4. 子爵令嬢のためのパヴァーヌ
マリーエンブルグ辺境伯領 首都惑星マリーエン ザルツァ家宮殿にて
ヴァネッサはザルツァ家主催の宮廷舞踏会にいた。
いつもの軍装束ではなく、豪華なドレスに身を包み、高価な宝飾類で飾りたてた貴族令嬢の装いで。
彼女は遠目からでも一際目立ち、衆目を集めていた。
ザルツァ家はマリーエンブルク辺境伯領の当主家で選帝候家である。
伯爵位で最高権力者とは若干違和感もあるが、他の選帝候も似たようなものだ。
ちなみに5選帝候は2伯1公2王の5人で構成されている。
現在は、
”マリーエン選帝候、マリーエンブルク辺境伯ヘルマン”
”ファルツ選帝候、ロタリンギア宮中伯カール”
”ドラコニス選帝候、ドラコ大公ウラジミール”
”プトレマイス選帝候、プトレマイス王ジェラール”
”メロヴィング選帝候、メロヴィング王クローヴィス=帝国皇帝”
の5人であった。
それぞれが多数の星系を支配する大領主の選帝候でありながら、伯爵位から王位までと様々なのには理由があるのだが、あまり気にする必要はない。
所詮それらは慣例的な呼称に過ぎず、彼らは皆実力的には同格の存在だ。
彼らのルーツは母星系植民地惑星開拓期の始めにまで遡る。
彼らは当初植民地惑星開拓時代の著しい功績により、母星の権威者から爵位を得た。
しかしその後彼らは自立し、母星の権威者は没落した。結果彼らにより上位の権威を与え得る存在はいなくなった。
当然それほど仲がよい訳でもない彼らは、互いに自分より上位の権威を新たに認めるはずもない。
たとえ彼らの内、誰が皇帝位に就いたとしてもそれはずっと変わらない。
なので彼らは遙か昔母星系時代に得た爵位を、未だに後生大事に守り続けている。
ヴァネッサ・フォン・デア・ノルトライン子爵令嬢はザルツァ家に連なる者だ。
休暇を待ちかまえていたように、父ノルトライン子爵リンハルトから実家に呼び戻されたヴァネッサは、あれよあれよと言う間に着せかえ人形の如く装われ、辺境伯当主家主催の舞踏会に送り込まれた。
父は数年前から、ずっとヴァネッサの退役と結婚を望んでいる。ノルトライン家の家名を上げる結びつきを求めて。
2年前ヴァネッサが現在の軍職務、すなわち平民上がりの少佐の副官になると知った時、父は烈火の如く怒り軍令本部にカチ込んだ。
結局辞令は覆らなかったが、あれ以来顔を合わせる度に父は退役を促してくる。
軍役は貴族の義務なので、女性士官の退役とはイコール結婚であった。
ヴァネッサはホールの中央で繰り広げられる、行列舞踏をぼんやりと眺める。
昔はもっと舞踏会を楽しめたものだ。
夢見るうら若き女性の御多分に洩れず、いつか素敵なひとがと・・・。
何時からだろうかとヴァネッサ自身不思議に思う。
男性に興味がない訳ではない。
しかし今はこの舞踏会にいるすべての人たちに興味が湧かなかった。
美しく着飾り華麗に舞う人たち。
ゴシップがなによりも大好物で、外見をごてごてと飾るのに忙しくても内面は薄っぺらな人たち。
・・・ここは虚栄の館だ。
「ヴァネッサ嬢はお気鬱のご様子」
声を掛けてくる男性がいた。ザルツァ家の次男グンターだった。
「いや、判りますとも。ノルトライン家のご令嬢ともあろうお方が、”平民上がり”風情の下に就くとは。お父上も常にこぼしていらっしゃる」
「・・・」
黙っているのを同意と受けとったグンターは更に言葉を重ねる。
「そもそもあの者は、彼の計画中枢に関わる栄誉を得ながら事故を引き起こし、あまつさえ昇進までして我らザルツァ一族の者に対して指図するとは。軍務は爵位に関係なく平等とは言いながらも、軍令長官殿はいったいどのようなご見識なのでしょう」
”平民上がり”をこと更に強調し、ローリエ少佐を貶めてくる。
昔からヴァネッサはグンターが苦手だった。
いつも家柄を鼻に掛け、選良意識丸出しで他者を見下す。
「殿下。わたくしは自分の職責に誇りを持っています。不満を感じたことなどございません」
そこでやんわりと不同意を伝えたが、自分本位なお坊ちゃまには通じない。
「なんと!ヴァネッサ嬢はこの理不尽な人事に甘んじられると。なんともお厭わしい事でしょうか・・・」
大袈裟にため息をつきつつ、芝居がかった様子でグンターは人気のないベランダにヴァネッサを誘う。
周りの視線を集めながら、内心しぶしぶと黙ってついて行くヴァネッサ。
(あーやだやだ。一体何を言い出すつもりやら・・・)
「・・・ヴァネッサ嬢、私はあなたの事を本当に案じているのです。私だけが今の境遇からあなたを救い出す事が出来るでしょう。恐らくあなたのお父上もそれをお望みであるかと」
一気に核心へと迫る台詞を吐くグンター。
(・・・なるほどね。子爵家が狙いなわけだ。グンターは次男でこのままだと辺境伯領は継げない。それで体裁の良い婿入り先として、子爵家跡取りのわたしに目を付けたと言うことか。・・・そしてきっとお父様もグル)
ヴァネッサは、この仕組まれた茶番劇にだんだんとムカついてきた。
(さて、どうやってこの世間知らずのお坊ちゃんを撃退してやろうか)
「殿下。たいへん思いやり深いお心に、わたくしお返しする言葉が思い浮かびません」
(つまりお断り!って言う意味だよ!)
