このヒロイン、実は・・・
「先輩、これを受け取ってください」
澄み渡る今日の空の様な、くもりない笑顔で、”雨傘”を差し出す彼女には秘密がある。
それは、少し変わった予知能力。
いつ、どこで、何のためにか・・・は、わからないけれど、将来、必要となるであろう品物がわかるという。
それが、一見どれほど役に立たなそうな品物だったとしても、彼女の予知は絶対に外れない。
例えば、穴の開いた長靴は、植木鉢として、第二の人生を歩んでいる。
チェーンの切れた自転車を渡された時には、さすがに、これをどうするの!、と思ったけれど、ストーカーの存在が発覚するにいたった。
偶然、女生徒のそばを自転車を引いて歩いていたところ、絡んできた男がいたのだ。わざわざ自転車を降りて歩いているくらいだから、関係者だと思ったらしい。無論、悪しき関係の鎖を断ち切るため、ストーカーは、しかるべく処理させていただいた。
あるいは、釘抜きが無くて困っていた演劇部に、なんて物を持ち歩いてんだよ!、とおののかれる一幕もあったりして。
そして、今、目の前に、自販機の下をのぞき込んでいる子供がいる。お金を落としてしまったらしい。
仰げば広がる青空に、渡された雨傘の使い道を知った。
彼女の予知は、絶対に外れない。
翌日。
「先輩、これを受け取ってください」
担いでいた梯子、いや脚立を、ガシャンと下ろすセーラー服姿の存在感たるや二度見待ったなしだが、見返してみたところで変わることなく、過去一番の大物が鎮座ましましていた。
あぁ。
僕は、心密かに嘆息した。
今までにも色々あったけれど、そっかあ、まだこのパターンがあったか。
これを運ぶのはさぞかし大変だろう事は想像に難くない。
彼女のその笑顔の意味するところは・・・
しかるに、脚立を持ち歩くことが決定した。
それにしても、学校というのは、つくづく異常な空間だと思う。
これだけ目立つ物を運んでいても、存外、とけこんでしまって、いぶかしがられもせずに、こうして普通に歩き回れるのだから。
いや、そりゃあ、まあ、スカート姿に脚立の組み合わせを見かけたのなら、行き先が気になって仕方がないバカ者があらわれもするかもしれないけれど、しょせん野郎では気にもとめられない。
まあ、担いでいる当の本人としては、肩と手の平に食い込んで主張してくる重さやら、地味に足の運びに絡んで邪魔をする存在を意識の外に追いやることなど到底かなわぬことではあった。
漫然と成り行きにまかせることもできず、僕は、予知について考える。
これから脚立が必要になる出来事が起こる。つまり脚立は、未来を予測するヒントに他ならない。
素直に考えれば、高いところに登る羽目になるということだろうけれど・・・
なんか、この時点で、あまり心楽しい未来にはならなさそうなことは、わかってしまったかもしれない。
とりあえず、高所での異変を気にしながら校舎沿いを歩いてみると、慣れ親しんだ場所であるはずの学校にも知らないことがあることに驚いた。
例えば、校舎の脇に植えられている木の枝に、手作りっぽい巣箱が設置されているなんて、ついぞ知らなかったし、二階の窓からそれをずっと眺めて観察している生徒がいることにも気がつくことはなかった。
巣箱を設置するには、人通りがあって天敵が近寄ってこない場所の方がむしろ向いていると聞いたことがある気がするけれど、もしもあの巣箱に鳥が巣を作っているのならば、あの窓はきっと絶好のアリーナ席に違いない。
同じ学校で過ごしていても、あの生徒は、僕が知らなかったことを知っていて、僕とは違うものを見ているのだと思ったら、いつもと変わらないはずの学校生活に、そこはかとない期待のようなものが感じられるような気がして、なんとなくあの巣箱に鳥が戻ってくるのを見てみたくなって、しばらく僕も見上げていた。
・・・だけなんだけどね?
