ダール丘陵の戦い
私は反射的に、ミレーネさん達が向かった彼方の峠を見た。
豆粒のような赤い光が、白い煙の尾を引いて空へと上ってゆく。
パン、という音と共に赤い光が弾けて、空に大輪の火の花が咲いた。
「炸花筒だ!」
「冒険者達が魔物の群れに攻撃を仕掛けたんだ!」
「すぐに奴らが来るぞ! 呪文の準備しろ!」
私の周りで様々な声が飛び交い、魔術士と守護聖騎士が定められた配置に急ぐ。
「シッスル、私達も!」
「うん!」
私とシェーナも急いで丘の斜面へと向かい、逃げてくる魔物へ備えた。
今しがた、峠の向こうから打ち上げられた火の玉は炸花筒だ。魔術研究機関の【エクスペリメンツ】で開発された、空に巨大な火花を打ち上げる火器。合図として使うということは事前に聴いていたが、実際に目にするのは初めてだった。説明されたところだと、あくまで魔法の再現を図った科学の産物であって魔法そのものじゃないという話だったが……。
「綺麗だったな。魔法無しでもあんなことが出来るんだから、いつかは科学が魔法を凌ぐかもね」
「シッスル、何言ってるの? ぼーっとしてないで集中して!」
っと、いけないいけない。シェーナの言う通り、空に咲いた火の花に心奪われている場合じゃない。
私は目を凝らして、魔物が屯しているという峠の方向を見据えた。
「凄い土埃……! 本当にこっちに向かってきてる!」
当初の目論見通り、魔物達は冒険者達の奇襲に不意を衝かれて一斉に逃げ出したようだ。魔物と言っても第二種、元は動物達であることには変わりがない。意表を衝かれれば、多くは踏みとどまって戦うよりもまず逃げることを第一に選択する筈だ。
私は真下の守護聖騎士達に目を落とした。彼らが居る道は、左右が丘に挟まれた隘路だ。此処に誘い込めれば魔物達は逃げられない。曲がりくねってはいるが、道は一本なので魔物達がバラける心配も少なかった。
しかしそれも皆無では無い。真下の守護聖騎士達から見て右手側の丘に私達は待機している。群れから逸れた個体が、此処にやって来る可能性も無くはないのだ。繰り返すが、私の役目はそれを防ぐことである。
土埃はどんどん大きくなる。もう間もなく、魔物達が姿を現す。
勝負の時は、目前に迫っていた。
「見えた……!」
隣でシェーナが息を呑む気配がした。彼女の言葉通り、曲がりくねった道の先から黒い影がひとつふたつと見え始め、瞬く間にそれは雲霞のような黒墨の流れとなって眼下に川を作った。
「展開せよ! “魔断斗気”!!」
号令一下、魔物の奔流と相対する守護聖騎士達が一斉に聖術のオーラを開放した。魚鱗の陣で通りを固めた彼らの防御結界が、蟻の這い出る隙間も無い程に魔物達の行く手を阻む。
それでも、魔物達の足は止まらない。
「魔術士達、構えろ!」
丘の上の守護聖騎士が魔術士達に指示を下し、呪文詠唱の声が次々と重なって膨大な魔力が形成される。それを耳で感じながら、私はひたすら丘を登ってくる魔物が居ないか目を凝らした。
視界の端で、黒い奔流の先端が聖術のオーラに触れた。丘の下から凄まじい衝突音と騎士達の鬨の声、そして魔物達の悲鳴が重なる。
「放て!!」
満を持して下された命令と共に、丘の上の魔術士達もそれぞれの魔法を解き放った。炎、氷、土、雷――。多種多様の詠唱で生まれた様々な具象が、獲物を狩る牙となって真下の魔物達に降り注ぐ。篠突く雨のように飛来する魔法攻撃を浴びて、魔物達は次々と斃れていった。
「撃ち続けろ! 敵に立て直す暇を与えるな!」
続けて下された命令によって、魔術士達はすぐに次の呪文詠唱を始めて第二波の攻撃が用意される。今度もまた、面白いように魔物達の中に吸い込まれて彼らの生命を刈り取ってゆく。
今や魔物達は混乱の極みにあった。彼らの中には頑丈な個体や、運良く空襲を逃れた個体も少なからず存在していて、頭上からの魔法攻撃に耐えつつ必死に眼前のオーラを突き破ろうと突進を繰り返しているが、いずれも尽く聖術の結界に押し返されて虚しく身体に傷を増やすばかりだった。
そんな彼らも、絶え間なく降り注ぐ魔法攻撃にやがて力尽き、魔痕を遺して消滅してゆく。
「凄い……!」
いつの間にか私は、眼下で繰り広げられる戦いの光景に見入っていた。あまりにも一方的な展開に身勝手な感傷が湧いてこなくもないが、作戦通りに事が運んでいることに対する安堵感の方がずっと強かった。
「シッスル、余所見しないで!」
「あっ、ごめん……!」
シェーナに叱責されて慌てて顔を戻すと、魔物達のやってきた道の奥から武器も防具もまちまちな一団がやって来るのが見えた。
「シェーナ、冒険者組だよ! ミレーネさんたちが追い付いてきたんだ!」
「分かってるわよ! 良いから自分の役目に集中しなさい!」
私は坂道に目を配りつつ、それでもやはり主戦場の様子が気になってチラチラと何度も盗み見た。
魔物達の最後尾に追い付いた冒険者組は、怒涛のような勢いそのままに突撃して右往左往する敵の群れを切り崩してゆく。最初に切り込んだ人達の中に、大きな戦斧を振りかぶったモードさんの姿が見えたような気がした。
