3. 幻獣の噂
ルチアは今日もギルと一緒だった。いつもと変わらぬ黄金樹の森のパトロール。
平穏無事な探索であったが、ルチアには少し気になることがある。
このところ、マルローン樹のざわめきがいつもより大きい。ルチアに警戒を呼びかけている。
(たぶん来る。きっと何かが来る。そう遠くない時に・・・)
「ギル。あんた何か感じない?」と相方に尋ねるルチア。
樹上からギルの声がする。
「何もいない。気のせいじゃない?」
ルチアはむっとする。
「その気のせいが大事なんだってば!」
(この鈍感野郎!)と言う言葉は飲み込む。
ここら辺りもギルとのすれ違いを感じるところだ。
ドリュアードは”感”を大切にする。
予感を信じる。
自然が教えるところに従って行動する。
それがドリュアードの呪術者のあり方だから。
結局、今日のところは何も起きなかった。
だがマルローン樹のざわめきは収まらない。
(これから何かが起こるんだ)
ルチアは確信している。
里への帰り道、ルチアはもう一つ気になってることを話す。
「聞いた?アシュラン達の組が”幻獣”を見たって・・・」
アシュランはルチア達とは別組の探索班だ。数日前、奇妙な生物を見かけたと言う。
”幻獣”はこの世界に住まうものではない。
異界からやってくる異形の獣だと言われている。
めったに出会うことはない伝説に近い存在だ。
噂では幻獣は何もない空間を、突然破ってこの世界に現れると言う。
また幻獣には決まった姿がないらしい。
山羊の体に翼を持っていたり、鷲の頭を持った虎であったり、希に人面の獅子であったりと、一目でこの世のものでないと分かる奇天烈な姿形は実に様々だ。
だからその異形の獣は”幻獣”としか呼びようがない。
これまでのところ、幻獣はさほど危険な存在ではなかった。
暴れるでなく、人を襲う訳でもない。
ただ突然現れて常に何かを探しているそうだ。
また通常の武器では、幻獣を傷つけることは出来ないと言われている。
その皮は矢も通らず剣や槍を弾いたと聞く。
(試したわけではないけどね)
ただ幻獣は長くはこの地に留まれないらしい。
突然現れていつの間にか消えている。
余所の民からも希に幻獣の噂を聞くことがあるが、その正体は誰も知らない。
一部の民は”神の使い”だと言うが、それでも変な話だった。
そのめったに見ないはずの幻獣が、最近あちこちで目撃されている。
「アシュランが見た幻獣はどんな姿だったって?」
ギルがあまり気乗りしない様子で聞いてきた。
「猫ぐらいの大きさで、犬の体にコウモリの頭だって」
「見間違いじゃない?」
明らかに話を打ち切りたそうな様子のギル。
「なわけないじゃん!ドリュアードが見間違うなんて!」
その通りだ。
ドリュアードは特に目がよい事で知られる。見間違うなんてあり得ない。
関心を示さないギルにルチアはいらだちを募らせる。
「別に害はないんだろう?放っとけば?」
またもや空気を読まない一言。
爆発する。
「あんたはいつもそんな風で、誰の話も真剣に聞かないんだから!」
ついにルチアはへそを曲げてそっぽを向いた。
ギルはと言うと、無関心どころか内心焦りつつ、もうひとりの”ボク”改めベリルと交信していた。
・・・なんか不味くない?
(追っ手だろうな)
・・・ボク?
(他にいる?)
・・・幻獣ってなに?
(時空を越えて送られて来る合成獣。優秀なセンサーを持ってて時空を越えて情報を送れる。惑星探査用の特殊な獣)
・・・なんで合成?
(活動中の生物の脳は時空の裂け目を越えられない。あいつらの脳は人工知能。体はいろんな生物遺伝子からランダムに選ばれて作られる。だから姿は奇天烈で一貫性がない。目的に応じ組成の基本パターンはあるけど)
・・・なんでここに?
(ボクらを追ってる誰かがここにも目を付けた)
・・・どうしたらいい?
(まだボクらが特定された訳じゃない。しばらくは静観かな)
・・・目立たなければやり過ごせる?
