出発進行!(おまけつき)
大賢者セルシアスからの手紙に大いに盛り上がったその翌日、ラシディアのもとに、教え子のサトワが血相を変えて飛んできた。大賢者からの手紙に浮かれたラシディアの両親が言いふらしたせいで、もうすっかり村中で話題となっているようだった。そんな騒ぎの中、ついにセルシアスが迎えにやってくる。ラシディアとジュメイラの二人は、このまま出発できるかと思いきや、予想外の出来事が!
「先生! 先生ー!」
そう叫ぶ少年の声と、その少年が玄関の扉を叩く音でラシディアは目を覚ました。
昨晩、セルシアスから手紙が届いた事をきっかけにして突如開催された、ラシディア言うところの『祝☆大賢者祭り』で朝方まで飲み明かしたラシディアは、眠い目をこすりながらふらふらとベッドから起き上がると、部屋の窓を開けて、あくびをしながら声のする方を見下ろした。
「……ふわぁ~……あれ~? サトワじゃない、どうしたの? こんな朝早くから」
「先生! 何寝ぼけたこと言ってんだよ! 朝じゃないよもう昼だよ! そんな事より先生! 大賢者と遠くへ行っちゃうって本当なの⁉」
「……え?大賢者?……大賢……者……」
ラシディアは明るく降り注ぐ陽射しに目を細め、記憶を模索するように視線を宙に漂わせたかと思うと、その陽射しの眩しさも忘れて目を大きく見開き、「ぁああぁあ一!」と叫んだ。
「ジュメイラ! ジュメイラー!」
「あら、やっと起きたのね、喉乾いているでしょう? お茶飲む?」
二階から転げ落ちるように降りて来たラシディアに、ジュメイラはのんびりとした口調でそう言った。
「ジュメイラ何そんなのんきな事言って! 昨日! 昨日のあれ! 夢じゃないよね! あれ夢じゃないよねー!」
「は? 昨日のって……何の事?」
ジュメイラが白々しくそう答えると、ラシディアの表情が一気に沈む。
「ウソよウソ! 大丈夫現実よ」
ジュメイラが悪戯っぽく笑いながらそう言うと、それを聞いたラシディアは一瞬安堵の表情を見せたが、すぐにまた血相を変えてジュメイラに掴みかかった。ラシディアに激しく揺さぶられてジュメイラの手に持つお茶が勢いよくこぼれる。
「あぁっ! あれ! あれは⁉ 手紙は⁉ セルシアス様からの手紙!」
「ちょっとラシディア落ち着いて! あれなら、お義父さんが立派な額縁に入れて、今朝早くからお義母さんと二人して街のみんなに見せびらかしに行ってるわよ」
「良かった……手紙も夢じゃなかった……って、え? 見せびらかしに行ってるって⁉……もう……何やってるのよ二人とも……」
ラシディアが昨日の事が夢ではないと確認してほっとした直後、両親が村のみんなに手紙を見せびらかしに行っているという事に呆れた顔をしていると、「二人ともよっぽど嬉しいのよ。」と言ってジュメイラが微笑む。そして、その落ち着いたジュメイラとは対照的に、ラシディアは「はっ! そうだ! 私支度しなくちゃ!」と言ってまたばたばたと慌ただしく階段を駆け上がって行った。
「って、ちょっとラシディア! あんた夕べ張り切って自分で支度してたじゃない、覚えてないの?……まったくもう…あら……?」
ラシディアが騒々しく二階へ駆け上がって行った後、ジュメイラは玄関の扉を叩く音に気付いて、その扉を開けた。
「あ! ジュメイラ姉ちゃん!」
「あらサトワじゃない、それにルナダにジャダフも、みんなどうしたの? そんなに慌てた顔して」
サトワに加え、近所のルナダとジャダフも一緒にジュメイラを取り囲む。
「俺聞いたんだ! 先生もジュメイラ姉ちゃんも、大賢者と何処か遠くへ行っちゃうって!」
「ねえ! 本当なの⁉」
「え……あ、ああ、そ、そうね……」
─────もう…お義父さんたちが村のみんなに言いふらしたりするから……
ジュメイラはそう思いながら目を泳がす。
「ほらほらみんな、お姉ちゃんを困らせないの」
子供たちに取り囲まれてジュメイラが困っていると、二階の窓からラシディアが顔を出した。
「私もジュメイラも、直ぐに帰って来るから、みんな心配しなくていいのよ」
「本当に?」「すぐ帰って来る?」
「本当よ、だからみんなお利口にして待っているのよ」
ラシディアがそう言って子供たちをなだめていると、急に陽が陰り、ラシディアを見上げていた子供たちの視線が、ゆっくりとそのさらに上へと向けられていく。
「……先生……あれ、なあに……?」
「え? あれって?」
「……ラ……ラシディア、な……何なのアレ⁉」
ジュメイラまでもが驚愕の表情で子供たちと同じ方向を見上げている。ラシディアは窓から身を乗り出し、その視線の先、家の真上を見上げると、空を覆い尽くす程に巨大な白い物体が、鈍い光を放ちながら音も無くゆっくりとこちらへ向かって降りて来ていた。
「おい見ろ!」
「何なんだあれは⁉」
近くにいた村人たちも全員空を見上げ、辺りが騒然となる中、ラシディアだけは満面の笑みでそれを見つめ、「セルシアス様だわ……」と呟く。
その物体は空中で静止すると、そこから光の柱が真っ直ぐと下へ、ラシディアの家の正面へと向かって伸びて行き、その光の柱の中を人影がゆっくりと降りて来る。