「撃ち方止め! 待機せよ!」
味方が魔物達とがっぷり四つに組んだ状況を見て、丘の上の魔術士達は攻撃の手を休めた。同士討ちを避ける為には仕方のない処置だが、既にそれまでの攻撃によって魔物の群れは四分五裂、統制も何もあったものじゃなくなっていた。彼らの役目は、終わったのだ。
「我らも突撃する! 魔物共を掃討せよ!」
下の守護聖騎士達も、聖術のオーラを解いて各々が剣を抜き、整然と前に押し出して魔物を直接狩り始めた。足止めされ、魔法の雨に曝され、挙句の果てに前後から挟み撃ちにされた魔物達に、最早逆転の目は無い。この世ならざる異形と化した哀れな生き物達は、為す術も無く狩られ尽くして見る見る数を減らしてゆく。
戦場の勝敗は決していた。
「終わった……」
と、ほっと息を吐こうとした時だ。
「おい、こっちに来るぞ!」
そんな緊迫した声が、弛緩しかけた私を引き締めた。
見ると魔物化した巨大なクマが一頭、主戦場を脱してこの坂道を駆け上ってくるではないか。
「グリズリー級か……! 流石に頑丈だな!」
シェーナが刀を抜き、私を護るように前に立つ。この場を担当している他の守護聖騎士達も同様に、自分の相方たる魔術士を敵の手から護るべくグリズリー級の魔物に向かって足を踏み出した。
「遠慮は要らん! やれ!」
誰かがそう叫ぶと同時に、複数の魔法がグリズリー級目掛けて飛んでゆく。自らに殺到した火や氷の矢を全身に受けて、巨大な黒クマが苦悶の呻きを漏らす。
しかし、それでも魔物の足は止まらない。
「頑丈すぎるだろ!?」
「おい、次の手を……!」
「今やってる! ――火よ、疾き矢弾となりて……!」
攻撃魔法の集中砲火を耐えきったグリズリー級に、私の左右から焦りの声が上がる。
「シッスル!」
「分かってる! 皆さん、目を塞いで下さい!!」
ありったけの声を振り絞り、周りに注意を促す。全員が言う通りにしたかどうか確認する間も無く、私は十八番を発動させた。
「汝が見るもの、全てまやかしとなれ! “極幻光”!!」
渾身の魔力を振り絞った光の魔法。辺りを白黒に染めんとするかの如く、強力な瞬光がグリズリー級の目の前で煌めく。
「――!?」
太い四肢の動きが緩まり、巨大な黒クマがその勢いを止める。戸惑ったように首を左右に振り、何かを探し求めるように虚ろな眼差しが彷徨う。
術式成功だ。あのクマは今、天地がひっくり返ったような衝撃を受けていることだろう。
「うわああ!? な、なんだこれ!? 俺の身体が、身体がタケノコまみれに!?」
「うぎゃああ!? お、落ちる……っ! だ、誰か、手を……!」
「あれ……? 俺の下半身、何処いった……?」
「やめろぉぉぉ! 俺が、俺が消えて失くなるぅぅぅ!!?」
「○卍☓$%&……!?」
……どうやら、味方の中にも目を瞑るのが間に合わず、被害を被ってしまった人が居るようだ。若干、人間の言葉が話せなくなってしまっている人まで居る。……ごめん!
今、私が使った魔法は“幻光”の強化及び派生版。光を見た対象の認識能力を根本から歪め、目に映る世界そのものを幻と化すとっておきの幻術だ。彼らが目の当たりにしている幻の世界がどのようなものなのかは、彼らのセリフから推察するしかない(とはいえ、碌でもないものを見せてしまっていることは疑いようが無い。本当にごめん!)。
そしてあの巨大な黒クマも今、まさに本人しか知らない幻の中で藻掻いている。こちらに向けられていた意識は、完全に遮断されたのだ。
「シェーナ!」
「ええ!」
私の呼びかけに短く答え、相棒にして親友の守護聖騎士が疾風のように駆け出す。抜き放った刀に、【聖なる護り石】を滑らせて聖術の力を付与する。
「ハァッ!」
気合とともに白刃一閃。シェーナの放った流し斬りが、前後不覚に陥ったグリズリー級の胴体を見事に両断する。上下に別れて無造作に投げ出される身体が、やけにゆっくりとした動きに見えた。
断末魔の呻きも無く、恐らくは自分が斬られたことさえ最期まで気付かず、巨大な黒いクマの魔物は粒子となって空気に溶けるように消えていく。
それと殆ど同時に、丘の下から歓呼の大音声が轟く。
主戦場の戦局も既に終端を向かえていた。あれだけ居た魔物も今は一匹たりとて残っておらず、下には勝利の雄叫びを上げる守護聖騎士達と冒険者達の姿だけがあった。
「やった……勝った! 勝ったんだ、私達!」
安堵のあまり、膝から力が抜けそうになる。グリズリー級を斬り捨て、残心を示していたシェーナがこちらに振り返り、僅かに破顔して見せた。
――ゴーン! ゴーン! ゴーン……!
アヌルーンの街から鐘の音が聴こえる。夕刻の鐘だ。戦いを始める直前に赤味を帯び始めていた空は、今やすっかり茜色に染まって夕焼けの様相を呈している。戦闘開始から此処まで、あまり時間を掛けずに終わったようだ。
全一特例作戦、その一環であるダール丘陵の戦いは、こうして私達が大勝利を収めたのだった。
……と、綺麗な形で終われば良かったのだが。




