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イケメンで人生勝ち組の親友と入れ替わったら、羨ましかった人生が想像以上に地獄だった件【異世界ブロマンス】

作者: 八澤
掲載日:2026/10/18

 エドガーは、俺の親友だ。

 物心がついた頃から、俺たちは兄弟のように一緒に過ごしてきた。遊ぶ時も、怒られる時も、常に隣にはエドガーがいた。


 ただ、俺たちには決定的な違いがあった。


 俺は教会で育った孤児だ。特別な才能も目を引く容姿もなく、毎日を生きていくだけで精いっぱい。将来を考えても、明るい未来は思い浮かばなかった。


 一方、エドガーは貴族の家に生まれ、広い土地に建つ屋敷で何不自由なく暮らしていた。街の女性が振り返るほど美しい容姿に、鍛えるほど伸びる武術の腕。エーテルを利用した術式にも長け、勉学でも優秀な成績を収めていた。


 そのうえ、幼馴染のフィオナまでいる。

 美しい容姿と上品な立ち居振る舞いを兼ね備えた令嬢で、二人が並ぶ姿は物語の王子様とお姫様のようだった。


 俺は、そんなエドガーが羨ましかった。

 彼の容姿が羨ましい。

 彼の才能が羨ましい。

 裕福な家に生まれ、何不自由なく暮らせることが羨ましい。

 あんなに美しい幼馴染から好意を寄せられていることが、どうしようもなく羨ましかった。

 初めの頃は、エドガーに対して対抗心を剥き出しにして張り合うこともあった。だが、どれだけ努力を重ねても、俺は平均的な域を出られなかった。エドガーにはまるで敵わない。フィオナの視線が俺に向かうことは絶対にありえない。


 やがてに張り合うことを諦めた。一番の理由は——エドガーがいい奴だからだ。

 家柄を鼻にかけたり、自分の能力をひけらかすことはなく、むしろそれを隠すように立ち回ることがあった。周りの目を気にせず、俺みたいな平民とつるみ、なんというか——対等に接してくれる。だから、いちいち意識することがバカらしくなった。


 俺が保護された教会は、エドガーの屋敷と懇意にしていた教会で、エドガーと歳の近い男子は俺だけだったから、遊び相手みたいな形で抜擢された。エドガーとは妙に馬が合い、今では一番の親友となっていた。


 夜、エドガーは屋敷を抜け出し、俺と二人で街の酒場へ出向いたことがある。目当ては、たまたま街に立ち寄っていた冒険者。顔に傷跡のある屈強な彼らは、酒に酔いながら日々の冒険譚を大げさに語っていた。それを、目を輝かせて聞き入っているエドガーの横顔が、やけに記憶に残っている。

 因みに、屋敷を抜け出したことがバレてしまい、俺たちは大目玉を食らった。怒鳴られた後、エドガーの母親はさめざめと泣きながらエドガーを抱き寄せて心配していた。恥ずかしがって母親を引き離そうとするエドガーの姿に、母の愛情を知らない俺には羨ましくて仕方がなかった。

 

 街の学校を卒業すると、俺は教会から出て一人暮らしをはじめ、冒険者用のギルドに入った。エドガーは騎士養成学校へと進学する。エドガーの父親はこの国を守る騎士団長でもあるため、それを継ぐためだ。自分の父親が、この国の誰にも尊敬され、その道に進めることも羨ましいと感じる。


 昔のようにいつでも会えるわけではなくなったが、街に戻ると俺はエドガーを訪ねた。彼はギルドでの話を聞きたがった。

 俺が「酒場で会ったような冒険者とは違って、日銭を稼ぐために地道に依頼をこなす毎日だよ」と自嘲気味に話しても、エドガーは喜々として耳を傾けた。あの頃と同じように、目を輝かせながら。


☆★☆★


 ——ある日、近場に現れたダンジョンを攻略し、地上に戻ってきた時だ。


「お、それ魔石じゃないか」


 採掘所から集めた鉱石を確認していたところ、ギルドの仲間が拾い上げた。

 よく見ると表面に複雑な紋様が刻み込まれ、握ると薄っすらと紫色の光がゆっくり灯る。


「なかなかの年代物だな。もしかしたら、珍しい術式が組み込まれてるかもな。ほれ、やるよ」


 その仲間は俺に魔石を手渡す。予想よりもずっしりと重たく、指に食い込むような感触を覚えた。


「え、いいんですか? ギルドには?」

「今日のノルマは鉱石だから拾ったモンはわしらのモンだ。それに、わしらはエーテルってのにはてんでからっきしだからな。お前みたいな術式を使えるもんのほうがふさわしいだろ」

