世界を塗り替える時
死闘の末に、私達はとうとうオーガを斃した。
西のダンジョン以降、ずっと心に決めていた雪辱をようやく果たしたのだ。
しかしその為に支払うことになった代償は、決して安いものではない。
「ゴホッ! ぐ、はぁはぁ……!」
「シェーナしっかり! もうすぐ師匠のところに着くから!」
私はシェーナに肩を貸しつつ、懸命に彼女を励ました。
オーガから受けた傷は深く、未だに出血が止まらない。シェーナの意識も朦朧としており、体力を失った影響か抱えている身体もずっしりと重く感じる。
「聖なる護り石は!? 治癒騎士じゃなくても、自力で止血とか出来るんじゃないの!?」
以前、ガーゴイルとの戦いを制した後でサイラスさんがシェーナに施したみたいに、最低限の救護措置なら可能だった筈だ。
しかしシェーナは、億劫そうに首を振ったのだった。
「いえ……。残念だけど、この石はもう……ダメ、みたい。ほら……」
震える手でシェーナが自分の護り石を示す。鮮やかな純白さを誇っていた石は、既に大部分が黒ずみに覆われていた。
「魔のケガレ……!」
考えてみれば、【闇】の侵食が始まってから既にかなりの時間が経っている。シェーナの護り石は、これでもよく保った方だろう。さっきオーガを斃した時に、最後の力を振り絞ったに違いない。
いずれにせよ、クリスタルがこんな状態では怪我の治療は出来ない。シェーナの傷を手当てするには、一刻も早く師匠と合流して下に降りるしかないのだ。
「頑張って……! 下の巨大なクリスタルを使えば、その怪我だってすぐに治るから……!」
私は一生懸命シェーナを励ましつつ、鉛のように重い身体を抱えて師匠の居るところへと向かってゆく。
ついに、彼女のとんがり帽子がベル・コートの陰から覗いた。
「師匠! 助けてください、シェーナが負傷して……!」
「あらあら、そっちも大概激戦だったみたいね。でも良くやったわ、二人とも。これで大鐘楼に迫る脅威はあらかた片付いた」
師匠の背後に広がる闇の空に、オーロラの姿はひとつも残っていない。此方側の状況を思えば、師匠ひとりで一体どれだけの数の魔物を退けたというのか。にも関わらず、息ひとつ切らせていない彼女は、シェーナの負傷に大して動揺するでもなく、おもむろに私達に近付いて手を虚空へかざした。
「さあ下に戻りましょ。イリューゼちゃんの方も、〈究極幻術〉を使う準備は整っているでしょ」
どうやら師匠の手で、イリューゼさん達が待っている下の礼拝堂へ転移させてくれるらしい。戻り方をどうするのか密かに不安を覚えていた私は、そこで僅かに安堵した。
師匠が転移の呪文を唱える寸前、私達の立っている大鐘楼の周りで白く輝く銀幕が立ち上り、【闇】を隔てるかのごとく辺りを覆い包んだ。
「こ、これは……!?」
「例のドワーフ謹製だっていう対魔の防御装置みたいね。もうちょっと早く使ってほしかったけど、まあ結果良ければすべて良しってところね」
ということは、ブロムさんとドワーフ技師達がこっちに追い付いたということか。【闇】の侵食で大教会全体が危険な中、よくあの装置を守りながら移動してきたものだ。
「これでもう、儀式の最中に邪魔が入ることはないでしょう。あとはシッスル次第、頼んだわよ」
師匠が意味深な目で私を見る。彼女は、私の心中をどれだけ察しているのだろう? シェーナの負傷が気になるが、訊くとしたら今しか無いかも知れない。
「師匠、どうして私を選んだんですか?」
師匠の澄んだ眼差しが私を見つめる。そこに、邪な想いは一切含まれていない。
「この【幽幻世界】を存続させるのは、本来なら貴女の役目でした。それなのに貴女は、私にそれをやらせようとしています。何故? 死ぬのが嫌だからですか?」
「別に、深い理由は無いわ」
答える師匠の声は、何処までも穏やかだった。
「私も、ここでの人生と引き換えにこの世界を構築し直すのはやぶさかじゃない。シッスルには教えていなかったけど、私は少しばかり此処に長く留まりすぎた。本音を言えば、そろそろ飽きてきているのよ。この狭く閉ざされた、いつまでも変わらない世界に。でも一方で私は、それにすっかり慣れてしまった。今更、世界に新しい息吹を入れようとしてもきっと上手くいかない。いくら退屈に倦んでいようと、長い間続けてきた慣習というのは心身に染み付いて、もう変えられないのよ」
「それなら尚更、〈究極幻術〉を使って現実に還る方が良いのではないのですか?」
「それも悪くない。シッスルが役目を断れば、今からでもそうするつもり」
