大賢者からお手紙です!
「ちょっ! ちょっとラシディア! あんたいきなり何言ってんのよ! こういう事はね! 行くとか行かないとか決める前に交渉ってもんが……それに! お父さんとお母さんにもちゃんと訊かないと……!」
ジュメイラが噴き出したお茶を拭きながらそう言うと、ラシディアは自信に満ちた表情で「大丈夫、お父さんもお母さんも心配ないわ、むしろ喜んで送り出す事でしょう……!」と言って譲らない。
「そうか、それは良かった、勿論、ご両親にも挨拶に伺うつもりだ」
「ご両親に! 挨! 拶!」
ラシディアはおうむ返しの様にセルシアスのその言葉を繰り返すと、両手を口に当ててにやける。
「ちょっとちょっと、セルシアスさんも勝手に決めないで! そんな、いきなり、ラス=ウル=ハイマなんて遠くの方まで行くなんて、今すぐには決められないわ! それに、それにはそれ相応の報酬がないと……」
「それなら心配はいらない、まずは契約金としてこれを」
そう言ってセルシアスは小さな箱を取り出してジュメイラに手渡した。
ジュメイラは「……なあにこれ?」と言ってその箱を開けると、その中には、虹色に輝く宝石の様な物が入っている。
「う~ん……何これ? 宝石? すごく綺麗だけど……あたし宝石なんて詳しくないから、これがどれだけの値打ちがある物なのか分からないんだけど……」
ジュメイラがそう言いながら無造作に箱の中の宝石を取り出し、怪訝な顔でそれを眺めていると、今度は向かいに座っていたイザベラが勢いよくお茶を噴き出した。
「な…な…な……⁉」
イザベラは噴き出したお茶を拭こうともせず、口からだらだらと垂らしながら、顔面を痙攣させてワナワナと震えている。
「え? ちょっと、イザベラ? あんたちょっとどうしたの? 今までの最高記録更新するレベルのキモい顔になってんだけど……」
いつもであれば食って掛かるであろうジュメイラの悪態には全く反応することなく、イザベラがゆらりと立ち上がる。
口からお茶を垂れ流し、顔の筋肉という筋肉全てを痙攣させながら、宝石を持つジュメイラへと向かって一歩また一歩と近づいて行く。
「こわっ! ヤダ何⁉ ちょっと何なの⁉ ちょっ! こっち来ないでよ! やだ! ホント怖いホント怖いー!」
イザベラは後ずさりするジュメイラにじりじりと迫り、壁際まで追い詰めると、ジュメイラの胴程もあろうかという両腕で、ジュメイラの腕をがっちりと掴んだ。
「いーやー!」
ジュメイラは涙を流して絶叫する。
「……これは……間違いないわ……これは『深淵の雫』……!」
「……へ?」
イザベラのその言葉を聞いたジュメイラは、泣き叫ぶのを止めてイザベラの方を見ると、そのまま視線を自分の手に持つその宝石へと向けた。
「……しかもこれだけの大きさ……ジュメイラ……あんたコレ……1億は下らないわよ」
「い、1億……⁉」
ジュメイラは時が止まったかのように一瞬動きを止めると、手に持っていた深淵の雫をじっと見つめて、そーっと箱へと戻した。
「どうやら、不足はないようだな。これ以外に、ラス=ウル=ハイマからも報酬が与えられる。それも含めれば十分なはずだ」
黙ってその様子を見ていたセルシアスはそう言って、組んだ両手の上にその細い顎をのせて穏やかに微笑む。
「十分も何も! 十分過ぎよ! いきなりこんな高額な物受け取れないわ!……それに、まだあたしたちの実力を確認したわけでも……」
ジュメイラが慌ててそう言おうとすると、セルシアスは人差し指を口に当て「エルミラ様が起きてしまう」と言い、眠っているエルミラの顔にかかる金色の髪を優しくその指で解く。
「大丈夫。ジュメイラにラシディア、二人の力はもう確認できている」
そう言ってセルシアスは、眠っているエルミラをそっと抱きかかえて出口の方へと向かう。
そして、その途中で立ち止まり、顔を少しだけラシディアたちのいる方へと向けてこう言った。
「ラシディアのご両親には正式に手紙を出しておこう。そして二人の準備が整った時、こちらから迎えに行く」
「あ! でも、セルシアス様! まだ私たちの家も村の場所も……」
ラシディアが慌ててそう訊くと、セルシウスは「大丈夫だラシディア、それも全て分かっているよ」と言って、そのまま店を出て行ってしまった。
残された三人は出口の方を向いたまま呆然と立ち尽くす。
イザベラの口からお茶が滴る。
「何だったのかしら…一体……」
セルシアスが店を出て行って少ししてから、ようやくジュメイラが口を開いた。
「はっ!……こうしてはいられないわ! ジュメイラ! 早く家へ帰って支度しなくちゃ!」
「え? あ、ああ、そうね……」
張り切るラシディアの声で我に返ったジュメイラは、その手に持つ『深淵の雫』をまじまじと見つめ「1億……」と呟くと、湧き上がって来る喜びに顔を綻ばせた。
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木々の生い茂る深い森の合間を縫うようにして流れる川が、蛇行しながらずっと先まで伸びている。その川の上流、ウムスキームの街から遥か南に位置するルアイン山脈の中腹に、ザキールの村はある。
