魔法少女じゃなくて悪かったな
久しぶりにまた変なものを書きました。
アパートの一室に帰った私は、室内灯すら点けずに、そのままベッドの上に倒れ込んだ。少し硬めのマットレスが優しく受け止めてくれる訳もない。「ぐえっ」と可愛げ皆無な声が自分の喉から漏れ出た。
倒れて浴びた衝撃の後に心身の弛緩が訪れる。やばい、眠い。睡魔に誘われるままに意識を手放そうとしている。
ダメだ。化粧を落とさないまま寝落ちしたら、翌朝の顔面が大変なことになる。スーツも皺になる。それに、つい先刻まではシャワーを浴びたいと考えていたはずだ。
頑張れ。起きたらえらいぞ。頑張れ私、頑張れ……!
なんて。
分針が数周するくらいの時間をかけて起き上がり、どうにか洗面所に足を運んだ。
化粧を落として鏡を見る。
昔は美少女とか持て囃されたこともあったけれど、目の前に映るのはただのくたびれた二十代女性だった。
こんなはずじゃなかった。
とは思わない。
自分で選んだことと自分ではどうにもならないことが積み重なって、世の大多数の人々と同じように、私は社会人になった。
己の衣食住を賄える自分を卑下してはいない。ただ、
「今日も疲れた……」
労働と睡眠を延々と繰り返すループに陥るとは思っていなかった。一ヶ月や半年、一年までも過ぎ去るのが早く感じる。このまま年老いていくのだと考えるとゾッとしないでもない。
過去を眩しく思ってしまう身勝手さも。
時間が不可逆的なものであることも。
わかってはいても、つい甘えたくなってしまう。
「“あの頃”は輝いてたのにな……」
『すみれちゃん、久しぶりニャワン!』
突然。何の前触れもなく。
甲高い声と共に奇怪なシルエットが、私の目の前に現れた。
コイツについて触れる前に、私の過去のことを説明しなければならない。
私はかつて魔法少女だった。
この世界の裏側にある“魔界”から、悪の勢力がこちらの世界を侵略しにやって来た。それを阻止すべく、“天界”から駆けつけたのが、ニャワンだった。
犬だか猫だかよくわからんマスコットは、この世界では自分の力を発揮することができず、現地で波長の合う少女に力を貸し与えることで、“魔界”の勢力に対抗することにした。
その少女が、この私、光野すみれだった。
当時十二歳の私は、ニャワンの力を借りて“キラリンヴァイオレット”に変身、“魔界”が放つ異形のモンスターたちを撃退し、世界の平和を守ったのだった。
……嘘のようだけど、本当にあった話だ。
“魔界”とか“天界”とか言ってるけど、『幽☆遊☆白書』は関係ない。
とまれかくまれ、ニャワンとは一年の間相棒としてともに過ごしたけれど、役目を果たして自分の世界に帰るというので、涙ながらに見送ったのだった。
なんて、だいぶ風変わりな思い出を持つ私なのだが、特異な一年間で培われた自尊心が、その後の学生時代でいかに打ち砕かれていったかは振り返りたくない。記憶に新しいがどうにかして忘れたい。暗黒の青春だった。
私の過去の話は終わり。
肝心なのは、今目の前にいるコイツのことだ。
「えっと、あの、なんでここにいるの?」
『すみれちゃんに会いに来たニャワン!』
「旧交を温めに来た的な? 同窓会みたいな?」
『そんなどうでもいい用事で来るわけないよ』
「今どうでもいいって言ったかお前!?」
かなり驚きながらも、こちらは旧友に再び会えた懐かしさを感じ始めていたのに。
『そんなことないニャ。ボクもすみれちゃんに久しぶりに会えて嬉しいワン』
「取り繕ったように言われてもな……」
『最終回以来だもんね!』
「最終回ってなんだ!?」
『もっと人気が出てシリーズ化していたら、劇場版や第二シリーズで再登場できたかもしれなかったんだけどね!』
「なに言ってるかわからないけど、だいぶ世知辛いことはわかる」
グッズが当時売れなさすぎて逆に今プレミア化しただの何だの、昔話に花を咲かせるどころかゲスい本性を露わにし始めたニャワンの話をどうにか誘導して、本題を引き出させた。なぜ、役目をとうの昔に終えた私に会いに来たのか。
“魔界”の勢力の追放に成功したはずの、この私に。
