2. 第911研究所
ノエルはついさっきまでスクリーンに写っていた、子供向け教育プログラムを消した。
「教育番組ってのは、どうしてこう建前ばかりなんだろうね」と呟く。
建前の裏側にこそ真実があり、その真実を教えるのが教育ではないだろうかと思うノエルであるが、残念ながら賛同者は少ない。
帝国統一歴707年 マリーエン選帝候マリーエンブルク辺境伯領 首都惑星マリーエン
その第911研究所の所長室にノエルはいた。
バイオロイド逃亡事件から2年が過ぎた。
ノエル・ローリエ”少佐”は当時の事件の舞台であった第911研究所の所長となっている。
何もしてないのに、なんで少佐?とは自身も含めた当然の疑問である。
かの上司マクラウド准将は、やっかいごとを押しつけた事をさすがに心やましく思ったのか、戦時昇進特例とかで”少佐”への昇進を軍令本部に推薦してくれた。
そのマクラウド准将閣下ご自身はと言うと、あの事件後いきなり前線へ転属されてその最初の戦闘で旗艦ごと自身の”アヴァタール”を破壊されあっけなく戦死されたそうだ。
するとあの腰巾着の幕僚達も、一緒に天国への階段を上ったのだろうか。
まったく”禍福は糾える縄の如し”。
・・・人生とはわからないものだ。
さておき、少佐に昇進して良かった事もある。ひとつ給料が上がった。
当然軍年金も増えると、小市民的にとりあえず喜んでおく。
もうひとつ、初めて副官をつけてもらえた。
ヴァネッサ・ノルトライン中尉。
20代前半、ブルネットのショートカットも凛々しいなかなかの美人さんだ。
それはそれで良いのだが、ただノルトライン中尉は生粋の”お貴族様”の生まれだった。
地位を金で買った新貴族、平民上がりの”なんちゃって”貴族とはそもそも格が違う。
生粋の”お貴族様”は世襲だが、新貴族はその後男爵以上の叙任を受けない限り、一代でおしまいな存在。
実際のところ、新貴族が世襲貴族に成り上がるのはとてつもなく難しいのだ。
辺境伯領としては、星系軍に人材とお金を巻き上げるにはちょうど良くても、”お貴族様”仲間を増やすことについては大した関心はない。
それが新貴族という微妙な存在だった。
まったく良く出来た制度だとノエル自身も思う。
まあ彼女がごく優秀なのは間違いなく、いつも助けられているのも事実であるが、彼女は何とも四角四面生真面目な性格で、そんなところにも育ちの違いを常に感じさせられるところだ。
(せめてもう少し気安く出来ればな)とは、ノエルのささやかな希望であったりもするのだが。
今回も「建前がなければ社会秩序は維持できません。秩序の成り立ちを教えるのは国家における教育の最大の目的でもあります。と言いますか、すべての裏事情を教える教育ってどうなんでしょうか?」
とヴァネッサが向けてくる正論と幾分冷ややかな視線に、(ここは議論しても無駄だろうな)と、そっとため息をつくノエルであった。
正式名称「第911首都惑星研究所」は実のところ辺境伯領最重要の機密軍事施設だ。
表向きは、首都惑星大学に隣接した「星系恒久平和開発機構」と何ともアカデミックでかつ平和ボケっぽい名を持つNGO組織の本部となっている。
しかしノエルには若干ジョークが効き過ぎているように思えなくもない。
(最重要の極秘軍事施設に”恒久平和”とかね)
そう、もうかれこれ100年に亘り、我が辺境伯領はお隣のファルツ選帝候ロタリンギア宮中伯領と事実上の戦争状態にあるのに。
子供向け教科書風に言えば、今は”5選帝候と帝国皇帝による平和秩序の時代”であるとされている。
先ほどの教育番組ではないが、所詮建前に過ぎないのだとしても”帝国星系の平和秩序”とはいったいどこの世界の話だろうか。
事実としては星系抗争時代の仁義なき野蛮な戦闘が、表は上品にしかし裏では陰湿な宮廷陰謀劇と劇場型の戦闘ゲームにとって代わられたに過ぎないのだ。
帝国成立以降も各選帝候領の周辺部では今もって紛争が絶えないが、帝国用語的にはそれを”帝国の平和”と言うらしい。
結局のところ”帝国の平和”とは、所詮5つの星系勢力があって、しかし互いを直ちに打倒する力が不足したため、仕方なく便宜的な平和を演出した茶番劇に他ならないので、当然長続きするはずもない。
実権者である5選帝候は、協力して星系の平和を維持するどころか、今もって相手を打倒する機会を虎視眈々と狙い、互いにずっと陰湿な策謀を巡らしている。
こうして思えば、人類とは誕生してからずっと戦争をしている理解できない生き物だ。
おそらく人類ほど戦争が好きな存在はあるまい。
神はよくもそんなおかしな存在を万物の霊長たる地位に就けたものだ。
