07.黄昏か、煉獄か。
夜。時計の針がちょうど十二時を回ったころ。外は真っ暗で、月が一人ぼっちだった。
なんとなく眠れない私は一人、本を読むことにした。
***
──『英雄たちの物語』
昼間手に入れた、あの本だ。
第一章は、《ラファエル》による混乱の時代、《ラファエル》に感染して亡くなった妻のために研究に没頭した男の物語。
「永遠なんて、いらない。ただひと時の、穏やかな悠久が欲しかった」
そう語って見せた男の名は、リライク。愛妻家として有名な学者だった。
悪いことなどしたことがない。誰かにやさしく接することを大切にして生きてきた男。もちろん犯罪に縁などないし、真面目に生きてきた。なのに、なぜ妻が死ぬのか。そう嘆いた男は、このウイルスを滅ぼすために生き続けた。
感染すれば最後、夢を見ることに気が付いた。幸せな夢を。
妻はどんな夢を見たのだろうか。それさえ、もう知ることはできない。
命日には必ず墓参りをした。
二人で暮らしていて、子供はいなかったから本当に孤独だった。
同盟のトップとなった女性モニカ・レファレンスと二人で夜も研究をした。
やがて、二人は学者の鏡と言われた。解決法が見つからずとも、諦めずに壁に立ち向かうその背中に人々は勇気をもらった。本当は、リライクは妻のいない今、一人きりでいる孤独に耐えられずに寂しさを研究でごまかしただけだった。
しかし努力は、必ず実るものじゃない。
結局は、それが現実だった。
やがてリライク自身も感染し、亡くなってしまう。
最期を見届けたのはモニカ・レファレンスだった。
研究ばかりしては体調を崩すから仮眠をとるように言った彼女は、リライクのために布団を取りに行く。そうして戻ってくると、彼はもう夢の中だった。布団をかけるためにソファへ寄ると、夢の中から男は言った。
研究を、頼む。どうか、君だけでも生き残れ、と。
頷いて、その部屋から立ち去る瞬間、もう一つ。
マリー、愛している、と。
妻に向けた言葉だった。いい夢を見ているのだろうと思い彼女は静かに部屋を去った。
その後、ずいぶんと長い間眠っていると思い部下と二人で夕食だと伝えに部屋へ戻ると、リライクは幸せそうな顔で死んでいた。
***
──最期に、妻に会えたのだろう。
何だか、不思議と知っているような気がする物語だった。
一章を読み終えた私はふと窓の向こうを見る。月が太陽の光を受けて地上をまぶしく照らしている。その近くには、きっとはるか昔に打ち上げられた人工衛星があるはずだ。文明が崩壊し地球からの指示を受けられなくなった衛星は、今ではぼろくなって動かぬ星として君臨している。
いつかあの偽物の星も、壊れるのだろうか。
宇宙のゴミとなってしまうのだろうか。
いつかの誰かが、人生をかけて生み出した星は。
「考えても、意味はない、か…………」
そうつぶやいた私は、本に視線を戻した。
***
第二章は、悲しい殺人鬼と狂った英雄の話。
貧乏な生活の中で弟と二人で生きていた少年レイは、ある日パンを買って帰ると弟が男たちに連れ去られようとしているところに遭遇する。人買いだ。
パンを落としたことすら気にせず走り出したレイは、男たちに抵抗する。しかし、たった一人の少年と病弱な弟が、屈強な男たちに勝てるわけがなかった。突き飛ばされるレイ。男たちはついでだからとレイも連れて行こうとする。
このままでは、弟と離れ離れになってしまう。
人買いに連れていかれればどうなるかなんてわかっている。ろくでもない奴らの奴隷になるか、死体になるか。手段なんて、選んでいられなかった。
レイは走り出して一人の男に思いっきりタックルをする。男は躓いた表紙に近くの家に頭をぶつけ、首の骨がイかれて死亡。怯えたほかの男はレイに向かってナイフを突きつけるが、レイは男の手を思いっきり噛むとナイフを奪い、威嚇する。そうして男たちは逃げていくが、警察が来て捕まってしまう。