「居たあー、あいつが犯人だあ!、確保!」
集団の先頭の女子が僕を指さし、みなで駆け寄ってきて、たちまち取り囲まれてしまい、理解が追いつかないままに、って、ちょっ、えっ。
「犯人、僕が?」
「この脚立が何よりの証拠、神妙に縛につけ!」
ああ、脚立ですか。
ノリノリで僕を捕まえた女子は、やにわに二階の窓に向かって手を振り、つられた形で見上げれば、騒ぎに気づいてこちらを見ていたあの生徒が、小さく手を振りかえしていた。
「なんか、いきなりすぎて理解できていなくて、説明してくれる?」
脚立ごと連行された先は、体育館の舞台の下。そこにいた演劇部員たちの話を聞くと、舞台の小道具として脚立を使いたかったのだけれど、倉庫に見当たらず、行方を捜していたという事らしい。
「舞台の上で脚立を使うの?」
僕をノリノリで捕まえた女子が説明してくれた。
「そうなの、脚立の上から紙でできた雪を降らす係の人を、あえて舞台の上に登場させてね、他の役者を見下ろしながらツッコミを入れたりして、その後、徐々に絡みが増えていくみたいなシナリオのプロット案を作っている所なのだけれど、実際に脚立を舞台で使うとどんな感じになるのか確かめてみたくて」
「へぇ、いかにも演劇ならではって感じがしていいと思う、面白そう」
「ありがとう、まあ、まだプロットの段階でしかないんだけれどね。ちょっと、急いでシナリオを作らないといけない事情が出来ちゃって」
舞台の上では、実際に脚立を移動させながら設置位置を相談している。それを見ながら、わずかに気落ちした様子で言っているのが少し気になって。
「事情?」
「本当はね、別の台本を用意していたのだけれど――」
学校には、生徒にはあまり知られていない装飾室という倉庫があるという。体育祭の入場門やプラカード、文化祭などで使う立て看板などの装飾品をしまってある建物で、そこには、演劇部の備品や、美術部員が書いた絵なども保管されている関係上、ちょいちょい出入りをしている場所であるらしい。
その装飾室で見つけた一枚の絵からインスピレーションを受けて一本のシナリオを書き上げた。
「もうね、その絵を見た瞬間に、すごい!、これだ!、ってなったの」
それが、『消えた少女の絵』という舞台。
舞台中央に配置された一枚の絵に向かって、かわるがわる舞台に上がった役者たちが、一人ずつ語りかける形での独白をしていく、というシナリオだった。
『消えた少女の絵』は、なかなかの高評価を得て、本当なら次回もそれを上演する、はずだった。
ところが、その絵は、学校の倉庫で人知れず眠っているにしては、少々いわくのある絵だったことが後に発覚するにいたる。
きっかけは、ある著名な画家が母校の生徒が演じている舞台を観劇したこと、といえば、もう察しはつくと思う。その画家は、自分が学生時代に描いた絵が舞台の小道具として使われているのを目撃し、そのシナリオにもいたく感激して、母校に連絡してお礼のメッセージを贈る。それは、演劇部員たちにとっても嬉しい出来事だった、・・・そこまでならば。
学校は、著名な画家が在校生時代に描いた絵の存在をそこで初めて知った。にわかに色めきだった学校は、その絵を展示することを画家に打診し快諾を得たという。当然の帰結として、演劇部に絵の所在をたずねることとなる。その時、演劇部員たちは、今後もその絵を舞台で使わせてほしいと願い出たそうだが、学校側からは、申し訳ないが舞台の小道具は他の絵で代用してもらえないだろうかと言われたそうだ。不満に思う部員も多かったけれど、もちろん希少な絵であることは重々理解しており、演劇部は、装飾室から『消えた少女の絵』を美術準備室に移すことを承諾する。
そもそも、その絵があってこそのシナリオであり、他の絵で代用するのはせっかく喜んでくれた画家さんにも悪い気がして、新しいシナリオを用意することになったというのが事の顛末らしい。
そんなあらましを聞いて、僕には、ひとつの疑問が浮かんでいた。それは、世界で僕だけが気づくことのできる違和感。
今、舞台上では、設置した脚立の上から生徒が手を振って安定していることをアピールしており、下ではみんなして手を振りかえしている。
「あの脚立って、元々は装飾室にあった物かな?」
「だと思うけれど」
そうだとすると。
「もうひとつ質問なんだけれど、装飾室って普段は鍵がかかってる?」
「もちろんかかってるよ、あそこにはペンキを溶かすためのシンナーが一斗缶でいくつもとか、結構な可燃物が保管されてるから・・・」
これはおかしい、脚立がそのまま装飾室にあったなら、問題なく演劇部へと渡り、僕がこうして脚立を持ち歩く必要がそもそも無かったって事にならないか?
