第十五話
翌朝、私の部屋の扉は昨日と寸分違わぬ時刻に、控えめな打撃音を三度響かせた。私が返事をするよりも先に音もなく扉が開かれ、セバスチャンがそこに立っていた。完璧なまでに着こなされた執事服には僅かな皺一つ見当たらない。彼は恭しく一礼すると、その能面のような貌を私に向けた。昨夜、私が初めて口にした『願い』に対するかすかな満足の色が、その表情の奥底に、水面に落ちたインクの染みのように微かに広がっているのを私は感じ取った。
「おはようございます、リゼットお嬢様。館のご案内の準備が整いました」
その声は磨き上げられた楽器が奏でる、ただ一つの音のように感情の起伏なく私の耳に届いた。私は黙って頷くと、彼に続いて部屋を出る。どこまでも続くかのように思える白い廊下は、昨日と同じく絶対的な静寂に支配されている。大理石の床は私と彼の姿を水面のように不明瞭に映し出していた。壁に等間隔で取り付けられた燭台の炎は、まるで琥珀に閉じ込められた蝶のように、揺らめくことなくただ静かにそこにあった。この館の全てが、生命の持つ予測不可能な動きを拒絶しているかのようだった。
セバスチャンの案内は淡々として、それでいて完璧だった。壮麗な図書室、美しい弦楽器が並べられた音楽室、そして南国の植物が青々と茂る温室。どの部屋も人の手によって完璧に管理され、塵一つ落ちてはいない。しかしそこには生活の気配というものが決定的に欠落していた。まるで誰も住むことのない、しかし永遠に主の帰りを待ち続ける精巧に作られた舞台装置を見ているかのようだった。私は彼の感情を排した説明に静かに耳を傾けながらも、その視線は部屋の豪奢な調度品ではなく、この空間そのものに満ちる特有の気配を捉えようとしていた。
この館は巨大な標本箱だ。あらゆるものがその最も美しい瞬間を切り取られ、永遠に陳列されている。ヴァレンシュタインの屋敷にあった、常に何者かの視線に晒され評価され続ける息苦しさとは、全く質の異なる空気がここにはあった。ここでは時間は流れていない。ただ重層的に、静かに存在しているだけ。私の望んだ『安息』とは、まさしくこの感覚だったのかもしれない。変化を強いられることのない、完全な静止。だが、セバスチャンは言った。『療養者』たちがいる、と。この静止した世界の中で、彼らは一体どのように存在しているのだろうか。彼らもまたこの館の美しい調度品と同じように、時を止められてしまっているのだろうか。それとも、全く異なる法則の下に生きているのだろうか。
「セバスチャン。他の……療養者の方々は、どちらにいらっしゃるの?」
私の問いに彼は僅かに足を止め、私の方へ向き直った。
「皆様、思い思いの場所で静かにお過ごしでございます。サロンにお集まりの方もいらっしゃいましょう。ご案内いたします」
彼に導かれるまま、私は重厚な木製の扉で仕切られた一つの部屋へと足を踏み入れた。そこは高い天井から柔らかな陽光がたっぷりと降り注ぐ、明るく開放的な空間だった。サロンなのだろう。肌触りの良さそうな布地で覆われたソファや、繊細な彫刻が施された椅子がいくつも置かれ、数人の男女がそれぞれ思い思いの姿勢で静かに時を過ごしていた。窓の外をぼんやりと眺めている婦人。手にした本を開いたまま、その視線は遥か遠くの虚空を彷徨っている青年。そして、ただ目を閉じて椅子の背もたれに深く身を預けている老人。彼らは互いに言葉を交わすでもなく、その存在は、まるで『午後のサロン』と題された一枚の絵画の中に巧みに配置された人物像のようだった。彼らから発せられるのは生きた人間の持つ不規則な熱ではなく、どこか冷たい、整えられた無機質な気配だった。