「学校で習った程度ですって。でも、本当にいいんですか?」

「いいっていいって。ま、どうせ火を吹き出すとその程度だろ」


 ガハハ、と笑う仲間につられて笑いながら、玩具程度の術式だろうとあまり期待していなかった。

 しかし、後日鑑定機で調べたところ、その魔石には持ち主と対象者の魂を入れ替える術式が組み込まれていることがわかった。古い時代の遺物らしい。

 半信半疑で文献を調べると、同じ効果についての記述が見つかった。

 使い方は、対象者に接近して術式を発動させるだけ。相手の精神や肉体に干渉する術式は高度な技術を要する。それほどの術式が、この小さな魔石に組み込まれているのだ。

 震えながら、俺は魔石を握りしめた。

 頭の中に、ひとつの考えが浮かんでいた。


 もしも、

 ……もしも、エドガーになれたら。


 彼の顔で街を歩き、彼の才能を使い、彼の家で暮らすことができたら。

 豪奢な屋敷、美味しい食事、暖かい家族——。

 フィオナだって、俺を見て、微笑んでくれるかもしれない。


 いやいや、何を考えているんだ。バカか、ありえない。エドガーは俺の親友だ。そんなこと……。

 

 頭から離れなくなった。

 もちろん、許されることではない。

 親友の人生を、本人の意思を無視して奪うのだ。

 それでも、俺は魔石を手放せなかった。

 別に、永遠の間、代わるわけじゃないんだ。

 ほんの少しだけでいい。

 エドガーの人生を味わってみたかった。

 そうすれば、このどうしようもない嫉妬だって、少しは満たされると思ったんだ。


☆★☆★


 ——傷一つない肌、鍛えられた腕、宝石のようなブルーの瞳、輝く金色の髪、整った顔立ち。

 鏡の前に映るのは、俺ではなかった。


「……エドガー?」


 ……声まで違う。

 鏡の中の男が口を開く。俺と同じように、鏡の中の男も口を開き、目を細め、笑顔を浮かべる。思いどおりに表情が変わる。

 当然だ。鏡に映っているのは、エドガーの身体を手に入れた俺なのだから。


「は、はは……」


 笑いが漏れた。

 夢じゃない。

 本当に、入れ替わったのだ。

 俺は何度も鏡を覗き込み、顔を触り、腕を動かした。どれも、ずっと羨ましいと思っていたエドガーのものだった。


 胸の奥から、今まで味わったことのない高揚感が湧き上がってくる。

 これが、エドガーの身体。

 これが、彼の人生。

 俺は、ついに手に入れたのだ。

 

 背後から物音が聞こえて、思わず振り返る。


「……んが…ふぅ……」


 ベッドの上で眠っている俺——いや、中身はエドガーだ。俺は、エドガーを自分が泊まっている宿に呼び寄せた。エドガーは酒に弱いので、酔って眠ったところで俺は魔石に組み込まれた術式を発動した。一瞬紫色の光が広がり、あっという間に入れ替わった。


 一日だけ——。

 すぐ戻るから。

 ごめんな……。


 俺は宿舎を飛び出すと、エドガーの屋敷へと向かった。

 

☆★☆★


「貴様ァッ!! その程度で息を切らすとは何事だッ!!!」


 怒号が屋敷の訓練場に響き渡った。


「ぐっ……!」


 次の瞬間、凄まじい衝撃が胸を襲った。


 ドゴッ!


 鈍い音が、自分の身体の内側から響く。


 木剣だ。金属の刃がついているわけでもない、訓練用の木剣。それでも、騎士団長であるエドガーの父親が全力で突き込めば、鋼鉄の鉄球を胸に叩きつけられたような衝撃が走る。街の学校で習うお遊戯のような剣術訓練とは異なる実戦を想定した——殺し合い。


 俺はその場に崩れ落ちた。


「がっ……! げほっ、げほっ!」


 息が……息ができない。

 胸を穿つ衝撃のあと、凄まじい痛みがじわじわと全身に広がっていく。

 痛い。苦しい……っ。空気を吸おうとしても、喉からはヒューヒューという音が漏れるばかりだった。少しでも体を揺らすと激痛が走る。震える手で胸元を押さえる。触れた場所に、ぞっとするほどの痛みが……。

 まさか、骨が折れているのか?

