鬼さんこちら!
だし巻き玉子を持ってバルシャのもとへやって来たエルミラから、今日は毬つきをして遊ぶという事を聞いてバルシャはほっと胸を撫で下ろす。一方その頃、ラス=ウル=ハイマ首長国連邦の首都、ワディシャームの城では、緊迫した雰囲気の中、各首長国の首長たちが集まっていた……
僕はバルシャ……昨日、エルミラ様のおままごとの相手をしていたら、突然知らない女の人が現れて、そして、白い怪物に追い回されたんだ……し、死ぬかと思った……そして気が付いたらここにいて……
「おお、バルシャよ、目が覚めたか、ほれ、これを食え。」
「あっ!お、おはようございますエルミラ様!……あ、あの……昨日のあれは……」
「どれ、我が食わせてやろうぞ、口を開けろ。」
「え⁉……あ……はい……い、頂きます……ほれであの……ひ、昨日の……」
「ほれ、喋っとらんで、さっさと食うて口を開けぬか。」
「あ、あい!…………あ、あの……」
「これを食うたら身支度をしてまいれ、今日は毬つきじゃ。」
「はぁ……ま、毬つき……あ、あの、昨日のあれは一体……?」
「ほれ、良いから口を開けぬか。」
「は……はい……」
前略
ジュメイラ師匠
今日は、エルミラ様と毬つきをする事になりました。
昨夜はどうなる事かと思いましたが、どうやら今日は大丈夫そうです。
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重厚な石づくりの壁には様々な旗が掲げられていて、床には鮮やかな赤い絨毯が敷き詰められいる。そして、その部屋の天井から吊るされる煌びやかなシャンデリアの下には、そのシャンデリアですら色褪せる程に美しい、ラス=ウル=ハイマ首長国連邦メインルーラー、ワディ・シャマルジュ・ルファー女王が、雪の結晶をあしらった巨大な玉座に腰かけている。
そして、そのルファー女王を中心に、各首長国の首長たちが、ピリピリとした緊迫する雰囲気の中、このワディシャームの城に顔を揃えていた。
その中の一人、バブアルバハルの首長、ジャジラ・アル・ハムラ王が、円卓を叩いて声をあげる。
「わたしはな!この誉れ高きラス=ウル=ハイマが他所に救援を要請するなど、はじめから反対なのだ!それもその様な大賢者などと吹聴するわけのわからん輩になど、、、言語道断!」
「私も、ジャジラ王に賛成だ。そもそも、”散ぬる陽”など恐るるに足らん。我々だけで打ち倒してくれるわ。」
ジャジラ王の隣に座るミーナラーブの首長、ナサエム・カハト・マジッド王が、椅子から立ち上がってルファー女王を睨み付けるジャジラ・アル・ハムラに賛同して立ち上がる。
真紅の薔薇の花びらの様に艶やかな唇に手を当て、静かにその様子を見つめていたルファー女王は、立ち上がって憤慨する二人の王の顔を交互に見ると、はぁ、と短くため息をついて俯いた。
そして俯いたまま立ち上がると、ゆっくりとジャジラ王とマジッド王のところまで歩いて行き、ばんっと勢いよく円卓の上に片足を乗せて部屋中にこだまするほどの大声でこう叫んだ。
「うっせえんだよジジイども!おめえらみてえな老いぼれに何が出来るってんだよ!このはげが!」
立ち上がっていたジジイ二人はそのルファー女王の怒号に「あわわわわ……」と言いながらへなへなと座りこみ、他のジジイたちは縮こまる。
「おいマジッドてめえ!我々だけで打ち倒すだと⁉自分で戦場に出もしねえくせに良く言ったもんだな⁉あぁ⁉おいそんでジャジラ!あの賢者は自分の事を大賢者だなんて言ってやしねえんだよ馬鹿が!周りがそう言ってんの!みんなが認めてんの!そんな事も分からねえのかこのもうろくジジイ!」
そう言ってルファー女王はジャジラ王の長いひげを両手で力いっぱい引っ掴む。
「女王様、お言葉遣いが、乱れていらっしゃいます。どうぞ、玉座へお戻りください。」
ルファー女王がジャジラ王のひげをひっ掴んでぐるんぐるん回しているその横から、眼鏡をかけた執事風の男が、落ち着いた口調でそう声を掛けた。
「……あら、わたしったら……そうねエルゲイネス。」
ついたった今、怒号をあげてジジイの髭を鷲掴みにしてぶん回していた人物とは思えない様な上品な口振りでそう言うと、ルファー女王はくるりと踵を返して玉座へと戻り、その上品な方のルファー女王で話を続ける。
