8:最凶令嬢は天然
「そういえば新人君。君は大丈夫なの?」
ルロイの本性やその拗らせた初恋等諸々を知ってしまった不憫な新人護衛・ロクスは、翌日からも第三王子殿下付きの護衛のままで有った。今までは新人研修のようなもので任務時間が短かったが、諸々を知ってしまったロクスをルロイが逃すはずもなく。先輩護衛・ベルクと同じ時間だけ任務に着く事になったので、朝早くから第三王子殿下の私室の前に立っていた。
そんな彼の視界に彼女ーーミルリィは、挨拶と共に冒頭の問いかけをした。
「はっ。ええとアヴァス辺境侯令嬢、大丈夫、とは?」
ロクスはルロイを怒らせない(病弱なのは表向き。本性が恐ろしい王子だと認識した)ためにミルリィにあまり近づかない方がいい、と判断して挨拶程度で終わらせるつもりだったのだが、こんな事を尋ねられたら会話をしないわけにいかない。
「だって、君……ええと」
「ロクス、と申します」
「ロクス君ね。ロクス君、生き霊視えてたでしょ?」
「あっ……ご、ご存知でしたか!」
ロクスは冷や汗を掻く。視えてた事に気付かれているとは思わなかった。
「いや、ご存知も何も。あの令嬢視て悲鳴を上げた時点で視えてるの解るし、しかもきちんと浮いてた位置を視てたでしょ? ベルクさんとレイラさんは、視えてないからね?」
「えっ⁉︎」
ロクスは隣に居る先輩護衛・ベルクを見やる。彼は肯定するかのように頷いた。アレが視えていたのは、ミルリィ・ルロイそしてロクスなのである。
「ロクス君は視える人なんだねー。血筋で視える人よりも偶々視える力を持っている人の方が少ないから、君は大変だっただろうなって思ってね」
「大変……。血筋……偶々……」
幼い頃から視えていたロクスだが、血筋で視える人、とか、偶々視える人、とか、そういった同じ人ならざるモノが視える人と関わって来なかったために、ミルリィの話が若干ついていけない。
「あー、もしかして詳しくは知らないのかな? そうだとしたら、君は余計に大変じゃなかった? 視えないモノが視えるというのは、視えない多勢からすると不気味みたいで否定する人も多いからね? 嫌味とか、暴言とか、暴力を振るわれるとか、無かった? 或いは居ない人のように無視されたとか」
ロクスが話についていけていない事に気付いたのか、ミルリィは具体的な事を言いつつ、心配そうにロクスの顔を覗き込む。一応淑女のマナーは身につけているはずなのだが、多勢による“普通”とは掛け離れた人に会うと、どうしても淑女のマナーは忘れがちになる。という事で心配のあまり距離が近い事にミルリィは全く気付いていない。対してロクスは、年頃の令嬢と碌に会話も出来ないオクテ。ミルリィの距離が近い事に慌てふためき言葉も出て来ない。
見るに見かねてベルクがミルリィに距離の近さを口にしようとするより前に、中々部屋の中に入って来ない事に苛立ったのか、ルロイがドアを開けた。暗殺者とか、侵入者とか、そういった警戒心がまるで無いルロイの行動に、ベルクはため息をついた。普段からルロイはこういった所が有る。多分、どんなものかは知らないが、こと、ミルリィに限り、ドア一枚隔てていてもその存在を感知するセンサーでも備えているに違いない。
こういった無防備とも言える行動は、何故かミルリィが居る時のみ発揮して、普段は訪問の先触れが出ている相手すら、警戒心高くして本当に本人なのか、3回は確認する。なんだったら両親である国王夫妻や兄である王太子と第二王子にも同じ対応をするくらいだ。ミルリィとの温度差があまりにも激しくて、分かっているベルクとレイラですらその警戒心をミルリィにも発揮するか、せめて身内には解いてあげて欲しい、と思っている。
「ミルちゃん、遅い! ……って、ミルちゃん! 淑女なんだから婚約者でも無い男にそんな距離はダメ!」