 軋む体の感覚に慄いていると、顔の前にざんっ! と木剣の先端が突き刺さる。


 見上げると、エドガーの父親が血走った目で俺を睨んでいる。


「立て」


 低く唸るような声色。

 恐怖で全身が竦み上がる。痛みすら麻痺してしまう。

 

「騎士団長の息子がなんたるざまだ! 貴様が腑抜けていると、私まで無能と見くびられるだろうがッ!」

「ま、待って……」ゴポっ……と生暖かい液体が口元から溢れた。多分血だ……。


 木剣が振り上げられる。

 俺は反射的に身をすくめた。死を感じた。全身が硬直するような絶望感。クエストの最中、手強いモンスターと出会うことはあっても、こんなに恐怖を覚えたことは初めてだった。

 しかし、痛みは来なかった。

 代わりに、父親が何かを唱える声が聞こえた。淡い光が身体を包み込み、胸を襲っていた痛みが急速に消えていく。

 呼吸も戻った。

 さっきまであれほど苦しかったのに、今では何事もなかったかのように息ができる。

 回復術式をエドガーの父親は俺に向かって放ったのだ。


「エドガー」

「はぁ……はぁ……」

「早く立たんかっ!!」

「は、はい……くっ」


 脈と共に広がる痛みは消えたが、まだ胸を潰された苦痛の余韻がじんじんと残っている。

 必死に立ち上がり——エドガーの父親と向かい合う。

 

 ——エドガーの屋敷に着くや否や、父親に見つかり、強制的に地下室へと連れていかれた。当初は、入れ替わりがバレたのかと危惧した。が、ただエドガーの父親は、俺を特訓させるために地下室へと向かっただけだった。術式が組み込まれた地下室は、地下のはずなのに明るい光に包まれて、街の集会所程度の広さを有していた。地下室なので……音は外に漏れることはないのだろう。


 そこで木剣を渡された途端、エドガーの父親は——怒気を顔に奔らせて斬りかかってきた。

 学校で基礎的な剣術を習っていたし、依頼でもたびたび魔物と戦闘が始まることはある。多少は剣術の心得があるけど、一国を担う騎士団長の殺気を帯びた剣戟を受けきれるはずがなかった。

 重々しい斬撃に木剣が弾かれた瞬間、凄まじい速度で胸を切りつけられた。


 回復はした。

 折れた骨も治っているだろう。

 なるほど、これならまだまだ訓練を続けられる。


 ――いや、待ってくれ……。


 まだやるのか?

 というか、傷を治すことができるから、あんな殺意の籠もった攻撃を平気で繰り返せるのか?


「さあ、構えろ」

「……うぅ」

「聞こえなかったのか!」

「はいっ」

「たった一度胸を切られた程度で情けないっ」


 慌てて剣を構えた。

 ——この国の子どもなら、エドガーの父親を一度は尊敬と畏怖の入り混じった感情で眺める。エドガーの家に帰ることは少なく、時々見かけることはあった。厳しい表情は見るだけで緊張が走る。それでもエドガーを見つめる瞳には、優しい光が灯っている——と、俺はそう思っていた。

 しかし、眼の前で剣を振り上げるその姿は、怒りに支配された狂人だった。


 しかも、その怒りの矛先は、息子であるエドガーに——今は俺に向けられている。

 今まで知らなかった。

 エドガーがどんな毎日を送っていたのか。

 彼がどれほどの訓練を強いられていたのか。

 そして、どれだけの痛みを我慢してきたのか。


 再び、木剣が飛んできた。

 慌てて受け止めようとしたが、岩で殴られたような衝撃が腕に広がり、簡単に弾き飛ばされた。


「遅い!」


 ——がんッ!!


