夕陽に染まる二人
ドゥルマが去った事を知ったイェシェダワ、そして、ジュメイラたちに修行を申し込んだドゥルマ。想い行き違う二人が、それぞれの場所でそれぞれの夕陽に照らされる……
理解できているはずの短い文章を何度も読み返し、その文字の示す間違えようのない意味が頭の中を埋め尽くす。
「暇を……頂戴せし……候ふ……」
放心した表情のイェシェダワの口から、その紙に書かれた少なすぎる文字が、言葉となって零れた。
目の前に突き付けられた、ドゥルマが自分の元を去って行ったという紛れもない事実が、シーツに染みていく赤ワインの様にじわじわとイェシェダワの心の中を占領してゆく。
それと同時に、その事に激しく動揺している自分自身に対して、イェシェダワは困惑していた。
────私は、どうしてこんなに戸惑っているのだろう……?
いつでも傍にいて、これからもずっと傍にいるのだろうと、当たり前のように思っていた。それはまるで、常に自分を包んでいる空気の様で、それが無くなってしまうなど、想像した事もなかった。
────息が苦しい。
呼吸を整えようと目を閉じる。
すると、たった今目にした、二人の美女と楽しそうな様子で何処かへと行ってしまったドゥルマの姿を思い出し、胸が締め付けられる。
自分がドゥルマを突き放し、その場を去った後、一体どういう経緯でこうなってしまったのか?
落胆していたはずのドゥルマが、あんなに楽しそうにして、美女二人と姿を消し、自分は一人置き去りにされた。
感じた事のない孤独感が、足元から這い上がるようにして全身を覆い尽くす。
────私があんなことを言ったから、ドゥルマはもう、私の事などもうどうでも良くなってしまったのか?……私は見捨てられたのか?
そう思った瞬間、後ろから冷水を浴びせられたような、冷たい何かが後頭部から背中へと伝い、視界が白く狭まってゆく。
「……イェシェダワ様! 大丈夫ですか⁉ イェシェダワ様!………」
────ルグレアが慌てた様子で何か言っている……私はどうしたのだろう、眩暈がする……
すぐ目の前にいるはずのルグレアの声が、やけに遠くに聞こえる。今までずっと隣にいたはずのドゥルマの存在が、遠くへ行ってしまったような気がする。
よろける体を支えようと、探るような手つきで窓の縁を弱々しく掴んだ。
そのイェシェダワの横顔に、夕陽を受けてたなびくフリルのカーテンの影が、音も無く揺らめく。
イェシェダワは、ドゥルマの残した書置きを手に持ったまま、その場に座り込んでいた。
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揺蕩いし叢雲の表層、清涼殿の前に剣戟の音が響き渡る。
ジュベラーリの振りかざす二振りの大剣『光彩花月』と『天姿天香』から、稲妻を纏った無数の光の刃がドゥルマへと向かって放たれる。
「うぉおおおー!」
ドゥルマは次々と襲い掛かるその刃を、赤い房のついた矛でいなし、見事に無効化していく。
【英雄如来三尊】と謳われるだけあり、ドゥルマの強さは尋常ではなかった。
ジュベラーリの教えた技を次々と習得し、着実に身に付けていく。
「ドゥルマさん凄いわ! この短時間でこんなに出来るようになるなんて!」
遠巻きに見ていたジュメイラがそう言うと、地面に大の字に倒れ込んだドゥルマが「あ……え……ありがとう……ジュメイラ……」と、息も絶え絶えに答える。
「これだけ習得できれば、戦場でだいぶ違ってくるはずよ!」
ドゥルマの真摯な姿勢とその成長を、素直に嬉しく感じていたジュベラーリは、仰向けになって息を切らしているドゥルマの顔を覗き込んでそう言った。
するとそのジュベラーリの後ろから、ジュメイラがひょいと顔を覗かせ「次、私の番ね!」と目を輝かせる。
「はぁ……はあぁ、えっ!?……よ、よーし!」
疲労困憊でありながらも、ドゥルマは矛にしがみつきながらよろよろと立ち上がる。
「私の技、まだジュベラーリにも見てもらったことないから、いい機会ね! とっておきのをご披露するわ! ねえ!? 叢雲!? 聞こえる!?」
ジュメイラがそう言うと、叢雲が相変わらずのオドオドした様子で「あ、はい、なにか……」と答える。
その声にドゥルマが不思議そうな顔をするが、そんな事はお構いなしにジュメイラが続ける。
「あのね、ここを覆ってる窓、開く?」
「はい、あ、開きますけど……」
「じゃあすぐ開けて」
揺蕩いし叢雲の、その表層全体を包んでいた透明の巨大な覆いが、音も無く消える。
それと同時に、上空の冷たい風が吹き込んで、ジュメイラの真紅に輝く美しい髪を靡かせた。
「じゃあ見ててね!」
ジュメイラがそう言って、遠くに広がる海の方を向いて槍を構えると、ジュメイラの体と槍から、赤い炎の様な光が揺らめき始めた。そして低い地響きのような音と共に、ドゥルマの全身にビリビリと振動が伝わる。
「な……これは……」
ドゥルマが唖然とした表情でジュメイラを見つめる。
両手で持った槍を後ろへと振りかざしたジュメイラは、大きく一歩踏み込み、その足を軸に一回転して勢いよく海へと向かって槍を突き出した。
槍とジュメイラの全身を包んで揺らめいていた赤い炎が、強烈な光と耳を劈く轟音を伴い、周囲一帯の空気を巻き込みながら、赤い閃光となって海へと放たれる。
そしてその槍の先、遠くに見える海では、まるで津波の様な、巨大な水しぶきが上がった。
「どう!? すごくない!? これ一突きで、1万くらいの軍隊なら一瞬で殲滅よ! はい! やってみて!」
たった今目にした、災害級の一撃を放った当人とは思えないような可憐な笑顔で、ジュメイラが微笑む。
「ジュメイラ! 凄いわ!……でも……これはちょっと難しいかも……」
ジュベラーリがそう言いながら目を向けた先には、夕陽を照返しながら大きく波打つ海を見つめ、驚愕の表情で言葉無く立ち尽くすドゥルマの姿があった。