに弾力のある物体に阻まれてしまった。
「もう……レオ様ったら……ここは湯浴みをする場所ですよ?」
レオはメリッサの豊満な胸の中に顔を埋める格好になってしまっていたのだ。
「むがががーっ!?」
一方、知らない内にまんまとメリッサに隔離されてしまった美月であるが、既に強力なイベントフラグが立っているにも関わらず、自室で勉強しながら、「何だか……妙に静かね」と呟いていた。
「ぶはあっ! 今直ぐ俺から離れろ! メリッサ!」
「レオ様、落ち着いてください、そんな大きな声を出してしまうと……」
その刹那、異変に気付いたのだろうか、母親が此方の方に向かって来る足音が聞えてくる。
「流星? さっき何か大きな物音がしたけど大丈夫なの?」
流星と母親の距離は風呂場の扉一枚隔てた所まで迫ってきていた。レオはメリッサの目を見ながら『絶対動くなよ!』とアイコンタンクトをするが、その意味を理解した上で、メリッサはゆっくりとレオの上から覆いかぶさってきた。
――くぬやろぉおおおお!!。
「流星? 何かあったの?」
母親の手はもう既に扉の取っ手に手が掛かろうとしている。
「母さん、大丈夫。何でも無いから。それより恥ずかしいから開けないでよ」
レオの言葉を聞いた母親は、心配しそうな声から今一転、今度は嬉しそうな声に変化した。
「り、流星!? 今、恥ずかしいって言ったの!? 恥ずかしいのね!?」
「……うん。だからさ……」
「わ、分かったわ! そう恥ずかしいの~!? そうなのね~!」
オペラ口調で楽しそうに口ずさみながら、すりガラスに見えていた母親の影は遠のいていった。母親の気配が完全に無くなったのを確認したレオは態勢を強引に入れ替えると、直ぐにメリッサから離れた。
「あっ、あぶねええええ! 今のはマジでやばかった!」
「あら? そうですか? 流星様のお母様なら許容範囲内だったのでは?」
「そ、そういう問題じゃねえ! とにかく、俺はもう出るからな!」
「レオ様、でもまだ髪とお体の方が……」
「ええい! 煩いわっ!」
レオは速攻で髪と体を洗い始めると、背後でメリッサが何を話し掛けてこようとも、「あーあー聞えませーん。何も聞えませーん!」と、完全に無視をして、さっさと風呂場から出て行ってしまった。 メリッサはレオの慌ただしい様を見送ると、「わ……私だって本当は、このような恰好をするのは、死ぬほど恥ずかしいのですからね!」 と、不機嫌そうに両頬を膨らませたのであった。