「ぐがッ!?」


 今度は左腕を真横から切り裂かれるように木剣で打たれた。

 肩の少し下辺りに木剣が食い込み、腕の中でめきっとイヤな音が鳴る。

 痛み。

 唇を噛み締めても、胸の中の呼気を絞り出すように「ぐぅ…ぁぁぁああっ」と声が漏れてしまう。


「折れた程度で女のように喘ぐなッ! 騎士団の恥さらしがッ! かの雷撃の魔女を討つべく、我らには時間がないのだぞッ!」


 怒鳴り声が響く。

 俺は唇を噛んだ。ふらつきながら、片手で木剣を構える。

 エドガーなら、こんな攻撃も難なく受け止められるのだろうか。惚れ惚れするような剣術を備えているけど、流石に現役の騎士団長には敵わないだろう……。


 それから数時間の間、エドガーの父親はひたすら怒り狂いながら——なにか鬱憤を晴らすかのように剣を振り続けた。拷問に等しい苦痛を味わいながら、最後は痛みに耐えきれず失神し、ようやく訓練から解放された。


☆★☆★


 屋敷での生活は、剣術の訓練だけでは終わらなかった。

 剣術の特訓が終われば、今度は勉学が始まった。

 この国の歴史や政治、そして貴族として知っておくべき作法や教養。専門の家庭教師から、膨大な知識を次々と叩き込まれるのだ。

 少しでも答えに詰まれと、家庭教師が説明を始めるよりも早く、部屋の隅からため息が聞こえてきた。


「はぁ……」


 重々しく、わざと聞かせるようなため息。

 その声の主は、エドガーの母親だった。

 屋敷の図書室には、壁一面に本棚が並んでいる。その一角に置かれた椅子に、母親は優雅な姿勢で腰掛けていた。膝の上には一冊の本があるが、ページをめくる手はほとんど動かない。


 彼女の視線は、ずっと俺に——エドガーに向けられていた。

 見守っている……のではない、これは監視だ。


 張り付くような視線。家庭教師の問いに答えようと悩んでいる間も、エドガーの母親は黙ってこちらを見つめていた。そして、俺が間違った答えを口にするたび、決まってあのため息を漏らす。


「はぁ……」


 まただ。

 答えに迷ったり、間違えたりするたびにため息が漏れる。横目でうかがうと、母親はひどく冷めた目でこちらを見つめていた。

 怒っているわけではない。声を荒げるわけでもない。ただ、期待外れだと言いたげに俺を眺めている。


 さっきまで相手にしていた父親とはまるで違う。

 父親の怒りは激しく容赦がなかった。怒鳴り声と木剣の一撃が、こちらの意思などお構いなしに襲いかかってくる。

 だが、母親から向けられる視線には、そんな熱すらなかった。

 ただ冷たい。

 見張っているのに、まるで目の前の息子に興味などないかのような視線。期待に応えられないことへの失望感が、じわじわと俺の胸の奥を冷やしていく。


 エドガーの母親といえば、俺の記憶では美しい女性だった。息子を愛情深い眼差しで見守る優しい母親。少なくとも、俺はそう思っていた。


 けど、今の母親の顔は、俺の記憶にあるものとはまるで違う。

 あんな視線を浴び続けて、エドガーは何を思っていたのだろう。

 

☆★☆★


「あら、どうしたの? 今日はずいぶんと元気がないようね」


 勉学の時間が終わると、フィオナが屋敷を訪れていた。

 風に靡く美しい金髪に、誰もが振り返る美貌。優雅な微笑みを浮かべて俺を見つめる姿は、まさに貴族の令嬢そのものだった。

 フィオナと、こうして真正面から見つめ合うことは初めてかもしれない。

 彼女の視線に、俺の姿は映っていないからな……。


「ね、街へ向かいましょう。今日は行商の方が珍しい品物を売っているかもしれないわ」


 フィオナに片腕をつかまれ、ドキリと胸が高鳴った。

 普段の俺なら、彼女の笑顔を見ただけで舞い上がっていたはずだ。

 今はエドガーなのだと自分に言い聞かせ、彼女の後に従う。

 市場を並んで歩き、他愛のない会話を交わす。夕日に照らされたフィオナは本当に綺麗で、思わず見とれてしまった。


「どうしたの? ぼーっとして」

「いや、なんでもないよ。……ちょっと疲れているだけ」

「ふうん、あなたらしくないわね」と、疑うような目つきにぞくっと肝が冷えた。けど、フィオナは即座に笑顔を浮かべて「ねぇ、このあと食事にでも」と俺の腕を掴む。


 ——その時、つんと鼻をつく匂いを感じた。

 フィオナもそれを感じたのか、眉をひそめてキョロキョロと辺りを見渡す。


「あっ……」と、フィオナが大きく口を開けて、指差す。その先には、道端に座り込む乞食の姿があった。服は汚れ、顔には疲労が滲んでいる。通りを行き交う人々の多くは、彼を見ても足を止めようとはしなかった。


