第十二話 タブの決意
「俺が流星の体を乗っ取ってしまった……?」
抜け殻だけを映しだす鏡の前で、タブはその姿を見ながら未だ呆然としていた。時折手を軽く振ってみたり、変顔をしてみるも、これは何時もタブが「指示」を出して流星を操っている訳では無く、タブの「意志」によるものである事を、目の前で同じ動作を繰り返す流星を見せつけられる事によって、嫌でも受けざる得ない状況に追い込まれる。
「おいおい流星……ふざけてないでさっさと俺と入れ替われって……」
器の方に話し掛けてみるも応える様子は一向に無い。その時、昨晩閉め忘れたのだろうか、半開きになった窓に入り込んだ風がまるでそこに流星が立って居るかの様に、カーテンを緩やかに靡かせた。
「流星、そこに居るのか!?」
自分で問いかけて、直ぐに失笑する。それは当然の事だった。流星の体は一つしか無く、それは直ぐ目の前にあるのだ。とにかくこの部屋でずっと此処に留まっている訳にはいかない、原因を掴むまでは俺が流星を演じるしか無い、そう決断したタブは両手で頬を二度叩いて「よし!」と眦を上げドアノブに手を掛けて――「あ……」と、何かを思い出してその手を止めた。
そう。本来の流星は常に感情の無い、無表情でなければいけない。決して眦を上げ「よし!」等と口走ってはいけないのだ。もし、それを美月の前で実践した場合はどうなるか、美月は流星の感情が完全に元に戻ったと泣いて喜んでくれるかもしれない。だがそれはタブ自身の感情であり、決して流星のものでは無い、それでは駄目だ。そう自分を戒めたタブは再び鏡の前に立つと、無表情の顔を作る。
「くそ……難しいな……」
何とかそれっぽい顔を作って、自室を出る。そして「そういや俺、自分の足で歩くのは久しぶりだな……」と呟きながら階段を下りていた時だった。
「あ……流兄、お、おはよう」
美月が少し照れ臭そうな顔をして、挨拶をしてきたのだ。タブは危うく、にっこりと微笑みながら「美月、おはよう」と言いそうになったが、何とか踏み止まると「無表情……無感情」と自分に言い聞かせながら、ゆっくりと口を開く。
「ヤア、ミツキ、オハヨサン」
言って直ぐに「だあああっ! これじゃあ本物のロボットじゃねえか! ってか、オハヨサンって何だよ!? シャチョサンじゃあるまいし! 出鼻から思いっきり失敗したじゃねえか!」と、無表情を保ちつつ、滝汗を流しながら美月の反応を伺った。
「――ぷっ、何なの流兄、朝から面白過ぎだよ」
美月は幸いな事に、流星が冗談でやっていると思ったらしい。苦笑しながら嬉しそうに、「流兄、そんな事も出来る様になったんだね」と感心さえしてくれる始末だ。とりあえず何とかその場をクリアしたタブは、朝食を採る為リビングにあるテーブルの席に付いた。
普段無表情に縁の無いタブは引き攣りそうになる顔をとりあえず此処で一旦、解そうと顔を緩めようとしたが、何時も自分より一足先に学校に行き、此処にいる筈も無い美月が、何故か対面に座っている事に気付き、慌てて無表情に戻した。
「ふふん、流兄、驚いた? 何と今日はこの美月も朝食に付き合っちゃいますー!」
「よ、余計な事をおおお!」と、眉間に皺を寄せたい所だが、当然出来る筈も無し。深いため息を吐きたいが、それも出来ない。沈黙したまま震える手で箸を手に取る。しかも鷲掴みで。そこでタブがフリーズする。「これ……どうやって使うんだ?」と、そう考えていたのだ。
「ん? 流兄食べないの? ……それとも美月に食べさせて貰いたいのかなあ?」と甘えた声を出しながら箸で空を掴む様に動かす。それを見たタブは「おお、それ! その動きだっ!」と、美月と同じ様に箸を素早く持ち替えた。それが流星の回答と受け取った美月は「ちぇっ、残念」と、少し不機嫌そうに、箸をおかずに突き刺した。
何とか此処までは乗り切ったと安堵しているタブの目の前には、ご飯という奴、四角い皿に乗った焼き魚、その横では品の良さそうなお椀から、ほのかに湯気を立ち昇らせている液体。更に目を移すと、小鉢の中に細切れになった真っ赤な物が盛られいた。「そう言えば、物を口に入れるのも久しぶりだな……」と思いながら、焼き魚に箸をやり、ごっそり身を掴むと、おもむろに口の中に放り込んで飲み込んだ。
