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母と子の小さな日常。何も起きないし、大したことはしない。そんな生活日記的短編連作集の1。

ちょっとだけ変わり者のママと賢い子供10歳、の涼介の何も起きないけど、感情のやり取りと愛があります。

今日のところはこの辺で


「今日はドカンと美味しいものを買い込んだよ!」とママが玄関を開けた。



ドアが開く前からボクはママが帰ってくるのがわかっていた。




猫のチビタがママが帰ってくるのに気づいて玄関に出ていくからだ。



ママは歩く音がタタッタタッタとヘンテコなリズムで、茶トラのチビタはママが帰る八分前にはもう玄関まで出ていく。



ボクはチビタに。ついていき一緒に玄関に座って待つ。



「重そうだねえ!」ボクが声をかけると、ママはこんどはボクたちに「ただいま」と言い、玄関に座るボクと猫のチビタにニッと笑った。



ボクらが住む家はママのおじいちゃんとおばあちゃんが住んでいた一軒家だ。


ママとパパはボクが三歳の時、離婚したので、今は母子二人と猫一匹で空き家だったこの家に戻ってきて住んでいる。家が古いせいか上がりかまちが少し高い。


小四のボクが座るとちょうどいい高さだ。


今日のママはたくさんの荷物で両手が塞がっている。


「ヨイショ」と声を出して、ボクを避けて玄関の上りかまちを上がる。




ママは家に着くとまたタッタタタッタと足音を立てすごい勢いで突進する。


そんなに急がなくてもと思うけど、急がないと巻いたゼンマイが止まってしまう感じもするからあれでいいのかもしれない。



ママは両手にいっぱいに荷物を持って、前のめりに短い廊下を急ぐ。リビングのドアを開けて、右側のキッチンまで行く。キッチンに着くと3ドアの大きな冷蔵庫の前に立つ。



そして、両手に持っていたふたつの大きなビニールの赤いカバンを床に置き、冷蔵庫の扉を開ける。



カバンから食料をドンドン出して冷蔵庫に詰めていく。飲み物やヨーグルトは一番上の扉に、肉は肉の引き出しに、野菜は野菜室に、冷凍食品の量がすごく多く冷凍庫はパンパンだ。



買ってきたものを全て冷蔵庫に詰め終わると、こんどはまたタタッタタッタと廊下の突き当たりの洗面所に行き洗濯機のスイッチを入れに行く。


ピッピッピッという洗濯機のスイッチの音がする。そして台所に戻るとボクとママに二人分むぎ茶を注ぎ、ボクに一杯渡し、自分は大きなグラスの麦茶を一気飲みする。



「さて、ママはごはんを作るぞよ。今日はトンカツだ!ママは人生に勝つ!」 



ママはわけのわからないことを言いながら勢いよく拳を上げた。冷蔵庫から半切りのキャベツを取り出す。



スライサーをキッチンの引き出しから出して、半切りキャベツを四分の一にする。


ザルもキッチンの開き扉から出し、早回し映像のようにシャシャシャとスライサーで千切りキャベツを作る。 


スライスして約一分で、千切りキャベツをザルにあける。それからトンカツの豚肉を冷蔵庫から出し、まな板に置く。



サーモンピンクの分厚いロース肉を肉叩きでダン!ダン!と叩く。肉は叩かれるたびにぴょんと跳ねる。肉にはホラー感があってボクはドキドキする。


叩いた肉にママはチャッチャッと塩コショウを振る。次に小麦粉を皿に出してパタパタと肉に粉をはたく。



卵を一個パッカンと小ボールに入れてカカカとかき混ぜ、粉のついた肉をペタペタ卵にひたす。それからパン粉を小麦粉が入っていた皿に出し、ザザザと肉につける。



そしてフライパンに油を注ぐ。熱くなるのを待つ間、まな板や調理器具を洗い、まな板のあった場所にバットを取り出す。油が熱くなるとトンカツを持ち上げ油をくぐらすと、じゅわああっと音がしてトンカツが揚がっていく。



うちはオープンキッチンではなく台所が奥まったところにある。リビングからママは見えない。



チビタはママの動きを見るのが好きなようでママの動きに合わせて目と首を動かす。


台所の入り口に座り茶色の尻尾をシャナリと出している。ボクはチビタの横に立ってむぎ茶を飲みながらママを見る。



ママが手のかかる料理を作るときは外で嫌なことがあったときだ。


ボクはテーブルを拭き、お箸を置きむぎ茶のカップとむぎ茶のボトルを出す。ソースと辛子も出した。



チビタはボクと一緒に台所の入り口から移動して、テーブル脇のチビタ用の椅子にトンと軽々飛び上がって座った。



台所では揚がったトンカツがバットに置かれる。



ママはお湯を沸かして味噌玉という自分で作ったインスタント味噌汁をスプーンで掬ってお椀に入れる。



白い皿を二枚出し、千切りキャベツとママが包丁で切ったトンカツを乗っける。トンカツの乗ったお皿をボクに渡すのでボクは落とさないよう両手で持って、一枚ずつテーブルに運んでいく。



