過去、そして出会い編
これは、私が出会った男の子との話。
私の人生を変えてくれた、とても大切な人とのずっと忘れない、大切な恋物語。
小学3年生の時、転校してきた女の子はすぐに周りと打ち解けて、私へ狙いを定めた。
空手をやっていた女の子は、暴力と言葉の2方向で私をいじめてきた。遅くまで学校に残されたり、早めに帰ろうとすれば殴られたり、他の子に私を無視するように言ったり、色んなことをされてきた。
だけど、元々男子と仲が良かった私を心配する男子を見てはまた、私をいじめる。
ずっとそんなことを受けて小学5年生。
また別の女の子からいじめられるようになって、私は2人からのいじめを受けて毎日を過ごした。
先生たちは話を聞いてくれたし、手を尽くしてくれた。
だけど、そんなことで解決するなら最初からいじめなんてものは存在しないのだ。
だから私は、先生たちにずっと「私が悪いんです。だから大丈夫です」と伝え続けた。
中学に上がり、クラスは離れたものの、隣のクラスになった女の子は私をいじめることやめなかった。
そして、とうとう私は女子更衣室で言われたんだ。
「まだ生きてたんだ。早く死ねばいいのに」
そんなことを言われ、私はそのまま荷物を抱えてその場から逃げた。
上履きのまま下駄箱を通り過ぎて、外に出たら職員室にいた先生に引き止められた。
その時、どんな顔をしていたのか自分でもわからなかった。だけど、頭の中をその言葉だけがぐるぐると回り続けて、私の頭をガツンと何かで殴ったような衝撃だけが残り、先生の声も周りの声も全部、何も聞こえていなかった。
そして私は、それから学校へ行く足が止まってしまった。
私が行けば迷惑をかける、行ってはいけないんだと理解した。
それからずっと、どうやったら死ねるのか。だけを考え続けて、リストカットをしたり色んなことを実践していた。
だけど、死ねるわけもなく、そんな勇気もなく、生き続けていく毎日に疲れを感じていた。
当時、小学6年生から受けていたカウンセリングの先生から心療内科のある大きな病院を紹介してもらい、通っていた。
色んな検査をして、いろんな話を聞かれて、私はもう疲れ切っていたのかもしれない。
それから3年間、私は学校へ行くこともないまま卒業。
中学3年生の時、担任の先生は若かった。どうせこの先生も皆と同じように、学校に行けと毎日言いに来るんだろうなと思っていたから、学校へ行こうとは思っていなかった。
だけど、その先生は私と話をしてくれて、私の心の中にゆっくりと入りこんできた。
その背院生はただ、私が少しの時間でも学校に来てくれることが嬉しいと、私がいる時間だけ、私と校内探索したり、遊んだりしてくれていた。
だけど私は、その当時でさえ自殺をやめようとは思えなかった。
3年生の時の先生は、私に私立高校への受験を勧めてくれた。
学校へ行けなくなった人たちを集めた、全日制の高校だった。月1回の校外研修、1年に1度の宿泊研修、その他にもいろんな行事を開催し、社会に少しでもなれるための時間をたくさん設けている学校だった。
受験とは名ばかりで、筆記試験に関してはほとんどの人が解けるはずもないものばかり。
だからメインは、親と子供、教員2名で行う4者面談をして決めていたようだった。
合否通知は、各中学担任への電話で行われ、私は無事に合格したと、連絡をもらった。
高校入学後も、最初から行けるわけなく、ほとんど休みがちだった。
教員は男女2名で全5クラス。組が増えるごとに人数は減り、少人数制をとっていた。
先生たちは私が来てもても困らないように、色んな手を尽くしてサポートをしてくれていた。
だから少しずつ行けるようになったと思っていたのも束の間だった。
2年生に上がり、ほとんどの行事のリーダーや企画を任されていたが故に、責任もあったために休むことをしていなかった。
だけど、2年生の4月に付き合い始めた人と数ヶ月で交際に幕を閉じ、私は進級をを果たした後に、また学校へ行かなくなっていた。
原因は、2年生の時に交際していた元彼がすぐに他のこと付き合いだして、私の悪口を周りに言いふらすようになった。未練があるとか、ヨリを戻したがっているとか、あることないことを噂されて、私は疲れ切って、面倒くさくなった。