馬車で行こうものなら何日もかかる程の距離を、ラシディアとジュメイラは良く手懐けられた翼竜に乗り、満天の星で煌めく夜空を村へと向かって飛んでいた。それでも、普段は途中の街で一泊し、二日掛けて行く道のりであったが、「一刻も早く支度をしてセルシアス様のところへ行く!」と言って聞かないラシディアに付き合い、ジュメイラもラシディアと一緒に翼竜の背に揺られていた。
そして、ザキールの村へと着いた頃には、もうすっかり夜中になっていた。
「ただいまー!」
「あら、二人ともお帰りなさい! どうしたの? 今日帰って来るなんて」
「お父さん、お母さん、私は、しばらくの間、愛の為!セルシアス様のため! ラス=ウル=ハイマの守護へと行って参ります!」
「……は?」
いきなり帰って来て突拍子もない事を言いながら真顔で敬礼するラシディアに、ラシディアの両親は目を丸くし、その表情のまま、二人は無言でジュメイラの方を見た。
「は、はは……あたしが……今ちゃんと説明する…ね……」
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「はーはっはっは! そうか! ラシディアにもとうとうそういう相手が出来たか! よし、今日はお祝いだ!」
ジュメイラから詳しい経緯を聞いたラシディアの父デイラは、嬉しそうにそう言っていそいそとワインを取り出し、「ええそうね! はい! ジュメイラも!」と母カラマがジュメイラにグラスを押し付ける。
「さあ! 乾杯だ! ラシディアの前途を祝して! かんぱーい!」
「私の前途に! 乾杯だー!」
ウムスキームの街で縮こまっていた時とはまるで別人のように、ラシディアは元気よくグラスに注がれたワインを一気に飲み干し、「よーし! もう一杯!」と言って父デイラにグラスを突き出す。
「よしいいぞラシディア! その調子だ! さあもっと飲め! お父さんは嬉しいぞ!……あれ?……やっぱりなんか少し悲しくなってきた……」
「何言ってるのよあなた! やっとラシディアの目に叶うお相手が現れたんだから、喜んであげなくちゃ!」
カラマはそう言って急に大人しくなったデイラの背中をばしっとひっぱたく。
「勿論俺だって喜んでいるさ!でもなぁ……やっぱりなんか……フラれればいいのに……」
「お父さんなんてこと言うのよ!」
騒々しくワインを酌み交わすラシディアたちを笑顔で見つめながら、ジュメイラがワイングラスを口へと運ぼうすると、開け放たれていた窓から何かがスーッと入り込んできた。ワイングラスを持つジュメイラの手が、その豊かに盛り上がった胸の前で止まる。
「……フクロウ?」
音もなく、滑り込むようにして部屋へと入ってきたそのフクロウは、よく見ると半透明に透けている。先ほどまで騒いでいたラシディアたちはすっかり言葉を無くし、全員で黙って、部屋の中をゆっくりと旋回するその半透明のフクロウを見上げる。
「絶対に……セルシアス様の魔法だわ……」
ラシディアの予想は的中し、その半透明のフクロウは、旋回しながら少しずつ一枚の紙へと姿を変え、ひらりひらりと、ラシディアたちの囲むテーブルの中央へと落ちてきた。落ちてきたその紙に、ラシディアが真っ先に飛びつく。
「どれどれなになに?……やっぱり! セルシアス様からのお手紙だ!」
「おおお何だって⁉ なんて書いてあるんだ⁉ どれ! ちょっと父さんにも見せてくれ!」
一同でラシディアを取り囲み、その手に持つセルシアスからの手紙を覗き込む。
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謹啓
アルマハタル・カディマヒア・デイラ様、カラマ様、
梅雨入りも差し迫り、次縹や御所染の色鮮やかな紫陽花が一層美しく咲く雨萌ゆる向暑の候、皆様におかれましては、変わらずご清祥にお過ごしのことと存じ上げます。
過日、ウムスキームの魔道専門店「イザベラズアイディアル」において、ご息女ラシディア様、ご養女ジュメイラ様(以下、甲)と、ラス=ウル=ハイマ首長国連邦(以下、乙)との間に、守護契約が締結された旨をご報告申し上げます。
尚、契約期間及び契約内容の決定権利は甲に帰属し、乙は甲に対しこの権利を侵害出来ないものとします。
季節の変わる境の時分、どうぞご自愛専一にてご精励下さいますよう、お願い申し上げます。
敬白
ダラジャトゥハルラート・アーリエン・セルシアス
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ラシディアが手紙を読み終わると、誰もが黙り、しばしの沈黙が訪れた。
部屋の中央にかけられた大きな柱時計の音と、窓の外から聞こえてくる、近所で飼われている犬の鳴き声だけが部屋の中に響き渡る。
その静寂の中、カラマが静かに呟いた。
「ダラジャトゥハルラートっていったら……」
全員が唖然とした表情で顔を見合わせると、一斉に声をそろえた。
「あの大賢者ダラジャトゥハルラート⁉」