彼らもまた、この館の静寂を構成する一つの要素なのだ。外界の人間が絶えず撒き散らす、あの予測のつかない感情の揺らぎがここには存在しない。誰もが定められた役割を演じる自動人形のように、静かに完璧に、そこに在る。その光景はヴァレンシュタインの屋敷にいた者たちを想起させたが、本質は全く異なっていた。屋敷の人形たちはその内側に嫉妬や憎悪といった醜く澱んだ感情を隠していた。しかしこの人たちからは、そのような不純な気配は少しも感じられない。もっと純粋な、魂そのものの形でここに存在しているかのようだった。これが『心を病んだ』者たちの姿だというのだろうか。私にはむしろ、外界で『正常』とされる人間たちよりも、ずっと完成された存在のように思えた。
私が彼らを静かに観察していると、不意にサロンの最も隅にある一人掛けのソファに腰掛けている、一人の男の姿が私の注意を引いた。痩せた身体つきに神経質そうな顔立ちをした中年の男。彼は部屋の隅で、まるで自分の存在そのものをこの世界から消し去ろうとするかのように、その身体を小さく縮こまらせていた。その瞳は罠にかかった小動物のように絶え間なく周囲を窺い、僅かな物音にもその肩をびくりとさせている。他の療養者たちが放つ静謐な空気とは明らかに質の異なる、張り詰めた緊張感が彼の周囲だけを支配していた。
あの男だけが、この部屋の完璧な調和を乱している。彼の周りだけ空間が、まるで熱せられた空気のように微かに揺らいで見える。一体何に、あれほど怯えているというのだろう。この館に満ちる絶対的な静寂と安寧を、彼は感じることができないというのか。面白い。彼はまだ『外界』の記憶をその身に纏わりつかせているのだ。この館の住人になりきれていない、未完成な魂。
私の内に、初めて他者に対する明確な興味が芽生えた瞬間だった。
その日の午後、私はアルブレヒト様に呼ばれ、彼の書斎を訪れていた。壁という壁が天井まで届くほどの書物で埋め尽くされたその部屋は、古い革とインクの知的な匂いで満たされていた。アルブレヒト様は窓辺に置かれた大きな机に向かい、何事かを熱心に書き留めていたが、私の入室に気づくと羽根ペンを置き、穏やかに顔を上げた。その貌には昨夜の食堂で見せた、医師が患者を探るような鋭さはなく、芸術家が自らの創造物について語る時のような静かな熱が宿っていた。
「やあリゼット。少し話をしないかと思ってね。……今朝サロンで、他の療養者たちに会ったそうじゃないか。どうだったかね」
彼の声はあくまでも穏やかだったが、その奥には私の感性が何を捉えたのかを確かめようとする、強い関心が感じられた。
「皆様とても静かで……。穏やかに過ごされているように、お見受けいたしました」
私の当たり障りのない答えに、彼は楽しげに目を細めた。
「穏やかか。……そう見えるかね。それは君が、彼らの本質を既に見抜き始めている、ということなのだろうな」
彼は意味深な言葉を残すと椅子から立ち上がり、私を窓辺へと誘った。ガラス窓の向こうには、計算され尽くした幾何学的な美しさを持つ庭園が広がっている。
「私はね、リゼット。医師であると同時に芸術家なのだよ。この館は私のアトリエだ。そして療養者たちは、私が魂を込めて磨き上げる世界で最も希少で、美しい素材なのだ」
「素材、でございますか」
私の問い返しに彼は深く頷いた。
「そうだ。外界というあまりに劣悪な土壌では、その個性のあまりの強さ故に決して輝くことのできなかった、気高い魂たちだ。……例えば今朝、君がサロンで見た隅で怯えていた男。彼はフォン・クラウゼヴィッツ男爵。かつては、その明晰な頭脳と華麗な弁舌で社交界でも名の知れた名士だった」
アルブレヒト様は、先ほど私の心を捉えたあの男について語り始めた。男爵はある日を境に、自らの身体がこの上なく脆い硝子でできていると固く信じ込むようになったのだという。僅かな衝撃、ほんの些細な接触でその身体は粉々に砕け散ってしまう。その絶え間ない恐怖に、彼は常に苛まれているのだと。
