二人の絆
「初めてよね、シッスルの前でこんな見苦しい姿を晒しているのは」
冒険者ギルドの医務室に、シェーナの静かな言葉が流れてゆく。仰向けにベッドで横たわる彼女は、口元に微笑みを浮かべながら澄んだ瞳を天井に向けて淡々と言葉を紡ぐ。
「ガーゴイルから受けたダメージ、サイラス殿にも治療してもらったしもう大丈夫だと思ってたんだけどね。カティアが言うには、自覚症状が無いだけで内臓にかなりの損傷を被っていたみたい。診察してもらうなりこうして寝ているよう強制されてね、参っちゃってたの」
シェーナの声に自嘲するような響きが加わる。彼女は大きく溜息を吐いた後、口調を改めて続けた。
「懐かしい感じがしたわ。見習いとして訓練を受けていた頃は良くこうして彼女の世話になった。彼女は当時から治癒騎士の卵として見出されていてね。私は彼女の訓練の一環として良くパートナーを組まされていたものよ。あのキツい性格は、その頃から健在だったわね」
私は黙ってシェーナの話に耳を傾ける。守護聖騎士団に入ろうと志してアヌルーンの街中に移り住んでからの彼女を、私は知らない。正式な騎士と認められて再会を果たすまで、私達はずっと疎遠だった。
シェーナの修行時代の話を聴くのは、これが初めてだ。
「当時の私は必死だったわ。早く一人前になりたくて、毎日を生き急いでいた。あの頃はまだ旧態依然の考え方も根強く残っていてね。リョス・ヒュムでありながら、ミド・ヒュム(人間)が拝命されて然るべき守護聖騎士を目指そうとするなんておこがましいって、騎士団の内外ではよく陰口を叩かれていた。言われる度に悔し涙を飲んだわ。それでも、頑張った。訓練がどれ程きつくても喰らいついて、空いた時間は全部自主練にあてて、《スキル》の使い方を研鑽し続けて、騎士として認められようと自分なりに努力し続けた。守護聖騎士を目指すのを止めようと思ったことは、ただの一度だって無かった」
当時に思いを馳せる、シェーナの瞳には揺らぎが無い。一点の後悔も疑問も、彼女は今に至るまで抱いていない。
「訓練過程を全て修了し、満を持して臨んだ最終試験で私は最高の成績を収めた。そして、カティアと共に最年少で正式な騎士として叙されたの。通達を聴いた時、私は安堵のあまり思わず腰が抜けそうになったわ」
……安堵のあまり? 私は、シェーナが口にした言葉に若干の違和感を抱いた。周囲から冷眼を向けられながらも、彼女は念願を叶えたのだ。安らぎよりも喜びで心が満たされるものではないだろうか?
「勿論、喜びも言葉で言い表せないくらい大きかった。けどそれ以上に、“間に合った”という安心感が強かったの」
間に合った? 間に合ったって、何に……?
シェーナの澄んだ瞳は、いつの間にか天井から私へ向けられている。
「シッスル、貴女はサレナさんの愛弟子として国教会では認知され、そのお陰で魔術士が負うべき責任を免除されてきた。ただし、残念ながらいつまでもというわけじゃない。サレナさんに一人前と認められ、彼女の庇護から離れるまでという期限付き。【幽幻の魔女】から巣立った貴女は、ひとりの魔術士として扱われることになる。私は、それまでにどうしても守護聖騎士になりたかったの」
「シェーナ、それって……!」
そこまで聴いて、ようやくシェーナが何を言おうとしているのか分かった。私は思わず挟みかけた口を慌てて閉じて、じっと彼女の言葉を待つ。
「シッスル、私は貴女の騎士になりたかった。魔術士として、窮屈な境遇に置かれることになる貴女の苦痛を、ほんの少しでも良いから減らしたかった。そうすることで、ずっと……貴女の隣に居たかった」
シェーナの瞳は揺れて、綺麗な光を湛えていた。真摯で、それでいてどこか哀願するような雰囲気を放つ表情で、私をじっと見上げている。美しい彼女の唇から紡がれた言葉は、清朗な響きと無垢な願いに満ちていて、私の胸を強く打った。
「どうして……」
胸の間からじんわりと広がる暖かさと痛みに導かれ、震える口からひとりでに声が出る。
「どうして、そこまで私の為に……?」
幼い頃から親しみ、しかし疎遠になっていた幼馴染。離れていた間、彼女のことを考えなかった日は無い。シェーナが守護聖騎士になれば、将来また一緒に過ごせるかも知れないなと淡い希望を抱いていたのも確かだ。しかしシェーナが騎士を志した理由は、私が想像しているより遥かに真っ直ぐで重かった。その事実が、私の心を激しく揺さぶる。シェーナが抱えていた想いや決意がどれほどのものだったのかに気付かず、これまでずっと歳月を重ねてきた自分がたまらなく恥ずかしく、悔しかった。この一途で何処までも献身的な幼馴染に、私は何を返しただろう? 何一つ、報いたことは無かったじゃないか。
シェーナに、こんなにも想われる資格が、果たして自分にあるのか?
