勇者の敵
ファファンバルクソーツに送還されたワーナが、最初に知覚した刺激は青い草の香りだった。
遅れて視界を覆う白さが霧とわかった頃、肌が風を知覚した。
白い大きなカーテンを開け放つように、風がゆっくりと霧を連れ去っていき、やがて開けた視界に一面の草原が広がった。
リューレスネコアの出身地は高原で丈の短い草が広がる牧草地地帯だ。放牧されている角のない山羊のような白い家畜が草原に点在し、静かに草をはんでいる。
そこへ、急にまっすぐな影が落ちて延びていく。
ワーナが振り返り見上げると、チームのみんなも後ろを見て同時に言葉を失った。
雪を被る山が連なる向こうに、一際高く金と銀が積み上がり、陽光を跳ね返して輝いていた。ワーナたちの位置からでは逆光だから目を向けられるが、そうでなければ目が眩んだことだろう。
ブロック状の金銀銅が綺麗な三角錐に積み上がり、螺旋のモザイク模様となって輝きそびえ立つ。
その頂点から一本。黒い棒が伸びて、太陽を目指して真っ直ぐ何処までも延びていく。先ほど、この平和な草原に影を落とした原因はあの黒い棒のようだ。
刻々と動く太陽のせいで、草原に落ちる影は短くなっていき、金銀銅の山へと縮んでいく。反して天頂に差し掛かる太陽に、真上から山全体が照らさはじめて燦然と輝きだし、ワーナたちは思わず手で目を覆った。
「あれが行進の魔王」
幾千の悪魔や魔獣を従えるワーナでも、その堂々たる巨大さに圧倒された。
「いま日が天頂にきたから手を延ばしてるの」
リューレスネコアが黒い棒を魔王の手と説明した。
沈む太陽を追いかける巨人。今はおとなしくしているが、夕刻になれば沈みゆく太陽を追いかけて、大地を揺らし走って行くことだろう。
境界のように連なる山の向こうは、振動で崩れた山々と踏みならされた荒野が続いているという。
恐ろしい魔王だと身震いするワーナだが、勝算無くこの地に来たわけではない。
ワーナは努めて優しく微笑み、七人のチームメンバーの緊張をほぐした。
「では、まず街へ向かいましょう~」
子供と巨人と竜が国を作るこの土地では、ワーナたちのような大きさの大人は珍しい。遠い大陸から訪れた事にしなくてはいけない。
まずワーナたちは、この地に無い召喚術と自分たちを理解してもらわなくてはならず、巨人や竜たちに戦いや生活の準備に協力して貰わなくてはならないからだ。
現地の人々の協力が望めない場合は、バックアップ要員を中二階から連れて行く場合もある。だが今回は協力が望めるので準備していない。
ワーナはリューレスネコアに案内してもらい、まずは彼女の村を訪れた。
リューレスネコアのキャンラン村は遊牧民が暮らすようなテントが二十ほど並び、五十人ほどの子供たちが住んでいる。白い角のないヤギもおり、リューレスネコアより小さい子供たちが世話をしていた。
ヤギの世話をしていた二人の少女が、村に訪れたワーナたちを見つけて駆け寄ってきた。
「リュー姉様ぁ、お帰りなさい」
「おかえりなさい、リュー姉様ぁ」
そっくりな顔をした二人は、リューレスネコアを姉と呼び抱きついた。
姉がいるとはいえ、ワーナたちのような見知らぬ女性たちがいるのに気にしている様子はない。
リューレスネコアは二人をしっかり抱きしめて、久しぶりの再会を悟られまいと顔を強ばらせた。
二人の少女たちにとっては、まったく久しぶりではない。リューレスネコアが中二階にいた分の時間は、この世界では進んでいない。正確には時間が進んでいないのではなく、この世界から中二階に呼ばれた時間にリューレスネコアが戻ってきただけなのだが。
「しょ、紹介するのミラーブとミカール。双子の妹なの」
リューレスネコアは涙ぐみそうな顔を何とか保ち、ワーナたちに妹を紹介した。
「おねーさんたちー大きいー」
「大きい、おねーさん。はじめまして」
「はじめまして、おねーさん。大人じゃないのになんで大きいの?」
「大人じゃないの?」
大人は巨人か竜であるこの世界で、ワーナたちの存在は珍しい。
ミラーブとミカールたちから見たら、ワーナとチームメンバーは小さな巨人であり、大きな子供だ。
「初めまして、小さなお嬢さん。わたしたちは隣の大陸からきたのよ」
ワーナは嘘を付く。中二階の存在を基本的に知られてはいけないので、仕方のないことだ。小さな子供を騙すのも致し方ない。
「たいりく? どこのにあるの?」
「どこにあるの? たいりく」
ミラーブとミカールは首を傾げ、自己紹介して握手するワーナたちに尋ねる。
「海を越えたところよ」
「海からきたの!?」
「海の向こうからきたの!?」
海と聞いて、ミラーブとミカールは騒ぎ出す。海を知ってはいるが船に乗ったことがない二人は、いいないいなとワーナの手を引き喜びだした。
