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愛を乞うひと。

作者: 流鏑馬 嵐


愛を求めてさまよった伯爵令嬢のお話。

私の思う貴族らしい令嬢の話なので一途さや純愛とかは皆無。後継を産んでるし愛人も出てくる。

モヤッとしたらブラウザバックで自衛してください(笑)







リリーナは伯爵家に生まれた令嬢だ。

貴族らしい父と母に、厳しく躾られ、令嬢として恥ずかしくないよう教師も付けられ、貴族らしく育った。

望む物も望まない物も手に入る。

恵まれた生まれなのだろう。



けれどリリーナは知っている。



父は愛人とその愛人との間に生まれた息子を目に入れても痛くない程愛しているし、

母はコロコロと変わるが見目の良い若いツバメや役者を愛している。



伯爵家当主や伯爵夫人は職業であり、ビジネスパートナーであり、そこには愛など欠けらも無いこと。

いがみ合って無いだけまだ、マシなのだろう事も。



その2人から生まれたリリーナは、リリーナと言う商品でしかない。



乳母が本当の娘に惜しみなく与えている愛情など、リリーナには決して与えられない。



いつでも出荷出来るように整えられた、商品。



貴族の娘など、皆、そんなものだ。



与えられない愛情に縋り付くのも馬鹿らしく、リリーナは親からの愛を期待するのを辞めた。

そしたら、幾分か気持ちが楽になり、淑女として磨きがかかった。





そんなリリーナも年頃になり、淡い初恋を抱いた。


王太子や、王族の血が入ったキラキラしい公爵子息に憧れなかったわけじゃない。

けれど、並み居る令嬢を押しのける程の家格や才覚もない事は十分分かっていたし、見た目も所詮伯爵家令嬢。



そんな中、王家主催の茶会という名の交流会で、リリーナは初恋の君と出会う。



同じテーブルで何気ない会話をしていた時、隣に座っていた子爵令嬢に気安く声をかけてきた青年がいた。

どうやらその青年と子爵令嬢は領地が隣同士の幼馴染と言う話だった。



リリーナは青年を一目見て、衝撃を受けた。

透き通った湖の様な碧色の髪を緩やかに結い、幼馴染に話しかける様は柔らかく微笑んでいて、左目下の泣きぼくろが、男性なのに色気を感じた。

声色も程よく低く耳に心地いい。



リリーナはあっという間に、その青年に恋をした。



青年はリシャールと名乗った。子爵家の三男だ、とも。

リシャールは幼馴染の令嬢を構いつつ、同じテーブルの令嬢全てに卒なく挨拶をかわすと、自分のテーブルへと戻って行った。



初恋が叶うなんて大それたことは考えていなかった。

けれど、想うだけなら。



打算がない訳では無いが、リシャールの幼馴染の令嬢と交流会後も親しくし、何気ない風を装ってリシャールの話を聞いたりした。



その度にリリーナの想いは膨れるばかり。



家格的にも立場的にも、叶ってしまいそうな距離感。

夢を見るだけなら、と自分の気持ちを誤魔化し続けたが、その夢は呆気なく終わる。



幼馴染同士の、恋愛による婚約。



頬を染めた子爵令嬢の口からそれを聞いた時、リリーナはちゃんと微笑んで居られたのか、自信は無い。

今まで子爵令嬢から聞かされていたリシャールの話は、単なる惚気話だったのだろう。

そんな話をもっと、もっと、とせがむ自分のなんと滑稽な事か。


こうして、リリーナの初恋は道化の如く終わった。

幕引き後、幸せな新郎新婦を特等席で祝える立場だけを残して。






自分の指先を態と傷つけるように砕け散った初恋を拾い集めてやっとゴミとして捨てられた頃、

リリーナに政略結婚の話がもちあがる。



公爵家主導の事業に様々な家格の家が参加する大きな事業に有効な政略結婚。