「――ぐっ!?」
久々に食事を摂ったのが災いを呼んだ。魚の骨が無情にも喉に詰まってしまったのだ。だが、美月の前で表情を変える事など許されない。必死で耐えながら、お椀を掴むと一気に流し込む。
「☆□△〇ー!!」
恐らくタブは「熱ちいいいいいいっ!」とでも言いたかったのだろう。だが、それさえも許しては貰えない。無感情と無表情の縛りに耐えながら、その苦痛から逃れる為に、急いで赤い物体を掴んで口の中に放り込んだ。
「□☆〇△ー!!」
恐らくタブは「すっぺええええええ!」とでも言いたかったのだろう。だが、それさえも許しては貰えない。無表情のまま、悶絶していると、
「流兄、さっきから顔が青くなったり、赤くなったり、黄色くなったり、まるで信号機みたいだよ? 大丈夫?」
と、心配そうに美月が声を掛けてきた。何とか必死で耐え切ったタブは、「大丈夫……問題ない」と静かに返事をした後、同じ失敗をしない様、早々と食事を済ませ、早々と自室に退却した。
「ぐおおおっ! 辛い! 辛すぎるっ!」
頭を抱え、海老の様に仰け反りながら、部屋の中をのたうち回る。流星と真逆な感受性豊かなタブは、無感情、無表情を演じる事がどれだけ大変で困難なものである事を嫌と言う程、思い知らされた。そしてこれから学校で待ち構える難関に、焦りの色を浮かび上がらさずにはいられなかった。
「俺の考えが甘かった……」
と、タブが嘆いている場所、そこは人で寿司詰め状態になっているバスの中。普段ならタブは流星の胸ポケットに収まっているだけなので特に辛さなど感じない。が、今回はそうでは無い。今のタブは五感を兼ね備えた生身の人間なのだ。狭く息苦しい上に、前後へと嫌という程揺らされるという、この苦痛でしかない鉄の乗り物を直に体験させられている。
「今日は、何時もより乗って来る人多いね――きゃっ!」
目の前の美月が困惑した表情で小声で話し掛けてきた時、バスが急ブレーキを掛けたらしく、人の重みで押された美月がタブの懐の中に勢いよく飛び込んできた。タブは美月の体を支える様な形で転倒を防いだ。
「ご、御免ね、流兄」
「……気にするな」
「で、でも私、重い……かも」
「そんな事は無い。大丈夫だ」
「…あ、有難う、流兄」
程なくして走行が安定し、美月がゆっくりと懐から離れた。タブはバスという乗り物に対して、人の多さや、乗りごちの悪さ、更に幾度も停車するという事に苛立ちを覚えずにはいられなかったが、この後直ぐにそんな事はどうでも良くなる事態に巻き込まれる。人も少し減ってようやく一段落したという時だった。タブは美月の表情が急に強張った事に気付く。
時折、何やら抵抗する仕草を見せる美月。「……何だ?」と不審に思ったタブが美月の様子を伺っていた時、その事実が判明した。丁度美月の臀部辺りで中年の男のごつごつした手が蠢いていたのだ。美月はそれを何とか交そうとして必死に抵抗していたのだった。
「い……や、止め……」
体を震わせ、か細い声で助けを求めている。主犯の男は何事も無かった様に素知らぬふりをし、その行動を悔い改めようとはしない。さぞかしスリルを楽しんでいるのだろう。男は悦に浸った様に、時折黒縁のサングラスの隙間から怪しい笑みを漏らしている。
そしてこの男は目の前の学生――流星が何かしら深刻な問題を抱えている人間であるという事、流星を盾にし、痴漢行為に及んでも、この者は助けもしないし、騒ぎもしない、ただ沈黙しているだけの「弱虫」なのだと認識していた。
だが、この男は大きな過ちを犯してしまっている事にまだ気付いていない。確かに美月の前にいる学生は流星である。が、中身は全くの別者だ。事態を把握したタブは、持参していた器でトライダーの主題歌を再生すると、そのままゆっくりとイヤホンを美月の耳に差し込み、自分の方へ力強く引き寄せると、すれ違い様に男の前に出た。
「……な、何だお前!?」
男は予想だにしなかったタブの大胆な行動に驚きを隠せない。誰にも気付かれない様、その男の鳩尾に右手を当てたタブは、冷酷に言い放つ。