「それにわたくし、現在の任務を完遂するまでは、軍務を離れないとの誓いを立てております。・・・そうですね殿下。一刻も早くわたくしが任務を完了できるよう、殿下ご自身でわたくしの部署にご赴任いただき、指揮をとっていただくとか・・・」
(自ら貧乏くじを引く勇気があればね!)
無邪気な貴族令嬢を装い、笑顔でとんでもないお返しをしてやる。
「そ、それは・・・。あ、ああ・・・、す、すまないが、友人と会合の約束がこの後控えていて・・・。またお会いしましょう、ヴァネッサ嬢」
激しく動揺し、そそくさと逃げるように去っていくグンターに、「いえ、お気になさらず」とにこやかに見送るヴァネッサ。
(知ってるよ。ローリエ少佐はご自分のことを、なんちゃって貴族と卑下しているけど、あなたこそなんちゃって大尉で、親のコネで楽な任務にしか就いていないって。家柄と気位抜きで出来ることがあるんなら、見せてみなさいよ)
内心で意地悪げに薄く笑う。
(家柄と気位か・・・)
ヴァネッサはそのどちらも持っていないローリエ少佐のことを考える。
ヴァネッサにとって、彼はこれまで自分の周りにはいなかったタイプで、少しだけ不思議な存在だった。
確かに彼は平民上がりかも知れないけれど、それでも自分の才覚だけで今の地位に就き、今では自身の部署を完璧に統括し徐々に成果を上げつつある。
お父様はやっかいな貧乏くじ任務だと言うけれど、その困難な任務を彼は驚くべき洞察力で隠れていた真理を見いだし、次々と問題を解決していく。
彼の常識に囚われない普通の貴族とは違う斬新な考え方に、出会った初めの頃とは違って、しばしば共感を覚え納得する現在の自分がいる。
たぶん彼の目には、他の者には到底見えない何かが見えているのだろう・・・。
おそらくそれこそが彼の真価なのだ。
今はまだそうと理解する人は少ないのだとしても・・・。
古色蒼然たる貴族社会で育ってきたヴァネッサにとって、ローリエ少佐の存在は常に新鮮で驚きの連続だった。
(そうか・・・)
ヴァネッサは今の舞踏会に興味が湧かない理由に突然気づいた。
自分はどこであろうと、彼がいない世界にはもう興味がない。
今のヴァネッサは”ノエル”だけに興味があるのだ。
自分の隠れていた気持ちに気づかされたヴァネッサにはもう迷いはない。
(お父様がそう言うお心づもりなら、わたしにだって考えがあるんだから)
これからも自分は自分らしく生きるのだ。
そして自分の相手は自分で選ぶ。
自らの心が感じ命ずるままに。
そう・・・周りが彼を侮るのであれば、わたしが彼を”ノルトライン”にふさわしくあるように引き上げてやれば良いだけだ。
(そしてそれは、きっと”わたしにしか出来ないこと”に違いない)
今やヴァネッサの心は定まった。
その視線が他に逸れることは最早ないであろう。
そんなところも思い込んだら一徹な、”ノルトラインの血”がなせる業なのかも知れない。
今日、初めて愉快な気持ちになれたヴァネッサは、傍らに立つ侍従に声を掛ける。
「アレック、帰ります。供を」
(ずいぶんとわたしも毒されたものだ・・・)
ヴァネッサは微笑みを浮かべながら、確信に満ちた足取りながらも優雅に舞踏会場を去って行くのであった。