御相手はリリーナと同じく伯爵家だが少しばかり相手の方が家格が高い。

けれど同じ事業を行うパートナーとして、誼を結ぶための、とても大切な結婚。



当主である父から告げられたのは、下命としての結婚と、御相手の名前と家格のみ。

政略結婚とは、そのようなもの。

否やも、なにもない。

リリーナは淑女の礼をもって、受け入れた。



程なくして、婚約者との顔合わせの茶会が開かれた。

家の面子を掛けて磨きに磨かれたリリーナは、緊張の面持ちで婚約者と会った。

リリーナより2つ程年上の婚約者、ガイルはこの国特有の燃え立つ様な赤毛で、勇ましく見えるが文官を目指していたと言う。

少しだけ歴史の古い伯爵家の次男であり、リリーナの伯爵家への婿入りとなる。

家格で言えばガイルが高く、だが婿入りの為立場としてはリリーナが高い。

外から見ればバランスのとれた政略であった。



顔合わせは終始穏やかに終わった。

リリーナ自身も、多分ガイルもお互いの事など分かりようもない、短時間の茶会。


結婚までの婚約期間は10ヶ月程。

その間にお互いに歩み寄れれば。

リリーナはそう考えていた。

政略結婚だからこそ、愛はなくとも最低限ビジネスパートナーとして信頼関係を作らなければ。

それは貴族子女としての義務。

両家の名に恥じぬよう、また、事業が円滑に流れるよう細やかに心を砕いた。

ガイルもリリーナを尊重し、婚約者としてのエスコートやプレゼント等相応しく贈りあった。



結婚式が間近に迫ったとある日、リリーナはガイルと共に事業主である公爵家の夜会へと訪れていた。

リリーナはリリーナの、ガイルにはガイルの社交がある為、各々様々な人々と挨拶や雑談を交わしていく。

ひと通り話すべき人と話終わった後、何かに誘われるように庭園へと足を向ける。

予感。があったのかもしれない。

くちさがない親切な人がそれとなく告げてくる言葉にうんざりもしていた。



呆気ないほどその2人は簡単に見つかった。




草木に隠れてるんだか、居ないんだか。

婚約者であるガイルとその想い人と噂の令嬢が、秘めやかに睦み合う、月夜の庭園。

囁き会う話はリリーナとガイルの結婚について。

令嬢が感情的にガイルに縋り付き、ガイルも満更では無さそうだが、政略の為致し方なしという所だろうか。


引き裂かれる2人は、切なげに愛を囁きあう。



ぼんやりと眺めながら、腹違いの父の息子が年上だったのを思い出していた。

遠目にチラと見ただけでも父とそっくりだった異母兄。

庶子の為貴族にはなれないが、両親の愛情を一身に浴びて羨ましくてしようがなかった。



今夜、ガイルと令嬢の愛が実ればまた兄のような庶子とリリーナの様な貴族の兄妹が出来るのだろう。

そして、またその貴族の娘も愛を求め彷徨うのだ。



モヤモヤとした気持ちに支配され、身も世もなく叫び出したい気持ちを抑え、リリーナは夜会の会場へと戻った。

帰りは何事も無かったかのように、婚約者のエスコートで。



結婚式は華々しく開かれた。

事業の縁で第二王子殿下が言祝ぎに訪れたり、公爵閣下より高価すぎる祝いの品を貰ったりと、緊張の連続であったが、無事に終えることが出来た。

ガイルも気を張りっぱなしだったのか、初夜の為訪れた顔には疲労感が出ていた。

お互いに疲労困憊だが、初夜が恙無く終わってこその婚姻。


着せられた夜着は心許ないが、色々な感情を押し込めて夫となったガイルに楚々とした振りをしつつ妻としての礼をとる。

ガイルもきちんと夫としての勤めを果たしてくれた。

話に聞いていたほど酷い扱いもされず、胸を撫で下ろした。

世の中には妻や愛人を玩具の如く扱う男も居ると聞いていたので、そこだけは安心した。



愛など無くとも、子は出来る。