落ち着かない二人を宥め、リューレスネコアはワーナたち八人を、自宅のテントへと案内した。
リューレスネコアの自宅であるテントは一際大きく、ワーナたち全員が入っても余裕があった。流石に全員が寝るとなると無理だろうが、円座となって相談できるくらいの広さがある。
一先ず、街へ行くには既に遅いとリューレスネコアが言うので、ワーナたちはキャンラン村で一泊する事にした。
ミラーブとミカールは人が多いと喜ぶ性格なのか、見知らぬワーナたちが泊まると決まると、勝手に誰がここに寝てここには誰がと仕切り始めた。
無邪気な仕切りなので悪意はないのだが、ワーナが入口前に配されたりと色々問題ある。そもそも雑魚寝しては収まりきらない。なんとか双子には理解してもらい、予備のテントで二人のチームメンバーが寝ることとなった。
翌朝、ワーナはリューレスネコアと共に麓の街を目指す。ミラーブとミカールは留守番だ。二人はしっかりお土産をリューレスネコアに頼んでいた。
ワーナたちは双子に見送られ、麓の街コユンルに向かう。
コユンルはリューレスネコアの住む国では中心の街だが、規模としてはとても首都とは言い難いという。リューレスネコアの住む国は、いくつもの氏族が連合して成り立つ部族連合体である。中央集権的なところもなく、家族や氏族でのつながりを重視するため、街への帰属意識も少ない。
コユンルは暫定的な政治と経済の中心として作られた街で、どこの氏族が支配しているとか、誰が支配者とか、そういった要素の全くない都市である。
かつて王がいた時もあったが、その王ですら城郭都市を作りながらも定住せず、季節ごとの移動生活をしていたという。
行進の魔王のせいで街を維持できないのか、もともと遊牧的なのか、魔王ですら定住しないのだからこの国ではありふれたことなのか……。
魔王も何処へ行くのですか?だが、この国の王もなかなか何処へ行くのですか?だな。
と、ワーナはコユンルへ向かう道すがら、そんな事をつらつら考えていた。
半日ほど歩き、辿りついた街は聞いていたより規模の小さなものだった。
ぐるりと周囲を囲う柵は巨大ながら木製で、格子状の貧弱なものだ。格子の合間から透けて見える町並みも、土盛して乾燥させた壁の上に布張りの屋根を取り付けた簡素な物で、棟数も遠目で数えて二百にも満たない。
魔王の行進で振動し、石積みやレンガ積みの家は作れないのだろう。
規模としては村程度かもしれないが、巨人の街というだけあって全てが大きい。
土盛りの家も一際大きく、丘と言っても差し支えない。
ワーナはリューレスネコアの案内の元、街の中心にある部族長の家に向かう。
行き交う巨人たちは、普通の子供よりやや大きいワーナたちを見て不思議そうな視線を投げかけるが、さほど興味を示さないのか、話題にしたり声をかけたりするような事なく立ち去っていく。
巨人たちの行き交う通りを抜け、中央の部族長の家へとたどり着くと、来訪者に気がついた家人が玄関の折りたたみドアを開け放って出迎える。
ドアが中程で内側に折りたたまれ、姿を現した巨人の青年は、ワーナたちの姿を見て一瞬、驚いた様子を見せた。
「やあ、リューレスネコア。わざわざ何用かな」
ワーナから見れば充分な美青年だが、残念な事に身長が好みの五倍はある男性が、驚きを隠して来訪者に爽やかに微笑みかけた。
顔は良いのだが肩から両腕がなく、代わりに黒くうねる八本の腕があり、巨体と相まって異様さが目立つ。
「ジャールート師匠。遠い異国から来た方々を紹介するの」
リューレスネコアは身振り手振りを交え、出迎えた巨人の青年にワーナたちを紹介した。
「そうか、見慣れぬ服にその体格。キルベトマハネ大陸のご出身かな? 私はジャールート。このコユンルで青年団長を努めております」
軽い会釈のような行為で挨拶をするジャールート。
ワーナはみぞおちに手を当て、キルベトマハネ式の挨拶を返した。中二階で学んだ文化や礼儀を駆使し、この世界の住人であるように装う。
「初めまして、ジャールート殿。旅の途中でこちらのリューレスネコア嬢と知り合い、クォ・ヴァディスの一件で協力したく思い参りました」
ジャールートは、ワーナの言葉を聞いて訝しげな表情を見せた。見知らぬ旅人がいきなりこの国の大事に口を出せば、憚られて当然である。
しかし、ジャールートも青年団とはいえ組織を預かる身。すぐに態度を取り繕って、それではここではなんですのでとワーナたちを家の中に招き入れた。
屋内は土を固めた家とは思えないほど、不思議な壁紙に囲まれた部屋だった。
土壁を覆う壁紙は、なにかの植物を乾燥させて編んだ物だ。幅広の葉で厚く編み上げられ、おそらく湿度調整や防虫の役目を果たしているのだろう。かすかな草の香りには、虫が嫌う香りのような物が感じられる。
