no.3
車を走らせること、一時間。
やっと母の生家に着いた。
この辺でも珍しくなった藁葺の屋根。
母屋の東南に納屋と呼ばれる建物があって、その納屋の前に車は入った。
「着いたぞ」
おじさんが荷物を持って先に母屋の表戸を開けた。
中に入るとすぐに土間がある。
膝より上の高さに畳敷きがあって炬燵があった。
「あれ、誰もいないのか? 着いたぞ!」
おじさんが大声でそう言いながら、土間続きになっている台所に入って行った。
「ああ、来たんけ。今、畑さ、行ってたんだ。ジュースでも入れっか」
曾祖母、大ばあちゃんが曲がった腰を伸ばしながら出てきた。
コップにジュースを注いで僕の前に置くと
「子供らのお菓子がそこらにあったから、それでいいか?」
そう言いながら戸棚からスナック菓子を出してきて、菓子入れに出すと炬燵の上に置いた。
「足、入るから入れろ」
炬燵を指しておじさんが言った。
掘炬燵になっていて、それに薄い上掛けが掛かっているだけだった。
中に足を入れると空気がひんやりしていて気持ちがいい。
ジュースを飲みながら、ふと視線を上にして驚いた。
天井がない?
抱えても腕が廻りそうにないくらい太い梁が一本横に通っている。
暗い屋根の下に渡されたの梁は黒光りして不気味に思えた。
そしてもっとぎょっとしたものが電気のコードから下げられていた。
小さい赤い筒状のものから茶色いテープがくねくねと下がっている。
それには点々と黒い物体が張り付いていた。
僕はジュースのコップを握ったまま、動けなくなった。
「こんなもん、初めて見んだろ。触んなよ。くっついたら剥がれないからな」
おじさんがそう言って笑った。
あの黒い物体は……と考えていると、コップを握った手の甲がムズムズして視線をそちらに移すと、僕の右手の甲に今まで見つめていた黒い物体と同じものがとまっていた。
払いのけたい気持ちがあるのに動けない。
じっと見つめる僕の手の甲でそいつは頭を右へ左へ傾けて見せ、細い糸のような前足でその頭を撫でまわした。
どこから来たのか、いつの間にか炬燵の上に三匹のハエが飛び回っている。
それを何を言うでもなく、大ばあちゃんが手で追い払った。
そのお陰で僕の手の甲でくつろいでいた奴もどこかへ飛んで行った。
僕はコップから手を離し、炬燵の上掛けの中に滑り込ませた。
喉は渇いていたけれど、目の前のジュースを飲む気にはなれなかった。
「大じーちゃんは、どこさ行ったんだ?」
「西さ、行ったんだ。しげさんに用があるって言ってさ」
大ばあちゃんがそう言ったところに、丁度大じいちゃんが帰ってきた。
「おう、着いとったんか。どーした。ここはいかんべ。静かだし」
「何言ってんだよ、大じーちゃん。このくらいの子供にとっちゃ、遊ぶとこもなくって退屈だべさ」
「遊ぶとこはいくらでもあっぺ。ゲームばっかしてっから、そんなひょろっこいんだ。子供は外で遊ぶのが一番体にいいんだ。どれ、一服したら、その辺歩いてくっか」
大じいちゃんは、靴も脱がずに畳の角に座り、煙草に火をつけた。
大ばあちゃんが炬燵の上にあった灰皿を大じいちゃんの横にコトリと置いた。
「お茶、入れっかい?」
「ああ、渋いやつ、頼む」
そう言って大きく吸い込んだ煙草の煙をゆっくりと吐き出した。
そんな大じいちゃんをじっと見つめる。
煙草を持った手は黒く艶やかに光っていた。
節々には深い皺があった。
落ちくぼんだ眼は濁って見える。
親指の先ほどの大きなシミがある右頬が煙草を口にする度、ヒクヒクと動いた。
大じいちゃんは煙草をぎりぎりまで吸うと、灰皿にストンと落とす。
底の水に当たって、ジッと火の消える音がした。
「そんじゃ、ちょっくら散歩でも行ってくっか。靴履け」
「はい」
僕は言われるまま、靴を履いた。