それこそリリーナが体現している。





結婚した事により両親は領地経営から退き、隠居する事となった。父も母も仕事から解放され、やっと愛する者と柵なく過ごせる事だろう。


リリーナは伯爵夫人として家政と社交をこなしつつ、当主となったガイルの領地経営も何かあれば手助けし社交界では非常に仲の良い夫婦と言われた。



ガイルと想いあっていたあの令嬢との関係がどうなったのかは、知らない。

知りたくもないので放置しているが、害になりそうなことは流石に入婿の立場でしないであろう。

それぐらいはガイルの事を信頼していた。



結婚してから7年が経ち、リリーナは貴族令嬢の義務として2男1女を生んだ。

ガイルは7年の間に領主として揺るぎなく領地を栄えさせ、結婚に至った事業も上手く乗り切った。

ここまで来ればもう、大丈夫だろう。



リリーナは後継を産んだことにより身体が弱り、療養の為領地にある港町近くの保養地へと引き下がる事にした。



子供達とは早々に乳母や家が雇った教育係によって引き離された。

自分の産んだ子供になら愛し愛される事も出来るかもしれない。そう思っていたが、伯爵夫人であるリリーナにそれは許されてはいなかった。



自分と両親のように。



けれど、リリーナと違い兄妹が近くにいる。それが少しでも子供の心を埋めてくれればいい。

それがリリーナでない事が少しだけ、寂しかった。



小さな希望もリリーナには叶えられない。



少しばかり心が疲れてしまったリリーナは、医者に金を握らせ療養が必要な事にした。

後継を産んだ貴族女性の体のいい逃げ口上だ。

領地まで着いてくる口煩い人は居ない。勿論男性側もうっすら気づいている。が、お互いに体面が保たれればそれでいいのが貴族。

派手に悪評さえ立てなければ、後継を産んだ夫人には自由が許される。




そうしてリリーナは、領地にある港町へとやってきた。




領主の保養地として建てられた屋敷は1人で暮らす分には少し広いぐらいで。

結婚前からの腹心の侍女と執事と騎士、料理人やその家族とで、20人にも満たない人数で丁度良い広さ。

ひと月もすれば海辺の独特な匂いにも慣れた。

港町特有の自国と他国の混ざりあった文化を楽しめる程になった。



束の間の自由。

リリーナは少女の様に目を輝かせた。


決して伯爵夫人からは逸脱は出来ないが、何処までも続く海は違う自分の"もしも"を運んで飛び立たせてくれる。



そんな想像を屋敷では楽しみながら、時々侍女や騎士と港町を散策する。

珍しい果物に舌鼓をうち、鮮やかな色味の布に心ときめかせ。


すっかりと港町に惚れ込んでしまったころ、リリーナは2度目の恋に落ちた。



歳をとり、貴族間のアレコレも知り、駆け引き慣れしたはずのリリーナはけれどもストン、と恋の落とし穴にハマりこんだ。



海を挟んだ向こうの国の船に乗ってやってきた商人である青年は、美しい装飾品を持って屋敷を訪ねてきた。

その手には港町の顔役の紹介状が。

商人はロイスと名乗った。

白と見間違う鮮やかな銀髪を左右サイドだけ短く刈り込み、日に焼けた船乗り特有の肌色に無駄な肉の無い身体、理知的な切れた目元は鋭く見えるが表情で上手く和らげ、鼻筋は通り無駄な肉のない頬。

粗暴さと繊細さを併せ持つような見かけだが、発する声は落ち着いていてリリーナより3つも年下とは思えないほどの貫禄。



商人であり、海の男でもあるロイスはリリーナが初めて会うタイプの男性であった。


それから、ロイスは何度となく屋敷に訪れては商品だけではなく、旅の話や遥か異国の話、若かりし頃の冒険譚等面白おかしく語って聞かせ、気がつけばそれはリリーナを口説く言葉に変わり、その言葉達は面白いぐらいにリリーナに染み込んだ。