それを見たラシディアは、「ジュメイラ! セルシアス様が迎えにいらしたのよ!」と歓喜の声をあげて家を飛び出してきた。
家の前には村中から続々と人が集まってきて、騒めきながらその光の柱を取り囲む。
「ラシディア、ジュメイラ、もう準備は出来たようだね」
その声と共に、光の柱からセルシアスがゆっくりと、ラシディアとジュメイラの前に姿を現した。
周囲を取り囲んで騒ついていた村人たちは、その様子を見て一斉に静まり返る。
「はい! セルシアス様! 準備は万端で御座いますです! はい!」
「あ、は、はい、セルシアス……さま?」
ラシディアがおかしな言葉遣いながらも元気いっぱいに答えるその一方で、ぎこちなく「さま」を付けて話すジュメイラに、セルシアスが「ジュメイラ、ラシディアも、私にその敬称は必要ないよ」と言うと、ジュメイラは「え? いいの? はあ、あたしはその方が気が楽だわ」と肩の力を抜いた。
一方でラシディアは、「はい! でも私は「様」で行きます! いいえ! 是非そうさせてください!」と言って目を輝かせる。
ラシディアたちがそんな話をしていると、周囲を取り囲む村人たちをかき分けて、デイラとカラマが帰って来た。
「ちょっと! ちょっと道を開けてくれ! あぁ! 大賢者様! この度はうちの娘たちがお世話に……!」
余程遠いところから走って来たのか、二人とも息を切らせながらセルシアスに挨拶をする。
「はあ、はあ、この度は…うちの、娘たちが、お、お世話に……ど、どうぞ中へ……」
息も絶え絶えのデイラにそう促され、一同は家へと入って行った。
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「私は、ダラジャトゥハルラート・アーリエン・セルシアスと申します。御父様、御母様。事前にお送りした手紙にありますように、ご息女お二人のお力をお借りする事となり、お迎えに上がりました」
セルシアスの「御父様、御母様」という言葉に、ラシディアのにやけ顔が止まらない。
「はあ! 大賢者様! 今日はこんなところまでわざわざ来て頂いてありがとうございます! 私はラシディアとジュメイラの父、デイラで、そんでこっちは……」
「母のカラマです!」
「ああ! そうだ母さん! あの、一番上等なワイン!あれ! あれ持って来てくれ!」
「そうね! すぐ持ってくるわ!」
完全に興奮状態のデイラとカラマがあたふたと支度をする。そしてその様子を家の前に集まった村人たちが窓から覗き込む。
「どうぞ、お構いなく。それで、この契約についてですが、正式に締結されてはいるのですが、もしお二人が反対なのであれば……」
「反対だなんて! とんでもない! 娘たちがお役に立てて光栄ですよ! なあ母さん!」
「そうですとも! さあ大賢者様! お口に合うかどうか分かりませんが、この村で作っている中でも一番上等なワインです! どうぞ!」
こうして和やかに時は過ぎ、出発の時が近づく。
少し西へと傾いた太陽の穏やかな陽射しが窓から差し込み、ジュメイラの手に持つワイングラスがその陽光を受けてきらりと輝いた。
ジュメイラはそのグラスに入ったワインを飲み干し、テーブルへ置こうとすると、ばたばたと騒々しく一人の青年が部屋へと飛び込んできた。
「師匠ー!」
「...…なっ⁉ バルシャ⁉」
飛び込んできた青年の姿を見て、グラスを置こうとしていたジュメイラの手が止まる。
「師匠! 大賢者と一緒にラス=ウル=ハイマへ行くって、ほ、本当なんですか⁉」
「え、ええ、そうよ……でも、そんな血相変えてどうしたってい……」
ジュメイラがそう言い終わる前に、その青年バルシャがセルシアスに詰め寄る。
「あ、あ、あんたがその大賢者だな!……師匠を連れて行ってどうするつもりだー!」
「ちょ、ちょっとバルシャ止めなさいって!」
そう言ってジュメイラは、セルシアスに詰め寄ろうとするバルシャを抑えると、セルシアスが静かに、「彼は?」とジュメイラに尋ねた。
「この子は私の弟子で……って言うか、勝手にこの子がそう言ってるんだけどね、槍を教えてあげてたの」
「ほう、ジュメイラから槍を……」
「そうだ! 僕は師匠の一番弟子なんだ! 師匠を連れて行くなら僕も一緒についていくぞ!」
「あんたちょっと何言ってんのよ! ごめんなさいセルシアスさん、今黙らせるから……こらバルシャ! ちょっと大人しくしなさい!」
とても華奢な体つきで、女の子の様な顔立ちのバルシャは、ジュメイラに叱られてようやく大人しくなる。その様子を穏やかな眼差しで見ていたセルシアスは、何かを思いついた様に口を開いた。
「ジュメイラ、君の弟子と言うのであれば、一緒に連れて行ってあげてはどうだい?」
「えっ⁉」
「やったー!」
セルシアスのその言葉に、ジュメイラは唖然としたが、バルシャは飛び上がって喜ぶ。
「え、良いんですか? あ、でも……」
ジュメイラは、目を輝かせて見つめてくるバルシャの方へと視線を向け、はぁ、大きくため息を漏らして目を閉じると、少し間をおいてから、目を閉じたままでこう言った。
「………40秒で支度しな!」