婚約破棄をした悪役令嬢は動じない。 ~悪役令嬢の婚約破棄を企んだ乙女ゲームのヒロインは幸せを手に入れる為、悪役令嬢の味方をすることにしたらしい~
「――婚約破棄を申し込むつもりかな」
お父様のご厚意で結ばれただけの婚約だった。
私と婚約を結ばなければ、数年以内には没落してしまうだろう弱小貴族。領地経営の才能に恵まれていなかった可哀そうな伯爵家のご当主様とお父様は幼い頃からのご友人だった。
だからこそ、侯爵家にはなにも利益のない婚約を結ばれたのだ。
私の婚約者はそのことを知らないのだろう。知っていれば、侯爵家からの援助を断ち切ってくれと言わんばかりの手紙を送りつけてくることはないはずだ。
「お嬢様。侯爵閣下はその手紙のことを存じておられますか?」
「お父様もこれを知れば怒り狂うのは目に見えている。何も言ってこないのはまだ知らないということだよ」
「ご報告をしなくてもよろしいのですか?」
以前、休暇を与えようとしたところ、私の世話を好んでしているのだと泣きながら訴えたメイドのアリシアは首を傾げていた。そんなところも可愛らしい。小動物のように動いて回るアリシアは私が手招きすれば、待っていたと言わんばかりに駆け寄ってきた。
「お前はそのようなことを気にしなくてもいいのよ」
お父様がお与えになった使用人の中でアリシアほどに触り心地の良い子はいない。思い切り頭を撫ぜれば幸せそうに笑ってくれる。
それだけで十分すぎるほどアリシアには価値がある。
「カロン。お客様を到着した頃かな?」
「もちろんですわ、お嬢様。約束の時間よりも一時間も過ぎてご到着なされたことを気にしないかのような顔をして丁重に扱うようにと何度も言い聞かせておきました。すべてはお嬢様の指示であると何度も何度も言い聞かせてきましたとも」
「それは良かった。カロンに任せたのは正解だったね」
「……ありがとうございます、お嬢様」
扉の傍で控えているカロンの表情は暗い。
侯爵家の令嬢である私の婚約者という立場を理解していないかのような振る舞いを見せる彼に対し、不満を募らせているのだろう。
侯爵家の唯一の子である私は家督を継ぐ義務がある。
家督を継ぐ権利を持たない貴族の子息、子女たちが通うことが義務付けられている学院で好きなように振る舞い、遊んでいる婚約者に対し、不満を抱くのは当然のことのように思えた。
家督を継ぐ者は、専門知識に長けた家庭教師を何人も付けられる。
学院で学ぶような内容は幼少期には頭の中に叩き込まれ、領地経営に必要な事柄や王政に係わるような重要な事柄まで幅広く学ぶ。当然、貴族社会では必要不可欠なマナーも叩き込まれる。
「客人に会いに行こうか」
急ぐ必要はない。
不躾な手紙の内容を告げられるだけのことだ。侯爵家には何一つ不利益が生じない内容を偉そうに告げるのだろうか、それとも、伯爵家に対する援助は続けてほしいと生意気なことを口にするのだろうか。
どちらにしても、想定内だ。
お父様から婚約者を紹介された日からわかりきっていたことだった。
それでも、幼い頃は少しだけ期待をした。
話しに聞いていた理想的な婚約者の振る舞いとは異なる言動を見せた婚約者に対し、与えられた役割を逃れることができるのではないかと期待したこともあった。
それが無駄な期待だったことを知ったのは、去年だ。
婚約者が学院の最上級生になった頃、学院に通っている友人たちがこっそりと手紙を寄越した。その手紙にはご丁寧に写真を添えられており、婚約者が他の女性に現を抜かしていると怒りに満ちた文面が書かれていた。
「扉を開けて」
「かしこまりました、お嬢様」
客室の扉を塞いでいた執事に声をかければ、難なく扉が開けられる。
客室用に準備されているソファーに腰を掛けているのは婚約者のアルフォード・レノン。レノン伯爵家の四男であり、侯爵家からの援助を受ける為に差し出された哀れな婚約者だ。
「――アルフォード」
以前、見かけた時とはだいぶ変わっていた。
背が伸びたのだろう。
少々険しい表情をしているのは今に始まったことではない。
信じられないものを見たと言わんばかりの目を向けられるのは心外ではあるが、彼には彼なりの理由があるのだろう。それが通じるとは思わない方が良いのだが、忠告に耳を貸さないのならばそれまでだ。
「話を聞こうか。急用なのだろう?」
目の前に座れば、アルフォードは情けない表情に変わった。
「……急用、うん、そうだよ、急用なんだ」
会わない間に話し方が変わったようだ。
学院の影響があるのだろうか。最後に顔を見た時――、学院の入学が決まった頃には立場を理解していない偉そうな口調で話していた覚えがあるのだが、多少は学院の中で貴族社会を理解することができたのかもしれない。
