王妃のお茶会1 リーディア12歳
「お母さま……やっぱり、行きたくないです……」
私はドレスの裾を握りしめながら、声を震わせた。
「リーディア。他家のお茶会とは違うの。私たちも断れないのよ」
今、伯爵領地は天候不順に見舞われ、作物の育ちが悪く、領民の生活は日に日に逼迫している。
そうなると伯爵家も、王都のタウンハウスではなく、領地のカントリーハウスに戻り、現地で直接指揮を執らねばならない。
そんな切迫した状況の中、私たちは王宮まで呼び出された。
私が行きたくないのには、ちゃんとした理由がある。
一年前、父の友人の伯爵令息アルスと子爵令嬢カメリアと、伯爵家の庭園で遊んでいたときのことだった。
穏やかな午後のはずだった。
突然、乱入してきたオルフェ公爵子息ゼノヴァリオンエボンが何の前触れもなくアルスに向かって「馬になれ」と命じた。
アルスは顔をこわばらせながら、渋々芝生の上に四つん這いになる。
「うっ!」
アルスの体が沈み、うめき声が漏れた。
ゼノヴァリオンエボンが、何のためらいもなくアルスの背にドンと腰を下ろしたからだ。
それもそのはず、アルスは十一歳。
ゼノヴァリオンエボンは十五歳。
贅沢な暮らしをしているはずのゼノヴァリオンエボンは、見た目こそひょろりとしていたが、それでも体格差は歴然だった。
「この馬は、弱いな。すぐに馬肉処理行きだな」
ゼノヴァリオンエボンはアルスを見下ろしながら、冷笑を浮かべて言い放った。
「あの……、敷布の上でお茶でもしませんか? ほ、ほら、あちらにケーキが用意されてますっ!」
私は、アルスが解放されるように提案した。
「はんっ! 女に庇われるのは恥ずかしいな」
「いや、そんな意味では……」
流石にやっていいことと悪いことがあるでしょ。
「アルス……」
カメリアが心配そうに彼の名前を呟く。
私たち三人は、ゼノヴァリオンエボンに逆らえない。
オルフェ公爵には、逆らってはいけないと教え込まれていた。
詳しい事情は、お父さまもアルスのお父さまも知らないが、懇意にさせてもらっているカルディエン公爵から「今はオルフェ家には逆らうな」と進言をうけたらしい。
「お前たち二人は俺の妾にしてやる。ありがたいだろ……返事は」
私たちは「ありがとうございます……」と言わされた。
そのあと、ゼノヴァリオンエボンは馬役のアルスにまたがったまま庭園を練り歩き、私たちはその後ろを黙ってついて歩く。
アルスが少しでも立ち止まると尻を叩く。
ゼノヴァリオンエボン。
「俺様の本当の名前は、ゼノヴァリオン・エボン・オルフェだ。お前たちには俺の臣下だから教えてやる」
『ゼノヴァリオンエボン』珍妙な名前……失礼! 変わった名前と思っていた。
彼は「王に相応しい名前と父上がつけてくれたんだ」と不敬になりかねない発言をしていた。
ミドルネームは、王族だけが許される。
その日、公爵はもちろんのこと子息も呼ばれていないのに現れた。
そんな公爵家が、まるで自分の庭のように振る舞う王宮に、私は行きたくなかった。
彼が「王宮は俺のものだ」と、何度も言っていた。
実際、公爵と共に王宮に出入りしては、あちこちで迷惑をかけているとお父さまから聞いた。
そんな彼が入り浸っている場所にいきたいわけがない。
今日は、十二歳の第二王子の婚約者選びのため、十歳から十二歳までの婚約者が決まっていない令嬢が王宮に集められた。
カメリアはアルスと婚約を結んだので、今日は来ない。
「会いたい人には会えないのに……会いたくない人には遭うかもしれないなんて……」
私は窓の外を見ながら、ぼそりと呟いた。
王宮に向かう馬車が、長い列を作って渋滞している。
貴族の馬車が乗降するのに時間がかかるのだが、それにしても進まない。
「お腹が痛い……」
「リーディア……だめよ。後日、王宮医師が来て、仮病とわかったら処分が下るのよ?」
「王妃陛下のご挨拶を賜ったら、帰ってもいいはずだ」
お父様が、私をなだめるように言う。
スッと王妃様の前に行き、礼儀正しく挨拶をして、静かに退席する。
十歳の令嬢もいるんだ。
緊張のあまり泣いて席を立った子にそっと寄り添い、一緒に退席する、これで完璧!
「あなた……それにしても、なぜこんなに進まないのかしら?」
「これでは、時間に遅れてしまうな……」
お父さまは、銀の懐中時計を静かに開き、針の動きを見つめた。
遅れたら帰ってもいいじゃないかな――そんな淡い期待が頭をよぎる。
だって、不可抗力なんだもん。
本来なら二十分で着くはずの距離。
私たちは念のため、1時間も前に出発していた。
かなりの馬車が来ると予想しての早出だった。
「旦那様、動きだしました」
御者が声をかけ、馬車がゆっくりと前に進み始めた。
ああ、残念だ……。
ほんの少しだけ、遅れて帰れるかもと期待していたのに。
渋滞の原因は、馬車の停留所の中央、王宮に最も近い場所に止まっていた一台だったらしい。
「あら、オルフェ公爵家の馬車みたいね」
お母さまは、裾を整えながら馬車を降りると、視線を横に向けて静かに言った。
馬車の横には、オルフェ公爵家の紋章が堂々と刻まれていた。
ゼノヴァリオンエボンがいるかと思うと私の心臓が跳ねあがる。
「事務官と揉めているみたいだね」
「エヴァンジェリンリリエが乗っているみたいだわ」
「はぁ……。なるほどね。エヴァンジェリンリリエは十四歳だ。招待されていないはずなんだが……それとも別の用事かな」
第二王子の婚約者になるべく、お茶会に参加したいということなんだろう。
ゼノヴァリオンエボンがいないと分かっただけでも、胸の奥がふっと軽くなった。
「二歳ぐらい年上でもよさそうなのに……」
「第一王子レオナス殿下の時に招待された令嬢は、今回呼ばれていないのだよ。その時に王妃陛下のお眼鏡に叶わなかったのだろう」
そうなんだ……。
私はなんとなく視線を横に流し、オルフェ公爵家の馬車を眺めた。
窓に張り付いて外をにらんでいる女の子がいる。
あの子が、エヴァンジェリンリリエなんだろう。
エヴァンジェリンリリエ。
多分、彼女の本当の名はエヴァンジェリン・リリエ・オルフェだろうと簡単に予測できる。
彼女の兄がゼノヴァリオンエボン。
公爵が兄につけた本当の名がゼノヴァリオン・エボン・オルフェなんだから。
突然、彼女と目があった。
キッと鋭い目を向けてくる。
窓を扇子でバンッと叩き、怒りを露わにしている。
けれど、その怒りは誰に向けられているのか、私にはわからなかった。
「これ、リーディア!」
お父様の声が鋭く響いた。
私は反射的に姿勢を正し、視線を伏せる。
何もしていないのに、私たち家族は深々と頭をさげた。
これが絶対的な階級なのだ……。