吐露
まったく人気の無い議事堂の薄暗い廊下を、私とシェーナは相連れたって駆け抜ける。
天井まで吹き抜けになっただだっ広い無人の屋内は、普段ならば物寂しいものだが、今は壁を隔てた外側から聴こえる激しい戦闘の音が絶えず反響して、望まぬ賑やかさを保っていた。
守護聖騎士達と無数の魔物達が鎬を削って奏でる武骨なコーラスは、どんな戯曲の一幕や吟遊詩人の詩にも勝る一大舞台となり得るだろう。
「シッスル、あの扉が議場の入り口よ!」
先導するシェーナが指し示す先には、大鐘楼の入り口にあったのと勝るとも劣らない、派手で巨大な金属の門扉がそびえ立っていた。
「ちょ!? あんなもの、どうやって開くの!?」
「心配しないで。脇に門衛達が出入りする潜戸があって、そこからも内部に入れるらしいわ」
それで良いのか? 大政議事堂。
心に浮かんだツッコミは、しかし喉奥に押し込んで、私はシェーナに従ってその潜戸とやらを探す。
すぐに、それらしい小さな扉が見つかった。取っ手のようなものは見当たらず、指を引っ掛けるような金属の窪みが取り付けられている。どうやら引き戸のようだ。
シェーナが窪みに指を引っ掛けてそれを横に引くと、潜戸は特に抵抗もなくするりと開いた。
「団長が予め開けておいてくれたようね。彼らもいよいよとなったら、同じルートで撤退するつもりなのかも知れないわ」
シェーナの言葉に私も頷いた。
「念のため、ここは開け放ったままにしておく? その方がブロムさん達も分かりやすいと思うし」
「いえ、万が一にも魔族に先んじられたらまずいわ。潜ったら元通りに閉めておきましょう」
それもそうか。ブロムさん達の退路を断ってしまう危険は冒せない。
扉越しに向こうの様子を伺った後でシェーナが先に潜戸を通り、次いで私も腰をかがめてその中へ身体を滑り込ませた。言われた通り、最後に戸をスライドさせて閉じておく。
「わぁ……!」
振り返って中を見た私は、思わず感嘆の声を上げた。
議場というだけあって、広大なホールにたくさんの座席が所狭しと敷き詰められて部屋の殆どを埋め尽くしていた。
列を連ね、ぐるりとドーナツ状に円を描いて中央を囲む全ての議席を国教会のお歴々が埋める光景を想像して、圧倒されるような気持ちを覚える。
此処でアヌルーンの、いや【幽幻世界】の政治が行われてきたのだと否応なく実感させられる。いくら仮初だ虚構だと否定の言葉を並べようと、この夢は間違いなく歴史を重ねてきた。
そして今、それが終わるかどうかの瀬戸際というわけだ。
「こっちよ、シッスル。議長の席は彼処」
私の内心など知る由もなく、この場所に立ち入ったことに感想めいた呟きひとつ溢さないシェーナが、ホールの中央を指さしながら私を促した。
ドーナツの輪の中心にあたるその位置に、質素でありながらも気品と壮麗さを滲ませる黒檀の机がでんと鎮座している。
「あれが議長――イリューゼ総主教さんの席なんだね」
分かりきったことを言いつつ、私はシェーナに従って議場の中央へ降りてゆく。全員が総主教の姿を見られるようにする為か、ホールは壁から中央に向かって緩やかな傾斜となっており、前の議席ほど位置が低い。
一般には顔出しすることはないイリューゼさんでも、議会では流石に姿を現していたのだろう。
坂の終わりに差し掛かると、黒檀の議長席は思った以上に大きく作られていることに気付く。高さも広さも、ゆうに人が三人分くらいは入りそうだ。
「これ、いくらなんでも大きすぎない?」
「聖下の御席だからというのもあるでしょうけど、恐らくはいざという時に滞りなく皆を逃がせるようにという配慮でしょうね」
つまり、今みたいに……か。
「団長の言った通りなら、多分このあたりに……」