「喧嘩を売った相手が悪すぎたな。今から利子を付けて返してやる」
「は? 弱虫小僧が何を言って――」
どん。
男が言い返そうとしたと同時に、掛けていたサングラスが宙を舞い、何かが爆発する音が車内で響いた。それは周りの者が「何?」と少し気に掛ける程度の物だが、男が崩れる様に倒れ込むと、悲鳴が上がり、学校のバス停に到着する寸前でバスは急停車した。
美月は一体何が起きたのか全く見えていない。ただ、自分に痴漢行為をした男が、気付けば石像の様に床に横たわっているという事実だけだった。
「ね、ねえ、もしかしてあれは流兄がやったの?」
「……知らない」
無表情で素っ気なく返事をするタブ。それでも美月は自分を助けてくれたのが流星である事を確信していた。それは多分トライダーの歌詞が耳に入ってきた時、「もし、君が助けを求めるなら、何時でも何処でも、俺は現れる」、その時自分の目の前に居た者が流星だったからであろう。
「有難う。流兄」
「……知らない」
このやりとりを繰り返しながら二人は校門をくぐっていった。
「流星、今日はどうされたのですの? 何処かお体の具合でも?」
昼休憩。タブを気遣う加奈の姿があった。それもその筈、何時もであれば先生に難題を問い掛けられても難なく答えられる流星である筈なのだが、今は中身が違う。授業等に全く興味が湧かないタブは、流星の胸ポケットの中で軽く聞き流していたのだ。当然答えられる筈も無く「……分かりません」を繰り返すだけ。この異常な光景を見たクラスの者がざわつく事態にまでに発展してしまっていた。
「大丈夫だ、何も問題ない」
と、答えたタブであったが、本当はそうではない。両手で頭を抱えて、「ちっくしょおお! こんな事になるなら俺も真面目に授業聞いておくんだった!」と、後悔の言葉をループさせていたのだった。
「でも、やはり心配ですわ」
そっとタブの腕を掴む加奈。その時だった、タブの腕から加奈の手の温もりが電流の様に駆け抜け、夢空間では全く得る事の出来ない感覚がタブを襲い、一瞬にしてタブの顔が真っ赤に染まった。その反応を加奈が見逃す筈も無い。
「あら? 本当に大丈夫ですの? 何やらお顔が赤くなっている気がするのですけど……」
と、言ってタブの顔を覗き込もうとするが、その度、タブは必死に上下左右に顔を反らした。
「……怪しいですの」
「……気のせいだ」
と、やりとりを繰り返しながら、二人の奇妙な動きが激しく繰り返される。
「はぁ、はぁ、はぁ、ど、どうしてお顔を反らすのですの?」
「ぜぇ、ぜぇ、ぜぇ、だから、何も問題無いと先程から言ってるだろ」
思わず苛立ちの感情が漏れそうになる。その時、加奈は「あ」と何かを発見する様に執拗にタブをチェックし始めた。限界に達しそうになったタブは、溜まらず席を立つと速足で教室を出た。背後で「流星、ちょっとお待ちになって!」と必死に追いかけてくる加奈を振り切りながら、タブは屋上へと逃げ込んだ。そして例の「カップル専用」の場所まで辿り着くと、人気が無い事を確認してから、大きく深呼吸をして感情を爆発させた。
「だあああっ! 無理! 俺に流星の真似は出来ねえええっ!」
ダンゴムシの様に冷たいコンクリートの床で転げ回るタブだったが、その動きを止めて、先程感じた感覚を思い出す。
「……にしても、相手はあの加奈だっていうのに、あいつが俺の腕を掴んだ瞬間、雷に直撃された様な衝撃を受けたぞ。あれは一体何だんだ?」
「くそ! まさかの事態に俺が企てた計画が何もかも滅茶苦茶になってしまった! 俺はこの先どうすれば――」
「天野川、何をさっきから一人でぶつぶつ言ってるの? しかも、そんな所に寝転んじゃってさ」
聞きなれた声に突然背後から話し掛けられたタブは、口から心臓が飛び出しそうになるのを必死で堪え、返事をする。
「その声……桃子か。俺に何か用か」
「――別に何も。で、私の質問に答えろよ。何で其処に寝転んでるんだい?」
「……昼寝をしているだけだ」
「そうなのか? 最近の昼寝って、ダンゴムシの様に丸まって寝るのが流行ってるのか?」