(たぶん。ボクらは見た目も生物学的にも普通の人間。幻獣には区別できない)
それでギルは普段と変わらぬ様子で、ルチアのいらだちを余所に一際脳天気な顔を装った。
・・・
里長のメリザンドも異変を感じ取っていた。
奥方様が何かを察知し、それにマルローン樹が共鳴している・・・。
(いよいよその時がくるのだろうか。長く隠されていたもの、すべてが明らかになるその時が・・・)
奥方様が伝えている。何者かがもうすぐ結界に迫ると。
メリザンドは里のドリュアード達を集め、警戒を呼びかける。
「何者かが森の結界に近づいている。変事が近い。まだ戻っていない者は?」
彼女はルチアとギル組の未帰還を知る。
一瞬呼び戻そうかとも考えたが、”ロスロリエン湖畔”との言葉が頭を過ぎり、ルチア達を調査に向かわせることにした。
メリザンドがガラドの奥方様に話しかけると、その意図は正確にルチアへと伝わった。
「ギル。里長がロスロリエンの湖畔に向かえって」
近くのマルローン樹を睨みながら、ルチアが不満そうに言う。
「そこに何かあるの?」
ギルがトボケた顔で応えるが、内心は平静ではない。
(あそこには時空の裂け目が発生していた。痕跡がまだ消えていない)
そうだ。
ギル達がこの世界に出現した地点だから当然だ。
「ねえルチア。里に帰らない?」
おずおずとギルが促す。
「出来るわけないじゃん!里長だけじゃなく、奥方様の意向よ!」
そこで仕方なくギルは、ルチアに従ってとぼとぼとロスロリエン湖畔へ向かう。
そして、彼の地でギル達はおそらく幻獣との出会いを果たすことになるのだろう。
・・・
時と所は変わる。
ローエンの幻獣騒ぎから半月ほど遡った頃。
首都惑星マリーエン第911研究所、エリア99にあるノエルの所長執務室にて。
ロスト・コロニーの探査開始から既に3ヶ月が過ぎていた。
ノエル達は幻獣を次々とロスト・コロニーに派遣したが、実際のところ幻獣には人とバイオロイドの見分けはつかない。
だから幻獣が探していたのはバイオロイド本体ではなく、バイオロイドが転移出現した痕跡だった。
ノエルの考えでは、10号機の時空転移がマザーの意図によるものだと仮定した場合、その転移はランダムではなく予め出口がちゃんと用意されていた事になる。
時空転移の出口を用意するには、相応のエネルギー波集積とエネルギー発生装置を必要とする。
そしてそれが作動すれば出口を作った痕跡は残る。たとえ人の目には見えなくとも。
10,000個近くあるロスト・コロニー惑星の様々な場所で、幻獣達は入れ替わり立ち替わり出現と消滅を繰り返しながらその痕跡の有無を確認していた。
今日も幻獣達はいくつものコロニー惑星を徘徊している。
「あいつの痕跡は何か見つかったかい?」ヴァネッサに尋ねるノエル。
「まだです。ですが探査の対象となるコロニーは随分と絞られてきました。可能性が残るコロニーはもう500もありません。探査を終えた幻獣達も、整備が済み次第残ったコロニーに投入しています」
「残り500か・・・。もう暫くの辛抱かな?そろそろあいつのしっぽが掴めそうな気がするんだけどな。まあなんだ・・・バイオロイドにしっぽがあればの話だが」
ノエルのジョークをスルーし、ヴァネッサがすました顔で言葉を続ける。
「監視衛星も稼働させ、ここ2年間の蓄積データを送らせ解析し終わりました。幻獣が送るデータと照合を進めれば、もう半月ほどあれば当該コロニーを特定できる可能性があります」
少しだけ気まずくなったノエルは話題を変える。
「そう言えば、ヴァネッサは明日から休暇だったっけ?」
「申し訳ありません。このところ実家からずっと帰宅を催促されていまして。留守中はバルツ中尉が職務を引き継ぎます。たったの三日間です。すぐに職務に復帰しますのでご心配なく」と応じるヴァネッサ。
「たまの休暇だ。もっとゆっくり羽を伸ばしてきてもいいんだけどね」
「お気遣いありがとうございます」と回さずとも良い気を回すノエルに微苦笑しながらも、帰宅後に待ち受けているだろうイベントに思いを馳せ、少し憂鬱な気分になるヴァネッサであった。