そんな異端に近い考えを抱くノエル自身が、曲がりなりにも貴族の一員となり軍務に就いている事自体が大いなる矛盾でもあるのだが。
・・・やはり人生とはわからないものだ。
閑話休題。
そう言う訳で911研究所長となったノエルであるが、この2年間表向きのNGO業務は裏方の職員がこなし、ノエル自身はと言えばもっぱらエリア99に引き籠もり、件のバイオロイド捜索に注力していたものの、今のところの進捗はまったく芳しくなかった。
先ず、管制AI”マザー”は結局のところ修復再起動が出来なかった。
当初の想像以上に重要箇所が激しく損傷しており、バックアップ回路と修復に必要なデータすら徹底的に潰されていた。まさかここまでかと皆が驚くほどに。
その帰結として、件の10号機がどこに逃げたか手がかりとなる情報は未だに得られていない。
次いでこれも当然の帰結であるが、バイオロイド開発計画”プラン・ラグナロク”は頓挫し中断を余儀なくされた。
研究の中核であったマザーと運用データの喪失は、すべての計画続行を不可能にしたのだ。
現在培養中のバイオロイドは存在しないし、当面新たなバイオロイド培養も不可能だろう。
もちろんノエルとて、この間を無為に過ごしていたわけではない。
時空転移の確率振幅論によるランダム転移候補先を一つ一つこまめに潰し、集められた限りのマザーがアクセスしたと思しき星系と惑星を丹念に調査したにも関わらず、そのすべてが徒労に終わっている。
リスクを犯して極秘に他の選帝候領さえも調査範囲に加えたのに、全くと言っていいほど10号機が転移した形跡が一向に見つからないのだ。
”時空転移”には”裂け目”となる入り口と出口に膨大なエネルギー波が集積するので、観測データを丁寧に集めて解析すれば、普通は転移した痕跡が何かしら見つかる。
おまけに一旦覚醒したバイオロイドは、そもそも温和しく隠れているようなタマではない。
動けば必ず何かしら騒ぎが起こりそれと知れる。
なのになぜかその動きがまったく察知できていない。
既に他の選帝候領に密かに確保されたのかとも疑ったが、他領に潜っているエージェントからは、何ら怪しい情報はなくそれらしき痕跡も皆目得られなかった。
(あいつはたぶん我々の知る世界にいない・・・)
今や捜索は完全に行き詰まっていた。
「あいつは逃げ出して、いったい何をするつもりだったんだろう?」とはノエルの独り言。
「生体兵器の意図とは破壊活動以外は思い当たりませんが・・・」
いささかノエルの独言癖に辟易としつつも、ヴァネッサがおざなりに応じる。
「そうなんだよな。バイオロイドは送り込まれた地で破壊活動を起こすよう刷り込まれている。
破壊への衝動はバイオロイドの本性だ。なのになんの騒動や事件も起こさずじっとしてると言うこと自体がおかしい」と同意するも納得がいかない風のノエルである。
「少佐殿はやはりあのバイオロイドに自我があって、自身の思惑で動いているとのお考えで?」
「そう考えないと腑に落ちないことがいくつもある。あいつはバイオロイドのニュータイプだ。
人工知能の指示ではなく、自身の脳でも考えて行動判断することが出来る。あいつは我々が思う以上に人に近しい存在だ」
「では、戦争が嫌いなバイオロイドだったりもするかもですね」
ヴァネッサとしては軽いジョークのつもりだったのに、その言葉に過剰とも言える反応をしたノエルは、真剣な面もちで壊れたように呟きだした。
「・・・戦争が嫌い?戦争が嫌いなバイオロイド?それが逃げ出した・・・?けど逃げるあいつに自我はなかったはずだ・・・。意識がなくても戦争が嫌い?あの時・・・起きていたのはあいつの生体AIのみ・・・。それに接触出来たのはマザーだけ・・・?マザーは管制量子コンピュータAIだ・・・。あいつと一体の生体AIもナノ量子コンピュータ・・・。言わばあいつはマザーの子供か・・・。するとマザーは母親・・・。母親は子供がかわいい・・・?マザーが人であれば・・・マザーが何かした?・・・まさかあいつじゃなくマザーか?!」
ダダ漏れするノエルの思考の飛躍とループに、ヴァネッサは若干引き気味に声を掛ける。
「・・・少佐殿?」
ノエルが連想のループから回帰し、勢い込んで一気にしゃべり出す。
「そう、ずっと引っかかっていたんだ!マザーと10号機ではAIの性能比からしても大人と子供ほどの差があった。エネルギーとデータの逆流程度でマザーが10号機にハックされるなんて本来あり得ないんだ。・・・その理由をオレは自我の有無のせいだと考えていた。自我なきマザーだからハックされたんだと!」
