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道化の世界探索記  作者: 黒石廉
第3部3章 フォール・イントゥ……
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134 還らずの塔

 扉を開ける。

 扉の先も同じような白い部屋だ。

 隅にうずくまっていた影が立ち上がる。

 ケンタウロスの亜種のようなその姿はケンタウロスよりも趣味の悪い代物であった。

 ケンタウロスの命名のときのように神話上の存在の名前を借りて、こいつに名前をつけるとすれば、名はアラクネーで決まりだろう。

 天を仰ぐように上をむいた裸身からは6本の足と2本の腕が生えている。妙なところから妙な角度で生えた6本の足で地面をつかみ、2本の腕を前に突き出している。

 ああ、4本の足の元の持ち主がいるならば、彼(女)らは今どうしているのだろう。

 まるでブリッジでもしているかのような態勢でこちらを見つめる逆さまの頭からは長く豊かな、しかし脂ぎった黒髪が伸びている。

 かつては、いやこのような姿でなければ美しく感じたであろう顔が微笑みを浮かべる。

 このような姿でなければ男たちの目を釘付けにしたであろう裸身がくねる。乳房と引き締まったウェストがうねるように動く。その動きは見る者すべてを魅力ではなくおぞましさで釘付けにする。

 気持ちの悪い微笑みが恐ろしい泣き顔にと変わる。


 アラクネーは逆さに垂れ下がった髪をばさばさと揺らすと悲鳴をあげる。

 向こうの扉が開き、別のアラクネーが2体入ってくる。

 こちらも美しさをすべておぞましさに転換している。


 カサカサなんて音は立てない。

 でも、カサカサとしか表現しようのない歩き方で3体のアラクネーは走りより、すがろうとしてくる。

 チュウジが先頭のアラクネーを真っ二つに斬る。

 悲鳴がやむのと同時に切られたアラクネーの下から「子蜘蛛」がわらわらと出てくる。

 蜘蛛の子を散らすように、その表現そのままにだ。

 親指の爪程度の子蜘蛛たちは真っ黒なうねりとなってチュウジにたかる。

 体中をかきむしりながら倒れ込むチュウジをひっぱりあげると全力で部屋の隅に放る。

 一瞬のすきをついて駆け上ってきた子蜘蛛たちを払い落とし、踏み潰す。

 

 「潰すとなんか湧いて出てくるぞ。残り2体は俺が引き受けるから、チュウジを頼んだ!」


 親蜘蛛を殺せば、子蜘蛛にたかられる。


 両手をすがりつくように伸ばすアラクネーを蹴り飛ばす。


 親蜘蛛を殺さねば、親蜘蛛にたかられる。


 もう1体のアラクネーの体当たりを受け流して、壁に放り投げる。

 

 体当りした瞬間に親蜘蛛から放たれた子蜘蛛が俺の胸を駆け上り、首筋の隙間から入り込んで噛みつく。


 痛い痛い痛ぇくそ痛ぇ!

 

 横から長身の女の子が駆け込んでくる。


 カチッという音、轟音、炎、髪の毛の焼ける臭い、肉の焼ける臭い、絶叫、地面にわらわらと落ちてそのまま炎の中に消えていく無数の子蜘蛛。


 背中を引っ張られる。

 ミカは俺を横にすると兜を脱がして俺の首筋に張り付く子蜘蛛を取り除き、燃え盛る炎の中に放り込んでいく。


 「格好つけたのに、ざまぁねぇ……ありがと、ミカさん」


 「お礼はサッちゃんにね。格好つけようとして滑るのはいつものことだから気にしてないよ」

 ミカはハンカチを取り出すと俺の首を強く圧迫する。

 

 チュウジの治療を終えたサチさんがやってくる。


 「あいつ、平気だった?」


 「結構ひどくやられていましたが、大丈夫」


 「サチさん、ありがとう。君がいなかったら俺やられてたわ」

 サチさんは微笑んでから、俺の怪我を直してくれた。


 少しだけ休憩をしてから先に進む。

 白い小部屋はひたすらに続く。

 敵も罠もないのが幸いだ。俺たちは何もない白い部屋をいくつもいくつも通り抜けていく。


 俺たちは一応マッピングというものをしている。

 偵察任務である以上、後続の者にわかるような地図を残すのは当然のことである。

 だから、今も一部屋進むごとに地図に書き加える作業をしている。

 同じ大きさの小部屋が連続しているだけなのでマッピング自体は難しくない、と思う。「ない」と言い切らないのは俺が地図を作っているわけではないからだ。

 マッピング担当のサチさんが地図をひろげる。

 

 「この先の扉、地図で見る限り、最初の部屋に戻るようにつながっています」

 

