第四章:「切ない笑顔」
あれから私はしばらく屋上に行けなかった。
体調がすぐれず、ベッドの中で窓の外の景色を眺める日々が続く。
白く静かに舞う雪を見るたびに、ふとあの少年のことを思い出す。
黎はどうしているのだろう。
あの日、笑顔で「きっと雪なら見えるよ」と言ったその瞳は、今も鮮やかに心に残っている。
けれど、どうしてかその言葉の意味を、まだ理解することはできない。
窓の外の世界は、あいかわらず白くて、冷たくて、でもどこか温かい光に包まれていた。
手を伸ばして窓を開け、雪を触れると、ひんやりとして、でも確かに存在している。
あの日の屋上も、こんなふうに静かだった。
空を眺めていると病室の扉が静かに開いた。
黎「雪……」
低く懐かしい声に、胸がぎゅっとなる。
黎が立っていた。体調を崩した自分のせいで会えない日々が続いたけれど、彼はこうして来てくれた。
「黎……」
雪は弱々しく笑い、手を伸ばす。
黎は少し息をついて、でも確かな手つきで雪の手を握った。
「体調大丈夫?……」
その声には、後悔と切なさ、そして少しの安堵が混じっていた。
「大丈夫だよ。」
私は震えた声でいった。
言葉をあまり交わさず、ただ窓の外を見つめる。
私はまだ記憶を思い出せない。
でも、なぜか黎の存在が、心の奥にじんわりと温かさを残していく。
それは、思い出せないはずの“記憶”よりも、もっと確かなもののように感じられた。
黎「また、屋上に行こうね」
黎の声が小さく響く。
「うん……」
私はまだ理由もわからず、でもその言葉にうなずいた。
私と黎はまだ白星花を見ていない。
窓の外では、雪がゆっくりと舞い落ちていく。
あの夜、黎と交わした言葉が胸の奥でずっと響いている。
“白星花は、願いを叶えるんじゃなくて、心を映す花なんだ”
その言葉の意味を考えるたび、胸が少しだけ痛くなる。
「今日の空、すごく静かだね」
黎「うん。白星花が咲く夜って、こんな感じかなぁ」
私の胸がドクンと鳴った。
「黎、白星花って……見える人と見えない人がいるって言ってたよね」
黎「うん」
「どうすれば、見えるようになるの?」
彼は少し考えてから、優しく言った。
黎「心の奥に“隠してる気持ち”を、ちゃんと見つけること。
それができた人にだけ、白星花は姿を見せるんだ」
私はその言葉に息をのんだ。
心の奥に隠している気持ち――。
私の中には、忘れてしまった“何か”が確かにある。
事故で失った記憶。
でも、その記憶は消えたままじゃなくて、私の心のどこかに今も眠っている。
そのとき、黎の方を振り向くと黎の彼の首筋に、白い包帯が見えた。
「……黎、それ……」
思わず声が出た。
私は空に夢中で気づかなかった。
彼は驚いたように手で触れ、少し困ったように笑った。
黎「バレちゃった、」
「それ、大丈夫?…」
黎「うん、もう大丈夫だよ。少しだけ古い傷」
その笑顔が、ほんの少しだけ切なかった。
まるで“思い出したくない痛み”を隠すように。
私はそれ以上、何も聞けなかった。
ただ、黎の少し切ない笑顔に懐かしさを感じて少し悲しい気持ちになった。
 