多分だけれど、彼女の予知はまだ終わっていない、これからがある。
「って、どうして、そんなことを聞くの?」
あれ、睨まれてる。
「そういえば、あの脚立、どこから持ってきたの?」
あっ。
それ、言えないんです。
「すまない、みんな聞いてくれ」
そのとき、ガラガラと結構な音を立てて、体育館の扉が開き、教師が演劇部員たちの注目を集める。
「『消えた少女の絵』が消えた」
やっぱり予知はこれからだった。
明日、画家さんが展示される絵を見に来る予定があり、演劇部にも挨拶をしたいと言うことは伝えられていた。それまでは美術準備室で保管されているはずの絵が消えてしまった。学生時代に描かれた絵なので、額装などは施されておらず、とりあえず、イーゼルに乗せられた状態で布を被してあったものが、空のイーゼルだけが残された状態だったという。美術準備室には、他にも絵画があり、棚に保管されていたり、いくつかは机に並べられた状態であったが、教師が確認した限りでは、それらの中にも混ざってはいなかったらしい。
これまでに絵を詳しく見たことがあるのは、おそらく演劇部員たちだけだろうと言うことで、校内での捜索を手伝ってほしいということになった。
手分けして校内を探すことになったが、予知のこともあり、なんとなく気になったので、装飾室に向かうグループについて行くことにする。装飾室には、確かに数点の絵が保管されていた。ベンチに座ったクマのぬいぐるみなどは、かなりの腕前に見えて、感心してしまう。しかしながら、演劇部員が確認したところ、学生時代の画家の描いたという絵は、残念ながら見つからなかった。
装飾室を出ると、あの巣箱のある木が見える。なぜか、舞台の上の脚立から手を振っていた光景がよぎり、連行されたあの時、二階の窓から手を振っていたのをつと思い出す。もしかしたら、何か見ているかもしれない。一人分かれて二階の教室へと向かった。
「うん、見たよ」
美術準備室の方から来て、装飾室に何かを運びこんでいる生徒たちの目撃情報が得られてしまった。時間的には、僕が演劇部に連行される少し前くらい。
でも装飾室に絵はなかったのだけれど。
ただ、彼女の予知がある。
これは脚立を持ち歩いていたことの恩恵で得られた情報だから、無関係ではないと仮定してみる。
一度、装飾室関連の情報を整理してみよう。
①装飾室に何かが持ち込まれて、それは画家の学生時代の絵ではなかったとしても、なんらかの関係があるもの。
②装飾室の存在自体を普通の生徒は知らない。
③普段、装飾室は施錠されている。
④脚立を持ち出したのは、おそらく彼女であり、僕にそれを渡した。
装飾室の鍵を教師から預かって開けたのは、おそらく脚立を取りに行った演劇部の誰かのはずなのに、実際には、脚立を持ち出すことなく鍵だけを開けているということになる。そうでなければ、彼女が脚立を持ち出すことができないから。
時系列で言うと、演劇部員が装飾室の鍵を開けて立ち去る → 彼女が脚立を持ち出し僕に渡す → 装飾室に何かが持ち込まれる → 装飾室に脚立がないことが発覚して捜索開始 → 僕が捕まって連行される、となる。
あれ、演劇部員が怪しい動きをしてるよ、これ。
待って、鍵って開けた後は、どうなるかな?