ロイスと知り合って1年もする頃には、ベッドを共にし蜜月の恋人達の如く過ごすようになる。



リリーナは生まれて初めて、深く愛され深く愛を返した。

愛し愛される喜びを初めて許された気がした。

毎日がキラキラと輝き、フワフワと軽やかで、全てが甘い、そんな日々。

伯爵夫人ではなく、リリーナとしての幸せな日々。



けれど、それは唐突に終わりを告げる。




たまたま、お忍びで港町を散策していた時だった。


ロイスは2ヶ月ほど前に他国へと商いの為に渡り、昨日ようやくこの国の港に船が戻ってきた知らせが届いた。



もしかしたら偶然ロイスに会えるかもしれない。



いつもならロイスが訪れるまでソワソワと屋敷で待つばかりだったが、待ちきれずわざわざ港町まで散策の体で様子を見に来たのだ。


そうして、ロイスの乗る船の近くまで来た時、船員達と共に楽しげに話をしているロイスを見つけ、驚かせようとこっそりと近づいた。



この時、むしろ堂々と声をかけていれば。


後からそう思ったところで、結末は変わらなかっただろうに。




貴族女の股と頭の軽い事。

甘い言葉で囁けばゴミを喜んで高く買う事。

娼婦と違い奉仕するのが面倒な事。

商売の為とはいえ神経がすり減る事。

今回も近いうちにあの屋敷まで行かなきゃ行けないのが憂鬱な事。

なんなら、誰か変わってくれないか??

従順で、リリーナ愛してるって言えば多分誰でも抱かせてくれるぜ??


周りの船員に囃し立てられ、喋りながら船へと戻っていくロイスをただただ、涙を流しながら見送った。





それから1週間ほどの記憶が曖昧だが、リリーナの偽りの恋人ごっこは終わった。



あの日、散策と言えどそばに控えていた騎士の護衛も勿論全てを見聞きしていた。

飛び出し切りかかろうとしたのを止めたのはリリーナだが、茫然自失になったリリーナを連れ帰ったのも彼等だ。


そうして彼等は主を侮辱した男を許すはずもなく。

数日後、ゴミと称した商品を持ってきたロイスを屋敷に入れることは無く、軽く袋叩きにした後散々脅しつけて返した。

殺す事は私が許さなかった、らしい。



国同士まで大事になっては困る。

たかだか異国の商人1人。軽く思い知らせて後はほうっておきなさい。


あやふやなまま、そう言いきったそうだ。

骨の髄まで、伯爵夫人だった。




ぼんやりとした世界から戻りつつあった日、港町からロイスを紹介した顔役が謝罪に来たが、領主夫人として面子が潰れない程度には許し、伯爵家に有利になる様に同じことが二度と起きないように恫喝もした。