 フィオナは、その姿を一瞥した。


「まあ、なん……て非道い格好。まだゴブリンの方がマシじゃない? あんな姿で人前に出るなんて、恥ずかしくないのかしら」


 彼女は、周囲にも聞こえる声で笑った。道端に座り込む男にも、その声は届いているはずだ。

 フィオナの口からそんな言葉が飛び出すとは信じられず、呆然としながら彼女を見つめていた。


「道端で施しを待つだけ。もう、ああいう薄汚い奴らがいるから、街の景観が悪くなるのよ」

「フィオナ、それは……」

「なに?」


 彼女は、きょとんとした顔で俺を見た。


「何かおかしなことを言ったかしら?」

「いや、でも……事情があるのかもしれないだろ」

「事情?」


 フィオナは小さく首を傾げた。その姿も愛らしい——はずなのに……。


「そんなもの、私には関係ないわ。自分の身ひとつまともに養えない人間に、いったい何ができるというの? はぁ……くっさ。ドレスに匂いがついたらどうしましょう」


 言葉を失った。

 その口調には、悪意を隠そうとする様子さえなかった。

 彼女にとって、貧しい者を見下すことは、ごく当たり前の行為なのだ。

 さらに街を歩いていると、今度は奴隷商人に連れられた人々を見かけた。

 フィオナは彼らを見て、またもや楽しそうに笑った。目を大きく見開き、口元を歪める。その顔には、爬虫類を思わせる不気味な笑みが浮かんでいた。


「あはははっ! 見て、エドガー。あんな人たちと私たちが同じ街で暮らしているなんて、信じられないわね」


 ——母親と思われる女性とその子どもと思われる少年が、首輪をつけられて追い立てられている。何一つ、笑い声を上げるに値しないはずなのに。


 フィオナは喜々として笑う。

 俺は返事ができなかった。


「あら、あの乞食なんてお皿に少しばかり銀貨が入ってるじゃない。浅ましい……。そうだ、蹴飛ばして」

「おいっ」


 駆け出そうとするフィオナの腕を思わず掴んでいた。


「いたっ」とフィオナは表情から笑顔をかき消して口にする。「なに?」

「やめろ」

「は? ねぇ冗談に決まってるじゃない。靴が汚れてしまうわ。ってか本当に腕を離しなさいよ、痛いの」

「……悪い」


 俺の腕を振り払うように腕を引き抜き「はぁ~きもこわきもこわ……」とフィオナはぶつぶつ呟いている。


「あんな乞食が街に堂々と居座れるのも、私達が領土を抑え、管理し、維持しているからでしょう? その分際で働きもせずにうだうだと……。なにその目? ね、なんかあれみたい、あの教会の——あんたの隣によくいる奴隷? だっけ? あ、ごめんごめん、奴隷じゃなかったわね。お友達だったわね。もー、あの人のことバカにするとキレるの怖いからやめてよね」


☆★☆★


 俺は小走りで宿へと向かっていた。

 今日起きた出来事がぐるぐると頭の中で回転している。

 俺の中にあった理想の世界が、音を立てて崩れ落ちていく。


 ……エドガーは、こんな毎日を送っていたのか。

 俺は何も知らずに彼の人生を羨望し、勝手に奪ってしまった。

 魂が入れ替わってから一日ほどが経過している。

 エドガーは宿に残っているはず。目を覚ましたら俺になっている。驚いて、賢い彼のことだから、むやみに外には出ず、宿で俺が戻って来るのを待っているはずだ。

 もしかしたら、俺に対して怒りを——いや、当然だ。


 しかし、宿の中にエドガーの姿は見当たらなかった。

 宿主に聴くと、どうやらギルドに緊急の依頼が入り、エドガーはそれに参加するため出ていってしまったと。さらに、『3日後に戻る』とエドガーから俺に対して言付けがあったという。


 3日間……。

 その間、俺はエドガーの人生を引き継いだまま過ごさないとならない。

 つまり、父親の訓練や勉学も、フィオナとの付き合いも、放り出すわけにはいかない。

 急に態度を変えれば不審に思われてしまう。これ以上エドガーに迷惑をかけるわけにもいかない。

 それに、俺が勝手に入れ替わったと知られたら、どんな騒ぎになるかわからない。

 

