インターミッション 4.5
それぞれの前夜
ギルは今夜も茫洋とした星空を眺めていた。
ロスロリエンの湖畔で独り。
失敗しちゃったな・・・。
(今更気づくとはね)
ベリルの相槌に深く溜息を吐く。
ギルは先週の出来事を思い起こす。
・・・
里長の指示でルチアとギルがロスロリエン湖畔に着いた時、そこには既に幻獣がいた。
アシュラン達から聞いた姿とも違う異形の獣。
マンドリルにも似た鮮やかな色彩の人面に、ライオンの体そして蝎の尾。
(マンティコア型幻獣。大物が来た。あれは攻撃能力を持つ)とベリル。
辺りを窺っていた幻獣がこちらを向いて口を開く。
「汝、時空を越えし者か?」
西方語だった。
(・・・幻獣が人語を喋った)
ルチアは初めて見る幻獣に、驚愕のあまり言葉が出ない。
ずっと何かを調べていた様子の幻獣がニヤリと口角を上げる。
再び幻獣は喋る。
「痕跡がある。汝、時空を越えし者か?ならば戻らねばならぬ。汝が生まれし場所へ」
幻獣の蝎の尾が立ち上がり、ギルとルチアを照準する。
「ルチア!離れて!」
ギルがルチアを突き飛ばした次の瞬間、蝎の尾の先から無数の針が飛び出しギル達がいた場所に降り注ぐ。
ギルは針の雨が自分へと届く前に、一瞬で幻獣の前に移動し片手で掴んだ幻獣の首を無造作にへし折った。
ルチアは自分の目の前で、何が起こったのか理解できなかった。
「ギル・・・」
彼の前には、もう動かない幻獣が横たわっている。
ギルはルチアを振り向かずに言葉を掛ける。
「ルチア、里に戻って。あいつの仲間が沢山押し寄せる。ルチアは里長にこの事を伝えて」
「ギル・・・。今のは何?あんたは何をしたの?これから何が起こると言うの?」
戸惑いながら尋ねるルチアに、力を見せた事で若干気まずいギルは冷たく返す。
「ごめん時間がない。敵が来る。ボクはここであいつらを防ぐ」
「でもギル・・・」
尚も言い募るルチアをギルは怒鳴りつける。
「早く!さっさと行け!」
(少し酷いんじゃない?)とはベリルの独り言。
「・・・!」
唇を噛み、泣きそうな顔で遠ざかっていくルチアをギルは知覚する。
ギルは小さな黒い空間の歪みを睨みつけながら、ルチアの事をあえて考えないようにした。
そしてそのまま5日が過ぎた。
時空の裂け目は既に消え、しかし新たな幻獣は現れなかった。
ルチアは戻ってこなかった。
里からの連絡もなかった。
ギルは途方に暮れる。
・・・里に戻るべきだろうか。
(何とも言えないな。幻獣はボクらを確実に認識した。次に何が来るか判らないけど、戻れば里の皆をたぶん巻き込む)
ギルは夜空に輝くひとつ星に問いかける。
「ア エルベレス・・・。ボクはどうしたらいい?」
・・・
同じ頃、ルチアも同じ夜空を眺めていた。
ギルがいつも見つめていたひとつ星。
いつの季節にも夜空の同じ一点に留まっている不思議な星。
ギルは”エルベレス”と呼んでいたが、それはドリュアードの呼び名ではない。
ドリュアードは”ケレン様”と呼ぶ。
その星はガラドの奥方様の御夫君で、空からローエンを見守って下さる。
先週の幻獣との遭遇後、ルチアは里に戻ってメリザンドに自分が見たものをすべてを伝えた。
ギルのもとに戻ろうとするルチアを、メリザンドはなぜか止めた。
そればかりか、他の者がロスロリエン湖畔に向かうことまでも禁じた。
「ならない!ギルが敵と言うならば、ドリュアードの誰であろうと関わってはならない」
ルチアは食い下がる。
「でもメリザンド様!ギルはあそこでたったひとりで・・・」
「ギルはひとりの方が良いのだ。お前は見たのであろう?ギルの秘めた力を。他の誰であろうと行けばギルの足手纏いにしかならない」
「メリザンド様・・・。ギルは・・・一体何者なのです?」
「故あり隠された者。・・・ガラドの奥方様が庇護する者。・・・そしてすべての未来を切り開く者」
「・・・?」
理解が及ばないルチアを余所に、メリザンドは更に告げる。
「お前にも大切な役割があるのだ。・・・お前は必ず選択を迫られる。お前はこれから起こる事すべてを見届けなければならない。・・・そして正しき道を選び取るのだ」
慄きつつルチアは尋ねる。
「何を・・・でしょうか・・・?」
「お前自身のあり方を。お前自身と仲間の未来を。・・・お前はすでに選ばれたのだ」
ルチアは一言も、告げられた意味を掴めなかった。
しかし不思議と理解できた事もあった。
この時語られた言葉は、ガラドの奥方様自身がメリザンドを通してルチアに告げた言葉であることを。
ルチアも夜空のひとつ星に問いかける。
「ケレン様・・・。奥方様はわたしをどこに導かれるのですか?そして、わたしとギルはこれからどうなるのでしょうか?」
・・・
ノエルも星空を見ていた。