「まさか、“魔界”の連中がまたこっちの世界に侵攻しに来るとか言わないでしょうね?」
『なんだ、わかっているなら話が早いワン! これから奴らのところへ行くレッツゴーニャ!』
「待って待って! 理解も納得もできてないから待って!」
誠に遺憾ながら異を唱えた私の意見は通らず、十年以上ぶりに私はニャワンの力によって変身させられてしまった。
が、流石に昔のようにポップなカラーリングにたっぷりのフリルのドレスではなく、派手な装飾のない夜の闇に紛れやすそうなシックなフリルシャツにパンツの出で立ちだった。ぶかぶかの帽子はそのままの形で小さな髪飾りに変わっている。姿見で確認したら意外と似合っていて、文句が言いづらくなってしまった。痛々しいコスプレになっていないのはありがたいけれど、しかし、これは魔法少女というよりも魔女なんじゃないか。
『だって、すみれちゃんはもう少女じゃないニャワン』
「魔法少女じゃなくて悪かったな」
『それに派手な装飾は他の魔法少女候補たちにリソース割き過ぎて、予算が用意できなかったニャワン』
「正直に話せば何でも許されると思うなよ」
世知辛いな。現代の理に縛られない異世界から来ているはずなのに。
『大好きなすみれちゃんに嘘はつけないニャワン』
「その発言こそ嘘じゃないよね?」
『嘘も方便ニャワン』
「嘘で方便なんじゃん!」
嫌々ながらも私は周囲を見回して人目がないのを確認してから、窓から飛び出して空中をヒールで駆け始めた。久しぶりながらも身体が感覚を忘れていなかった。見えない塊を足裏で掴みながら押し込むようにして前に進む、この感覚を。
期間が空いても自転車の乗り方を忘れない、みたいなことだろうか。
『ごめんニャ。ツッコミはすみれちゃんの仕事だと思っていたけど、言わずには居られないワン。すみれちゃん、適応力高すぎニャワン?』
「え、そう? 昔取った杵柄ってやつかな」
『空を飛ぶのが怖くて脱落した女の子たちも少なくないニャワン』
「へー。今時の子たちは軟弱なんだね」
『……少女にこだわらず、最初からすみれちゃんにお願いすれば良かったニャワン』
「そもそもどうして、少女にこだわろうとしていたの? あえて魔法少女にこだわるの?」
『実際的な理由と商業的な理由の、どちらから聞きたいニャワン?』
「商業的な理由ってなに? えーと、私はどちらでも良いから、話しやすい方からどうぞ」
『実際的な理由は、大人よりも子どもの方が危機感や警戒心が未熟で騙しやすいのが、都合が良いニャ。魔法少女そのものに憧れていてくれているのも、つまり変身願望を持っていてくれているのも利用しやすいニャ』
「悪役みたいなことを言い出したな」
『商業的な理由は、端的に言えば、幅広い視聴者層からの人気取りだね。低年齢層から、いわゆる“大きいお友達”まで取り込みやすいんだよ。自己投影から萌えまで、その対象としやすいのが少女なのだ』
「生臭いし、そもそも誰の話をしているの? 視聴者って誰よ?」
なのだって、キャラ崩れてんぞ。わざとらしい語尾はやはりわざとだったのか。
『話を戻すニャワン。以上の点から、魔法少女を求めていたんだけど、近年の状況を踏まえると、すみれちゃんみたいな年増にもメリットがあるんだよ』
「お前今なんつった? 年増? 私のことを年増と言ったか?」
『求人する上で、伸びしろのある新人は当然欲しいんだけど、即戦力になる人材もまた、弊社は求めているのニャワン』
「企業の中途採用みたいに言うな。そして、私に年増と言ったことを謝れ」
『この度は不適切な発言がありましたことを深くお詫び申し上げます第三者委員会を設置し原因究明と再発防止に努めスポンサーの皆様視聴者の皆様社員の皆様からの信頼を回復すべく今後も誠心誠意魔法少女の勧誘と補助の活動に邁進して参ります』
「謝罪会見的な謝罪になってる。言葉を尽くすあまり、返って誠意が感じられない」
『ともかく、すみれちゃんみたいな戦闘凶は即戦力になるし、“萌え”はされなくても“推し”の対象にはなれるのニャワン』