 どうして、こんなことに……。

 自分に問いかけながら、その答えはわかっている。

 俺が、エドガーを妬んだからだ。

 彼の人生が、自分よりもずっと幸せなものに見えたんだ。

 その想いに抗えず、俺は……。


☆★☆★


 3日間は長かった。

 父親の訓練は過酷で、少しでも疲れを見せれば怒号が飛ぶ。剣の扱いに戸惑うたび、「エドガーならできるはずだ」と叱責された。

 その言葉を聞くうちに、俺にもわかってきた。父親が求めているのは目の前の息子ではない。騎士団長の息子として戦果を挙げ、自分の名誉を高めてくれる存在なのだ。


 母親との時間も苦痛で仕方なかった。

 間違えれば、ため息。

 答えに迷っても、ため息。

 まるで、俺が何か失敗するのを待っているかのようだった。

 母親との距離感がわからない。父親との訓練で疲弊しているのに気にかける様子もない。


 フィオナと顔をあわせるのもできることなら避けたかった。

 あの一件を経ても、翌日は彼女は笑顔で俺のもとへ駆け寄ってくる。

 しかし、その笑顔の裏側にある冷酷さを知ってしまった俺は、もう以前のように接することはできなかった。


☆★☆★


 3日後——。

 宿へ向かった。酒場を兼ねた広い室内は、冒険者たちの華やかな声が響いていた。

 その中で——見つけた。見覚えのある顔。

 もちろん、俺だ。仲間たちと談笑しながら食事していた。今回の依頼について、そして次回の依頼についての計画を楽しそうに話していた。

 俺は——エドガーは、俺の姿に気づくと、すっと立ち上がり、部屋へ向かう。

 俺は慌ててその後を追いかけた。


 部屋の扉を開けると、中には……俺が立っていた。

 向かい合って座ると、俺はしばらく言葉を探した。

 何から話せばいいのだろう。

 父親のこと。

 訓練のこと。

 フィオナのこと。

 そして、勝手に入れ替わってしまったことへの謝罪。

 伝えたいことは山ほどあるのに、いざ本人を前にすると、うまく言葉が出てこなかった。

 俺は床に手をつき、「すまない、エドガー」と頭を下げた。


「何も言わず、お前を騙すようにして入れ替わって、本当に悪かった……。俺は昔から……お前に憧れていたんだ。この前、入れ替わりの魔石を拾って——」


 言葉にしてみると、自分がどれほど身勝手なことをしたのか、改めて思い知らされた。

 エドガーは、しばらく黙っていた。

 俺は顔を上げられなかった。

 怒鳴られても仕方がない。

 殴られたって文句は言えない。

 それほどのことを、俺はしてしまったのだ。

 けれど、エドガーの口から出たのは、予想していたものとは違う言葉だった。


「まぁ、お前の気持ちはよーくわかる」遮るようにエドガーは口を開く。「で、どうだった?」


 エドガーはニヤつきながら問う。俺が答えに窮していると、


「酷いもんだろ? 親父は暇こいてるから3日もつきあわされてよく耐えきったな。座学だってあの量はキツい。それと……その顔は、フィオナへの淡い恋心は散ったか?」

「……全てお見通しなんだな」

「おいおい、何も知らなかった、騙されたって顔しやがって」

「そ、それは……」

「俺だって目覚めたらお前の顔になってるんだ、驚いたぞ。ま、その仕返しというか、これでチャラにしてやろう」


 エドガーは笑いながら手を俺に差し出す。見た目は俺なのに、その表情はいつものエドガーそのものだった。彼の優しさに胸がいっぱいになる。その手を掴んで、立ち上がる。


「3日もよく耐えたな。大変だったろ」


 頷きかけて、それは——エドガーの日常だと理解する。

 たった3日で、俺は朝起きるのが怖くなるほど追い詰められた。それなのに、これがエドガーにとっては日常なのだ。

 親友なのに、

 エドガーの隣には俺がいる、そう自負していたのに、俺は彼が背負っていた苦しみを何一つ理解しないどころか、何も知らずに妬んでいた。


「何も知らずに、それも悪かった」

「おいおいもういいって。というか、それは奴らが周りの人間に隠しているだけだ、気にすんなって」

「いや、エドガーにも迷惑をかけたし」

「俺? いや俺の方は悪くなかったぞ」

「……え?」


 俺は、思わず聞き返した。

 エドガーは、楽しそうに笑った。


「いや満月の夜しか咲かない花を求めて森の中をお前の仲間たちと彷徨ってさ~。もうだめだ、見つからない……そろそろ魔物が集まってくるって時に月明かりに照らされる花を発見した時は涙が出たよ。でさ、帰路についたら魔物の縄張りに迷い込んで——」


