060 調査の依頼 下 指と異端と人さらい
「神の指というのは、神から与えられし恩寵の1つで、癒しの力をもつ者は皆、これを持っています」
ルーマンさんは顎の下の汗をハンカチで丁寧にぬぐう。
「異端派はこの神の恩寵を認めず、我々を亜人との混血であるなどと妄言を撒き散らし、人々の不安を煽り立てます」
実際にそのような演説を聞いた俺たちは大きくうなずく。
しかし、ルーマンさんが続けたその先は吐き気をもよおすものだった。
「それよりも厄介なのが迷信です。黒い指が効果もないのに重宝されているくらいです。神の指にも同様の効果があると考えた者がいても不思議ではありません。私個人としてはまったく理解できない話ですがね」
チュウジが下をむいて顔をしかめる。
「……取り出されるということか?」
「ええ、そして、神の指は黒い指よりも価値があり、また神の指保持者の肉体のどの部位であっても黒い指よりも効果があるという迷信があるのですよ……」
沈黙が訪れた。全員がツバを飲み込む音が聞こえる。
「でも、そんなの本当に信じる人……というか、たとえ信じたってやる人なんていないですよね?」
「お茶のおかわりを持ってこさせましょうね」
ルーマンさんはそう言うと、手伝いの少年を呼び、耳打ちした。
「この地で信仰の道に生きる者の1人カルミです」
右腕にお茶のおかわりの盆を載せて現れた男性は、左手だけで器用にお茶の用意をすると左手で盆をもって丁寧に一礼する。体側にきちんとそろえられた右腕は……ああ……手首から先がない……。
「彼の手はどこかでお守りになっているのか、薬の材料になっているのでしょう……」
ルーマンさんの説明をみんな黙りこくって聞いている。
「私たちだってなくなった手足を生やすことなんてできませんからね。ただ、おかしな話ですが、そのようなことができなくて良かったのかもしれません。できていたら、誰かが仲間を裏切れば、捉えられた者は永遠に苦しみ続けることになるでしょう……」
昔、図書館でたまたま手に取った本に毎日料理されても復活するブタかイノシシの話があったのを思い出す。北欧の神話だったっけ? あれの人間版ができあがるのか。
自分の手足を毎日のように出荷される人間の姿を想像して気持ち悪くなる。
欲にまみれた商売人と迷信を信じる顧客、迷信を信じて強化する人々、彼らの想像力がこのような悪夢を具現化する。
そうは言っても、これまでは年に1回1人が行方不明になる程度の(それでも大事だと思うが)もので、互助組合の構成員に対して注意を喚起するだけで良かったそうだ。
しかし、今回はどうやら、それではすまないらしい。
「あなた方が遭遇した人さらいといい、どうも組織的に動いている可能性が極めて高いと言ってよいでしょう」
ルーマンさんは汗をふくと、ため息をつく。
「あなた方を選んだのは……ペトラを助けてもらったこともありますが、互助組合の構成員がパーティーにもいることもあります」
サチさんが黙ってうなずく。
「あなた方はここに来て日も浅い。そして、癒し手を仲間にくわえている。聞けば、あなた方は今回はじめてグラースを出たというではありませんか。グラースは異端派についての報告がない土地です。敵方の人間でない可能性が高い」
ルーマンさんの説明にタケイさんが手を挙げる。
「俺たちも信用してもらって良いんですか? 俺たちはあくまで別パーティーですし、メンバーに癒し手もいません」
「もちろん、おっしゃるとおりです。しかし、彼ら5人ではあまりに少なすぎる。かといって大々的に仕事の募集をかけることもできない。そこにうちの構成員を助けてもらって、なおかつ仕事を頼むパーティーの成員からも信頼が篤いパーティーがある。その方たちを信用することもできなければ、もう誰にも仕事を頼めませんよ」
後は条件の話だった。
日当が銅貨60枚、この額自体は決して多い方ではない。
ただし、これに各人の滞在費として1人あたり1日銅貨50枚が支払われる。これは酒を飲んだりしなければ、お釣りがくる額である。
だから、実際には隊商の護衛よりも条件は良いかもしれない。金はともかくとして、毎日綺麗なベッドで寝られるのだ。
他に調査費用として1週間に1パーティーあたり金貨1枚が支払われる。
「潜入や買収を含め、情報を集めるのには何かと入用でしょうから」
とはルーマンさんの説明だ。
説明のあと、彼は「溜め込まずに有効に使ってください」と念を押した。
「溜め込むつもりはありませんが……足らない場合はどうしたら良いんですか?」
サゴさんが確認をすると、「必要な場合は話をしてください。こちらで聞いた上で判断します」とルーマンさん。
無駄遣いはしたくないけれど、必要とあらばケチるつもりはないようだ。
最後に成功報酬として、事件の原因を突き止め、その原因を排除できたと認められた場合に1人当たり金貨1枚が支払われる。
調査の期限は最長1ヶ月で期限より早期に解決できた場合は、残りの日当および経費、調査費用は報酬となるそうだ。
「依頼の性質上、公証人を通すようなことはできませんが、信用していただきたい」
俺たちは1週間分の日当と経費をもらって、癒し手の互助組合を出た。
◆◆◆
タケイさんたちは俺たちの泊まっている宿に移ってきた。
こちらの宿の方が近かったので、相談しようと部屋に案内したら、気に入ってしまったためである。
宿は満室であったが、ちょうど都合の良いことに隊商護衛任務の先輩トマさんたちが新しい仕事で出かけるというので、そのあとに入ることになった。
「また隊商の護衛ですか?」
「まぁ、護衛は護衛なんだが、ちょっと違うな。たまたま実入りの良い仕事をもらえたんでな。貧乏暇なしってことよ」
まぁ、しばらくは護衛対象は街中から動かないらしいから、非番のときに市場で会ったら、うまいもの教えてやるよ。トマさんは赤いくせ毛に覆われた頭をわしゃわしゃとかきながら笑う。
トマさんは宿のおばさんにもおどけた調子で声をかける。
「ババァ、俺たちは金払いが良い上に、次の客まで呼び込むんだぜ。そんな上客にはワイン1杯ぐらい飲ませてくれんだろ?」
店のおばさんはニコニコしながら叫ぶ。
「嬢ちゃんたち、新しいお客さん連れてきてくれてありがとうね。飲みたいもの、ただにしとくからね」
そして、ドスの利いた声で付け加える。小汚い野郎どもは全員金出すんだよ、と。
遠慮がちにそれでいながら眼をきらきらさせて、おばちゃんを見つめてみたが、「あんたたちも小汚い野郎側だよ」と言われてしまう。俺にマダムキラーのスキルはないらしい。
そういうわけで、俺たちは手に手に陶器のグラスを掲げることになった。
「あんたら仕事あるんだろ? 1杯飲んだらさっさと出てくんだよ!」
おばちゃんはワインを運ぶと、集めた代金から少しずつそれぞれのテーブルに戻す。
割引してくれるらしい。ツンデレおばちゃんだ。
「じゃあ、2杯目以降は再会の時にお預けだ! 乾杯!」
ぐびっと一気にワインを流し込むと、トマ隊のみんなと握手をして別れた。