師匠の眼差しが、こちらを試すように細められた。
「私を、ひどい師匠と思う?」
「……正直言って、私には貴女が本当に望んでいることが何なのか、分かりません。貴女に育てられ、幻術士として鍛えられてきたけど、今思い返してみても、私は貴女について知らなさすぎた。知ろうとさえ、してこなかったと思います」
「ふむふむ、それで?」
「でも、この世界がただの夢で、目覚めれば全部無かったことになるなんて、そんなのは嫌です」
シェーナの細い息が耳を打つ。死が、刻一刻と彼女を奪い去ろうと近寄ってくるのを肌で感じる。それに対する悲しみや焦燥は、不思議と自分の中から消えていた。
シェーナが死ねば、彼女は現実での“九井詩絵菜”に戻る。ここで過ごした記憶も、私と育んできた思い出も、その一切合切を全て喪って。
私が厭うとすれば、そこだった。たとえ一時の夢だったとしても、【幽幻世界】での人生を誰にも否定してほしくない。
「だから私は、そうならないように〈究極幻術〉をやりおおせます」
師匠がどうとかじゃない。私自身の望む結末の為に、幻術士シッスル・ハイフィールドはその生命を捧げるのだ。
「たとえ師匠であっても、私のこの決意を邪魔するなら……!」
「はいそこまで、もう十分よ。シッスルの考えはしっかり呑み込んだわ」
師匠はパチンと両手を合わせて、私の言葉を遮った。
「やっぱり、私の目に狂いは無かった。貴女は本当に、私の期待を軽々と超えてくれるわ。最高の愛弟子よ」
妖艶に、しかし同時に慈しみを込めて、師匠が微笑む。
その顔に向かってなおも口を開こうとした時、私達の周囲を白い光の粒子が包み、意識が引っ張られる感覚が襲ってくる。
光が収まった時、私達は既に下の礼拝堂に戻ってきていた。
「やあ、おかえり。三人ともご苦労だったね」
すっかり余裕を取り戻した様子のイリューゼさんが、鷹揚に両腕を広げて私達を出迎えた。
「って、見たところそんなに無事ってわけでもなさそうだね」
「シェーナ、その怪我は!?」
ウィンガートさん、ギシュールさんも、私達に気付いて駆け寄ってくる。彼らの後ろに続いて、更に見知った顔が並んでいることに気付いた。
「これはいかん、すぐに処置をしなくては!」
「ああもう! この前治療したばっかだってのに、またこんな大怪我して!」
「シッスルさん、シェーナさん、申し訳ありません! 私が、もっと早く大鐘楼に辿り着けていたら……!」
「んなこと言ってもしょうがねえだろ、俺達だって必死に急いできたんだ」
ブロムさん、カティアさん、ミレーネさん、モードさん、みんな揃っていた。大量の魔物を捌き、【闇】で支配された地獄を一心不乱に突き進んで、この大鐘楼に駆けつけてくれたのだ。
「皆さん、ありがとうございます。皆さんのお陰で、ここまで来ることが出来ました」
差し伸べられた数々の手に瀕死のシェーナを託してから、私はみんなに向かって深々と頭を下げた。シェーナを解放して軽くなった肩に、そっと手が置かれる。見上げてみると、ウィンガートさんの感無量の表情がそこにあった。
「君達こそ、良くぞここまでやってくれたよ。この未曾有の危機に僕達が抗うことが出来たのは、“お限り様”のご加護であると同時に、君達の努力する姿が皆に勇気を与えてくれたからに他ならない」
ウィンガートさんが私と、それからシェーナの介抱に集中しているみんなを見渡す。ひとり離れて状況を見守っていたブロムさんだけがウィンガートさんの言葉に頷き、私に言った。
「大鐘楼の周りでドワーフ達が拒魔蓋を発動させている。少なくとも、しばらくは大鐘楼の防御は保つだろう。途中で合流した彼らが露払いをしてくれたお陰で、我々も無事に此処まで辿り着いた。まこと、若い者達の功績は計り知れんよ」
「いよいよ大詰めだ。全ては君次第。最後の儀式、しっかりお願いするよ、シッスルくん」
「はい、必ずやり遂げます。どうか見守っていて下さいね、ウィンガートさん」
私はウィンガートさんとブロムさん、それから一生懸命シェーナの応急処置に当たっているみんなの姿をゆっくりと視界に焼き付けた。
彼らの人生にも、それぞれ意味がある。現実に戻った後も、ここでの経験がきっと糧になるように。
私はその為に、世界を塗り替える。
視線を師匠と、それからその隣で微笑みを浮かべるイリューゼさんに移した。二人とも、静かに私を待っている。
「では、始めます」
最後にウィンガートさんに深くお辞儀をして、私は巨大なクリスタルの前で佇む二人の方へと足を向けた。
さあ、幻術士シッスルが披露する、最初にして最後の大舞台だ。