調度品は質素そのもので、移動生活をする氏族らしく折りたたみや組立式の物が多い。
なにより特徴的なのは、巨人用、竜用、子供用の椅子が用意されている事だ。
ワーナたちは若干小さい椅子を勧められ、少し不便に思いながらもそれに腰掛けた。
ジャールートは客人たちにお茶を出すよう、使用人の巨人に指示して対面の席へと腰掛けた。
「あいにく長は留守をしておりまして、街の事とクォ・ヴァディスについては私が全権を預けられています。ですので、私がお話を伺いましょう」
ジャールートは努めて儀礼的に対応している。
ワーナたちもそのような対応に慣れたもので、やはり儀礼的。だが、誠意をできる限りみせる態度で自らの立場を説明した。
魔王の討伐と自分たちの能力。そして幾ばくかの報酬の要求。
自分たちがただの善意だけで行動している訳でもないも説明し、そして理解と「ある程度の」信用だけを貰う。これがワーナ流だ。
ただし、実力を理解してもらうのは難しい。
この世界にはヤマイという力があり、それが力の主流である。ワーナたちのような召喚術などは理解し難いだろう。
だが、ジャールートはあっさりとワーナたちの実力を認めた。
「実は、私の目もヤマイで出来てましてね。あなたがたの力量や本意を見抜く事もできるのです」
ジャールートは自らの手のうちを明かしたようだが、ワーナはリューレスネコアから彼の能力を聞いていてすでに知っていた。それを知っていたからこそ説明を理解してもらえると期待していた。実際、こうして話が早くなり、ワーナの目論見は当たっていた。
「しかし、異邦者や客人に国家の大事をお任せするのは些か問題もあります。もちろん、あなたがたのお力を信じた上での事。つまりは他の氏族への話をつけねばならぬということです」
ジャールートは、自分たちの国家形態に付いて軽く説明をし、ワーナの申し出に諸手を上げて喜ぶわけには行かない事情があると言った。
ワーナも事前に分かっていたので、ジャールートの申し出を受け入れ、しばらくコユンル滞在を受け入れた。
「では、リューレスネコア。彼女たちの案内、ご苦労さまでした。あとの事は任せて。ミラーブとミカールが待ってますよ」
ジャールートは子供であるリューレスネコアを留めて置く必要がないと判断したのか、彼女を村に帰るように促した。
リューレスネコアは中二階でランクⅠの実力者だが、あの魔王相手では何もできないだろう。
無言で肯き、後を師匠であるジャールートに任せた。
リューレスネコアが立ち去り、宿を用意されたワーナたちは、それぞれ異世界ファファンバルクソーツの空気に慣れる為に体調を整える。
どうせ氏族会議があるのだし、暫く暴れる必要はない。ゆっくりと身体を異世界に馴染ませて、メンバーの誰もが魔王と対峙するまで力を蓄えようとしていた。
だが、ワーナは忘れていた。
まだ経験した事が無かったがゆえに、頭では分かっていたが心に留め忘れていた。
多くの世界を救って来た中で、もっとも厄介で、なにより注意すべき案件。
救うべき異世界の住人が、必ずしも勇者の味方でないという事を。
翌日の早朝、ワーナたちはそれを思い知る。
薬でも飲まされたのか、まったく身動き取れず声も出せずいるワーナたちに、ジャールートが魔王の行進で揺れる大地の音を背に、邪悪な笑みを向けていた。
ワーナたちは頭の中で、ある程度事態を理解している。だが、毒のせいか何かの力のせいか分からず、動けず声も出せぬとあれば、自分たちの油断を悔いることしかできない。
「困るんですよね。あなたがたのような力量のある人たちに邪魔をされては」
ジャールートの八本の黒い腕で、困ったものですと肩を竦めて見せた。
「もうすぐ、魔王の手は太陽を掴むでしょう。その時、アレは神となり新たに巨人族を率いることでしょう。私たちと竜が対等という立場もそれで終わります。古来より、我々はアレの浅はかな行為に悩まされていましたが、逆に利用できるとなれば我慢もできます」
優位を悟っているのか、ジャールートの口がよく滑る。しかし、彼の陰謀を知ったとて、ワーナは悔しがる事しかできない。
せめてバックアップ要員を用意しておけば……。
ワーナの心中を察したのかどうなのか、ジャールートは安心しなさいと言い含める。
「魔王が太陽を手にして新たな神となれば、あなたたちを解放致しましょう。無下にはいたしません」
ジャールートの笑みが、ヤマイの力で醜く歪む。
「弱く小さいあなたがたなど恐るに足りません」
小さき者を侮蔑するジャールード。
彼は魔王の手下ではない。
だが、勇者の敵だ。
ちょっと堅苦しい雰囲気になってしまいましたでしょうか?
でも一応急展開で話は進みます