「……柔軟体操も兼ね備えている、今お勧めの昼寝スタイルだ」
「あっそう。でも私は遠慮するよ。第一、今のあんたの様に服が汚れるし」
「……そうか、それは残念だな」
何とも言えない空気が漂い、暫く沈黙が続く。それは互いが其処から次の行動に移れないからで、タブは寝ころんだままからの次のアクションが取り難く、桃子は桃子で先程の加奈とのやりとりを見ていて、何処無く苛立ちを覚えながらも、流星の居場所を突き止めたが、異様な場面に出くわしてどう対処すればいいのか分からず、ただ困惑していたからだ。
「早く起き上がれよ。そんな馬鹿な事をさせて天野川が可哀想だろ」
「それもそうだな……」
タブはあちこちついた土埃を払いながらようやく立ち上がって桃子と向き合った。が、そこでも暫く沈黙の時間が訪れた。
「……してやるよ」
それを桃子の方が先に終わらせる。
「聞えない、今なんて言ったんだ?」
「あんたの強さを認めてあげるって言ったんだよ。だから、これからも指南を頼む」
「そうか、それは光栄だな」
「……で、何時まで天野川に喋らせてるんだ? 私は、あ、あんたと話がしたいだけだから、その、あんたが入ってるあの機械をさっさと出せよな」
その言葉にタブは激しく動揺した。器は持参して来ているものの、今は只のタブレットなので、それは流星の鞄の中に収めていたからだった。
「どうしたの? 早くしろよ」
「えーと……それは、その……何だ、今は出せないんだ。機械の一部が壊れてしまってな、部品を取り寄せている所だ」
「え? それであんたは無事なのか?」
少し心配そうな表情を見せる桃子。
「大丈夫だ。それは問題ない。今もこの様に遠隔操作が出来ているからな」
「そ、そう、なら問題ないか。にしても、今喋っている天野川が何処となく人間味があるというか……まるであんた本人と会話している気がしてならないんだけど」
口から心臓と肺が一変に飛び出しそうな動揺を抑え、何とか無表情と一定の音声をキープする。
「……それは気のせいだ」
「そりゃそうよか。……で、指南のお礼の代わりと言っては何だけど、その、あれよ、私が天野川の感情に大きく影響するていう奴」
その影響で俺が流星と本当にヒュージョンしてしまったんだが。等とは決して口に出さない。前回は夢空間で桃子と抱き合おうとしただけでも大変な事になってしまったというのにそれをこの現実の世界で行うと一体どんな事になるのか全く見当も付かない。今、顔を赤らめた桃子が両拳を握りながら何かを言っているが、気になってそれさえも耳に入らない。
「ちょっと、で、どうするんだ? 行くのか、行かないのか? はっきりしろ!」
「あ……聞いてなかった。もう一回頼む」
「あ、あんたねえ……か弱い乙女が勇気を出して口に出したのに! この大馬鹿者めがっ!」
桃子はタブを目の前にして、大きく深呼吸をし始める。そして顔を再び真っ赤にして眦を上げながら、
「今度の日曜日、私と一緒に買い物に行くのかって聞いたんだよ!」
大きい声で、今度は聞こえる様にはっきりと言い切った。
「つまり……それは所謂デートって奴か?」
「デっ!? そっ、そう言えば、そういう捉え方もあったな、き、気付かなかったぜ!」
此処でタブは再び考え始める。今の俺は間違いなく桃子の影響によるものだ。ならば目には目を、流星の覚醒には更なる刺激を! だ。どっちしてもこのままでは何も変わらない。ならば流星を呼び戻すその可能性が少しでもあるのなら、もっと俺は踏み込むべきだとタブは決意する。
だが、それは流星の為であって、決して自分の為ではない。それが例え自分が桃子の性格に引き寄せられ始めていたとしてもだ。故に何時いかなる時だろうが、自分は流星本人として行動しなければならない。そう心に固く誓い、自分の返事を不安そうにして待つ桃子を見つめながらタブは静かに口を開く。
「……分かった。その買い物とやら、一緒に行こう」
肯定の返事を聞いた桃子は、安堵の溜息を吐きながら少し嬉しそうな顔を見せたが、タブの方は複雑な心境が顔に出ない様、自身の感情を殺し、何時もの流星の無表情を演じ続けるのであった。




