2話
落ち着かない教室を後にして、俺は職員室の自分の席に座る。資料を配り終わったし俺の役割も終わりだ。オリエンテーリングの注意事項は配布した冊子にきちんと書いてあるので熟読してこなかったやつが悪いという適当な言い訳も効く。
自分が学生の頃は職員室に自分の席があるなんてことは微塵も想像していなかったので教員生活2年目の今でもこの違和感には慣れないが、どうにか校内で落ち着ける場所がここしかないことに俺は大きく嘆息した。
「はあ〜」
「大きな溜め息ですね、結城先生」
「藤咲先生、大変なんですよ2年A組は」
隣の席から声をかけてくれたのは同僚の藤咲みちる先生だ。
目元には度の強い眼鏡があり、髪を引っ詰めて比較的地味でキツ目の印象がある。しかし年齢は23歳と大学を卒業したばかりの新米教師と若い。
なんでも一流大学をトップクラスの成績で卒業し、多くの企業から引く手数多の就職先選び放題だったにも関わらず教職を選んだという変わり者だ。
適当になんとなくで教師を選んだ俺とは志も大きく異なるのだろう。
それなりにおしゃれをすれば美人そうに見えるが、しかめっ面と髪型のせいでとっつき難いイメージを拭えない。
「成績は優秀な子ばかりですが…」
「成績が優秀なのがなおタチが悪いんです」
俺の受け持つ2年A組の生徒はどうにも"主人公気質"の生徒ばかりだ。
今日みたいに幼い頃に将来を誓いあった婚約者が乱入してきたり、そもそも授業に出てこないくせに成績優秀なヤンキーとか、授業中に突然「腹痛で早退するッス!」とか言って元気いっぱい真剣な表情で飛び出して行く男子とか、「愚か者が……」とか言いながら突然気配もなく転移したように消え去る女子とか、誰にも見えていないらしい謎のマスコット人形みたいなのが教室にいたりとか、見たくないものが見えちまって震えてる子とか、「部活よ!無ければ作れば良いのよ!」とか言って授業中に立ち上がって前の席の頭を男子を引っぱたく奴とかいっぱいいる。
俺ももういっぱいいっぱいよ。
遅すぎる厨二病を発動したような生徒ばかりで授業態度に問題がありすぎるため、ちょいちょい俺宛に他の教師からクレームはくるわで平和平穏を愛する平凡教師としては胃が痛いのだ。
「教師、辞めちまうか……」
「!? ダメです! 結城先生!」
「冗談ですよ……」
折角見つけた就職先だ。あっさり辞めるというわけにもいかない。思わず弱音が口に出てしまった。
「もう…ッ!」
藤咲先生は頬を膨らませていた。
普段はお局さんみたいな容姿のせいで中々イメージと結びつかないが、こういうところは年相応に若い反応を見せてくれるんだなと思った。
俺もみちるちゃんって呼んで良い?
………
……
…
――放課後。
大抵の生徒は下校しているが、中には教室や図書室で自習をしたり部活後に友達と話すために残ってたりする生徒もいる。
俺が学生の頃は帰宅部だったため遅くに残ったりすることは滅多になかったが、近頃の若者は世間で言われているよりも割と勤勉で残っていたりする。
教師には監督責任がある程度義務付けられており、こういった事情により放課後は校内や近くの校外を持ち回りで見回る。
本日俺は校外を遅くまで道草くってる生徒が居ないか確認する当番だ。
当然のように残業代なんてものはないが、こればかりは仕方ないことだと割り切っている。
職務の一環だと自分に言い聞かせれば自分の感情などどうにでもコントロールできてしまうのが社会人なのだから。
学校近くの繁華街も午後6時を過ぎるとちらほらとスーツを着たサラリーマンやガラの悪い連中も彷徨き始める。
今も昔も変わらない光景といえばこういうところだろうか。
「ん?」
ふと目についたのは俺の学校の制服だった。
「水無月じゃねえか」
水無月環菜。
俺が担任する2年A組の生徒だ。大人しくて授業態度も良く、成績も優秀で見目も麗しい清楚なお嬢様といった子だ。
こんな時間に繁華街を徘徊するような札付きの生徒では決してない。それが逆に違和感を感じさせた。
水無月は周囲をキョロキョロと伺いながら所在なさげにしており、しきりに何かを気にしているようだった。
何の事情があるか知らんが、初めての非行にドキドキでもしているのかと言わんばかりの様子。極めてわかりやすいとも言える反応だ。
理由はともかくとして見てしまった以上は見過ごすわけにはいかないので、俺は声を掛けようとしたが水無月は次の瞬間……誰も行かないような路地裏へと姿を消してしまった。
――品行方正な女生徒の失踪
――問われる監督責任
――学校は一体何をしていたのか
明日の新聞の見出しが決まりそうな最悪の想像が一瞬にして頭を過ぎる。
今日、この時。俺が見回り登板の時に水無月が何らかの事件に巻き込まれたりしたら。ましてやそれが自分のクラスの生徒だとしたら。
「俺の教職生活!夢の退職金暮らし!悠々自適の老後が!」
思わず叫んで走り出してしまった。
息を切らしながら水無月が消えた路地裏に走り込んで俺が見た光景は、路地裏から空へ飛んでいく青色の魔法少女だった。
「み………ッ!ピ……ンクか……………………」