「初めて会った時から、そう決めていたの。貴女と友達になりたい、貴女を助けたいって。ただの友達じゃなく、終生の友として」
「初めて、会った時から……?」
彼女との出会いは、そんなにも劇的なものだっただろうか? 一緒に居ることが当たり前過ぎて、出会った切っ掛けなんて忘れてしまっていた。懸命に記憶の糸を辿る私に、シェーナは微笑みを向けながら言った。
「シッスルは覚えてないでしょうね。“エルフ”と言われ、道端でいじめられている私を貴女が助けてくれたことなんて。あの時は、お互い殆ど話さずに別れちゃったから」
「あっ――!?」
シェーナの言葉に導かれ、閃光のように昔の記憶が蘇った。
師匠と一緒に出掛けた日の帰り、私は道端で数人の人間の子供がリョス・ヒュムの女の子をいじめている場面に遭遇した。彼らは女の子を取り囲み、口々に小汚い言葉で彼女を罵りながら暴力まで振るっていたのだ。哀れなその女の子は、泣きながら必死に止めてくれるよう懇願していたが、そんな態度が却っていじめっ子達の加虐心を煽っていた。
特徴的な長い耳という、自分達とは明確に異なる外見を持った存在。相違点を誇大に強調して責め立てることで優位性を得ようとするのは、人間の悪い性だ。加減というものがまだ十全に分かっていない、幼い子供なら尚更だろう。無論当時の私にそんなことまで理解出来る筈も無かったが、数人がかりで寄ってたかってひとりを痛めつけるという光景に言いようのない不快感を覚えたことは間違いない。
それでも、最初は自分で助けようとはしなかった。一緒に居る師匠が、きっと何とかしてくれるだろうと高をくくっていた。しかし、期待の眼差しで見上げた私の目に、師匠は意味深な微笑みを返すだけだった。
私は困惑に駆られて、師匠の顔といじめの現場を何度も見比べた。師匠は何も言わない。ただじっと、私に視線を注ぐだけだ。言葉にせずとも、師匠が目で私に何かを言っていることだけは分かった。それが、私を焦らした。
とうとう痺れを切らし、私は半ばどうにでもなれという気持ちで足を踏み出した。そして子供達と女の子の間に割って入り、いじめをやめるように訴えたのだ。
私の登場に最初は戸惑っていた子供達だったが、その顔には次第に怒気が戻ってきて口々に今度は私を責め立てた。いじめられっ子を助けようとして、いじめっ子の標的がそっちに移るというこれまたよくある話だ。
勇気を出して介入したは良いものの、いじめっ子達の暴力に対抗する術は私にも無い。自分達の幼稚な独善を咎められたいじめっ子達の怒りはすぐにピークに達し、今にも手が出そうな程に空気は張り詰めた。
ところがそこで、いじめっ子達の顔から急に感情が消え、目が虚ろになった。彼らは完全に脱力し、すっかり興味を失ったみたいに私と女の子には目もくれず、フラフラと何処かへ去っていった。
師匠だ。私はすぐに気付いて師匠の方を振り返ると、彼女は満足そうにかざしていた手を下ろして魔力の残滓を払った。魔術で、いじめっ子達を催眠状態のようなものにして追い払ってくれたのだ。なんだかんだで手を貸してくれた師匠に感謝しつつ、私は安堵のため息を吐いた。
『あ、あの……』
と、そこでいじめられていた女の子の存在を思い出した。向き直った私にそのリョス・ヒュムの女の子は、泣き腫らして青あざまで出来た顔に精一杯の笑顔を浮かべながら言ったのだ。
『たすけてくれて、ほんとうにありがとう――』
……それから私と師匠は、その女の子を家まで送り届けてそこで別れた。
師匠はあの子と積極的に喋っていたが、私は師匠の影に隠れて殆ど口を利かなかった。恥ずかしかったのだ。あの子と私を助けてくれたのは師匠の魔術で、私の自力じゃない。そもそも、最初は助けることをためらった癖に大きな顔なんて出来る筈も無い。“ありがとう”なんて、言われる価値は無いんだ――。
だからこそ私は、この記憶に蓋をした。あの子とはその後も度々出会い、いつも一緒に過ごすようになったが、いつの間にか仲良くなっていたというあやふやな認識のままでずっと留まっていた。だが、あの時の女の子は――シェーナは……
「あの時、貴女とサレナさんに出会えたことが、私の原点。あそこから、私の一生は始まったの。私を助けてくれた彼女に、今度は私が恩返ししたくて。魔術士がどういうもので、貴女が将来どう扱われるかを理解した時、私の進むべき道は明確に定まったわ。そして今、私は此処に居る」
シェーナの強く、それでいてとても優しい眼差しが私を包み込んでいる。
「シッスル、貴女は良くやっている。自分の思うまま、胸を張って生きてほしい。私が、隣でそれを支える。そうすることが、私の望みだから。シッスルの一生を、どうか私に補佐させてほしい」
「シェーナ、でも……! 私は……っ! いつも、あなたに甘えてばかりで……! あの時だって、本当は……助けにいくのを、ためらって……!」
色んな感情が一気に襲ってきて、私の目から止めどなく涙が溢れる。嗚咽に阻まれながら辿々しく吐き出した懺悔を、シェーナは緩やかに首を振って否定した。
「そんなこと無い。シッスルはいつも私の心を救ってくれていた。リョス・ヒュムを“エルフ”だなんて差別せず、普通に友達として接してくれた。幼い私には、それが何より嬉しかったんだよ。大きくなった今だって変わらない。それに、シッスルは私に無いものをたくさん持ってる。私に出来ないことを、補ってくれている。誰がなんと言おうと、貴女は最高のパートナーよ」
膝に置いて震えている私の手に、シェーナの手が重なった。節くれだった、タコだらけの手。それでいて柔らかい不思議な感触。彼女の強さと優しさが凝縮されていた。
「シッスル、どうか自信を持って。貴女はとっても凄い人だって、私が知ってる。貴女に出来ないことは、私が代わりに果たす。たとえどれだけ辛くても、私が傍で支えるから。ね?」
「うぅぅ……! しぇ~なぁ~……!」
それ以上何を言うことも出来なくなり、私はシェーナの手の甲に顔を押し付けて泣き続けた。