身体が、硝子でできている。なんという詩的で、そして痛切な妄想だろうか。外界の医師であればそれを『病』の一言で片付け、矯正すべき対象と見なすに違いない。薬で思考を鈍らせ、面談で現実を無理矢理に叩き込む。魂が持つその繊細で美しい形を、無骨な手で握り潰してしまうかのように。しかし、この館の主は彼を『素材』と呼んだ。彼のその妄想こそが、他の誰でもない彼の魂が持つ本質的な個性なのだと、そう言っているのだ。
ちょうどその時、私たちの眼下の庭園をあの男爵が、おぼつかない、こわごわとした足取りで横切っていくのが見えた。彼は庭師が手入れのために置いたままにしていた小さな熊手に気づくと、まるで燃え盛る炎でも見るかのように数歩後ずさり、慌ててそこから大きく迂回していく。その姿は痛々しく、傍から見れば滑稽でさえあったかもしれない。
「見てごらん。彼はまだ磨かれていない原石の状態だ。自らが内包する類稀なる美しさに気づくことなく、ただ恐怖という名の殻に閉じこもり震えている。だがね、リゼット」
アルブレヒト様は、その光景から目を離さずに続けた。
「彼の魂がもし本当に硝子なのだとしたら、それはなんと美しいことだろう。あらゆる光をその身に受け、それを屈折させ虹色の輝きを放つのだ。この世で最も純粋で透明な存在だということではないかね」
その言葉は、まるで啓示のように私の心に強い光を投げかけた。恐怖を美しさに。欠陥を至高の個性に。それはこの世のあらゆる価値を根底から転換させてしまう、錬金術師の思想だった。彼は男爵を『治療』しようとしているのではない。彼の持つ妄想を、より純粋な、より完璧な芸術へと『昇華』させようとしているのだ。
そうか。そういうことだったのか。この館は療養施設などというありふれた場所ではない。ここはアトリエなのだ。魂を、この世で最も上質な素材として至高の芸術を創造するための。そしてアルブレヒト様は、その工房を司るマエストロ。なんという壮大で、そして倒錯的な試みだろう。私の、ずっと空っぽだった心の器に、初めて熱を持った何かがゆっくりと流れ込んでくるのを感じた。これは書物の中でしか知らなかった、『感動』という感情に違いなかった。
それからの日々、私は館での生活に水が砂に染み込むように、私は適応していった。多くの時間をサロンや図書室で静かに過ごし、他の療養者たちを、そして特にあの硝子の男爵を、注意深く観察し続けることが私の日課となった。
大食堂での食事の風景は、その変化を如実に示していた。当初、男爵はナイフとフォークが磁器の皿に触れる、あの硬質な音を極度に恐れ、ほとんど食事に手をつけられなかった。彼の席の周りだけ、空気が目に見えない薄い膜のようにピリピリと張り詰めていた。しかしアルブレヒト様が毎食、彼の隣に腰を下ろし静かな声で語りかけ続けるうちに、少しずつ変化が訪れたのだ。
「男爵。音というものは波です。空気の震えです。それはあなたの身体を砕くための衝撃ではない。ただあなたのそばを、優雅に通り抜けていくだけなのですよ。あなたのその美しい硝子の身体は、まるで最上の楽器のようにその震えを、心地よい響きに変えることさえできるのです」
その言葉はまるで呪文のように、男爵の心に染み渡っているようだった。その言葉によって、やがて彼はおずおずとフォークを手に取るようになった。そして、それが皿に触れる微かな音に恐怖ではなく好奇心をもって耳を澄ませるようになった。その貌から常に浮かんでいた恐怖の色が、日に日に薄れていくのを私は見逃さなかった。