ちっとも室内に入って来ないミルリィに、年齢よりもいくつか年下の子どもみたいな言動をするルロイ。ミルリィに弟枠として接されているのを最大限有利に使っているので、ミルリィに幼さアピールで警戒心を失くさせているのだが、今も唇を尖らせて文句を言ったが、直後に新人護衛との有り得ない距離感を見て、慌ててミルリィを引き離して、強めの口調で叱った。
「あー、ごめんね? 確かに淑女としては近すぎる距離だったわ。でも、ルーも気付いていたでしょう? 彼、視える人なのよ。体調を崩していないか心配でね。本来、視えないはずのモノが視えるってだけで、身体的にも精神的にも不調は出るもの。血筋や先天性はそういうものなのよ。だからルーだって良く熱を出すでしょう? 私の場合、血筋もあるけれど修練した結果だから。修練している事で精神は強くなり、結果として身体も強くなった。でもね、そういう事をしていない人って、ルーみたいに病弱だったり精神面が弱くて常に怯えていたり、そういう不調が出るの。彼は精神的にも身体的にも不調が出ていなさそうだけど、万が一を考えて心配したのよ? でも一応の婚約者という立場のルーからすると、嫌だったわね。早く婚約解消出来るように今日も頑張るわ!」
ミルリィの話を理解は出来る。ルロイがしょっちゅう熱を出していた幼い時分は、人ならざるモノが視える結果だったからだ。成長するに連れ、身体を鍛える事で熱を出す事は減っていった。視えないモノを視ても大概は無視すれば影響を与えない事にも気付いた。
だから、暫くルロイはミルリィに会えなかったのである。
彼女は辺境侯の令嬢。
用事も無いのに辺境の地から王都に来る事は無い。
王都に来るという事は、用事が有るという事でつまり視えないはずのモノに対応する為だ。
という事に、病弱だった事で免除されていた勉強や病弱を克服するための運動で忙しかったルロイが気付くのは、割と最近……13歳を迎えた2年前の事だった。会いたくて会いたくて堪らないのに、呼び出しても断られる日々は、ルロイの中でミルリィに嫌われてしまったのか、という認識にもなっていた。
だが、13歳で遅ればせながら側近や婚約者候補を選ぶための下は10歳の子息・令嬢から上は15.6歳くらいの子息・令嬢が集う茶会にて令嬢達から熱い視線を浴び、中にはルロイの婚約者になりたい、という重たい気持ちから生き霊を飛ばして来る者が居て、その生き霊を何とかする為に王家がアヴァス辺境侯へ打診して、あっさりとミルリィがやって来た事で、ルロイは理解した。
自分は嫌われていたわけじゃない。
ミルリィにとっては、ルロイも他の誰でも助けを求めて来るだけの存在なのだ、と。
呼び出しに応じなかったのは、助けを求める人に対応するから。王子の身分など彼女には何の意味も無い。
そこに気付いてからは、令嬢達の執念も何とかして欲しいのは事実だが、必要以上に怯えてミルリィを婚約者に据えてミルリィは生き霊退治(物理)として婚約者を務め、ルロイは絶対初恋を叶えるために彼女を逃がさないつもりで、今日まで婚約関係が続いている。
だが、ルロイとミルリィの気持ちの温度差が有るが故に、ミルリィは誰に対してもあんな距離感を取るのをルロイはしばしば見かける事になっていた。
ミルリィは、別に子息だけに人ならざるモノ退治を行なっているわけでなく、令嬢達の家からも声を掛けられれば行く。ただ、友達の家に令嬢が訪ねるのは当たり前の事。そしてそういった令嬢達はミルリィに感謝はするが、自分がそういったモノに狙われる事を知られたくないから口を噤む。結果的に子息達の間で“行き遅れの最凶令嬢”という不名誉な噂だけが蔓延っていた。
尚、当然の事ながら、慎重に子息達だけの間に“行き遅れの最凶令嬢”の噂を流しているのは、ルロイである。こうしておけば、誰もミルリィと結婚したがらないだろう、という王子としてはややセコい……もとい許容範囲の狭い男の手段だった。
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