「座ろっか」「うん」



ママがお盆に味噌汁と白いご飯を乗せてテーブルに来る。今日はトンカツなのでママが帰ってから三十分が経過している。いつもは帰ってから十五分くらいでご飯が出てくる。



「「いただきます〜」」



二人で声を合わせて言い、ごはんを食べ出す。トンカツはパリッパリに揚がっていて、熱くておいしかった。



「おいしい〜。熱々だよお」



ママは料理でも特に揚げ物が上手なので、ボクはココロから褒めた。



「ありがとう涼介、ママは今日、人生に負けそうだよ…」



ママは立ち上がって冷蔵庫に何か取りに行った。家ではめったに飲まないビールを持ってもどる。またタッタタタッタと足音がする。



今日の買い物バッグが重そうだったのはビールが入ってからだ。大切に食べている〝お取り寄せ〟のイカの塩辛も持っている。今日のママは間違いなく重症だ。ビールの缶をプシュッと音を立てて開け缶のままゴクゴク飲んだ。




「人生に負けそう」なのがどんなことだか、ボクにはわからない。ママの仕事は、漫画の原作や取材記事のライターだ。


たぶんママは仕事が好きで一生懸命やっている。夢中で紙やパソコンに向かっていて、仕事を始めると呼んでも聞こえない。



ママは明るくあっけらかんとしているように見えるけど「白いママ」と「黒いママ」の時がある。 



「白いママ」の時は明るく行動的、大らかで何を言っても怒らない。「黒いママ」なると全てを悪い方へ悪い方へと考え、何を言っても何も受け入れず暗くてめんどくさい。



大事な塩辛を小皿にも開けず、瓶に箸を突っ込んで、ビールを飲むのは「黒いママ」の登場の予感だ。



ママが落ち込むとおいしいものを作るのは、自分を励ますだけじゃない。滲み出る黒いオーラで子供には重い話をするため、多分ボクへのお詫びも含んでいる。


ママはカツ一片を右手に箸で持ったまま言った。


「ママ、今日仕事断っちゃったんだよ」


「えっ!!!」


初めて聞く嘆きのパターンに驚いて口をあける。いつもは出版社の言うなりに何回でも直すママだ。またそんな愚痴だと思っていた。話す相手は家にボクしかいないので、ママはいつもボクに大人を相手にするように話す。



「それも大きい会社の仕事なんだよおお。もう二度とあの会社から仕事は来ない」



ママは辛子をたくさんつけてソースをドボドボかけたトンカツを口に入れた。



「ママが断るってよっぽどのことなんじゃないの?」


ボクは淡々とカツとご飯を交互に口に運びながら話す。ママはカツが辛かったらしく一気にお茶碗のご飯をかきこんだ。  


「よっぽどなんだよ。とはいえなあ。どうしてもっと我慢できなかったのかなあ。今日はポキンとココロが折れてしまったよ。ママ仕事早いじゃん。やり直すのなんてちょいちょいだと思われてんだよ。今回さ企画が編集の意見で変わったの。一ヶ月前からやってきたのにさ最初からあと三日でやり直してって言われたの。三日という単語にブチブチブチっと切れたね」




ママはまたタタッタタッタと歩いてビールを冷蔵庫にもう一本取りに行ってまたプシュッと開けてぐいぐい飲んだ。



「ママ、それは断っても仕方ないと思うけどな。これからもずっとそうやって相手の都合で変わったりするんでしょ。それは折れるよ」



「でもそれをやり続けるのがプロなんだよ。ママはプロ失格なんだ」



ボクはママの味噌汁を飲んだ。手作りの味噌玉の味噌汁に赤や黄色のお麩が入っている。おいしかった。


ママは何でも用意周到だと思う。でもその用意に対してこれは要りませんから別のを早く作って出してって言われたら凹む。



「ちくしょー苦労しやがれー!てめーらであと三日でやりやがれー!」



叫んだあとママはボクに謝った。


「ごめんね。これで終わり。聞いてくれてありがとうね。ごめんね。涼介」



「なんとかなるよ。ママ」


「そうだね。なんとかなる!」



ボクらはやや冷めたごはんを穏やかに食べ切った。


食後にヨーグルトにイチゴのコンポートがのり、さらにアイスクリームの乗っかったデザートが出てきた。



ボクはそれもゆっくり食べて、チビタを撫でた。チビタは喉をゴロゴロ鳴らし目を瞑る。



ボクらは食べ終わったあとテレビをつけて映画を観た。



ボクらが映画を観ている時、チビタは退屈らしくタカタカ走り回る。



いいシーンにテレビの前に立ち塞がったりして、ママが立ち上がってテレビから引き剥がしにかかるのだが、またテレビ周辺を歩き回りボクらが観るのを邪魔する。



それでも何度目かのトイストーリー3をママは手にタオルを持って笑ったり泣いたりしながら観ている。集中出来ない状況なのによくそこまで感動できると感心する。




トイストーリー3が終わったらボクは風呂に入る。


チビタは風呂に入れられるのは嫌いだが風呂をのぞきに来るのは好きなので、シャワーの時以外ボクは風呂の扉を開けておく。風呂は何か出そうでちょっぴり怖いからチビタが来てくれるとほっとする。


