第十話 交渉成立
――周りの景色が赤く染まるその場所に、建物等一切存在しない。蒸しかえる暑さの中で身構える流星は、額から夥しい程の汗を垂らしながら、剣を握った数体の土人形と対峙していた。
『来るぞ……流星』
「うん」
その時、一斉に土人形が流星を目掛けて襲い掛かってきた。
『左だ! 流星』
左側から飛び込んでくる土人形をなんとか躱すも、切先で肩にダメージを受ける。直ぐに背後に回り込んだ流星は体を捻りながら右足のキックで土人形を破壊した。
『遅えぞ、流星! 俺の声ばかり頼っているから動作が遅れるんだ! いいか、これは生易しい修行なんかじゃねえ、剣も本物だし斬られると当然怪我もする。死にたくなければ自分で戦え! 分かったか!?』
「分かった」
『どんなに此処が平和な世界だろうが、必ず何処かに悪は存在する。お前自身が爆発して、全ての悪が滅ぶってのは絵にならねえ。感情を取り戻したお前が、トライダーになって、悪い奴等をぶっ飛ばすんだ!』
「うん」
身を翻した流星は、背後から襲い掛かって来た土人形を躱して、土人形が振り返った所に、顔面パンチを入れる。その瞬間土人形の顔が粉々に砕け散った。
『そうだ、それでいい! 今のお前は、只の戦闘機械なのかも知れないが、感情を取り戻せばヒーローなんだからな!』
――だから、今は俺の持つ術をお前に全て叩き込んでやる。桃子のあの話を聞いてからどうも嫌な予感がしてならねえ……。
その時、一瞬桃子の屈託ない笑顔がタブの脳裏を横切りると、器の中でタブが真っ赤になってしまった。
――だから、そういうの俺には要らないんだって!。
「このおおっ!」
同時に気合の入った流星の声がタブの耳に飛び込んでくると、目の前の土人形が消し飛んだ。
『お、おい、今のお前がやったのか?』
「……どうかな。気付いたら、目の前の土人形が勝手に消えてた」
――まっ、まただ! 俺が桃子の事を意識すると、流星の感情が一瞬だけ解放されやがった! これで、感情を取り戻す切っ掛けが俺と桃子にある事が明確になった! しかしだ、あいつは俺に簡単に靡こうとはしない。くそ、なんであいつじゃなきゃ駄目なんだよ!。
初めて感じる複雑な心境に、ただ戸惑うタブなのであった。
「どうしたの流星? 何か考え事でも?」
授業を終えた放課後。机に座ったまま何処か一点をぼーっと見つめている流星に、加奈が話し掛けてきた。
「別に……お前が気に掛ける程じゃない」
流星に冷たくあしらわれるも、逆に「クール」等と目をハートマークにして加奈は体を捩った。
「私、此処ではどんな扱いを受けても全然気にしないわ。だって『向こう』の流星は、それはもう熱く激しく……きゃっ私とした事が、つい彼方の話をしてしまいましたわ!」
――そうだ。俺はこの女にあれから何度も俺の世界に呼び付け、あーんな事や、こーんな事をしてやったが、流星の感情には一切影響を及ぼさなかった。一体何が足りないんだ? そうか、もしかして――。
いきなり流星の顔が加奈の目の前まで接近する。
「え、えっ!?」
――駄目だな。
今度は流星が加奈をいきなり引き寄せ思いっきり抱きしめた。
「り、流星、学校ではこんな事、絶対しないっておしゃってたのに、それを破ってまで……ああ、私、幸せですわ!」
――駄目だ、駄目だ! 全く反応しねえ! ピクリともしねえ!。
目の前で、氷が解けるかのように加奈が湯気を上げながら崩れ落ちる。それからおもむろに席を立った流星は、男子生徒の異様な視線と恨み声を浴びながら、クラス中の女生徒を手当たり次第に引き寄せては抱きしめ始めた。
だが、この行為に嫌がる女生徒は誰一人いない。何故ならタブは一通りの女生徒達を全て自分の世界に引き込み、骨抜き状態にしていたからだ。
――やはりか。こうなると……あの女しかいないな。
「加奈……桃子は何処だ?」
「あ、あの野蛮女でしたら、何やら大会が近いからと言って、真っ先に此処を飛び出していきましたわ……ふにゅう」
力の無い声で加奈が答える。
タブは桃子の居場所を聞き出した後、一目散にその場所を目指すのであった。
タブが到着したその場所は、大きな両扉一枚隔てた向こう側から、気合の入った声が響いてくる道場。流星は、その扉を豪快に開け放った。
「何事!?」と、いう様に道場の中は水を打った様に静まり返り、その者達の視線は一瞬にして流星に浴びせられる。当然その中には桃子もいた。
「な、何だ? お前は!?」
先輩達の驚きの声の中、一人だけ呆然と流星を見つめる桃子。それに気付いたタブは流星に指示する。
「桃子、今すぐお前を抱きしめさせろ!」
と、道場がその声で一杯響き渡る位、大きな声で言えと。その瞬間、道場に溢れていた緊張感が消し飛び、今度は何とも言えない視線が桃子に向けられた。
「あっ、やっ、こっ、これは……」
ゆっくりと桃子の顔の下方向から頭部へと顔が赤く染まっていき、顔が全て真っ赤になった時、物凄い形相で流星を睨むと、床を響かせながら流星の方へ歩いていくや否や、右手を大きく開いて、思いっきり平手内を食らわし流星を吹き飛ばした。