「言いたいことはわかったけど、噛みつかざるを得ない失言を挟むのはもうやめて。話が進まないから」
てな具合に、言い合いながら夜の街を駆けていると、目の前に同じく夜空に浮かぶ奇怪な集団が現れた。
地球上に本来生息するような動物たちとは異なる姿形に、明らかに敵対的な姿勢、というかもう平たく言ってしまえば、魔物たちだった。
個々の存在はあまり覚えていないが、昔もこんな連中と戦ったような気がする。ただ、全体的に身体のあちこちにガラスの板のようなものを着けているのが謎だけど。あれは……鏡だろうか。
私が逃げも隠れもせずカチコミするが如く現れたせいか、魔物たちも少なからず動揺したようだ。
だが、集団の奥の方から威勢の良い声が聞こえてきた。
『クックックックック! 来たな、魔法少女……! 我等魔族は今ここに復活を遂げた! かつての雪辱を今こそ果た……アレ?』
そいつもまた鏡のようなものに覆われた装備をしていたが、何よりウサギみたいに長い耳が立っているのが特徴的だった。
魔物の偉いやつらしい。セリフの最後で困惑を漏らしたせいで、威厳に今ひとつ欠けるがーー今さらだけど、ニャワンにしてもこの魔物にしても、この世界の住人じゃないのに日本語が通じるのって便利だよね。
『えーと、その、どちら様でしょうか?』
魔物の偉いやつがへりくだって訊いてきたので、
「わたくし、元“キラリンヴァイオレット”を務めておりました、光野すみれと申します」
こちらも思わず慇懃に名乗ってしまったが、匿名希望で通した方が良かったかな。
しかし、私の名前を聞いても向こうはピンと来なかったらしい。
『ここに居るのはお前たちを倒したすみれちゃん! ……の大人になった姿ニャワン!』
ニャワンが気まずくなりかけた場を繋ぐようにそう言うと、ようやく合点が入ったらしい。
『え、あー、はいはい。再雇用のかたですか?』
「再雇用って何だ? 人を定年退職後の再雇用の人みたいに言うな」
時代が時代ならビームを撃ってたぞ、私。
『しかし、我等がこの世界に来れば貴様が再び邪魔しに来ると思ったぞ!』
「えっと、ちょっと待ってちょっと待って」
などと。向こうもなんだか怒気を孕んだ様子で言うので、私もこの際気になったことを訊きたくなった。挙手をしつつ、
「私の方からも訊きたいんですけど、あなたは私と面識あったでしょうか? 失礼ですがちょっと存じ上げないんですけど」
正直な胸の内を打ち明けると、
『なっ、我を識らぬだと……! 本当に失礼な奴め! このディオール様のことを忘れるなど、どこまで愚弄するか、元魔法少女!』
「元呼ばわりも十分失礼だけど、でも、ごめんなさい。会ったことあったんだ! ディオール、さん? え、ごめんマジで覚えてない」
『すみれちゃん、キミは確かにディオールと会ったことがあるニャワン! ほら見て、これを』
側にいるニャワンが、どこからか取り出したポータブルDVDプレーヤーの画面を見せてくれた。
そこには、魔法少女時代の私が魔物と戦う映像が流れていた。何これ。記録映像的な何かか。
というよりも、まるで私の活躍がアニメとして放映されてDVD化して記録として残っているみたいじゃないか。
『当時の売れ行きもその後の反響も少なくて、BDとしてのデジタルリマスター化はされなかったんニャけどね』
「やかましい。そうじゃなくて、こんなものを見せて何のつもりなの?」
『見るニャ。第38話の戦闘シーンの魔物の軍勢の左端ワン』
第38話が何のことかわからなかったが、画面の言われた通りの場所を見てみると、確かに同じ顔立ちの魔物が居た。その長い耳のシルエットは確かに特徴的かもしれないが、黒地で簡素なデザインの制服がみんな同じだし、残念ながらモブの域を出ていない。無理だって。覚えてないって、こんなの。
鏡装備の今のディオールは両腕をブンブンと振りながら、
『どれだけっ……どれだけ大変だったと思うのだ! 当時、貴様と相対して生き延びた管理職が、下位とは言え我しか居なかったせいで、敗戦処理と組織の再建を一手に担わされたのだぞ!』
「うわー、大変だったんだね」
