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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

出没

作者: たなか
掲載日:2025/12/27

【ニュース速報】

本日未明、市街地近くの山中で熊の目撃情報が相次ぎ、危険性を考慮し、警察はやむを得ず駆除を行いました。


「――いやああああっ!!」


老婦人の叫び声が、夜の山道を切り裂いた。


振り返った老婦人の顔は、恐怖で歪み、口を大きく開けたまま声を上げている。


その顔を見た瞬間――


熊の中で、何かが唐突に弾けた。


(……人だ)


理由も、説明もない。

ただ反射的に、そう理解してしまった。


(俺は、人間だ)


思考より先に、確信だけが立ち上がる。


熊は、その場で動けなくなった。

老婦人は転び、叫びながら必死に起き上がり、闇の奥へ逃げていった。

森には、熊だけが残った。


熊は、自分の身体を見下ろす。


毛に覆われた腕。異様に長い爪。

地面に落ちる、人間ではありえない影。


(……違う)


(こんな形じゃない)


胸の奥に、強い違和感が突き刺さる。

生まれたときから熊だった――

そんな感覚は、どこにもない。


最近まで人間として暮らしていた感覚はあった。


なぜ自分が熊なのかは分からない。

だが、最後に残っている記憶がある。


夜。街。酒の匂い。

笑い声。グラスの音。

楽しかった。

嫌な気分ではなかった。


むしろ、気分よく歩いていた。


(……帰ってた)


どこへ向かっていたのかは、思い出せない。

それでも、山ではないことだけは確かだった。


熊は、街の灯りが見える方向へ歩き出した。


山を下りるにつれ、記憶が少しずつ形を持ち始める。


居酒屋。空になったグラス。

くだらない話。酔った笑い声。

夜風が心地よく、足取りは軽かった。


(……酔ってたな)


何かを失った感覚は、まだない。


街に入る。


アスファルトの感触。自動販売機の光。


(知ってる)


胸の奥が、ざわつく。

この道を、歩いたことがある。

この時間に。酔っていたと思う。


一本の路地に足を踏み入れた瞬間、記憶が爆発した。




――女性の腕。


白く、細い。


掴んだ感触。


――地面。

――自分の重さ。


獣のように、覆い被さっている自分。


下で、恐怖に歪む顔。


(……あ)


熊の喉から、低い声が漏れる。




その顔が、森で見た老婦人の顔と、完全に重なった。


同じ目。同じ恐怖。



(……俺が)



自分が何者だったのかを、完全に理解した瞬間。


視界の先に、見覚えのある顔があった。


あの夜、最後に見た顔。





乾いた音が響く。


衝撃が、背中を撃ち抜く。


一発。続けて、もう一発。


熊の身体が大きく揺れ、前のめりに崩れ落ちる。


意識が遠のく中、別の記憶が浮かび上がる。


白い天井。消毒液の匂い。

刑務所の医務室。


ベッドに固定され、腕に注射を打たれる感触。


「すぐ終わります」


淡々とした声。


そこで、記憶は途切れた。


熊の呼吸が止まる。


足音が近づく。

黒いスーツの男たちが、無言で熊を囲む。


「回収」


熊の死体は、シートで覆われ、静かに運び出されていく。

路地は洗浄され、痕跡は残らない。


翌朝。

ニュースは、何事もなかったように繰り返される。


「市街地付近で、危険な熊が出没し、駆除されました」


それだけだ。


思い出した瞬間、人間としては終わっていた。


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