古典との邂逅
長い闇の後、エスファーノの視界に飛び込んできたのは、揺らめく炎の明かりであった。
はじめは煉獄の炎かと思ったが、それにしてはあまりにも小さな炎であることに、エスファーノはすぐ気づく。
洞窟の中である。
たき火が燃えている。
そのたき火に細い薪をくべている人間がいた。とっさに刀に手をかけようとしたが、探すことはできなかった。そもそも体自体が動かない。なにかで、体を拘束されているようだった。
赤々と燃えさかる炎の中に、黒い髪がゆらぐ。そして、炎の向こうから、声が聞こえる。
エスファーノは記憶の糸をたどる。この言葉の音程を聞いたのは、そう、コルドバで古代ローマの詩歌を学んでいたときの記憶だった。古典ラテン語――そしてそれは、キケロやセネカの哲学的な響きよりも、ホノリウスの愛を歌うメロディーに近く感じられた。
なにより、その声は明らかに女性のものであったからだ。
「気がついたようだ」
今度は、はっきりと意味を理解できた。少々癖はあるが、きわめて韻をふんだ、古典ラテン語である。
「あなたは......?」
とっさに出た古典ラテン語で、その様に問いかける。声の主は間髪をいれず返答する。
「我が名は、リウィア。副大使殿の命の恩人だ。今のところはな」
エスファーノは言葉に詰まる。
ひとつには話相手の言葉であり、今一つはその相手の容姿であった。
女、である。カスティリヤにも女性はたくさんいる。しかし目の前いる女性は彼が初めて会うタイプの女性であった。
髪の色は、カスティリヤの標準よりも黒く感じられた。肌の色もほぼ同様である。
それ以上に驚きはその服装である。鎧をつけているのだ。軽装ではあるが、使い込まれたその輝きには明らかに実戦の経験があることを示している。また、暗くてよくは見えないが手の込んだ彫刻なども加えられているらしいことから、それなりの身分の持ち主なのだろう。
「我の要求は、ただ一つ。副大使殿の権限である。貴殿の助命と引き替えに、それを我等がために利用させていただきたい。むろんカスティリヤ王国の国益に背くものではない」
そういいながら、リウィアは顔を近付ける。明らかにエスファーノよりは年下である。背もそれほど高くはない。炎に照らされたその顔には、凛とした気品とともに、野生の覇気が共生しているようだった。
「貴殿の言っている意味が、よく理解できない......いや、言語ではなくその意味するところだ。私は確かに副大使の任を帯びている。しかし、それが何だというのだ?しかも自分では理解しているが、私の手傷はひどいものだ。到底、明日の陽を見ることもかなわぬだろう」
「なかなか流暢なラテン語だ。ちょっと修辞的な物言いは、私の好みではないが。よろしい、行動にて理解していただこう。われわれの意志を」
辺りの空気がにわかに活気を帯びる。
熱気、といってもいいだろうか。
エスファーノは数時間前に、この雰囲気を味わっていたことを肌で思い出した。
殺気、狂騒、戦意そういった感情が支配する空間である。
洞窟の外を、リウィアは杖で示す。
エスファーノが視線を洞窟の入り口に向けると、そこには黒い影の集団が居並ぶ。完全武装の兵士が、片膝をついて待機しているのだ。これもまた見たこともない鎧をまとって。しかもその影は闇の彼方まで続いているようだった。
「何名か、エスファーノ殿を輿に乗せて差し上げろ。軍医も常時、かれの側についているように。われわれはこれから野盗の退治に向かう。副大使殿の許可はいただいた。われわれは今、カスティリヤ王国との間に同盟を結んだのだ。カスティリヤとわが”ローマ”の旗を立てよ。連中のすみかは、知れている。全軍を持ってこれを叩く。我に続け!」
洞窟の外から、どよめきが聞こえる。
この少女は、明らかに掌握しているようだった。数は知れないがこの集団を。そしてこの状況を。
エスファーノはただそれに従うのみであった――