「ローズマリー」
アルフォードは立ち上がった。
それから私のことを見下ろすわけでもなく、覚悟を決めてきたかのように歩き始める。それから何を思ったのか、私が座っているソファーの横に立ち、床に座り込んだ。そのまま、勢いよく床に頭を付けた。
理解のできない動きだった。
そのような姿勢は王国にはない。東洋の国にはそのような不思議な姿勢を取ることにより謝罪の意思を表明するという変わった文化が存在していると歴史の教科書に記されていたことを思い出したが、それは、その国独自の文化であり、王国には何も関係がない動作だった。
「ごめんなさい!」
幼稚な謝罪の言葉だ。
貴族同士では使うことはない。第一、貴族という立場を理解している者ならば軽々しく謝罪の言葉を口にしてはならないという暗黙の了解がある。
それすらも、理解ができなくなったのだろうか。
「三日前に送った婚約を破棄したい内容の手紙は、どうか、なかったことにしてください!」
三日間の間に心を入れ替えたとでも言うのだろうか。
私の表情を伺うこともせずに頭を床に擦りつけたまま、妙なことを言い始めた。
「僕は心を入れ替えました。これからはローズマリーに相応しいような人間になれるようにします。だから、お願いです。どうか許してください!」
軽薄な言葉だ。
謝罪をすれば許されるとでも思っているのだろうか。
「証明できるものはあるのか?」
妙な姿勢のまま、震えているのは見ていて心地の良いものではない。
しかし、その姿勢を正すように告げれば許されたと都合の良い解釈をすることだろう。それは私にとって都合が悪いことだった。
「証明……。――あ、そうだ、証言します。ローズマリーは僕に対して何も悪いことをしていないって証言をして、それで、裁判を回避できるようにがんばります。そうすれば、きっと、僕たちの死刑を回避することができるはずだから。それを成功させてみせるので、許してください!」
学院にいる間に頭を強く殴られたのだろうか。
なぜ、私が裁判を受けるような事態になる。
しかも、その結果、死刑になる?
どちらもありえないことだ。侯爵家として罰せられるようなことは一つもなく、個人的にも罪を被るようなことは一つもしていない。免罪で処刑しようものならば王国に対する義理は尽くしたと告げ、異国に亡命し、公国として独立を目指すだろう。
それを可能にするだけの権力と実力を持っていると理解をしている王族が侯爵家の独立に有利になるようなことを進めるはずがない。
「話を聞く価値もないな」
アルフォードが婚約破棄を望み、貴族階級でもない平民の女性に現を抜かしている証拠はお父様に何度も送ってある。
それを必死になって揉み消そうと縋りついている伯爵家のご当主様も今回ばかりはどうしようもないだろう。
「客人には帰ってもらえ」
くだらない茶番に付き合う暇はない。
必死に頭を擦りつけて謝罪の言葉を口にするアルフォードに対する情もない。
「離せ! 僕は侯爵になるんだぞ!?」
侯爵家で雇っている騎士に命令を下せば、アルフォードは強引に立たされて客室を追い出されそうになる。それに抵抗する姿はなんとも間抜けなものだった。
「ローズマリー! お前は僕のことを愛しているんだろ!? 僕が心を入れ替えてお前と結婚をしてやるって言っているんだ!! どうして、それを受け入れてくれないんだよ!!」
それが本音だったのか。
醜い勘違いを拗らせたのか。誰かに入れ知恵でもされたのか。
「僕にはお前が必要なんだ!!」
そうだろう。
侯爵家と繋がる為には私との婚約は不可欠だ。
「お前みたいな偉そうな女と結婚をしてやるなんて言ってくれるのは僕くらいだぞ!!」
廊下に引きずり出されてもまだ騒いでいる。
話を聞く価値もなかったが、会う価値もなかった。幼い頃に期待をしただけの婚約者の本性を見ても傷つくこともなければ、同情することもない。
ただ、一つだけ気になることがある。
東洋の国の文化を教え、都合の良い言葉を口にすれば全てが上手くいくと入れ知恵をしたのは誰なのだろうか。
一度、入れ知恵をした人物と会ってみたい。
何が目的だったのだろう。恐らくは伯爵家の人間ではないだろう。婚約を維持させたいのならば、アルフォードと直接会う機会を阻止する方が確実だ。
それがわからないような頭の悪い人間でもない。
それならば、私とアルフォードの婚約を破棄させることが目的の人物により入れ知恵と考えた方がいい。効率的なやり方だ。侯爵家には何一つ不利益がなく、伯爵家に施している多大な援助を断ち切り、婿養子には不向きな人間を拒絶する都合の良い言い訳も与えられる。
それをすることにより、得をするのは誰だろうか。
気になって仕方がない。