シェーナは早速席の下に潜ると、ブロムさんから教わった位置に当たりをつけて手探りで入り口を探している。私も手伝おうと思ったが、足を踏み出すより前にシェーナは目当てのものを探し当てた。
「あったわ、これね」
ガコン、という音が席の下から上がり、シェーナの立っている位置から頭ひとつ分くらい離れた先で床が静かに割れた。大きく正方形に開いた口の先に、地下へ向かう階段が続いている。
「この先が例の秘密通路?」
「それ以外に無いでしょう。さあ、行きましょうシッスル」
複数人を一度に送り出す為か、階段は横に長く縦に太い。照明の為の魔灯石も欠かさず埋められている。深さもそれほどではないようで、下をよく見るとほんの十二段ほどで終わっており、そこから奥へと続く道が上からでも見えた。
私とシェーナは慎重に階段を下り、平らにならされた石造りの通路に足を踏み入れる。此処の入り口も、先の潜戸と同様元通りに閉じておきたがったが、いくら壁や床を触っても内側からこの仕掛けを動かす装置らしきものは見つからなかった。
やむなく断念し、私達は奥に伸びる骨太な石の地下道を、等間隔で壁に灯る青い光点を頼りに恐る恐る進み始める。
議員脱出用に拵えられた秘密の通路を、今はただ二人の女の子だけが独占していた。魔灯石で薄められた闇の中に、私とシェーナのコツコツという足音だけが吸い込まれていく。
ふと、此処でなら打ち明けても良いかも知れないなと思い至る。
「ねえ、シェーナ。歩きながらで良いから聴いて」
気付いたら、前を歩く親友の背中に、私は思いの丈を吐き出した。
「シェーナの言う通りなんだ。私はイリューゼさん――聖下と会って、究極の選択を突き付けられたの。この世界を救うか、それとも役目を放棄するか。聖下は、私に選択権を委ねてくれた。最後に選ぶのは私自身でなければならないって、強要みたいなことはしなかった」
シェーナは黙って聴いている。足取りにも乱れなく。
私は告白を続ける。
「私は彼女から……世界の真実を教えられたの。マゴリア教国は、アヌルーンは、文字通り世界の全てだった。首都圏の囲むオーロラ・ウォールの先には、闇ばかりが広がっている。他には何も無い。この世界は仮初めの、夢と現が交錯する【幽幻世界】だったんだよ」
前を歩く足音が途切れた。シェーナがぎこちない動きでこちらを振り向く。無表情だが、目だけが大きく見開かれていた。
私はなぜ、こんな埒もないことを言っているのだろう。現実でも親友とは言え、此処に居るシェーナはそれを共有していない。夢の中で交わった偽物の関係に過ぎないというのに、真実を告げる必要も義理も無いというのに。
だが心の中でどんなに否定の言葉を重ねようと、私の舌は止まってくれなかった。
「理解してもらえるとも、受け入れてもらえるとも思わない。けど、夢であるこの世界でも、現実の世界でも、シェーナは私の親友だった。いつも私のことを気遣ってくれて、助けてくれた。あなたはあっちでもこっちでも、一生懸命に自分の人生を生きて、輝いていた。私にはそれが、ずっと眩しかった。眩しくて、煩わしくて、鬱陶しいと思ってた。親友なのに、いつも良くしてくれているのに、私は心の何処かで、シェーナのことを疎ましく思っていた」
自分の声が、だんだんと掠れていくのが分かる。視界が端の方から次第にぼやけて、目の前に佇むシェーナの姿が揺らぐ。
頑張って嗚咽をこらえながら、私は続けた。
「私は……あっちの世界でも、この【幽幻世界】でも、ずっと自分の人生を見失っていた。好きな趣味はあっても、逃避の手段にしか過ぎなかった。シェーナみたいに、地に足の着いた生き方が出来なくて、ずっと息苦しくて……!」
ああ、そうか。少しずつだが、次第に自分の心が見えてくる。今、他に誰も居ない此処で、他ならぬシェーナにそれを打ち明けたくなった理由も。