『そんな気のない一言で済まされて溜まるか!』
そんなマジなツッコミを入れられても、魔法少女時代の私は、シンプルな勧善懲悪の意思の下、ビームを撃ち込んでいただけだったのだ。義務教育すら終えていなかった少女に、責任を求めないでいただきたい。
『すみれちゃん、キミはビームしか攻撃手段がなかったせいで、発売されるグッズのバリエーションが少なくて、視聴者よりも前にスポンサーの玩具メーカーから見放されたニャ。そのビームが最初から最後まで強かったせいで強化アイテムすらもなかったワン』
ニャワンは一体どの角度からツッコミを入れてるんだ。
『これまで同じ枠で放送されていた魔法少女シリーズからスタッフを一新してノウハウのない門外漢をプロデューサーに据えて魔法少女界に新しい風を吹かせようとしたら大逆風を喰らってしまった失敗は悔やんでも悔やみ切れないもっと一線を画した戦闘スタイルを提案しデザインできるスタッフを制作に加えて当時男児向けのヒーローにも取り入れられ始めていたカードをキャラクターのアイテムに取り入れることで収集欲を掻き立てグッズ収入でスポンサー共々Win-Winになれる未来もあったかもしれないのに……』
『黙れ黙れ黙れぃっ!』
ニャワンの長い愚痴を遮ったのはディオールだけれど、彼と意を同じくする者は少なくないだろう。私も含めて。
『貴様のビームで壊滅させられた我等だが、此度は違うぞ! 我等全員、ビームを反射する鏡を装備しているのだ。ビームを放とうものなら、貴様自身や市街地に跳ね返るぞ。さあ、どうする?』
「どうするって言われても……」
今の私はビームを撃てないんだよな。ここまで駆けつけたは良いものの、攻撃手段がない。どうしたものかと自分の手元を見つめると、改めて自身の手につけられた手袋が気になった。黒を基調とした手袋だが、昔のように可愛らしいフリルはなく、その代わりに指から手の甲にかけての部分が厚めになった造りになっている。
これは手袋と言うよりも……グローブ?
『者ども、かかれっ! 魔法少女への復讐を果たした後、この世界を我等のものとするのだ!』
ディオールの指示のもと、私に向かって飛びかかってくる魔物たち。その動きはとても素早いはずなのに、ふと意識を集中させると、彼らの動きがスローモーションのように見える。
時間でも止まったみたいに隙が見える。
無意識に握りこぶしを作る私の両手。
やるべきことはただ一つ。
「オラァーッ!」
頭部や腹部、それぞれの急所に私は拳を叩き込んだ。鏡の装備はいともたやすく砕け散り、その下の肉体に触れた瞬間、魔物たちは黒い煙と化して消滅した。
『え?』
誰が上げた困惑の声か。私は構わず、空中を蹴って前進する。道中に居る魔物たちに拳を振り抜き、あるいは足場代わりに踏み砕き、前に進む。
呆気にとられたらしいディオールの元へも簡単にたどり着き、私はここでも拳を前に振り抜く。
『ば、馬鹿な……! 話が違う! ビームは⁉︎』
「オラァーッ!」
『ぐはっ‼︎ ちょ、貴様っ、ひたすら殴るって、それが魔法少女のやることか⁉︎』
ダメージは与えているが、まだ話せる余裕があるらしい。
「生憎、私はもう魔法少女じゃあないんでね!」
一発が駄目ならもう一発。もう一発で足りないならさらにもう一発。
右で足りないなら左で。左で足りないなら右で。
コイツを倒せるまで、私は殴るのをやめないっ!
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラ……オラァーーッ!!!!」
『ぬわあぁぁぁぁああああ!!!!』
全身を殴り砕かれ、断末魔を上げながらディオールは消滅していった。
ビームはないけれどーーもう私は魔法少女ではないけれど、何はともあれ、滅ぶべき悪を討ち倒したのだった。
私は呼吸を整えてから、
「オラオラのラッシュって、こんな感じなのね♪」
ニャワンに冗談めかしてそう言うと、彼は何故か引き攣った笑顔でこう呟いた。
『東◯アニメーション、バ◯ダイに、集◯社……。菓子折りをいくつ用意しても足りないニャワン……』