* * *
アルフォードとの婚約は破棄された。
レノン伯爵家も庇いきれなかったのだろう。侯爵家から受けていた多大な援助の維持を申し出ることもできず、援助として与えられた金額は借金へと代わり、家宝まで手放したと聞いた。
それでも足りない金額の支払いを待ってもらう為、アルフォードを退学させ、伯爵家から勘当したようだ。
お父様の怒りはそれだけでは収まらなかった。
幼い頃からの友人とはいえ、許せなかったのだろう。レノン伯爵家とは縁を切ると朝食を食べながら言い切っていた。お母様もそれが良いと何度も頷き、お父様の決断を褒め称えていた。
「お嬢様」
アリシアはいつになく深刻な顔をしていた。
「第三王子殿下からご紹介されたという平民にお会いになられるのですか?」
アルフォードと恋仲だったらしい平民の女性は、幅広い交流関係を巧みに築き上げてきたようだ。学院に通われている第三王子殿下、レオ様から直々に紹介をしたいという手紙を送られてきたときには目を疑った。
婚約を破棄した話を知らない者はいないだろう。
あっという間に広がった話だ。学院に通っているのならば、平民の耳に届いていると考えるのが自然である。
「会わないわけにはいかないだろう」
既に中庭で待っているようだ。
レオ様からの紹介状を持っていたこともあり、公爵邸の敷地内には入れたものの、屋敷に入れることを拒んだ執事長による英断だ。それに対し、平民の女性は文句の一つも口にすることなく受け入れたという。
「あそこにいる彼女か?」
周囲を見渡している様子から好奇心を隠すことを知らないようである。
中庭に用意された椅子に座っている。学院の制服姿で訪ねてきたのはドレスの一枚も用意できなかったからなのか、その服装が正しいものだと思い込んでいるのか、どちらだろうか。
「ローズマリー様!!」
階級の下の者が、上の者に気安く声をかけてはならない。という暗黙の了解を知らないのだろうか。
「お会いしたかった!!」
平民の女性は待っていられないと言わんばかりに駆け寄ってきた。私に辿り着く前に騎士によって取り押さえられていたが、気にしたような素振りは見せない。
「婚約を破棄されたのでしょう!? わたし、アルフォードの後押しをしましたの! あんな男は侯爵家に相応しくないですもの!」
アルフォードに入れ知恵をしたのは、この女なのだろうか。
「わたしとお友達になりましょう! ローズマリー様! ヒロインと悪役令嬢が手を組めばなんだって思いのままですわ!」
何一つ、理解のできない提案だ。
「わたしはローズマリー様を裏切りませんわ! 今後も多大な利益を与えることを約束します! だから、お友達になりましょう!」
妙なことを口走る女は地面に叩き落とされた。それでも、痛みを感じていないかのような顔をして私に対してとんでもない提案を続ける。
「妙なことを提案するものだね」
聞きたいことはいくつかある。
「君はアルフォードと恋仲だったと聞いていたけど、違うのかな?」
「違いますよ!」
「では、婚約者がいると知っていながらも誑かして遊んでいたの?」
「いいえ! 遊んでいません! わたしは本気で誑かして利用したんです!!」
それは堂々と言い切るようなことではないだろう。
「ふふっ」
思わず、笑ってしまった。
「どうして、利用したんだい?」
魔性の魅力があるとは思えない。頭のおかしい平民の戯言だ。それでも、ここまで堂々と言い切れるおかしい平民を見たのは初めてだ。
「アルフォードを利用して婚約を破棄させればローズマリー様に会えるって知っていたからですよ! それ以外の理由はないんです。だって、アルフォードにはローズマリー様と会える切っ掛けを作ってくれる以外の価値なんてないんですから!」
とんでもないことを言っている自覚はないのだろうか。
きっと、何一つ間違っているとは思っていないのだろう。
「今度は私を利用するつもり?」
「利用なんかしません! わたしがローズマリー様に利用される為に来たんです!!」
私の言葉に対して頭を全力で振って否定するものだから、土が飛び散った。可愛がっている犬だってそのような真似はしないのに、彼女は土で汚れることを気にしていないのだろうか。
「わたしを利用してください、ローズマリー様。わたしは侯爵家に多大な利益を生み出すことをお約束します!」
「その代わりになにを求めるの?」
「わたしを保護してください! なにも侯爵家の人間になりたいなんて贅沢は言わないので、将来的に侯爵家のメイドになる権利をください! 贅沢を言うならローズマリー様専属のメイドになりたいです!!」
「そう。志望動機は?」
「次期侯爵様に可愛がられて条件のすごく整った結婚相手を見つけたいです!!」