この港町でロイスはもう歩けない。領主夫人であるリリーナと港町の顔役に泥を塗ったからだ。

国同士の取引に差し障りは無い。

なんなら、顔役から有利な条件も引き出せた。



そうして、リリーナには何も起きていない事になった。

異国の船のいち商人の顔がすげ変わっただけ。



残ったのは愛を欲しがったが故にゴミを掴まされ、果ては侮辱され笑いものにされた女1人。


血の涙を流しながら、それを悟られぬよう笑顔で家の醜聞とならぬ様立ち回り、ことを納める。


全てが終われば、果てしない虚しさだけがリリーナを苛んだ。



屋敷の侍女や護衛達は、変わらず仕えてくれる。

けれど何処かよそよそしく感じ。

あれだけ明るく感じた屋敷の中も、今は斜陽を迎えた如く薄ら暗く感じる。

そんな気分をどうにかしたく、侍女も付けず1人屋敷の小さな書斎で1日を過ごす。

図書室の隣のほんの小さな書斎は、1人で過ごすにはうってつけで。

図書室で何冊か見繕っては、1人黙々と読む。



少し冷静になると、あの商人の商人らしからぬ振る舞いを思い出す。

抜け目ないはずだったあの男が、衆目のある中何故あれだけ領主夫人を扱き下ろしたのか。

国に帰るのに大きな理由がいったのか。

それとも、帰りたい程リリーナが嫌だったのか。



答えのない問答が浮かんでは沈んでいく。





読んだことの無い歴史書から始まり、戦術書、野草図鑑に医学書。

物語や童話などには手をつけず、人の手垢の少ない本ばかりを進んで読んでいた。

飛び飛びに棚を見て回ると、図書室の隅、隠されるような歪な小さな棚が。

かがみ込んでよくよく見れば、煤けて状態の良くない古い本が何冊か。

埃をはらいながら棚から取りだし書斎へ運ぶ。

読める文字が書いてあるといいけど。

少しだけワクワクしながら1冊1冊めくっていく。

何冊かは読めず、1冊は本の劣化が酷くめくるのを辞め、最後に手に取った本は辛うじて表紙の文字を読めた。複雑な円陣が重なった絵と魔導と読める題名。

興味を引かれたリリーナは、腰を据えて読む事にした。




※※※






古びた庭道具ばかりが詰め込まれた納屋は埃っぽく、辛うじてある窓から差し込む夕日がどうにか、灯りとなって室内をうっすら照らす。


埃っぽいはずなのに、室内の床は綺麗に磨きあげられ、ここ何日かで書き上げられた魔方陣が。

釘と糸を使い歪まないよう神経を使った円。

その周りを彩るのは古語で書かれた召喚の為の祝詞。

手に入れた魔導書によって知った、望みを叶えてくれる悪魔を呼び出す為の大切な、大切な魔方陣。



ウットリと眺めるリリーナの瞳には、貴族としての誇りも体面も無く、人としての常識も慈悲も燃え尽きていた。



あの日、見つけてしまった魔導書。

最初は美しい魔方陣に興味をそそられ、読める古語が増えていけば魔導書にのめり込み。

魔に導かれるように寝食を忘れ読み耽ること3日。

リリーナは遂に見つけてしまう。



愛と欲、嘘と裏切り。

それらを司る魔の存在。


アスモデウス。



彼の者は召喚者の望む姿で現れ、望みを叶える。

対価はその願いと同等の物。

命には命を。

狡猾な魔の者を呼ぶにはそれ相応の覚悟を。



アスモデウスを呼ぶための魔方陣とその注意書きを見た時、リリーナは気がついてしまった。




人も平気で裏切る。人はリリーナに愛をくれない。

人はリリーナの愛を必要としていない。




ならば。



『人』でなくても、いいはずだ。

最初から嘘と分かっていて、裏切ると分かっていて。それは優しさの様な気すらして。

嘘の仮面を付けて愛を吐く人より余程心根が良いとすら思えた。

そして、それでも愛を乞い、愛を与えられている間に死ねたなら。

それは、リリーナにとっての永遠となるのではないか??と。



思ってしまったらもう、止めることは出来なかった。

通いの庭師に庭の外れの納屋の片付けを頼み、訝しむ侍女に納屋で生活出来るよう整える様に伝えた。

事情を知りたがる執事には後で説明すると濁した。



最早、リリーナには周りの事などどうでもよかった。魔の者からの愛を手に入れ、それを永遠のものにする。ただただそれだけの為に。

その願望はリリーナを徐々に蝕みながら着実に目の前に迫ってきていた。




片付けられ、小綺麗に整えられた納屋にリリーナは4日間程閉じこもった。

甲斐甲斐しく世話をやこうとする侍女達を締め出して、飲まず食わずで納屋の床に魔方陣を描ききった。




美しく描きあげられた魔方陣に暫し惚けたリリーナも、目的を思い出し早速行動へと移す。


魔方陣を描きあげる間飲まず食わずで、勿論眠ることもなかったリリーナが、窶れた頬にいびつな笑みを浮かべ、ギラギラとした眼光で見つめるのは一振のナイフ。柄は古臭く錆びていても刃は綺麗に研がれ波紋を煌めかせている。それを掴むリリーナの手は荒れ、ひび割れからは血が滲む。