ある晴れた日の午後、庭園を散策していた私は少し離れた芝生の上で、アルブレヒト様と男爵が二人で歩いているのを見かけた。男爵の足取りはまだ、生まれたての小鹿のように頼りない。彼は地面に転がる小石や風に揺れる木の枝の一つ一つに、怯えた視線を投げかけている。アルブレヒト様はそんな彼の腕を優しく支えながら語りかけていた。
「恐れることはありません。あなたの身体はあなたが思うほど脆くはないのです。むしろ鋼よりも、しなやかさを持っている。本当に良質な硝子というものは、驚くほどの弾力性を持ち簡単には砕けないものですよ。さあ、光を見てごらんなさい。あなたの足元で陽光を反射して輝いている。あれは地面が、あなたのその類稀なる美しさに敬意を表して、光を捧げているのですよ」
男爵はアルブレヒトに促されるようにゆっくりと自分の足元に視線を落とした。そしてその表情に、ほんのわずかな驚きとも感嘆ともつかない、初めて見る色が浮かんだのを私は確かに見た。
彼は魂を彫琢しているのだ。熟練の彫刻家のように、巧みな言葉という鑿で男爵の世界観そのものを、内側から丁寧にあるべき形へと彫り出している。恐怖の対象であったものを一つ、また一つと美の対象へと転換させていく。なんと根気のいる、そしてなんと繊細な作業だろうか。これは医師が行う『治療』などという無粋で画一的なものではない。これは魂の彫琢だ。不格好な魂を一本一本丹念に削り出し、美しい芸術へと導いていく神聖な創造行為。そして私は、その一部始終を特等席で鑑賞する栄誉を与えられた、唯一の観客なのだ。
ある雨の日の午後。私は温室でセバスチャンが様々な植物の手入れをしているのを、静かに眺めていた。ガラスでできた天井を無数の雨粒が叩く音が、温室内を幻想的な響きで満たしている。珍しい種類の花々が湿った空気の中で、その色彩を一層深く鮮やかにしていた。
私は黙々と蘭の葉を磨く彼の背中に、静かに問いかけた。私の問いはもはや単なる好奇心から発せられたものではなかった。この館が奉じる『芸術』の真髄をより深く理解したいという、求道者の問いだった。
「セバスチャン。男爵様は近頃、少しずつ変わってきているように見えますわ」
彼はその手を止めることなく、完璧な所作で蘭の葉を一枚一枚丁寧に拭きながら、抑揚のない声で答えた。
「お気づきでございますか、お嬢様。旦那様という芸術家の手によって、原石がようやくその輝きを現し始めたのでございます」
「殻……」
「恐怖、という名の殻でございます。魂というものは実に繊細にできております。外界の無遠慮な視線や粗雑な言葉に晒され続けると、その柔らかな核を守るために自ら硬い殻を作り出し、その中に閉じこもってしまう。男爵様の『硝子の身体』という妄想も、元をただせばその比類なく繊細な魂を、この無慈悲な世界から守るための最後の防衛手段だったのでございましょう」
「ではアルブレヒト様は、その殻を……」
「取り除いておられるのではありません。旦那様は、その殻ごと肯定しておられるのです。『あなたの殻は醜いものではない。それは内部の宝石を守る、美しい器なのだ』と。その絶対的な肯定によって魂は初めて安心し、自らの意志で内側からその殻を押し開くのでございます。……やがて、完璧な宝石となるために」
セバスチャンの言葉は私の内で、これまで観察してきた断片的な事象の数々を一つの完璧な理論へと見事に統合させた。恐怖、妄想、狂気。それらは全て魂が自らの純粋さを守るための、気高くそして自然な反応なのだ。そしてこの館の真の役割は、その傷ついた魂が誰にも脅かされることなく、安心してその本来の姿を『開花』させるための聖域を提供することなのだ。
