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主人公の姓を含め、設定をいくつか変更いたしました。
「ッ! 父上ッ……!」
俺はその場から飛び起きると、そこは見知らぬ場所だった。
何が起きたのか分からないまま視線を動かすも、ただ海が広がっているだけ。
どうやら俺は浜辺にいるらしく、波が穏やかに砂浜を濡らしていた。
しかし、遠くを見つめると、沖の方は海流が激しいようで、渦潮があちこちで確認できる。
「ここ、は……」
流れる潮の音に呆然としつつ、不意に手を動かすと、何かが触れた。
「? っ!?」
俺の手に触れたのは、人骨だった。
しかも、視線を動かせば、そこら中に同じような骨が。
「い、一体……ここは……」
そこまで言いかけると、俺は気を失う直前のことを思い出した。
「そうだ……俺は確か、父上に……」
あれだけ不安だった心が、一気に冷えていくのを感じる。
――――俺は、見捨てられた。
今までどんな扱いを受けても、いつか受け入れてもらえる……そう信じて生きてきた。
いや、そう信じないと心が持たなかったのだ。
ただ誰かに認めてもらいたい一心で。
たとえどんなに邪険に扱われても、家族は見捨てない。
心のどこかでそう願い続けてきた。
だが、それは叶わなかった。
これまでも俺を気にも留めなかった父上は――――本当に俺を、捨てたのだ。
「あ、ああ……」
俺は強欲だったのだろうか。
誰かに受け入れてほしいと思うのは、傲慢なのだろうか。
「ああああああ」
地位も名誉も、何もいらない。
欲しいものは、俺を受け入れてくれる居場所だけ。
それを求めることは、間違っていたのだろうか。
「ああああああああああああああああ!」
俺は溢れ出る感情を抑えられず、思いっきり叫んだ。
この叫びは、怒りからくるものなのか。
俺を否定したすべてに対する憎しみなのだろうか。
――――違う。
ただ、悲しかった。
どうして俺は、皆と違うのだろう。
もし普通の家庭に生まれ、普通の体だったのなら、俺は悲しまずに済んだのだろうか。
分からない。
俺にはもう、何も分からなかった。
***
――――どれほど時間が経っただろう。
俺がどれだけ悲しもうと、涙は枯れ果てる。
心に、体が追い付かないのだ。
体が悲しみの許容を超えたところで、俺は父上たちの会話を思い出す。
今、俺がこの場にいるのは、とある儀式のための生贄としてである。
それは百年に一度行われる、この地で討たれた妖魔の怨霊を鎮めるための儀式であり、生贄を捧げ、陽ノ国が再び平和であることを祝う、祝祭だった。
陽ノ国でも最古の歴史を持つ、重要な行事だ。
俺も書物でこの儀式について、知識として知ってはいたが、自分の代にその儀式が行われるだけでなく、生贄になるとは思いもよらなかった。
浜辺に転がる人骨も、俺と同じく生贄に捧げられた罪人たちのものだろう。
この島には魍魎が跋扈していると言われ、【七大天聖】のような紫位の刀士でなければ海を渡ることすらできない。
恐らく俺も、紫位刀士の誰かによってここまで連れてこられ、捨て置かれたのだろう。
そして陽ノ国では、また百年の平和を祝い、祭りが行われているはずだ。
「は……はは……俺が死ねば、皆幸せなのか……」
呆然と海を見つめていると、不意に背後から気配を感じた。
その気配に視線を向けると、俺は体を強張らせる。
「ッ!」
異様に膨らんだ腹と、その身体に不釣り合いな細い腕と足。
落ち窪んだ目には赤い瞳が宿り、大きく裂けた口からは涎が垂れている。
そこには、この島――極魔島に棲む妖魔、【堕飢】がいたのだ。
元々、刀士と妖魔は六段階に分類され、一番上から順に、紫位、青位、赤位、黄位、白位、黒位と存在する。
そんな中でこの堕飢は、白位に分類されていた。
白位の妖魔であれば、同じく白位刀士一人で対処可能な妖魔であるものの……。
「コォオオ」
「カロロ……」
この妖魔は群れをなしていたのだ。
しかも、俺は刀士ですらなく、魔力も扱えない赤子同然の無力な存在。
そんな俺が堕飢に勝つことなど……万に一つもない。
そして、堕飢はその名の通り、常に飢え、堕ちた妖魔。
獲物を見つければ、容赦なく襲い掛かる獰猛な存在である。
「カァアアア!」
「!」
群れの内、一体の堕飢が、勢いよく飛びかかって来た。
それを俺は、無感情に眺める。
――――どうせ俺は、誰にも必要とされていない。
それならここで、死んだ方がまだ誰かの役に立てるだろう。
もう、疲れた。
ここで終わり、俺も母上の下へ――――。
そう、思っていた。
『――――刀真。ごめんね……無能な私のせいで、ごめんね……』
「ッ!」
俺は目を見開くと、無様に転がりながら堕飢の攻撃を避ける。
幸い、ただ真っすぐに飛びかかって来たので、こんな俺でも避けることができた。
さっきまで無気力だった俺が、いきなり動いたことで、堕飢たちは微かに驚く。
死を受け入れる寸前、母の言葉が浮かんだのだ。
俺は……まだ死ねない。
死にたくない……!
