31.大いなる戦い
──私は、何をしているのだろう?
「おい、そろそろ立ち上がれよ」
真っ暗な世界に一筋の光が差し込むかのように、ふとレオンの声がした。
真白の床から顔を上げて前を見れば、白い部屋の外で三人とも血を流している。
──それなのに私は、何をしているのだろう。
「お前のご主人、まだ来ねえのかよ」
見れば、レオンの手を離れた【Ⅿゼロ】は近くまで飛んできているようだ。まるで、主人の手に戻るように。
──私は、本当に、何をしているのだろう?
「寝ぼけてんじゃねえぞっ!」
今度は大きな声だった。それとともに、ズシンという重い振動が足元に伝わって来た。バケモノは、レオンに近づいていく。
「私は────」
ずっと、心の何処かで分かっていたはずだった。ヒントは傍にあったから。
あの日読んだ、一人の研究者とモニカ・レファレンスの物語も。
『第一章は、《ラファエル》による混乱の時代、《ラファエル》に感染して亡くなった妻のために研究に没頭した男の物語』
読み終えた時の感覚も。
『何だか、不思議と知っているような気がする物語だった』
アイの言葉も。
『レオン様は、偶然なのです。けれど、お客様は違う』
壊れかけの瞳で告げられた言葉も。
『あの日、お客様は、ますたーを殺した』
私の記憶の始まりも。
『その日、世界に星が降った』
星の落ちた場所も。
『そして石は《第一研究施設アリア》に落ちた』
私が、サラサと出会ったことも。
『その日私は空から降って来たという』
イシスの言葉と合わせたなら。
『一人だけ奥の部屋でコールドスリーブをされた。けれども、そのせいで隕石の落下の際に一人だけ被害を被ったのです。機械の故障により外部へ放たれ、そして今に至るのです』
その全てが正しいのならば、辻褄は合うのだから。
『記憶がないと言うのならば、それはおそらく急なコールドスリープの解除によって脳に障害が発生し、一部の記憶が失われたのでしょう』
気づかないフリをしていた。
だって、怖いから。過去の自分が悪者ならば、今の私は、ニセモノだろうか。記憶喪失によって人格が変化しただけで、根本的な私は悪だろうか。この湧き上がる優しさも、悔しさも、楽しさも、ニセモノだろうか。ニセモノの自分が過ごしたこの旅も、ニセモノに成り下がってしまうのだろうか。
思考がぐるぐると同じ回路を走る。身体が固まって動かない。
やがて思考は一つのところへ辿り着く。
「私が……アイのマスターを殺した」
という場所に。
両手を胸の前へ上げ、見つめる。途端、その手が真っ赤に染まっているように見えた。ドロリとした、重く赤い液体。手からこぼれるほどに大量の、人間の血液だ。
「ぁあ、あ」
震えた声が漏れだす。
『人殺し』という罪を自覚した途端、恐怖で心臓が潰れ始める。
それでも、その瞬間。
音が、した。
──一人ぼっちでしゃがみ込む夜
──声が聞こえた気がした
何処からか聴こえ始めた歌に、バケモノはレオンに振り上げようとした手を止める。同時に、凍り付いていた私の思考と身体はゆっくりと、けれど確実に溶け始める。脳裏に響いたそれは確かに、あの歌だった。
ポラリスが「大丈夫?」と言って
シリウスが「愛してる」と言った
顔を上げれば、レオンが得意げな顔で笑っていた。その手には、あの機械がにぎられている。多分、服のポケットにでも入れていたのだろう。これは脳内ではなく、この場所に本当に響き渡っているのだ。なんて往生際の悪い奴なのだろうか。
心が叫びたいと言った
君に伝えたかったと言った
大丈夫だと愛していると
ずっとそばにいると
一番が終わり、少しの間奏が入る。レオンが、言った。
「お前が何者かなんて興味ない。男でも女でも、大人でも子供でも。
──嘘つきでも、殺人者でも。
お前は、あの日俺のために歌を探したお前だ。
名前がアリスでもクリスでも、モニカ・レファレンスでも。
そんなの、関係ないだろ」
そして二番が流れ出す。気が付けば私は、走り出していた。
二人ぼっちで見上げたいつかの空
声が聞こえなかったの
アンドロメダが『希望』を語った
ベテルギウスが『運命』を知った
心が苦しいと言った
君といたかったよ
僕らいつまでも一緒でしょ?