チビタはボクが湯船に浸かっている時は洗い場に入ってきて洗面器のお湯をのむ。



湯船に浸かったら上がってバスタオルで身体を拭きパジャマに着替えてママにおやすみと手を振る。二階まで階段を上がり九時にはボクの部屋に行きベッドに入る。



チビタはボクの部屋まで着いてきて、部屋中パトロールしている。ドアは細く開けてあり、チビタがボクが寝ても出られるようにしてある。グルグル回ってボクの横に寄り添ったチビタを眺めていたらだんだん眠くなってスッと寝てしまった。



眠っていると一階から、大きな泣き声がして目が覚めた。壁の時計を見るともうすぐ十二時だ。ボクはベッドを下り、裸足で五、六歩、歩いてドアを開けた。



そおっと足音を立てないように階段をソロソロ降りてリビングに行く。


ママが泣いていた。肩を震わせ、ソファの上でクッションを抱いて体育座りで号泣している。



ボクは後ろからゆっくり近づいて、ママの背中から回り込んでいきソファの隣に座った。ママの横に座って背中を撫でる。



「ううううっう、ううううっう。」



ママはさらに泣いた。決壊を起こしたように泣き続ける。 



「涼介えええ〜どうしてママは一番肝心な時にいつもいつも辛抱出来ないダメな人間なんだろうねえ。普段どんだけ我慢して気を遣っても肝心な時はヘタを打つんだよ。」 

 


これは仕事の話をしているようで、パパの話をしているのがわかった。過去何回もの「黒いママ」出現のとき、何度もパパと離婚したことをグジャグジャ話し、ボクに謝っていたからだ。  


  

パパとボクは時々外で会うし、パパは家にも来る。パパには別の奥さんや子供がいるわけでもない。


離婚しているだけで、ボクにパパがいないわけではない。急にこうなったわけでもなくずっとそうなのでボクは全く気にならない。気にしてないと言ってもまた同じ話の繰り返しになりそうなのでボクは腹を据えて大声をだした。



「ママ!またパパのこと言うでしょ!」


ママは驚いて泣き止み「うん」と言った。


「どのくらいお酒飲んだの?」


「ビール三本だよ。小さい方の缶」


「そんなわけないよ。もっと飲んでるよ。すごーくお酒臭いよ。何飲んだの?」


ママはボクから目をそらしボソッと答えた。


「ズブロッカ」


「あの冷凍庫に入ってる悪いお酒!頭のおかしくなるお酒!」 


「ママはロックで二杯飲んだだけだし。おかしくなってない」


「だったら、もうやめようよ。もう聞き飽きた」


「すいません。ジュースで薄めるからもう一杯飲んでいい?」


「泣き上戸にならないなら」



二階にいたチビタがボクらにうるさいと言うようにトトトとわざと足音を立てて降りてきた。


「ニャーーーアアアア!」と鳴いて、ママの膝の上に飛び乗った。



ママは〝泣く〟というイベントが終わったようで、急に畏まっている。ぺコンと頭を下げ、チビタを抱き上げてソファに置いた。 




そしてキッチンへグレープフルーツジュースで薄めたズブロッカを作りに行く。戻ってきて、ボクにグレープフルーツジュースを渡し、自分はグラスのヘリに塩のついたズブロッカ入りジュースを持つ。


二人でチーンと乾杯する。


「涼介、仕事無くなったし、明日から二人で三日ぐらいどっか行こうか。キャンプでもいいしさ」


「そうだね。キャンプいいね。バンガローがいいな」


「温泉のあるところに行こう!」



ママはソファであぐらをかきiPadで旅先の条件を検索しながらお酒を飲む。


ボクは横から覗いて見る。家から車で一時間のところにいいキャンプ場があるようだ。だいたい目安がついたらしい。



ボクらは明日のために寝ることにした。



手を繋いで二階のママの部屋にボクは一緒に歩いて行く。


チビタも後ろを音もなくついてくる。



ママが泣き虫モードの時は、ボクらは一緒に眠る。やっぱりママの足音はタタッタタッタとヘンテコな音を立てていた。

 


《了》

今、三作シリーズ書き終わっています。

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