母上が、無能だと?
そんなこと、あるはずがない!
――――元々体の弱かった母は、俺が五歳のころ、体調を崩してそのまま帰らぬ人となった。
当時、すでに魔力が扱えず、周囲から蔑まれた俺を、母上はいつも受け入れてくれた。
俺のことを、常に護ってくれたのだ。
……そして、いつも俺に謝っていた。
こんな体に産んでしまったことを。
――――違う。
母上は悪くない。
悪いのは、俺が魔力を扱えないことだ。命刀を発現できないことなんだ……!
どれだけ否定しても、母上は自分を責めた。
確かに、誰にも認められないことは辛い。苦しい。
だが、母上の子供であることは……俺にとっての誇りなのだ。
もしここで俺が死んでしまえば、俺は母上の悔恨を認めることになる。
それだけは絶対に嫌だ……!
堕飢からの攻撃を避けた俺は、砂浜に転がる人骨を手にすると、構えをとる。
「俺は、最後まで生きてやる……! 母上が誇れるよう……俺が母上のことを証明して見せる! だから……俺の邪魔をするなあああああああああああああ!」
俺の全力の咆哮に、堕飢たちは一瞬気圧された。
何の力もない、この俺によって。
しかし、すぐに正気に返ると、先ほどとは打って変わり、獰猛な牙をむく。
そして、より確実に俺を仕留めるべく、本気で踏み込み、接近してきた。
その速度は、刀次と何ら遜色なく、一瞬で距離を詰められると、そのまま肩に噛みつかれる。
「があああああっ!」
深く抉り込む堕飢の牙。
その歯の痛みに絶叫するも、俺は歯を食いしばり、全力で顔面を殴りつけた。
「ギャッ!?」
ひ弱な俺でも、一瞬だけ堕飢を怯ませることに成功する。
だが、その拍子に堕飢は俺の肩を食い千切った。
「うぐッ!」
「キィィイイイヤアアアア!」
耳を突き刺すような甲高い歓声を上げると、堕飢は嬉しそうに俺の肩肉を貪った。
その様子を見ていた他の堕飢たちもそれに触発され、一斉に襲い掛かって来る。
「うがあああああああああ!」
ただ、生き残ることだけ考え、俺は手にした骨を振り回した。
しかし、前に刀次と戦った時と同じく、俺の攻撃は容易く避けられ、今度は腕、腹、足と、何か所も噛まれた。
「ま、まだ……」
「クルアアア」
肉を食い千切る堕飢たちに、全力を振り絞りながら動こうとすると、俺の肩を食い千切った堕飢に押し倒された。
そのまま俺の顔を覗き込むと、堕飢は邪悪な笑みを浮かべる。
そして、堕飢は俺の首に噛みついた。
どくどくと流れ出ていく血液。
もはや意識がどんどん遠のき、このまま俺は死んでいくだろう。
それでも……。
「俺は…………死な……ない……」
無意識にそう呟いた瞬間だった。
「――――ほっほっほ。こりゃあ凄まじい生命力じゃのぉ」
薄れゆく意識の中、俺の首を噛みついていた堕飢の頭が、突然消し飛んだ。
それを皮切りに、俺の体に噛みついていた堕飢たちも、次々と殲滅されていく。
気づけば俺の体は、堕飢の群れから解放されていた。
「はてさて……助けたはいいが、どうしたもんかのぉ……」
そんな言葉を最後に、俺の意識は完全に沈むのだった。