プロローグ
“ここではない何処か”を求めた経験は無いだろうか?
変わらない日常。退屈な毎日。
あるいは、終わらない苦しみ。見えない希望。
自分が居る“ここ”に連なる一切のしがらみを棄て、真新しい場所で、まっさらな心で、全てをやり直したいと願った記憶は無いだろうか?
もし、一度でも、ほんの僅かでも構わない。
そういう風に願った事実があるのなら――
その意思が、今も変わらずあなたと共に在るのなら――
「ご安心下さい。どんな幻も、想い続ければ現実に変わるのです」
闇の中から、甘い声が囁いた。
誰だろう、と思い目を開けようとする。
しかし目蓋は重く、持ち上がらない。指先に力を込めようとしても、微かに震える感触があるだけで動かない。
まるで自分の身体が自分のものじゃなくなってしまったかのような感覚。
五体の制御を失ったまま、闇の中をただ漂う。
不快感は、無い。むしろ、全身を極上の絹で包まれているかのような柔らかい心地よさがある。
身体を動かせないのは怖い筈なのに、心は半ば安心感に浸っている。
このままずっと揺蕩っていたくなるような、奇妙に投げやりな思考が頭の中で膨らむ。
「不安にならないで。今はただ、何も考えずにただ身を任せて――」
闇の奥から、再び声が這い寄ってきた。
ゴーン……! ゴーン……! と、腹底に響くような音もする。
そして――
全ての意識が、そこで途絶えた。