「でもマザーにも自我があったと仮定すれば、これまでの前提はすべて覆る。この一連の出来事が、マザーが暴走したと見せかけるための偽装だったとすれば色んな点で辻褄が合う。10号機と言うよりも、マザー自身がこの事件の中心にいたんだ!」
「理由はわからないが、マザーは意図的に10号機を逃がした。そして彼女は10号機の行方を追わせたくなかった。だからデータを消して追跡に繋がる痕跡をすべて消した。そして真相が明らかにならないよう、自らをも徹底的に破壊した。たぶんこれらはすべてマザーが周到に準備してたんだ!オレ達はずっと明後日の方向を探していたんだ!」
恐る恐るヴァネッサが尋ねる。
「とても考え難いことですが・・・仮にそうだったとしても、どうしてマザーが・・・?いったい10号機に何を求めて・・・?そして10号機をどこへと・・・?」
「それは・・・まだわからない。しかしこの仮定が正しければ、探す方向性は朧気だが見えてくる気がする」
そしてノエルはヴァネッサの目をじっと見つめながら問う。
「ヴァネッサ。母親が子供を隠すとして、君ならいったいどこに隠す?」
ヴァネッサはしばらく考えたのち、おもむろに自身の考えを述べる。
「母親が戦争から子供を守ろうとするならば・・・。星系領主の監視が届きにくい世界・・・。私たちが良く知る世界ではなく・・・。戦場から出来るだけ遠く・・・。誰からも忘れ去られた場所に・・・」
「では、その条件に該当する場所と言えば・・・」ゆっくりと頷くノエル。
二人の声が重なる。
「「ロスト・コロニー」」
”ロスト・コロニー”。
すなわち過去に放棄された植民地惑星。
星系大航海時代の初期。いくつもの星系惑星が開拓されたが、環境が厳しかったり、資源が乏しかったりと放棄されたものもたくさんあった。
しかし人々が植民地惑星を放棄した時、すべての人がそこから去ったわけではなかった。
一部の人たちはなお開拓地に残り、惑星開拓を続けるなかでそこを自らの故郷とした。
彼らは数千年をかけて独自の文明を育み発展させたが、他の星系とは関わりを持たなかった。
そのため多くのロスト・コロニーでは星間移動の技術は失われ、星系の離れ小島と化したことで何時しか他の星系の人々の記憶からも消えた。
星系抗争時代になって、ようやくいくつかのロスト・コロニーが再発見されたが、かつては同じ人類にルーツを持つとは言え、今やあまりにも文明的な相違が大きくなりすぎていた。
今更新たな星系文明に統合する事は互いに大きな困難が予想され、またそこまでの価値もないと判断されたロスト・コロニーはそのままに放置された。
ただ彼らが星系文明秩序の阻害要因にならないように、コロニー惑星の静止軌道上に監視衛星のみを置いて。
そうしてこの時代、ロスト・コロニーは同じ星系内にありながらも、どの星系領主にも属さない、まさしく失われた世界として密かに存在していた。
「有人ロスト・コロニーは全部で幾らぐらいある?」
ノエルの問いに、無言でタブレット端末を操作していたヴァネッサが答える。
「登録されているのはおおよそ10,000個ですね。監視衛星は今も稼働中のようですが、スリープモード、ほとんどが最低限の機能しか維持していません」
「思ったより多いな・・・。それ等を一つ一つ調べるのも骨が折れそうだと言うか、これまで中立地だったロスト・コロニーに、目立つ調査を入れるのはどうにも具合が良くない。恐らく他の星系領主達からは領土的野心か何かの作戦行動と受け取られ、要らぬ介入を招くだろうな。バイオロイドの捜索と確保は、他領の連中に知られないよう秘密裏に行う必要がある・・・」
「では”時空の裂け目”を作って密かに侵入でしょうか?」
考え顔のノエルにヴァネッサが提案する。
「・・・それしかあるまい。目立たないようにやるとすれば、裂け目は最小で、送れるのは精々小動物サイズか・・・。先ずは各コロニーに”幻獣”を放とう。ではノルトライン中尉、作戦準備を進めてくれ」
ノエルの命令にヴァネッサが敬礼し復唱する。
「了解しました少佐殿。直ちに作戦準備に入ります」
いくぶん慌ただしく部屋を後にするヴァネッサを見送りながら、ノエルは心の中で独りごちた。
(はてさて、先ずは局面を変える最初の一手ではあるが、これが何をもたらすのか想像がつかないな。
藪をつついて蛇を出すとも言うが・・・。果たして鬼が出るか蛇が出るか・・・。
どっちに転んでも、とんでもない事になりそうな予感がするんだよな・・・)
本人は知る由もないが、こんな時のノエルの(特に悪い方の)予感は、実に良く当ったりもするのだった。