惑星研究探査艇”ディスカバリー号”の艦橋からスクリーンで。
もう暫くすれば、目標とするコロニー惑星の静止軌道上に到着する。
「現在光速の50%で通常航行中。目標宙域到達まであと10時間です」
隣から副官のヴァネッサが几帳面に報告してくれる。
現在は作戦行動中である。
「ありがとうノルトライン中尉」とノエルは返答する。
(ようやくあいつの居場所を突き止めた・・・)
・・・それは5日前のこんな報告から始まった。
「少し前、63号マンティコアからの信号が消失しました」ヴァネッサだ。
ノエルがすぐに反応する。
「消える前の記録は取れたか?」
「はい少佐殿。記録をスクリーンに照射します」
3分ぐらいの短い映像記録だ。
時空の裂け目から出現し付近の調査を行っていた63号幻獣が、その後やって来た2人の子供と会話をしている。
どうやら時空転移の痕跡を見つけたようだ。
それから63号はいきなり二人に向かって麻酔針を射出したが、次の瞬間少年の姿が目の前に迫った場面で映像は途切れた。
「マンティコアは破壊されたと思われます。しかしまさか素手で・・・」
驚きながらヴァネッサが呟く。
「ここはどこだ?」
「ドラコ大公領第28星系内ロスト・コロニー惑星”ロスロリエン”です」
ヴァネッサが返答する。
「まさかのドラコ領か・・・。あいつらはヤバい。絶対に感づかれないように行動する必要があるな。非武装の惑星研究探査艇で行こう。あくまでも研究調査活動で押し通すんだ」
ノエルは指示を出した。
こうして今、ノエル達は惑星研究探査艇で惑星ロスロリエンを目指している。
目的の星系は、マリーエンブルク領とドラコ領の境界域にあって比較的近いと言えた。
平和的研究活動を装うため時空転移は自領内に限り、境界域からは2日間かけて通常航行で移動している。
「ノルトライン中尉、少し休憩する。食堂にいる」
ノエルがヴァネッサに声をかける。
「少佐殿。本官もちょうど当直交代の時間なのです。ご一緒してもよろしいでしょうか?」
珍しくヴァネッサが付いて来るようだ。
食堂で軽食を採り、飲み物を注文する。
隣にはヴァネッサが座って同じく飲み物を採っている。
テーブルに届いたコーヒーを一口飲み呟いた。
「それにしてもロスロリエンか・・・。伝説が言うところ、古のエルフの故郷だっけ・・・」
ノエルがまた分からない事を言いだした。
「何でしょう?」
ヴァネッサが少し興味を示す。
「いや、何と言うか・・・そのこう言う伝説があってね。はるか大昔、人類が宇宙に広がるずっと前の伝承に、エルフと言う人類とは別の知的生命体が存在したと言うのがあってね。そのエルフ発祥の地がロスロリエンと言ったそうなんだ。でもそれがここのことだとは限らないし、まあ何の根拠もない都市伝説の類なんだけどね。だって彼のエルフとやらに、何が出来たかとかの伝承は残って無いし、そもそも今の時代にエルフなんて何処にもいないしさ・・・」
つまりは、何の役にも立たない、何処からか拾ってきたトリビアを披露したノエルであったが、・・・ヴァネッサの反応がいつもとは違う気がする。
少し前までは無言でスルーするか冷たい視線を送っていたのが、今は穏やかな微笑みを浮かべてノエルを見ている。
(あれ・・・どうしたのかな?)
そう言えば、ヴァネッサが先日の休暇から戻って以来、何となく彼女のノエルに対する態度と言うか距離感が微妙に変わった気がする。
休暇中に何があったのか知らないが、ノエルを見る表情が以前と比べ随分と柔らかい。
勤務中、色々意見をくれるのは以前と変わらないが、冷たくずけずけした感じはなくなって、こちらを見ながら時折首を傾げ何かを思案している様子だ。
今だってそうだ。
こちらをキラキラした目で見つめながらも、何か少しだけ意地悪っぽい微笑みだ。
例えれば何かをイジりたそうな・・・なんだろう・・・おもちゃを見つけた子猫のような眼差しか?
(ひょっとして・・・モテ期が到来したのだろうか・・・。いやちょっと違うな・・・。あの瞳に映っているのは恋とは少し違うような・・・。
うーんとあの目ってなんかどっかで見た覚えがあるぞ・・・。そうだ!あれはお気に入りのオモチャの魔改造に燃えるオタクの目だ!だとすると・・・このシチュエーションは一体何だろう?
・・・狩猟?・・・うーんと調教?いや・・・あえて言えば育てゲーか?!)
ヴァネッサはノエルをピタリと照準し、視線を外さない。
そしてゆっくりと唇についた飲み物の雫を少しだけ舌で舐めとった。
一体その脳裏にはどんな改造計画が浮かんでいるのだろうか・・・。
雌ライオンの前の子ウサギ・・・若しくは蛇に睨まれた蛙の如く、内心ガクガクブルブルしながら、ノエルは慌ててコーヒーを一気に飲み干すのだった。
(そして舌をやけどした・・・)