そうだ。全ては繋がっていた。私がこの館に来てから感じていた、あの絶対的な安寧。療養者たちの、あの自動人形のような静けさ。そしてアルブレヒト様の、芸術家としての振る舞い。全ては魂を『開花』させるという、ただ一つの至高の目的のために完璧に設計されていたのだ。ああ、なんという完璧な世界。ヴァレンシュタインの屋敷で私が感じ続けていた、あの息苦しさの正体はこれだったのだ。あの場所では私の魂もまた、生き延びるために硬い殻に閉じこもることを強いられていたのだ。感情のない、自動人形という冷たい殻に。
ならば私も、いつかこの場所で、その殻を破ることができるのだろうか。
季節という概念が存在しないこの館で、どれほどの時が流れたのか私にはもう分からなかった。ただ、男爵の着実な変化だけが目に見えない時間の経過を静かに物語っていた。
その日、サロンには珍しくほとんどの療養者たちが集まっていた。彼らはいつもと同じように言葉を交わすわけではない。ただ何かを待つかのように、部屋の中央に静かで期待に満ちた視線を向けていた。部屋の中央。大きな窓の前に、フォン・クラウゼヴィッツ男爵がただ一人で立っていた。
かつて部屋の隅で音を立てることもできずに震えていた彼の面影は、もうどこにもなかった。彼は背筋を一本の剣のようにまっすぐに伸ばし、その姿は自信に満ち溢れているようにさえ見えた。彼の周りを支配していたあの張り詰めた緊張感は完全に消え失せ、代わりに神聖ささえ感じさせる清澄なオーラがその身から立ち上っていた。窓から差し込む午後の柔らかな光が、まるで彼一人のために用意された舞台照明のようにその身体に降り注いでいる。
時が来たのだ。
ここにいる誰もが、それを肌で感じ取っていた。
一つの魂が、その最終的な変容を遂げるその瞬間を。芸術家が丹精込めて磨き上げた魂が今、まさにその最も美しい輝きを放とうとしている。
男爵はゆっくりと自らの右手を陽光の中へと差し出した。その指はもはや微塵も震えてはいなかった。彼は恍惚とした表情で、光を浴びる自分の手を見つめている。その指先が、まるで本当に光を透過しているかのように、きらきらと虹色に輝いて見えた。
やがて彼は囁くように、しかしサロンの隅々にまで明瞭に響き渡る声で言った。
「……見てください」
サロンにいる全員の視線が、彼の一点に音もなく集中する。
「ああ……。私の身体はこんなにも光り輝いている……。砕けることなどあり得ない。私は脆い硝子などではなかった。私は、光そのものなのだから。……なんと、美しいのだろう……」
その言葉と共に彼の表情は至福の輝きに満たされた。それはもはや人間が浮かべることのできる表情ではなかった。苦痛に満ちた狂気が長い時間をかけて丁寧に濾過され、その純粋な核だけが神聖な輝きとして昇華した究極の芸術作品。他の療養者たちはその姿を恐怖の目で見つめてはいなかった。むしろその表情には一種の畏敬の念さえ浮かんでいた。自分たちもまた、いずれ到達するであろう至高の境地をそこに見ていたのだ。
美しい。
ああ、なんという絶対的な美しさだろう。
苦悩が、絶望が、恐怖が、その全てがこの瞬間の輝きを生み出すための礎だったのだ。
魂が全ての枷から解き放たれ、その本質だけを剥き出しにして世界に存在している。外界の人間たちは、この姿をなんと見るだろう。哀れな狂人と蔑み、憐れむだろうか。なんと愚かで、見る目のないことか。彼らに、この荘厳な美しさが理解できるはずもない。
そうだ、私が求めていたものはこれだったのだ。魂が解放される瞬間、その絶対的な美。これこそが、この世における唯一の『救済』なのだ。
これまで私の内でゆっくりと育まれてきた知的好奇心と美的感動は、この瞬間、揺るぎない『信仰』へと昇華された。
私はもはや、単なる観察者ではない。
男爵の身体から放たれる神聖な光を見つめ、その静かで深い輝きを心から信奉する、敬虔な信徒となっていたのだ。




