プロローグ ツクヨミ
「キスイ。」
幽霊が出ることで有名は月氏神社。
聞き覚えのない声で名を呼ばれ、少年は、ひらりと振り返った。その視線の先にいるのは一人の男。闇のように黒い髪がほんの少し目にかかり蒼穹のように碧く、それでいて不気味な輝きを湛えた瞳を隠している。
「誰?」
キスイと呼ばれた少年は、不気味に笑う男から一歩ずさった。
「僕が怖い?」
表情を変えないまま、男は問う。
少年は冷たい手が背に触れたようなぞくりとした恐怖に脅えながら頷き、もう一度同じ問いを繰り返す。
「誰なの?」
「月読、さ。知っているだろう?」
尚も微笑みを絶やさない男は、ようやく少年の質問に答えた。
「知らない。」
名を知った事で安心したのか、少年の顔にはもう恐怖の色は無い。
「・・・だろうね。」
どこか矛盾した呟きの後、男は碧い瞳をそっと閉じた。それを再び開くと同時にこれ以上ないほどに優しく微笑んだ。
「僕は、神なんだよ。」
その突拍子もない存在すらも簡単に信じる事が出来たのは少年に心の余裕が無かったからだろう。
「神様?」
「そう。太陽神の弟。君の願いを叶えてあげられる。」
その言葉に少年の表情は一瞬だけ明るくなったが、またすぐに寂しそうに呟いた。
「出来っこないよ。」
「出来るよ。さあ、願い事は?」
「・・・。」
少年は、何を躊躇っているのか、僅かに言い淀んだが男は急かす事なく、只じっと少年の言葉を待つ。そして、少年は重い沈黙を打ち破り、ゆっくりと口を開いた。
「・・・憂を、僕の大切な人を助けてあげて!このままじゃ、憂が壊れちゃう。だから、あいつらのいない別の世界に・・」
まだ、語彙の豊富でない幼い彼は、それでも必死に相応しい言葉を探した。
「願いは、異世界の作成・・でいいのか?」
「うん。」
「但し、対価がいるよ?本当にいいの?」
たった一つの確認事項を男は微笑んだままで口にする。
それは、大人でも怯んでしまいそうなほど不気味な笑みだった。
対価が何であるかも聞かずに少年はなんの躊躇いも無く頷いた。
「本当に大切なんだね。彼女の事。」
何もかもを見透かすような碧い瞳を見据え少年は今にも泣きそうな顔でまた、頷いた。
その対価がこれから後、自分を苦しめる原因になる事を少年は知る余地もなくただ、彼女のを護ることだけを考えていた。




