夜空からの訪問者!(ずぶ濡れ)
守護の結界、阿久戸妙の陣の第一段階を終えたラシディアとセルシアスは、ルファー女王による労いの席に招かれていた。ラシディアの実家から持ってきたワイン『ルアイン・ザキール・アルマハタル・グランクリュ・クラスAAA 22年』を酌み交わしていると、そこに思いもかけない客が現れる……
「特訓の末に編み出した超裏必殺技! 秘技ッ!『愛』!ーーーどうだ! 参ったか謎生物め!」
「バルシャ! よくやったわね! 流石私の弟子だわ!」
「あっ! ジュメイラ師匠!」
「頑張ったご褒美に、ぎゅーってしてあげる!」
「ああぁーー! ありがとうございます師匠! わっ! 髪が……師匠の髪が顔にかかって、く、くすぐったいですー……あはっ、あはははっ………はっ⁉︎……あれ………?」
前略
ジュメイラ師匠
とても良い夢を見ました。
謎生物をやっつけて、師匠に褒めてもらう夢です。
でも、また僕は謎生物にコテンパンにされて、気絶してしまったみたいです……
そして今僕は、その謎生物におんぶされて、部屋へと運ばれています………
ああ……いつになったら、この謎生物に勝てるのでしょうか………
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「美味い! マジ超うめぇなこのワイン!」
「女王様、お言葉遣いが乱れて……」
「うるせえな! こんな時ぐらい良いだろ別に! ほら! お前も突っ立ってねえでここに座って飲め!」
ルファー女王にそう命令されたエルゲイネスは「あ、は、はい……」と小さく返事をすると、ルファー女王の正面に座っているセルシアスとラシディアに深々とお辞儀をして席に着く。
守護の結界、阿久戸妙の陣第一段階を済ませたセルシアスとラシディアは、ルファー女王より労いと歓迎を兼ねた夕食に招かれ、大きな噴水の見えるワディシャーム城のテラスで、豪華な食事を振る舞われていた。
「まったく……おめえって奴は真面目で優秀なんだが、頭が固くてどうもいけねえ……折角セルシアス殿が持って来てくれたんだ、有り難く頂くのが礼儀ってもんだぜ……こんな上等なワインそう滅多に……えっと、なんてったかなこのワインは……?」
「ルアイン・ザキール・アルマハタル・グランクリュ・クラスAAA 22年です! お気に召して頂けて光栄です! 父が喜びます!」
北限の幻とまで謳われる絶世の美女、ルファー女王の、その眩しい程の美しさからは想像もできない豹変ぶりに戸惑いつつ、ラシディアはワインを褒められた嬉しさに表情を輝かせてそう答える。
「女王、このワインは、ラシディアの父、シャトー・アルマハタルの著名なワイン醸造家、アルマハタル・カディマヒア・デイラ氏が作った物なのですよ」
「おお⁉ なんでぇラシディア、おめえさん、あの有名なシャトー・アルマハタルの娘さんか!……いやぁこいつはたまげたぜ…………」
セルシアスの言葉に驚いた様子のルファー女王は、そう言いながらラシディアの方へ顔を向けると「おめえの親父さんの作るワインは、この国でもそりゃあもう、大層な値打ちが付くんだぜ……」と、その言葉を発している人物とは思えない、息が止まるほどに麗しい笑顔でラシディアに微笑みかける。
ラシディアはそのあまりに美しいルファー女王の微笑みに見惚れ、一瞬凍りついたように固まったが、ふと我に返って、「あ! あの! それでこのワインは、私が生まれた時に樽詰めされた物なんです!」とあたふたしながら、どうにか会話を繋げる。
「ほう! そうかいそうかい! じゃあ差し詰め、このワインはラシディア、おめえさんの姉妹みてえなもんだねぇ……」
深い紅緋色のワインを湛えるグラスを持ち上げ、ゆっくりとスワリングしながら、ルファー女王は感心した面持ちでそれを眺める。
「これで、セルシアス殿の結界が完成して、早くあの忌々しい散りぬる陽の脅威が去ってくれれば、申し分ねえんだがな……」
ルファー女王はそう言うと、遠く北の夜空に蠢く、夜の闇より尚暗い散りぬる陽に視線を向け、そこに目を留めたままワイングラスに唇を当てる。
「阿久戸妙の陣は順調に展開されている。この分なら、後二日、遅くとも三日で結界は完成するでしょう………」
「………浮かないご様子ですわね、セルシアス殿………」