弟は近くの孤児院へ引き取られ、レイは刑務所へ。判決はもちろん死刑だった。そのころ隣国と大きな戦争が起きる。死刑囚は戦争へ行かなくてはならない。
レイは、考える。戦争が続けば、弟のような子供たちが増える。みんな、死んでしまう。ならば、自分が戦って終わらせる、と。
同時期、もう一人英雄が生まれた。
けれど、そいつは人殺しだった。
いや、まだ誰も殺していない。戦争がいいことだとも思っていない。
ただ、何かを殺す瞬間、快感を覚える。人が死ぬのを見ると、快感を覚える。
それがいけないことだと分かっていたその男、ヒュウはずっと本当の自分を隠して生きてきた。けれども戦争という絶好の機会がやってくる。
どうせ、自分は狂っている。ならば、ほかの奴らが誰かを殺すよりも、俺が誰かを殺したほうがいい。誰かの分も、この俺が、殺す。全ての罪を受け入れる。どうせ快感しか覚えないならば。
そう決めた彼は、戦場の英雄と呼ばれるようになる。
不思議な運命だった。
それぞれ別の国に生まれて、敵同士である二人はやがて戦場で出会う。
もう、戦争は終わるべきだ。あまりにも人が多く死にすぎている。
そうして、二人は約束する。
レイは、英雄であるヒュウを殺す、と。
ヒュウは、自分は死ぬべきだと思っていた。
戦争とはいえ、罪を重ねすぎた。この先生き残っても、いつか街で殺人を犯すかもしれない。
レイは、戦争を終わらせたかった。
弱い誰かを、救うために。
そうして、その日はやってくる。
戦場で多くの兵に囲まれた二人は、偶然出会った初対面の人のようにふるまう。そして戦いをはじめ、ヒュウを斬る。
そして勝利を宣言し、レイの国は勝利となる。しかし、戦争の最中にレイの国は国王が病気で崩御し代替わりしていたため、今は心優しき人が王だった。王は言った。
あまりにも多くが死んだ。もう二度と、こんなことあってはならない。
そうして相手国の土地を自国のものにしたうえで人々を奴隷などにはせず、自国の大切な民として扱った。
さて、レイはどうしたか。
彼は、生涯を森の奥の家で送ったという。孤児院で暮らしていた弟に時々匿名でプレゼントを贈った。自分のように知名度の高い『人殺し』が傍にいては、弟が幸せな暮らしを送れないと思い直接会うことはしなかった。
救国の殺人鬼は、時々様子を見にお忍びでやって来る王に看取られて死んだという。
最期、彼はこういった。
王に看取られて死ぬ殺人鬼など、前代未聞だ。俺が死んだら、弟に、全ての財産を上げてほしい。そして、二度と戦争をしないでほしい、と。
王は約束を守り、全ての財産をひとつ残らず弟へ送った。そして戦争をしなかった。
無論、ずっと戦争なしなんて無理だ。それでも、約束を守るべく努力し、自分が王座にいる間は戦争をせず、息子や孫にも戦争をするなと教えた。結果、近くに世界統一を望む大国ができて攻め滅ぼされるまでの三百六十八年間、一度も戦争はなかったという。
レイの言葉の中で、最も有名なセリフがある。
ヒュウを斬ったレイは、彼を両腕で支えてこう言った。
──見ろ、空が燃えている。俺たちの赤さを、隠すみたいに。
そしてその言葉にヒュウはこう答えて死んだ。
──この赤を、誰もが知らない世界になれば、俺たちは胸を張れる。
この、『見ろ、空が燃えている』という台詞はのちに多くの演説で使われたという。
***
本を閉じてベッドから立ち上がり、廊下へ出る。教会の祈りの部屋、つまりここへ来て最初に入ったところへ行き、ステンドグラスに目を向ける。
「……ん?」
なんだかユラユラと動く光が見えた。赤い光。そういえばなんだか匂いがする。どこか温かい気もする。
嫌な、予感がした。そしてこういう予感は、何故かいつも当たるというもの。
大きな扉を開き、外を見る。
世界はまだ、暗くて。
月が、地上を照らしていて。
『見ろ、空が燃えている』
脳裏をよぎるのは、さっきの小説の言葉。けれどこれは比喩じゃない。
世界は確かに、燃えていた。