ずっとそばにいたかった
銃をとる、わけではなかった。今は弾を補充する時間が惜しい。アリシアのもとへ走り剣を拝借。
「借りるぞ」
「ああ。バケモノを倒してくれ」
次に、動き出したバケモノを避けつつサクラの短剣を拾う。バケモノは狙いをいつでも倒せる死にかけのレオンから私へと変えたらしい。
手のひらの得物を握りしめる。剣と二つの短剣を同時に扱えるわけがない。短剣は投げるためだった。
「はっ」
放った短剣はバケモノの頬を掠める。すぐにもう一つの短剣を放つ。短剣は奴の腹を掠める。先ほどサクラが抉った場所だったからか、奴は痛みのせいか動きを遅くした。その間に銃を取る。流れるような動作にアリシアが感心する声がした。
けれど、私には分かった。この強さが、私のものではなく、もう一人の私、モニカ・レファレンスの強さであることに。彼女はアイのマスターに勝つくらい強かったのだから。
銃弾を放ち、バケモノに近づいていく。周りをぐるぐると回ることで奴もまたぐるぐると回るしかなく、足元をふらつかせている。俊敏に回るにはさすがに身体が重すぎるのだろう。そして、ついに。
「はぁぁああっ」
勢いの良い掛け声とともに彼の正面へ走る。すぐにバケモノは腕を振るうが、思い切り膝を曲げて体制を低くし。
「さよなら」
そう呟くと、握ったアリシアの剣を思い切り心臓へ突き刺した。
うが、あ、ああ、
段々と声を小さくして。思えば元人間なのだから、心臓部を狙うのが一番良い方法だろう。
「お疲れ様、アレックス」
もう亡き友ベルビアの代わりに、その名を呼ぶ。十字架に髑髏の入ったネックレスがカランと音を立てて揺れる。
あ、ああ、あ
その時の、アレックスの瞳には、此処ではない何処かが映っているように見えた。もしかしたら、彼は最後にかつての記憶を思い出したのかもしれない。死の瞬間に、理性を取り戻したか。あるいは、私がそう思いたいだけだろうか。
あ、あぁ、ぁ
あ、ぁ
あ
ぁ
「 」
──そして荒野の暴君は、心臓の音を刻むことをやめた。
「おせえって」
レオンが心底待ちくたびれたようにそう言った。
ごめん、と言おうとしたけれど逡巡して言葉を変える。
「ヒーローは、遅れて登場するものだからな」
彼との付き合いに、謝罪はいらないだろう。
それから、少しの間床に倒れた。
「疲れたな」
「レオン、かっこよかったな」
「うん」
「へへっ、照れるぜ」
三人の会話を聞きながら、改めて考える。
結局私はモニカ・レファレンスで。
アイのマスターを殺したことは変わらないのだ。
一人立ち上がり、奥の部屋へ向かう。真っ赤な扉の向こうに、壊れた機械が一つ。その隣に名前を示す像のような物があった。これではまるで博物館にある展示品の紹介のようだ。
『モニカ・レファレンス』
確かにそう書かれていた。
そして全てを、思い出した。イシスの言うように、自分がモニカ・レファレンスと分かって他の記憶も思い出した。だから博物館も知っている。
いつの日か、夢で見た女性を思い出す。
あれはきっと、かつての私。
──強く、生きて。
声が聞こえた気がした。
──貴方ならきっと大丈夫。
そう言った。
──貴方は貴方が思うよりずっと強いから。
私は返す。
「ああ、大丈夫。サラサ、あなたの願い、叶えたよ」
窓の代わりに隕石の落下によって壁という壁が崩され外にさらされたこの最奥の部屋に、一つ、風が吹いた気がした。
『戦闘終了。お疲れさまでした』
イシスの声が、響いた。感情がこもっているように聞こえたのは、気のせいだろうか。
その日は夜中の間ずっと働いた。主に、コールドスリープの解除を行うために。何百を超える数を一つ一つ解除するのは面倒だった。人々は荒野を見て驚いた。ここまで世界が荒れ果てたとは思わなかったのだ。それから、みんなでアレックスの墓を建てた。彼は確かにバケモノになったけれど、本来は純粋な人間だったのだから。
一つの戦いが終わって、月が輝いては霞んで、太陽が沈んでは顔を出しても、世界は呑気に回っている。案外、私が求めていた過去というのは現実に大きな影響をもたらさないようだ。
──結局、私は昔の私に良い様にされただけなのかもな。
生前の私は頭がよかったというし、度胸もあったようだ。もしかしたら、どんな結果になろうと、私が世界の命運を握ってしまうことを予見していたのかもしれないな。
かつては無敵だったバケモノたちを主人公たちが倒せたのは、単に彼らが強いからではなく、数百年の時を経てバケモノたちが後退していたからでもあります。
皮膚の鎧は幾度もの戦いで欠けていますし、臓器はすっかり機能を弱めています。心臓も肺も衰えて、身体を修復する手立てはありません。
もしも年月の流れがないまま、当時主人公たちが戦っていれば、容易く負けています。




