第三章:「雪降る夜に光る秘密」
今日は雪が静かに降り続いていた。
屋上の手すりに寄りかかる私のコートの肩を、白い結晶がひらりと落ちてきた。
夜風が冷たくて、息が白く見える。
「まるで、世界が止まったみたいだね」
私がそう言うと、黎は少し笑って、空を見上げた。
黎「うん。だから、こういう夜が好きなんだ」
その言葉には、いつもの優しさの裏に、ほんの少しの影があった。私はその影に気づいた。
屋上の灯りが街の雪に反射して、淡く揺れていた。私たちはいつもの場所で並び、言葉少なに雪を見つめていた。
「ねえ、黎」
私は静かに聞いた。
「その…黎の“秘密”って、どんなもの?」
彼は手をすり合わせ、視線を少しだけ私から逸らした。
黎「簡単には言えないんだ」
彼の声が、夜の風にかき消されそうだった。
黎「でも…雪が知ってもいいなら、少しだけ話そうか」
私は静かにうなずいた。胸の奥の期待と、不安が同時に震えた。
黎は深呼吸して、言葉を紡ぎ始めた。
黎「俺ね、…“白星花”が咲くって言ったでしょ?」
「うん」
黎「それって…本当に“願いを叶える花”じゃない。俺は、願いじゃなくて“映るもの”だと思ってる」
彼の目が、雪の結晶より少しだけ淡く光った。
「“映るもの”って、どういうこと?」
私は問い返した。声が少しだけ震えていた。
黎「例えばさ、雪が“何か忘れてしまったもの”を探してるなら――その気持ちが、花として映る。
俺がここにいる理由も、…その“秘密”も、映される側にあるんだ」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸が重くなった。
―映る…私の中にあるものが、この花に映るの?―
雪の音も、風の音も、消えていくようだった。私は思い出そうとした。事故の日のこと。
病院で目を覚ました時の記憶。だけど、頭の中は白くぼやけていた。雪のように消えた記憶。
「…黎は、何を“映して”いるの?」
私はそっと聞いた。
彼は黙って雪を見つめ、そして言った。
黎「俺は…いなくなろうと思ってたんだ。ここにいる時間が、終わると思ってた。」
黎の話は、夜の雪と同じくらい静かで、切なかった。私はその言葉に、胸が締めつけられた。
黎「でも、雪に出会って思ったんだ。消えることを恐れてても、“ここにいる”って選べるんだって」
彼の声が、震えていた。
その言葉を聞いて、私の頭の中に一つの映像が浮かんだ。
白い花びらが、夜空にぽつんと咲いて――それが私たちの影を映しているような。
「黎…」
私は彼の手にそっと触れた。冷たかった。でも、その冷たさが確かに“今”を示していた。
「私…忘れてることが多いけど、黎とこの時間を忘れたくない」
黎「ありがとう」
彼はそう言って、うなずいた。雪の粒がふたりの間を舞い、そしてひとつの光をまとって消えた。
その夜、空から星が一つ、ゆらりと落ちてきたように見えた。私はその瞬間を、胸に刻んだ。
―私の願いは、私でもまだうまく言えない。でも…黎とこの場所で、確かに見つけたい。―
屋上の灯りの下で、私たちはしばらく黙っていた。雪は止み、夜の気配だけが残っていた。
そして彼がポツリと言った。
黎「…雪が“見える人”だと、信じてる」
その言葉を聞いて、私は小さく笑った。
「うん。私も、信じたい」
その笑顔には、小さな決意があった。
屋上を降りるとき、私は振り返り、空を見た。群青のキャンバスに、小さな白い花が咲くのを、待っているような気がした。
―いつか、白星花が――私たちの“想い”を映す夜が来る。―
そして私は、静かに願った。
―どうか、私の心が、その花の光を受け止められますように。―