 喜々として嬉しそうに語る。

 ——エドガーが冒険者に憧れていたことは知っていた。

 俺がギルドに参加することになったと告げたとき、エドガーは誰よりも喜んだ。


「怪鳥の餌になりかけたおっさんの顔、お前にも見せてやりたかったよ」

「そっか」

「しかし、お前の入ったギルドはみんないい人だな」

「あぁ。みんな荒っぽいけど、まだまだ未熟な俺を仲間として受け入れてくれる」

「いや……本当に楽しかった」


 エドガーはため息混じりに口にした後、「お前が羨ましくて仕方がなかった」と続ける。


「俺に? どうして、なにも持ってないだろ。羨ましいなんて思うはずが」

「お前は自分を卑下しすぎなんだよ……。ギルドでも、みんなお前をかわいがってるのがすごいわかった。みんな、お前を認めている。お前は何事にも地道に努力を重ねて、いつの間にか目標を叶えてる。そんなお前が隣にいたから、俺も負けていられないな……って、我が家の地獄にも耐えてこられたんだ。」

「でも」

「それに、自由がある」

「自由?」

「何だって挑戦できる。結果がどうなろうと自分で望んで選んだ道なら、その責任も自分で負えるだろ? こっちはもう将来の夢から婚約者まで、生まれた瞬間から全て決まっている。初めから誰かに作られた道をまっすぐ歩くだけの人生だ。驚きも達成感もなく、ただ耐えるだけ。つまんないよ」


 おどけた口調で言っていたが、その言葉には諦めの感情が混じっている気がした。

 エドガーは恥ずかしそうに頭をかいたあと、「それで、元に戻る方法は?」と訊いてきた。


「もう一度、魔石に組み込まれた術式を発動するだけ」

「じゃあ……頼む」


 俺は魔石を取り出した。

 ……が、それをポケットに戻す。


「おい」

「別に、今すぐ戻らなきゃいけないわけでもないだろ?」

「いや、お前も理解しただろ? エドガーってやつは、なかなか大変だって。これ以上続けても……」

「3日だぞ。俺がたった3日で音を上げると思ってるのか?」


 自分で口にしながらずいぶん苦しい言い訳だと思った。

 エドガーは俺の顔をじっと見つめ、やがて何かを察したかのように目を細める。


「……本当に、いいのか?」

「まだお前の人生の、大変な部分しかしらないからな。せめて、うまい飯でもたくさん食ってから戻るよ」


 エドガーは、まだ戻りたくない。

 ギルドの仲間と肩を並べて依頼に挑み、自分の選択で道を開いていく。俺の身体で過ごした3日間は、エドガーにとって何にも代えがたい時間だったのだろう。

 そんな時間を、俺の都合だけで終わらせてしまうのは、なんだか違う気がした。

 

「そうか……」


 エドガーは少し驚いたように目を見開いた後、嬉しそうに微笑んだ。


「次の依頼は?」

「予定だとまぁ一週間くらいかかる見込みだそうだ」とエドガーは返す。ぴくぴくと頬が痙攣して、こいつ……嬉しいのを我慢できないって顔をしていた。

「じゃあもう一週間はこのままでいよう。それまでに、俺も親父さんにしごかれながら腕を磨いておくよ」

「気をつけろ、今は雷撃の魔女関連で荒れてるからな」

「勉強も、いい機会だと思って一から学ぶ」

「母さんの圧は無視していいからな」

「フィオナも……あれは」

「だから前からずっと忠告しただろ。あいつは取り繕うのがうまいだけの傲慢なお嬢様だって。勝手に妬んでたくせに。まあ、今回の入れ替わりで正体を知れたのは一番でかいな」


 その時、階下から俺を——エドガーを呼ぶ声が聞こえた。

 俺たちは部屋を出た。エドガーはまるで新しい冒険に旅立つ前の少年のように、目を輝かせていた。

 あと一週間。せめてその間くらいは、こいつに自由を楽しませてやりたかった。



// 終わり


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