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道化の世界探索記  作者: 黒石廉
第2部2章 草原とヒト
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078 意外な提案

 俺たちが野営地に着いてから2週間が過ぎ、帰る時がきた。

 普段ならば滞在は1週間前後だ。

 今回は途中で葬儀があったため、交渉できない期間があった。それが滞在が長引いた原因らしい。

 

 今シーズンの家畜取引はもうおしまいだろう。

 彼らは冬の野営地を離れて夏の野営地へと移動する。

 ここは完全なソの領域でソ以外の人間が立ち入った記録はほぼないという。

 彼らともうしばらく暮らしてみたいが、とりあえず、しばしの別れだ。


 そんなことを俺が考えていると、チュオじいさんは思いがけないことを言い出した。

 「もう帰るのか? ここで暮らせ。一緒に夏の野営地に移動するのだ」

 思いがけない言葉が通訳を通して告げられる。

 

 引き止めてもらえるのは悪い気がしない。

 いや、悪い気がしないどころか、とても嬉しい。

 多少なりとも信頼してもらえるよう、受け入れてもらえるよう誠実にふるまってきたつもりだったが、ここまで評価してもらえるとは思わなかった。


 しかし、請け負った仕事が残っている。

 そう伝える。

 すると、チュオじいさんはうなずいて、ジョクさんに耳打ちする。


 「一度戻ってきてくれ。とても大事なことがあるんだ」

 チュオじいさん(正確には通訳をしてくれたジョクさん)の言葉に俺たちは顔を一瞬見合わせてから一斉にうなずく。じいさんは俺たちを一人ひとりだきしめていく。

 肩はまだ治っていないはずなのに、すごい力だ。


 「そういえば頂いたウシはどうしたら良いの?」

 ミカがみんなにたずねる。

 「ニクルさんが売って欲しいと言ってきましたが……」

 サゴさんの答えにジョクさんはとんでもないといった感じで首を横にふる。

 ちなみにニクルさんは今回の雇い主である。


 「ウシは簡単に売るものではない。仲間からもらったものならなおさらだ」

 「でも、連れて歩けないしなぁ……」

 その言葉にジョクさんはそういうことかという表情でうなずく。

 「大丈夫だ。旅をするソはウシを預けることがある。お前たちのウシも預かってやろう」

 もちろん、預ける相手は信頼できる者でないといけない。そうでないと、すぐにちょろまかそうとするからな。だから、俺に預けろ。ジョクさんはにやっと笑う。


 ◆◆◆


 預かることの対価は、ウシから取れるものを自由に処分する権利だという。

 乳が出るウシならば乳、乳のでないウシの場合は定期的な採血権(彼らはウシの血を茹でたり、スープに入れたりして食用としている)、あとは羊毛ならぬ牛毛それに糞だ。

 

 糞はさすがに驚いたが、これが案外使い勝手の良いものらしい。

 彼らのキャンプ地の小屋の壁の材料はウシの糞だし、焚き火の燃料にも使える。

 壁からなにか臭うこともないし、乾燥した糞は良い燃料だ。


 歯を磨く時に使うと良いと貰ったものが、この糞を燃やしたあとの灰だと知ったときは正直困惑したが、別に臭いわけでもなく、むしろ使い心地が良かったのでその後も愛用している。

 皆にその話をしても、ちょっと驚いただけだった。


 むしろ皆を困惑させたのは、その後のチュウジのうんちく(・・・・)のほうだった。 


 糞の歯磨き粉の話を聞いたあと、奴は深くうなずいて、ナイル川近くの半農半牧民についてひとしきり語ったあと、

 「かつてローマでは尿で歯磨きをしていたらしい」

 とか言い出して、そこから延々と糞尿の利用について、語りだしたのだ。

 それも夕飯の時に。

 

 せめて、別のときであれば、「この○カトロマニア」とか「SMスナイパー」とか言って強引に黙らせれば良いだけだが、飯のときにそれをやるのはまずい。俺にまでやつが撒き散らすうんちく(・・・・)おつり(・・・)が飛び散りかねない。

 すでにミカが俺に無言の圧力をかけてきている気がした。明らかに信用されていなかった。たぶん、ここで変なことを言ったら、彼女の黄金(・・)の右が俺に炸裂するにちがいなかったろう。俺は肛門括約筋と口をしっかりとひきしめて耐えぬいた。

 

 チュウジの古今東西糞尿利用についてのうんちく(・・・・)は、サチさんの無言のチョップがやつの頭を直撃するまで続いた。

 「良かったよ、カレーがまだ作れなくて」

 最後に油断して変な言葉を漏らした俺のみぞおちにミカの裏拳が綺麗にはいったのだった。


 ◆◆◆


 しょうもないことを思い出し、1人でにやにやしていた俺はミカの声で現実に引き戻される。


 「それじゃ、お願いしようよ。せっかく貰ったんだし、すぐに売るのはなんか悪いよ」

 ミカの意見が全員一致で採択されたときに、チュウジがお願いをはじめた。

 「雄牛を1頭、荷物運び用に使わせてもらえないだろうか。それと他にも試したいこともあるのだ」

 荷物運びといっても、俺たちの荷物は荷馬で十分対応可能な量だ。どうせろくでもないことを考えているのだろう。でも、チュウジに甘いみんなはこれを許可した。


 「次にお前らが来るときは俺たちは移動している。だから、ここからさらに日の昇る方を目指して進め。そうすれば、俺たちに追いつけるだろう」


 考えてみれば、もう春先だ。

 もともとそれほど寒いところではないが、彼らは夏の放牧地に移動するのだろう。

 それにしても、この草原でひたすら東に進めって、本当に会えるのかよ。

 心配そうな俺の顔を見て、チュオじいさんがジョクさんに耳打ちをする。


 2人はしばらくの間、口論をしていたが、最終的にはジョクさんが折れたらしい。

 彼はため息をついてから言う。


 「オレがついていくことになった」

 お前らのウシはじいさんが面倒を見てくれる。ジョクさんはとても残念そうに言う。

 まぁ、俺たちについてきたって、儲かるわけではない。むしろ、彼としてはウシの預かりの対価を放棄した上に自分のウシを他人に預けないといけないのだから、残念そうな顔も当然だろう。

 ちょっと同情してしまうが、自力で行ったことのない、案内もない土地に来いという無理難題から解放された俺たちにはじいさんに反対する理由はない。

 ありがたくチュオじいさんの厚意を受けることにする。


 こうして、ジョクさんを旅の仲間に俺たちは復路についた。 

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