「……よいか各首長国の王たちよ、かつて”散りぬる陽”の猛威に晒され滅んだ南の大国……聖法王国ナダールの事は知っていよう……彼の国は”散りぬる陽”のその圧倒的な力によって一人残らず殺され、今では陽の光の届かぬ闇に包まれているという……”散りぬる陽”を侮ってはならぬ……」
「いや、しかしルファー女王よ、確かに聖法王国ナダールは”散りぬる陽”によって滅ぼされたと言われてはいるが、それを見た者など誰もおらん、だいたい、国中の人間を皆殺しにするなど……」
「それを見たやつらは皆殺しにされちまったから見たやつがいねえんだよ!ちっと考えりゃ分かんだろそんな事!おいてめえ!またそんな間抜けな事むかしやがったらぶちまわすぞ!」
ジジイ、黙る。
エルゲイネスは「女王様。」と静かに一言だけ言う。
ルファー女王は上品な方に戻る。
「えー、コホン……大賢者セルシアスは、聖法王国ナダール滅亡以降、各所に出現する”散りぬる陽”より、強い結界を以てそれぞれの国を守っている。”散りぬる陽”が我らラス=ウル=ハイマ首長国連邦に出現した以上、我々は国を守り、そしてそこに住まう者たちを守るためにも、一刻も早く出来る限りの策を講じ、これにあたらねばならない。それには、実際に他の国々を守っているその大賢者、セルシアスの力は欠かせぬのだ。」
ジジイたちはざわざわと顔を見合わせて相談する。
そしてしばらくすると、その中で最年長の王、クーダバラのクアイン・アルームが、よぼよぼと立ち上がってルファー女王の前へとやって来た。
「ぁああ、あー……ルファー女王よ……では先だって、えー……評議会を開き……あー……そこで十分な議論をしたうえで……えー……」
「もう要請はした、明日には来る。」
「……なな、な、なんという勝手な真似を……!」
元々若干ぷるぷる震えていたアムールはそう言うと、更に強めにぷるぷる震える。
「うっせえな、もう決めたんだよあたしが!てめえらに付き合ってたらいつまで経ったって決まりゃしねえだろうがよ!」
「し、しかし!今日は、話し合うために、我々はこうして……」
「だから!そんな時間はねえって言ってんだろうがよ!それでもこうして形だけでもと思って呼んでやったんだ!分かったらとっとと帰って入れ歯の掃除でもしてろ!」
首長会議が終わり、ジジイたちがよぼよぼよれよれと帰っていく。
その後姿を見送りながら、エルゲイネスはルファー女王に尋ねた。
「女王様……他の首長の皆様に、少しきつく当たり過ぎでは……?」
ルファー女王はその言葉に、少しだけ間をおいてから「そうかもな。」とだけ答えると、バルコニーへと向かい、歩きながら話を続ける。
「……努めてそうしてんだよ、まあ、そもそもの私の気質ってのもあるんだけどよ……それよりも、あの年寄どもには早く隠居してもらおうと思ってな……そして、すべての首長国で新しい王を立て、若い力で盛り上げていかねえと、この国は老いていく一方だ……それに……」
ルファー女王はそう言うと、北国のひと時の夏を彩る柔らかな風に目を細める。そして、バルコニーの手すりに肘をかけ、その絹の様に艶めく琥珀色の波打つ髪を風になびかせながら、遠くへと視線を向けた。
「……ちょうどうちらの鬼門の方角に、あんな物騒なもんが現れちまったんだ……あそこから鬼でも出てこようもんなら、そん時は首長国すべての力を結集して迎え撃つしかあるめえよ……」
ルファー女王のその鋭い視線の先には、紙に垂れたインクの様に滲む黒い点が、青空の中で稲光を伴いながらゆっくりと渦巻いていた。
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「あれ⁉……エルミラ様?……エルミラ様がいない……どこいったん……」
────はっ!……これは、昨日と同じ…………!
「バルシャよ。」
「あぁっ⁉……あ、貴女は……き、昨日の……⁉」
「さあバルシャ、こちらへまいれ、今宵もまたお前が鬼じゃ、昨夜の続きをしようぞ。」
「えぇーーー⁉」
追伸
ジュメイラ師匠
今晩が、僕の最後の夜になりそうです。