「あ、先輩、私ちょっと急用を思い出しましたので、すみませんが今日は先に上がらせて貰います。どうも、お疲れ様でした」
言葉とは裏腹に、背中から殺意のオーラを漂わせながら桃子は静かに扉を閉めた。
「あ、あんたねえ! い、一体、何を天野川に言わせてんのよっ! っていうか、思わず天野川を引っ張たいてしまったじゃないのよっ!」
今度は扉一枚隔てた道場の向こう側で、桃子の怒鳴り声が思いっきり響いてきた。中の者達は知らしめ合わせる様に互いの顔を見つめると、「さ、稽古稽古」と、何事も無かった様に稽古を続け始めた。
『これも、全部流星の為だ。ごちゃごちゃ言ってないで今直ぐ抱かせろ!』
この言葉に一瞬、流星の胸倉を掴んだ桃子だが、慌ててその手を離すと胸ポットのタブを引っ張り出し、思いっきりシェイクし始めた。
「だぁかぁらぁ、その自信過剰な態度は何処からきてるんだよ!? 言ってみろ!」
『ば! 馬鹿やろぉおお! や、止めろ!、は、激しく揺らすなあっ!』
――と、タブは言っているのだが、シェイクされているタブはもはや風を吹き付ける扇風機に向かって、「我々は宇宙人だ」と、いう感じにしか聞き取れなかった。
「はぁ! はぁ! はぁ! さぁ、言え! このクソタブ!」
『ぐええ……気持ち……悪い、お、俺が悪かった。こ、降参だ』
降参の声を聴いた桃子は大きな溜息を吐き、近くのベンチに怒りをぶつける様に腰掛けると、その横にタブを置いて頭を抱えた。
「あのねえ、私は今とても大変な時なの! もうすぐ大会もあるし、先輩の期待も背負わされて、それなのに上手く技も繋がらなくて……物凄く苦しんでるというのに、あんた、いきなりやってきて、開口一番、何を言い出すかと思えば『抱かせろ』って、馬鹿なの!? ねえ、馬鹿なんでしょ!?」
『大会? さっきお前がやっていた奴か? ……お前、その大会とやらで一番になればいいのか?』
「ふん、簡単に言わないでよ! 参加するメンバーは何れも兵揃いで、一勝出来るかどうかも危ういっていうのに!」
『急に弱気になったな』
「煩いわね……あんたに何が分かる――」
桃子が文句を重ねようとした時、何かが閃いたタブがそれを遮った。
『待て桃子。その不安、この俺が取り除いてやろう』
「……え? それはどういう意味?」
『何、簡単な事だ。夢の中でこの俺がお前に稽古を付けてやる』
夢の中で無様に投げ飛ばされた者の台詞とはとても思えない。
「私に豪快に投げ飛ばされた癖に、良く言えるわね」
……本人もそう思ったらしい。
『あ、あれはちょっと油断していたからだっ! 俺が本気を出せば、お前なんか目じゃねえっ!』
「へえ。大した自信じゃない、男に二言は無いんだろうね?」
『絶対に無いっ!』
「……そう。分かった。なら、あんたの茶番に付き合ってあげる」
『その代わり此方も条件がある』
「……何よ? まさか、さっきみたいに私に如何わしい事を要求する気? お断りよ」
『まぁ、聞け。流星は何故だか他の女じゃなく、何故だかお前だけに反応する。こいつの感情を取り戻す為にもどうか、力を貸してやって欲しい。俺は流星が感情を取り戻してくれりゃあ万々歳だし、お前は俺の指南で、とてつもない強さが手に入って、当然その大会でも一番になれる。お互い損はない話だと思うぜ?』
――ま、反応してるのは俺の方だけどな。
目を閉じた桃子は、暫く天を仰ぎ悩み続けた後、顔を赤らめながら決断する。
「……分かった。少し位なら……協力してもいい」
『良し、交渉成立だ。 ……ところで桃子、俺への「タブ君」って呼び方はどこにいった? いつの間にか酷い呼び方をされている気がしてならないのだが』
「そりゃそうだろ。お前みたいな無神経で、エロの塊みたいな生き物、これからは『あんた』で十分だね」
『ひでえな』
「それより、約束はちゃんと守れよ? もし、 口から出任せだったら前みたいな投げだけでは済まさないんだからな」
『ああ、任せておけ。約束は決して破らないのが俺の主義だからな』
自信満々に答えるタブに桃子は、少し悪戯っぽい表情を見せながら、ベンチからゆっくりと立ち上がった。
「そうそう。……ねえ、知ってるか? 私達の世界では何かの交渉事が決まると、握手をするんだよ」
『握手? ちょっと待て……ああ。互いの手を握りあって上下に振る行為か。それが何だ?』
「私とあんたの交渉も晴れて成立したみたいだし、握手しなくっちゃ。あ、そう言えばあんたには手がなかったよな」
『……おい待て。何故俺を握りしめる? や、止めろ! さっき謝っただろ! 今すぐ俺を離せ!』
「じゃあ……これから、よろしく……ねっと!」
『や、やめ! ぐああああああっ!』
タブを嫌という程、上下させた後、流星に手渡した桃子は、すっきりした顔をして鼻歌を交え、その場から立ち去って行ったのであった。




