no.11
ザザーッ。
一気に風が吹き抜けて行った。
鳥の鳴き声もいつの間にかやんでいる。
剥き出しになっている腕や足に、ひんやりとした空気がまとわりつき始めた。
差し込む光もそれまで以上に弱くなっていた。
地面から飛び出している木の根っこに引っかかって、転びそうになる。
幸い目の前にあった木の幹に支えられて、爪先に痛みを感じただけですんだ。
そこからしばらく歩いたものの、膝がガクガクし出した。
木の根っこに引っかかった爪先の痛みがジンジンとひどくなって、やっと目にした岩に腰を下ろした。
岩肌を細長い茶色の体に、一体何本の足を生やしているのかわからないくらいある、ムカデのような虫が降りていく。
俺の昼寝の邪魔をして、くらいに思っているのだろうか。
たとえそう思われても僕自身、もう歩くこともできそうにない。
「君は別のところを探してくれよ」
そう小さく言ってから、大きく息を吐き出した。
こんなに歩いたのは、初めてかもしれない。
距離としてなら、あるかもしれない。
けれど無機質なアスファルトやタイル、そういうもので造られた歩くための道以外を、これだけ歩いたのは初めてなのだ。
木の根っこに躓いた頃から辺りがザワザワし始めていた。
風が吹いているのを感じる。
しかも鳥肌が引かないくらい、ひんやりした風が吹き続けていた。
ポタリと膝小僧の上に水滴が落ちてきた。
「あ、雨……」
頭上を見上げても木々の葉に遮られて空は、微塵も姿を見せない。
木々の葉の上にある空は、きっと林に入るまで見ていた空とは一転して、どんより重みのある灰色から黒に近い雲が広がっているに違いない。
大じいちゃんや東の仁さんが言ったように、雨が落ちてきているはずだ。
木々の葉のざわめきにかぶさるように雷鳴が轟いた。
僕は一瞬、体を縮めた。
ずっと感じていた体の中のサラサラという音が、一気に頭の先から爪先に向かって流れ始めた。
それまでは微かな音で、静かに流れていたはずなのに、まっすぐ爪先に向かっている。
全身に掛かっていた力も、それとともに下降していくようだった。
そして頭の先から寒気が入り込んでくる。
岩の上に座っているのさえ辛くなって、僕は地面に腰を下ろし、岩に背を持たれかけた。
大粒の水滴が頭に腕に足に服にと落ちてくる。
その間隔が徐々に狭まり、すぐに全身が濡れてしまう。
もう寒気は感じなくなっていた。
ただただ体が重い。
━━どうだ、そろそろ俺と交代しないか。それとも意識を消されるのは、怖いか?━━
意識を消される?
━━お前が今、感じた体の変化は、恐怖だよ。恐怖を恐怖として捉えることさえ、できなくなってるんだ。お前の感覚は、お前の意識によって、意識に伝わらないようになってるんだ。そんなことまでして、いい子でいたいのか━━
これが恐怖だって?
恐怖っていうのは、もっとずっと違うものじゃないのか?
僕のイメージしていたものとは、全く違うように思えた。
━━お前がそうやって、感じたものを全て拒否してきた結果が、俺を生んだのさ。俺は、お前が拒否したものの塊なんだ━━
僕が何を拒否したっていうんだ。
━━感覚の全てだよ。しかもマイナスに作用するものばかりだ。怒り、悲しみ、孤独……そういうものを完璧に拒否しただろ。だからお前は、そういった感情を持たないし、それによってプラスに作用する楽しさ、嬉しさ、喜び……そういうものも感じられなくなったんだよ━━
僕が……。
━━そうさ。お前がだよ。証拠にお前は、ずっとそういう感覚を出したことがないはずだ━━
僕は、自分の過去を振り返ろうとした。
けれど重い頭が動かない。
━━動かないんじゃない。動かしようがないだけだ。何も見ないで生きてきたんだからな━━
「もう……もう辞めてくれよ……」
僕を追い詰めて、何が楽しいんだよ。
━━俺を拒否した報いだよ。お前が俺を生んだんだ━━
「僕には関係ないよ。知らないよ!」
━━お前が俺を生んだんだ。俺は、お前の存在する意味のない意識を殺し、お前を消し去ってやる。生きる意味のないお前を消し去ってやる!━━
「黙れ、黙れっ!」
━━拒否され続けた俺の痛みを思い知れ! お前など消えてしまえ!━━
「やめろ、お前こそ消えろ! 消えちまえ!」
そう叫んだ僕は、全身の力が全て爪先から抜けきってしまったように、岩にもたれ掛かっていた体が横に滑っていく。
左肩が地面に到達すると同時に意識が消えた。
「ダメだよ。眠っちゃダメだ。僕の体を守らなきゃ」
焦る思いが意識を追いかけるように消えた。