 俺は注意しながら扉を開ける。

 真っ赤な壁が視界に入る。


 「違う部屋……? ごめんなさい、私……」

 サチさんが呆然としている。

 彼女のミスの可能性は捨てきれないが、多分そうでない可能性のほうが高いような気がする。


 全員が赤い部屋に入ったところでふと湧いた突拍子もない思いつきを検討することにする。


 「ここから俺たち入ってきたわけじゃん。で、この今入ってきたばかりの扉を開けると……」


 開けるとそこには真っ赤な部屋で奥にたたずむアラクネーと目が合う。

 アラクネーが耳障りな悲鳴をあげる前に俺は慌てて扉をしめる。


 「何があるかはわからないけど、とりあえずマッピング不能だということだけはわかる。だって、俺たち白い部屋から入ってきたし、俺たちがいた部屋にあの化け蜘蛛いなかったし……」

 俺はみんなの顔を見渡してから続ける。

 逆さ塔、またの名を還らずの塔……。こんな名前がつくのも当たり前だ。もと来た道を戻ることすらできないんだから。

 この名前をつけたやつを探し出して褒めてやりたい。そのあと、思いっきり頭をひっぱたいてやりたい、八つ当たりだけど。


 「とりあえず先に進むしかないんじゃないかな。というか、今みたいにさっき通ったばかりの扉開けたって見たことのない部屋に進むんだ。どこを通ったって先に進むしかないってことさ」

 俺は心を落ち着けようとミカの手を握る。

 

 俺が話し終えるのを待っていたかのようにファンファーレが鳴り響く。


 びくっとしたのは俺が先だったか、ミカが先だったか。つないだ手に力が入る。

 サチさんはチュウジにしがみついていた。

 怖さをこらえようと歯を食いしばりながら、鼻の下を伸ばすという非常に難しそうな顔芸を披露(ひろう)してくれた呪いの人形のおかげで俺の緊張は多少ほぐれる。


 (見たあいつの顔?)

 (うん見た。あんな面白い顔できるんだね)

 (びびりながら、嬉しがるとかまじ器用で不気味なやつだよ。あいつメイク無しで呪いの人形役でホラーコメディの主演はれるって)

 (シカタくん、いつもそればっかり)


 「何をひそひそと話しているのだ?」

 チュウジがこちらを(にら)む。聞こえていたみたいだ。


 「おまえって器用だよなって話ししてたんだよ。俺と一緒にラジー賞狙おうぜ」

 サチさんからチュウジを借り受け、ばんばんと奴の肩を叩く。

 やつはいやいやでもするかのようにサチさんの元に戻ろうとする。

 赤ん坊か、お前は。


 「なんか緊張がほぐれたよ。ありがとな」

 チュウジはぶすっとしながらも、俺の感謝の言葉に鼻をならしてうなずいた。


  「歓迎されているのか、馬鹿にされているのか、どちらなんでしょうね」

 サゴさんが額と頭頂部の汗を拭きながら言う。


 「どうなのかな? でも、どっちにしてもあたしたちのことを認識している誰かがいるってことだよね」


 「まぁ、このファンファーレを招待状だと思って進もうぜ」

 俺は努めて明るく言ってみる。


 「何があるかわからないし、責任もとれないけどさ、何かあったら俺が真っ先に飛び出て体はるから」

 どこまでできるかはわからないが本心だ。


 「かっこよくてちょっとドキッとしちゃいます。ときめいちゃいそう」

 サチさんが思いがけないことを言うのでドキッとする。

 いや、俺には可愛い彼女が……ああ、もしかしてここに来てハーレム展開?

 アホなことを考えている俺にチュウジがにやにやと笑いかける。


 「横目で隣の女性を確認しながら鼻の下を伸ばすとは、貴様、器用な表情ができるものだな。見世物小屋に売り飛ばしてやろうか?」

 チュウジの言葉のあとにサチさんが「うちの子をからかうからお仕置きですよ」と笑いながら続ける。

 

 「だましたな! 2人で俺の純情をもてあそんだな!」

 悔しがる俺にサチさんが「かっこよいって思ったのは本当ですよ」と微笑む。

 再び鼻の下を伸ばしていたらしい俺の頬を横の女の子が背伸びしてつねる。

 「綺麗な子に鼻の下伸ばしてるのいや」

 そう言う彼女に「君のほうが魅力的さ」と真顔で言う。

 俺のほっぺたをつねる手の力が強くなる。

 「ごめんね、はしゃぎすぎちゃったよ」

 彼女は「わかってる。ふざけただけ」と答えて微笑む。俺はその顔をしっかりと記憶にとどめる。


 「それだけはしゃげればまだまだみんな大丈夫ですね。先は見えませんが、それでも前に進みましょう」


 俺たちはリーダーの言葉にうなずくと、バシネットを再びかぶる。

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