3年生になった5月。
私の通う高校では、修学旅行の時期を迎えていた。
当時、行く気などさらさらなかった私。でも、親や先生、校長先生の懸命な説得の上に、行くことを決意した。
だけど私はこの時、修学旅行へ行ったことを後悔するとは思っていなかった。
ほとんどの行き先はバスで一人で過ごし、たまに外に出るくらい。クラスごとボートに乗るときは、他のクラスは海辺で遊んでいてよかった。だから私は一人で波打ち際で遊んでいた。広く青い海を見て、私はどこか心が晴れるような、そんな気がした。自分が今抱える悩みはちっぽけで、この広い海の先にはきっとどんな道でも広がっているんだと、青くさいことを考えていた。
それからホテルでの部屋割りは3人1部屋。
だけど、1人欠席で2人部屋になった私。同じ部屋の子は、1年の時から仲がいい、お互いあまり学校へ行かなかった。
その子に、SNSの配信サービスを教えてもらって夜に配信して遊んだりしていた。
3泊4日の修学旅行も終わり、私はまた学校へ行かなくなった。
その時、SNSの配信はしていないものの、他の人の配信を聞いたりしていた。特にコメントするわけでもなく、ただ聞いているだけの日々。
そしてある日、とある年上男性の配信を見つけてコメントをしながら聞いていた日のことだった。
その配信者と同じ出身で、SNS経由で仲良くなったという、私より2つも下の男の子と出会った。
それからほとんどは、2つ下の男の子の配信を聞いては、コメントを送ったりして仲良くなった。
そして、SNSのDMなどで電話番号やLINEを交換したりした。
電話したり、連絡したり、最初は全然他愛もない話ばかりしていた。だけど、彼は次第に気づいていたみたいだった。
「なんかあったの?」
「え?なんもないよ」
「だって、学校行ってないんだろ?」
「まぁ…」
「なんかなきゃ、そんなに落ち込まないじゃん」
「よく、わかるね」
「まぁ、付き合いは短いけど声でわかるよ」
「会ったことないくせに」
「会ったことないから余計に、かもな」
「年下のくせに生意気」
「嫌いじゃないくせに」
「ん…っ。それを言われたら…」
「ほら、お兄さんに教えてごらんなさいよ」
「ふふっ、お兄さんって」
「俺の前で笑えるんだから、大丈夫だよ」
「……ありがと」
会ったこともない、写真でしかお互いの姿を見たことない私たち。
電話というものは、心強かった。声だけで、どれほどの気持ちが伝わっているか分からない。
ただ一つ、いつだってタイミングよく電話がかかってきて見抜いてしまう。
そんな優しさが、いまだ彼に残っているから。私は、彼への好きという気持ちを自覚させられるんだ。
好きな気持ちと、忘れられない気持ち、全部なくそうと思っていた気持ちはまた、元に戻ろうとする。
いつの間にか、好きになっていたんだ。
私の過去の話を聞いて、泣いていいんだよって言ってくれた。
大切なあなたが教えてくれた、生きる意味と死ぬことの辛さ。
そして彼は言ったんだ。
「なら、俺のために生きてよ」
「え?」
「死にたいって思う気持ち、自殺しようとすることを考えるんじゃなくて、俺のことを考えればきっと死にたくなくなるよ」
「なに、それ…」
「だからもう、リスカ禁止。やったらお仕置きだからな」
「でも、もう跡だって残って…」
「これからしなきゃいい話だろ。跡が残ってたって俺はいいよ」
「なにそれ…」
「付いたたものを消すのは難しい。だから、残したままでいいんだよ。
次に持ち越さないで、そのまま残しておくだけ。それでいいんだよ」
「なんか、矛盾してる…」
「なぁ、俺がきっとそんなことしたくなくなるくらい時間をあげる。だから、やめろよ」
「……うん…」
矛盾している気もしながら、彼の言葉になんやかんや説得させられて、私はそれから自殺行為自体をやめるようになった。
それから、連絡や電話をしたりといつも通りの日常を過ごした。
それから、少しずつ連絡がつかなくなるようになった。
SNSだけが唯一の繋がりで、時折いいねをしたりしては連絡が来たりして繋がりを確かめていた。
そして私が専門学校へ入学し、1ヶ月が経った頃。
私は、高校の同級生と彼の住む隣の件まで遊びに行くことになった。