そのナイフが躊躇いなくリリーナの手首を切り裂いた。



ぽたり。




自分で自分を傷つけているのにリリーナには痛みの感覚もなく、溢れ出る赤い液体が己の望みを叶えてくれる聖なるものに見える。

その聖なる赤はリリーナの腕を伝い落ちると吸い込まれるように魔方陣に落ちた-----
















魔方陣に変化はなかった。

落ちたはずの赤いシミもない。

なんならナイフで切ったはずの手首の傷さえ。




自分が何をしていたのか、よく分かっていない。

けれどももう私を焦がすものは、ない。


何だか晴れやかな気分になって、狭苦しい納屋から出て、美味しい紅茶でも飲みたい気分だ。


しっかりとした足取りで納屋を出るとそこには、、、。



「探しましたよ、僕の愛しい奥さん。」




あぁ。

溢れる愛しさのままに、愛する伴侶に抱きついた。



「おっと。、、、どうしたのかな??急に甘えん坊だ。ふふ。僕も寂しかったから、ちょうど良かったな。」



驚いた声を上げる割には危なげなく私を抱きとめて、笑いながら抱き締め返してくれる。



私の、私だけの愛しい愛しい旦那様。

名前は、、、そう、確かアス。アスモデウス。

私だけの、アス。




いつかの、子爵令息に似た泣きぼくろの。


いつかの、伯爵子息に似た燃え立つ様な赤毛の。


いつかの、商人に似た身体付きに知性を湛えた鋭い眼差しの。



頭を何かが駆け巡って。

けれど答えは出ないまま目の前の愛しい人を見つめれば、全てが余計な物で曖昧な物となる。



「愛しているわ。アス。」

「僕も、愛してるよ。リリーナ。」












ーーー







薄暗い闇の中、透明な繭の中で彼女は終わらない夢を見る。

甘い甘いその夢は誰にも邪魔をされない永遠の楽園。

その夢を与えている主は、時々この場所に来ては様々な繭達から零れ落ちた輝く雫を舐めとる。

雫もまた、甘い。

夢の中にいる、彼ら彼女らは永遠に幸せに過ごしましたとさ。




『嘘でもいい、裏切ってもいい。それでも貴方様から愛の言葉が欲しいのです。そして、その言葉と共に私を殺して欲しいのです。それが、私の望みです。対価はなんなりと。』




金や権力、物や人心に執着して呼出す愚か者は数多く居たが、愛そのものに執着している愚か者は久々に見たな。

死んで永遠にする。瞬く間に終わり生を更に縮めてでも、欲する物。


生きる時間の短い人間の考える事は面白い。

煤けた髪に荒れた肌。手入れされていただろう手指に潤いはなく、けれど魔方陣は正確無比に描かれていて。

手首からダラダラと命を垂れ流しながら、愛を乞う様はいっそ清々しい程愚かで、笑いをこらえるのに苦心した。

魂の傷は薄く深い傷が幾つか。けれど輝きは褪せておらず濁ってもいない。中々珍しい魂に興味をひかれた。言葉巧みに丸め込み、召喚者好みの容姿で誑かしその魂を頂く。

それがアスモデウスの仕事であり食事であり生き甲斐であり娯楽だ。



殺すのは簡単だ。

だが、アスモデウスは気に入った玩具は長く楽しみたい派だ。

だからあの女の魂を夢幻繭に閉じ込めて、夢を見せてやることにした。

夢を見てる生き物から命を少しずつ絞る夢の繭。

繭から滴る命の蜜がアスモデウスの好物でもあるし。


時々、夢幻繭に面白半分で参加してみてはアスモデウス自信が偽りの愛を囁いてやる時もある。

そうすると女は幸せそうに微笑んで極上の雫を零すのだ。


時々思わぬ玩具が手に入るからこの遊びは辞められない。

長く細くじわじわと楽しむ。

どんなに長く楽しもうとも所詮は人間。

短いひと時の楽しみの為、今日も囁く。





「愛しているよ、リリーナ。」









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― 新着の感想 ―
[良い点] 淡々とした語り口が悲劇(本人にとってはハッピーでも)に向かって効果的に進んで行くようでした。 闇落ちというか夢の繭入り。 なろうでよく描かれる異世界恋愛の貴族社会がどれだけお花畑脳な世界観…
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