脚立を持ち出したあと、再び仕舞うまでは、開けっ放しでも不自然ではないから、逆に言えば、脚立を持ち出すという理由で鍵を借りれば、装飾室に何かを持ち込むまでの比較的長い時間を疑われることなく開けっ放しにしておくことができる。
えっと、そういうことなのか。
一度、鍵を開けるためだけに装飾室に寄ってから立ち去るというのは、いかにも効率が悪いから、あるいは、何かを運び込んだのかもしれないけれど、多分、脚立ではない別の何かを装飾室から持ち出しているんだと思う。
装飾室から、何かを持ち出して、何かを持ち込んだ、ということだろうか。
仮に、それが画家の絵だと仮定すると、装飾室に残っていないからには、持ち出した物の方にだけ可能性があることになる。
その場合、画家の絵は、美術準備室ではなく、装飾室にあったということになるけれど、美術準備室に一度は絵が運び込まれているのは事実だ。
そもそも、演劇部員の仕業だったとしたら、装飾室に画家の絵がなかったという証言は信頼しても良い物だろうか。あそこには、数点の絵があったのだから、そのうちのどれかが画家の絵だったとしても、僕にはわからない・・・、って、ああっ!
そうか、そういうことか、うかつだった。
絵を手元に残しておきたい演劇部員だったけれど、一方で、小道具は別の絵で代用するように言われている。もしかしたら、画家の絵を引き渡すために装飾室に取りに行ったときに、代用できそうな絵はないかと探したのかもしれない。そこで、見つけてしまったのだと思う、代用できそうな絵を。教師は絵については、ただ『消えた少女の絵』とだけ思っている。そして、確かに『消えた少女の絵』に見える絵が、装飾室にはあった。消えてしまった少女の姿絵ではなくて、ベンチに熊のぬいぐるみだけを残して少女が消えてしまったように見える絵だけれど。
最初に教師にあずけられたのは、クマのぬいぐるみの絵だったのかもしれない。
『消えた少女の絵』のシナリオを聞いていた僕は、少女の姿絵に語りかけていると思い込んでいたから思いつかなかった。
もっとも、クマのぬいぐるみの絵でも舞台にできないことはないし、もちろん、本物の画家の絵を知らないから、もしかしたら、クマのぬいぐるみこそが本物、なんて可能性だって否定しきれないわけだけれど、確実に、本物を見抜ける人物がもうすぐ学校にやってくる。そう、画家本人が絵を見に来るわけだから、その前に、本物を返さなくてはならなくなった。
つまり、画家の描いた絵を美術準備室に移動させ、偽物の絵を装飾室に戻した、はず。
イーゼルが空だったのなら、見に来た画家の目にとまりやすい机に並べられた絵が本物のような気がする。もし画家が美術準備室に訪れるまで絵の紛失が発覚していなかったなら、イーゼルに絵がないことに気づいて周囲を見渡した画家本人が、ここにあったと本物の絵を手にとってくれるだろう。そうなれば、偽物の存在自体を画家に隠したまま、お墨付きで本物を展示できる上に、ごく短時間で事件が収束するので、おとがめも軽くすむかもしれない。
まあ、どちらにしても教師にバレるのは覚悟の上ってことだと思う。
そう、これって、教師にどんな絵だったのかを確かめたらすぐにわかっちゃう。
「先生、教えてほしいことがあるのですけれど」
僕は、知りたいことを聞くと、そそくさと職員室から退散、それから、おもむろに携帯を取り出す。もちろん電話したのは、教えて貰ったばかりの画家さんの連絡先へ。
ただ、どんな思いで書かれたシナリオなのか、伝えたのは、それだけ。
画家さんは、学校に、こう伝えたらしい。
せっかく私の描いた絵のために作ってくれたお芝居なのに、その肝心の絵が、私が描いた物ではなくなってしまうのは非常に残念です、と。
僕も画家さんの絵を見せて貰ったのだけれど、そこに描かれていたのは、大きなトランクにまたがって座っている、活発そうな女の子だった。
すっかり、『消えた少女の絵』と呼ばれているけれど、本当のタイトルはもっと夢にあふれた物のような気がした。
翌朝。
「先輩、これを受け取ってください」
僕は、手渡された包みの意味を、懸命に、それはもう全力で考察している。
ハンカチにくるまれた、このお弁当の意味を。