最終章:「白星花」
冬の夜は、いつもよりも静かに感じた。
病室の窓から見える街の光が、かすかに滲んでいる。
点滴の針が腕に触れるたび、少しだけ痛い。でもその痛みさえ、もうどこか遠くにあった。
――あの日と同じ雪が、また降っている。
黎が私の病室のドアを開けたとき、胸の奥がやわらかく波打った。
彼の白いマフラーには、雪の粒がいくつも乗っていて、まるで光をまとっているように見えた。
黎「外……行ける?」
黎の声は、優しくて、でも少し震えていた。
「うん。……行きたい」
私はそう答えた。声は弱くても、心ははっきりしていた。
もう、わかっていた。これが最後の夜だということを。
彼がそっと手を差し出す。
あたたかい。少しだけ震えているその手を、私は強く握り返した。
――屋上。
黎と初めて出会った場所。
あのときと同じように、白い息が空へ溶けていく。
空を見上げると、雪が星のように降っていた。
私は黎の顔を見た。
その首元に残る傷を、もう「知らない」とは言わなかった。
「私、早く記憶、取り戻したいな。全部。」
黎の目が閉じる。
私の声が雪の音に溶けるように、小さく震えていた。
黎「…雪。銀木犀ってしってる?雪がすきだっていった花。
いつも雪は銀木犀をみて、
”銀木犀の花言葉ってしってる?”って笑顔で俺のほう向いてきいてさ。
でも、そうきくくせに一回も教えてくれなかったよね。
一回ぐらい…教えてほしかったな…」
私は、黎の話をきいた瞬間、頭の奥がチカッと光った。
―車のクラクションの音
―優しい声で私の名前を呼ぶ声
―眩しくて暖かい笑顔
―”黎!!!”と呼ぶ私の声
「うっ……!」
私は思わず頭を押さえた。
視界が揺れる。 黎がすぐに駆け寄り、私の肩を抱えた。
黎「雪、ごめん、大丈夫!?」
私は、気づいたら視界が涙でにじんでいた。
「私、思い出した…思い出したよ、全部。
黎は私の大事な人で、
でもあのとき……
小さな子をかばおうとした私を、
守ってくれたのは黎で…。
でも、私が……二人を突き飛ばしたの。私だけが――」
黎「やめて!!!」
黎が、大きな声でそうさけんだ。黎は、悲しそうに首を横に振った。
黎「やめて…やめて…
雪が思い出してくれて嬉しい。けど…けど…
あの事故の日。俺は雪を守れなかったんだ。あの瞬間、手を伸ばせたのに……届かなかった。
ごめん…お願いだから…」
彼の震えた声が、
冷たい空気の中で揺れる。
でも私は涙を流しながら微笑んだ。
「違うよ。黎は、守ってくれた。つらいときも、苦しい時も。ずっとずっとそばにいて支えてくれた。
黎は、私のこと、たくさん守ってくれたんだよ。
だから…謝らないで…」
その瞬間、風が止まった。
空からひとひら、星のように光る雪が舞い降りてくる。
私の手のひらに落ちたそれは、まるで花のかたちをしていた。
黎「……白星花」
黎が小さくつぶやいた。
その声が、少し震えていた。
私たちは並んで夜空を見上げた。
そこには確かに、白く光る花が、星のように咲いていた。
「願い、叶うかな…」
私がつぶやくと、黎は首を横に振って笑った。
黎「もう叶ってるよ。……雪に、もう一度会えた」
私は、そういう黎の言葉を聞いて、胸がぎゅっと苦しくなった。
―もっと黎といっしょにいたかった
だから、願った―
どうか、少しでももっと黎といっしょにいれますように。
そして、黎が幸せに暮らせますように。―
少しだけ胸が、あたたかくなった。
泣いているのか笑っているのか、自分でもわからない。
でも、今は黎といっしょにいるじかんを大切にしたい。
黎の手が、そっと私の頬を包む。
「ありがとう、黎」
黎「……俺の方こそ」
私は目を閉じた。
白い光が視界いっぱいに広がる。
遠くで誰かが、私の名前を呼ぶ声がする。
――夜が、やさしく終わっていく。
空の中で、白星花がひとつ、またひとつと咲いていった。
それはまるで、黎の心の中で灯る想いのように、消えることのない光だった。