本音だろうか。
本音ならば素晴らしいくらいに堂々としている。決して貴族として褒められるようなことではないけれども、そこは平民の身分を盾にして言い逃れをしようとするだろう。それだけの度胸は備わっていそうだ。
「レオ様ではいけないの?」
「ダメです! 私は家督を継ぐ権利のある貴族様に嫁ぎたいんです!!」
「なるほど。それで私に近寄ろうとしたんだね」
「はい! ローズマリー様が婚約破棄をしたいと思っているだろうと思っていたので、アルフォードを利用して近づきました!! お陰で地面に横たわりながらも直接交渉ができているのでアルフォードを利用した価値がありましたね!」
地声が大きいのだろう。
これでもかと自己主張をしてくる。目を見ている限りでは嘘ではなさそうだ。
身辺調査をさせる必要はあるだろうが、条件付きで採用してもいいかもしれない。少なくとも平民でありながらも学院に入学をしたのは事実だ。少なからず魔力はあるのだろう。
「いいよ。君の熱意に応えよう」
騎士から冷めた目を向けられているが、気にしない。
「ただし、条件を全て満たした後に採用するか検討する。後日、条件を提示した書類を届けさせるから、納得したらサインをして送り返してくれる?」
「はい!! それで充分です!」
「そう。ところで、一つ聞いてもいいかな?」
「一つと言わなくても何でも聞いてください!!」
「一つでいいよ。君の名前を教えてくれる?」
勢いに押されていたわけではないのだけど、名前を聞くのを忘れていた。
「ティアです! 苗字はありません!」
騎士の手が緩んだのだろうか。
それとも、力任せに払い除けたのか。難なく騎士を退かせてみせた平民の女性、ティアは私の元に駆け込んでくる。泥に塗れた状態で近寄らないでほしい。
「これから末永い付き合いをお願いします!! ローズマリー様!!」
抱き着かれるのは寸前で回避した。
「ふへへっ」
私に足を引っかけられたティアは再び地面に転がったが、なんとも幸せそうな顔をして不気味な笑い声をあげている。
* * *
三日後、学院にいるティアから返事が来た。
私が提示した条件を全て受け入れると力強く書かれている。学院に通うことは許されているとはいえ、平民の生まれであるティアには貴族らしい丁寧な文章を書くことも綺麗な字を書くことも難しいのかもしれない。早急に字の練習ができるような贈り物を用意しなくてはならない。
「カノン。最上級のものを取り寄せて」
「かしこまりました。至急、侯爵家の名義で送らせていただきます」
「頼んだよ」
ティアと出会った日、彼女の身辺調査を依頼した。
その結果、とんでもない好条件の拾い物をしたことが発覚をした。平民でありながらも学院の入学を許可されているくらいだ。多少の魔力と利用価値はあるのだろうと思っていたが、とんでもない。
すぐにでも手に入れたいほどの価値があった。
ティアは十人しかいない聖女候補の一人だった。その中でも、聖女として認定を受ける確率が最も高いとされている光属性の魔力を持っている。魔力数値も通常ではありえない数値を示しており、わざわざ、侯爵家に擦り寄ってくる必要があるとは思えないものだった。
その気になれば実力で貴族社会に入り込めるだろう。
それをしなかったのは、平民として暮らしている家族を養う為のようだ。平民の家族を見捨てれば、簡単に手に入る条件を諦め、わざわざ遠回りの手段を選んだようだ。
「お嬢様。気に入られたのですか?」
アリシアの機嫌はよろしくないようだ。
「お気に入りにするんですか?」
居場所を奪われるのではないかと怯えているのだろうか。
そのようなことはありえないのだが、アリシアが不満になる気持ちもわからなくはない。
「お気に入りには程遠いけどね。条件を満たせば採用してもいいとは思っているよ」
ティアに言い渡した条件は三つ。
一つ、学院を首席で卒業をすること。二つ、幅広い友人関係を築くこと。三つ、教会認定の聖女に選ばれること。その条件をすべて満たすことができたのならば、ティアが望む通りに侯爵家で雇うことを検討する。
「婚約者の代わりにとても良いものが手に入ったんだ。それなりの対応はするよ」
互いに利用価値がある限りは、私を裏切るような真似はしないだろう。
それでも、念の為、身辺調査は続けている。状況によってはティアの家族を侯爵領内に住まわせ、世話をしてやるのもいい。そうすれば、ティアが私を裏切った時には見せしめとしてその命を奪うこともできる。
「これからが楽しみだよ」
お父様の許可は得た。
お母様は不服そうだったが、侯爵家の利益になる限りは容認するだろう。
これからが楽しみで仕方がない。
需要があれば長編として連載をしようと思っています。