突然上品な方に戻ったルファー女王が、セルシアスの声に違和感を感じ取って目を細める。そして、その豹変ぶりに驚くラシディアが目を丸くしていると、腕を組んで顎に手をやりながら、セルシアスが静かにルファー女王の問いに答えた。
「……少し、気になる事があるのです………」
ワインを一口飲み、グラスに口を当てたまま、ルファー女王は宙に鋭い視線を向けるセルシアスの言葉を待つ。
「私たちはこれまで、実に数多くの散りぬる陽を目にしてきた……それらは総じて、出現と同時に絶え間無く忌み侍る陽炎を生み出し、街や人へと襲い掛かった……しかし、この散りぬる陽は、出現してから既に十日を過ぎようというのに、いまだに忌み侍る陽炎を一つとして吐き出してはいない……」
セルシアスの言葉を聞いて何かを言おうとしたルファー女王が、その開きかけた口を閉じる。
敵が現れないのは結構な事だと思い、それを口にしようとしたルファー女王だったが、セルシアスの様子からそれが稚拙な考えだと気付き、言葉に出さずに飲み込んだ。
一瞬の沈黙の後、ワインを飲み干してから口を開く。
「……力を温存しているとでも?」
グラスの縁に残った口紅の痕を、親指でそっと拭いながらルファー女王はそう訊くと、静かにワイングラスをテーブルに置く。
エルゲイネスが何も言わずにボトルを手に取り、空になったグラスをきらきらと輝く紅緋色の液体で満たしていく。
「今、私の仲間が調べているので、近いうちに何か情報が得られるはず………」
ルファー女王の問いかけに直ぐには答えず、十分に言葉を選んでいた様に見えるセルシアスの横顔は、ラシディアにあの時の、散りぬる陽を見つめるナドアルシヴァの横顔を思い出させた。
恐怖ではない、それとは違う何か。
悲しみや不安、そして後悔。複雑に絡み合った感情が、セルシアスの瞳の中に潜んでいるような気がした。
「……ん?……どうしたんだいラシディア?」
「おほぅっ!」
いつもの様にじっとセルシアスを見つめていたラシディアであったが、普段の様にただにやついて見つめていた時とは違い、真剣に心配しながら見つめていただけに、咄嗟に振り向いたセルシアスの笑顔に仰天して変な声を出す。
「あぁ! いえ! 何でもないです! あはっ……あはははっ!」
恥ずかしさと気まずさに、ラシディアの目が宙を泳ぐ。
そうしてやり場を無くした視線を上に向けると、月の輝く夜空から何か落ちてくるのが見えた。
ドバァーンと派手な水しぶきを上げて、その何かが噴水のプールの中に落下する。
「……何だ?……お前ら見て来い……」
ルファー女王の命令で、テラスで護衛に就いていた近衛兵数人が、剣を抜いて噴水のプールを取り囲む。
それに続いて、ラシディアも「私、見てきます!」と言って噴水へと走る。
剣を構え、恐る恐る噴水へと近づいて行く近衛兵。
そして、なぜかその兵士たちと一緒になって、同じような格好でじりじりと噴水へと迫るラシディア。
大きく波打つ水面が次第に収まり、その中心に浮かぶ何かの姿が徐々に見えて来る。
すると、それを見た近衛兵の一人が「……あれ?……あれは……!?」と声をあげた。
兵士たちは一斉に剣を治め、慌てて噴水の中へと飛び込むと、その何か抱きかかえて外へと運び出す。
状況が把握できないラシディアは、一度ゆっくり空を仰ぐと、改めてその空から落ちて来た少女に目を向けた。
「セ……セルシアス様……空から女の子が………‼」
「女の子……⁉」
流石のセルシアスも驚く。
「女の子とは、そいつは一体どういう事だ⁉」
ルファー女王が、繊細な刺繍の施された、渋い伽羅色のフィッシュテールのスカートを片手で軽くたくし上げて噴水までやって来ると、近衛兵が女王の前へと駆け寄り膝をついて報告する。
「国防軍総長イェシェダワ様が上空より落下してまいりました!」
「はぁっ⁉」
驚いた表情でルファー女王がそこに横たわるずぶ濡れのイェシェダワへと目を向けると、イェシェダワがゆっくりと上半身を起こしてルファー女王の方を見る。
「おいイェシェダワ!……お前……お前一体どうしたってんだ⁉」
「…………女王様……私……私…………うぅ……うわぁーーーん!」
困惑するルファー女王、何が起きているのかさっぱり分からないラシディアとセルシアス、そして唖然とする大勢の近衛兵たちに囲まれる中、イェシェダワはまるで子供の様に、大声で泣き出したのだった。





