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誰もいない校庭

作者: 長谷川誠
掲載日:2026/05/10

 祐太は、昔から足が遅かった。


 運動会のリレーでは、いつもビリだった。


 転んだこともある。


 バトンを落としたこともある。


 クラスメイトに笑われたこともあった。


 だから母は、毎年少しだけ寂しそうな顔をしていた。


「来年は頑張ろうね」


 それが口癖だった。


 今年の運動会の日。


 朝から母は妙に機嫌が良かった。


「今日は絶対見に行くからね」


 祐太は、小さく頷いた。


 校庭には白線が引かれ、テントが並び、スピーカーから音楽が流れていた。


 空は青く、風が強かった。


 リレーが始まる。


 祐太はアンカーだった。


 どうせまた最後だと思っていた。


 前の走者からバトンを受け取る。


 その瞬間だった。


 急に体が軽くなった。


 足が地面を蹴るたび、景色が後ろへ飛んでいく。


 前を走っていた子たちを、一人、また一人と抜いていく。


 歓声が聞こえた。


「祐太ーっ!」


 母の叫ぶ声が聞こえた。


 気づけば、祐太は一番でゴールしていた。


 母は泣いていた。


「すごいじゃない……! 祐太、一等だよ……!」


 先生も拍手していた。


 クラスメイトたちも笑っていた。


 母はスマホで何枚も写真を撮った。


 その日の夜。


 母は夕飯のあとも、嬉しそうに写真を見返していた。


「初めて一等だったねぇ」


 祐太は黙ったまま座っていた。


 母は何度も画面を指でなぞった。


 だが、突然、その手が止まった。


「あれ……?」


 母の顔から笑顔が消えた。


 写真には、祐太しか写っていなかった。


 本当なら周りにいるはずの子どもたちがいない。


 先生もいない。


 観客席もない。


 白線も、テントもない。


 ただ、灰色の校庭を、祐太だけが走っていた。


 母は震える指で、写真の日付を見た。


 十年前だった。


 今日の日付ではない。


「そんな……」


 母の呼吸が浅くなる。


 その時だった。


「お母さん」


 後ろから声がした。


 母はゆっくり振り返った。


 祐太が立っていた。


 運動会の体操服のまま、静かに立っていた。


 母の目から涙が溢れた。


「祐太……」


 祐太は少しだけ笑った。


「今年は、一等だったよ」


 机の上には、小さな遺影が置かれていた。(終)

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