さっきブロムさん達の陣地で言いかけて、でも喉奥で押し留められていた想いの数々が、今は止めどなく溢れてくる。
「この夢で、私は魔術士としての素質を持って生まれた。師匠が私を拾って、育ててくれたけど、私はいつも彼女に依存してた。独り立ちを迫られた時は、どうしようもなく不安だった。マゴリア教国の掟で、色々と自由が制限されるんだと聴いて、心の何処かではホッとしてた。自分の歩む道が、自ずから狭まることに安心感すら覚えてた。だって、それなら……迷う必要が無いから」
ようやく、自分でも初めて言語化出来た、自分の心の底。私の問題の根源。
そう、私は――
「自由が、怖かった。何も無い自分に不満を抱えているくせに、自分の意志で人生を選び取ろうとして来なかったのは、選んだ先の人生に責任を持ちたくなかったから……。踏み出した先に望んだものがあって、本当にそれを掴めるとは限らないから……」
人生は未知数、晦冥の道に等しい。自力でそこを進むのは、途方もない勇気と力が要る。
だからこそ、私は誰かの定めたレールの上に乗っかりたかった。たとえ窮屈でも、自分の意志を曲げられても、その方が楽に生きられるから。
現実での私は、ずっとそうしてきた。そして、そうした軛から逃れる為にやってきたこの【幽幻世界】でも、結局は……。
「この閉じられた世界を救うには、世界を再構築する【究極幻術】を発動させるには、私の犠牲が必要だって言われたんだ。この世界で死んだとしても、魂は元の現実に還るから私という存在は消滅しない。だから、死ぬのはあんまり怖くない。だけど私は、ずっと迷っていた。現実に還れば、この夢は記憶から消える。なんのしがらみも無く、あっちでの暮らしを再開出来る。でもそれじゃあ、私は何のためにこの世界に来たの? 現実と同じ生き方をなぞって、どうしようもない自分に絶望するため? そんな、無駄な時間を過ごすために、私は……っ!」
そこで、高ぶった感情が閾値を超えた。溢れ出る涙と、込み上げる嗚咽の嵐に遮られて、それ以上言葉を継げなくなってしまう。
「う、わああ……! わあああ……!」
私はシェーナの前で、道に迷った幼子のように立ち尽くし、みっともなく泣いた。
こんなことをしている場合じゃない、私が自分勝手な心情を垂れ流している間にも、外では皆が必死に【闇】の侵食を防いでいるんだぞ――。
頭の何処かに残った冷静な声が必死にそう告げる。それでも、濁流のような感情の渦は収まってくれない。
すると、不意に身体に温かいものが触れた。背中から前に。ふんわりと柔らかく。
「えっ……?」
驚いて顔を上げる。鼻先に優しく届く甘い香りと、綺麗な新緑色のポニーテイル。長い耳が、上げた目線のすぐ先にあった。
「話してくれてありがとう、シッスル」
私の背中に腕を回し、優しく抱きしめたシェーナが、私の耳元で穏やかにささやく。
「すごく、悩んでたんだね。こんなことになる前から、ずっと。自分に自信が持てなくて、流されるように生きてきたって自分では思っているのに、こんなに次々と重荷を背負わされて。本当に、大変だったと思う。私なんかじゃ、あなたの感じた苦しみを十分に理解してあげられないかも知れない」
シェーナの声は、少し震えている。嘲りか? と、一瞬だけでも考えてしまい、またも自己嫌悪が募る。
「でもねシッスル。あなたが自分で自分をどう思っているのかはともかく、私は絶対にそうは思わないわ」
シェーナが少し身体を離し、私と正面から向き合った。ほんの少しだけ涙が収まっていた私は、鼻先に出現した彼女の顔を、今度こそちゃんと見ることが出来た。
そして、思わず息を呑む。
「だって、シッスルがどんなに素晴らしい人なのか、誰よりも私がよく知っているもの」
シェーナの顔は、私に負けず劣らず涙でクシャクシャで、それでも懸命に私に笑顔を向けてくれていた。




