空を食べる
うまい空があるから食いに行こう。
そう言ってボクを部屋から引きずり出した伯父に対して、怨みを持つなという方がおかしな話だ。
不安顔の母と平然とした父に見送られる中、ボクは伯父に誘拐された。
抵抗したけど、デカいんだよなー、伯父さん。小脇に抱えられて助手席に放り込まれてしまった。
「美結ちゃん、チョコナッツバー食べるかね?」
「誘拐犯の施しなんかいらないし。太る太る。それより伯父さん、これからどこ行くの?」
「言ったろ。空を食べに行くのさ」
「はあ。意味が分からない」
「そうだね。分からせるつもりもない」
「さいてー」
窓を開けて、頬杖をつく。見える景色はどこまでもいつも通りで、ボクがこうして誘拐の真似事をされたところで世間ってやつは何も変わらないんだなと思うと、なんだかちょっと苦い感じがする。
伯父さんがラジオをつける。ノイズ交じりのニュースが流れてきて、どこかの誰かが何かの疑いだの、誘拐事件がどうのだの聞こえてきた。はいはい、ここ、ここで誘拐されてますよボクは。
高校生活に何となく嫌気がさして、悠々自適引き籠り生活を始めてまだ一週間。うちの両親はなかなか手を打つのが早いみたい。
別に、親に反発したいとかそんなお年頃ってわけじゃないけどさ。なんだか、こう、違う気がするって感じ? よく分かんないけど。
最初の数日は、母さんが特にあれかこれかと原因を探ってきたけど、知らないよ。自分でも良く分かってないんだから。
別に友達がいないわけじゃないし、いじめられてるとかでもない。勉強が嫌いになったかと言われたら、元から好きじゃないから嫌いになる以前の問題だしね。
「携帯、リビングにずっと置きっぱなしなんだって?」
「ケータイ? ああ、スマホのこと? あー、うん。別に、意味なんてないけど」
心配してくれる友達からの連絡とかは嬉しい。でも、正直ちょっとめんどくさい。
悲嘆に暮れるカナシミの女子高生を演じるように押し付けられるみたいで。
だから別に嫌なことがあったとか、そういうのじゃないんだってば。
あ、いや、訂正。担任のヤマセンだけは嫌。ハゲてるし。なんか家に来たし。ボクなりに正直に『やる気がない』って言ってんのに、できることがあれば何でもするとか何とか……。それもやっぱり、なにかチガウ。どこが、って言われると困っちゃうんだけどさ。
「ずいぶんと眉間に皺が寄ってるねえ」
「元からこんな顔ですぅ」
「そうだったかなあ。まあ、良い事さ」
「……何が?」
「美結ちゃんは正しく悩んでるって事だよ。チョコナッツバー食べるかね?」
「だからいらないってば。ボクの話聞いてた?」
からからと笑う伯父の声だけを耳に留めて、変わらずに流れていく景色を見る。伯父さんは良く分からない。考えてみるとほんとに分からないな。父さんの兄だってことくらいしか知らないんじゃないかな。仕事も知らない。どこに住んでるかも知らない。
そう考えると、ボクは本当に素姓の知れない不審者と行動を共にしていると言ってもいいかもしれない。よし、通報しようかな。……あぁ、スマホ、家に置いてきたんだっけ。
街並みからだんだんと建物の姿が減っていく。どうやら伯父さんの車は山の方に向かっているらしい。この道は、山合いに昔住んでいた祖母の家に行く道だったはずだ。ボクが小学校に入って少しした頃に死んじゃったから、随分と久しぶりに見る道だ。
いやあ、本格的に誘拐じみてきた。伯父さん、そのうちに身代金要求の電話とかかけ始めるかもしれない。
「コンビニに寄ろうか。あと一時間は走る予定だよ」
「ん」
特に欲しいものもないけど。でもまだ長いならトイレくらい行っとこうかな。あ、それでコンビニ寄ろうって言ったのか。そっかそっか。
コンビニの棚を眺めながら、見たことのない商品を二つ、三つと手に取ってみる。こういうの、あんまり好きじゃない。新しいのをいっぱい出した方が売れたりするんだろうけど、気に入ったやつがいつの間にか消えちゃってるのは悲しい。おいしかったのにな。前に食べた鮟肝味のチップス。みんなにナイって言われたけど、ボクにはおいしかったんだ。
ああ、そういうのも、ピンときてない理由かも知れない。
なんだか、みんな同じでないといけない、みたいなのが多い気がする。協調性が、とかって言われるけど、少しくらい違ったっていいじゃない。
買う気のない商品を棚に戻して、レジで会計をしている伯父さんのところへ行く。チョコナッツバーが5、6本、無造作に置かれていた。
「伯父さん、それ全部食べるの?」
「美結ちゃんも欲しいかね?」
「くどいようだけど、ボクはいらないからね」
「そうかい」
伯父さんはからりと笑った。
コンビニを出て車に乗り込もうとすると、モノクロツートンカラーの車から水色の服を着た人が二人、こっちに向かって歩いてきた。ん、俗にいうお巡りさんってやつ。
そういえば、ボクは一応、補導される立場にあるのか。平日だもんね。でもまあ、伯父さんもいるし大丈夫かな。
「あー、ちょっといいですかな」
「ええ、ええ、ご苦労様です」
伯父さんも気さくに返事をする。まあ、やましい事がなければそんなもんだよね。
ん、なんかめっちゃ見られてる。めっちゃボクのこと見てくるじゃんお巡りさん。
「そちら、あなたの娘さん?」
「いえいえ、違います」
「ボク、誘拐されました」
「え、ちょっと美結ちゃん!?」
「……ほぉ?」
お巡りさんの眼が随分鋭くなった。もう一人のお巡りさんに目をやって、少し身を屈めてこっちに質問してくる。
「この人に攫われたんだね?」
「はい、抱えられて車に」
「この人の事は知ってるのかな」
「どこに住んでるかも、何の仕事をしてるかも知りません」
「美結ちゃん! ストップストップ!」
もう一人のお巡りさんが伯父さんににじり寄っていく。うん、ボクは嘘はついてない。
――対象と思しき人物を発見しました。はい、はい。特徴も一致します。ええ、はい。これより確保を――
……あれ? なんか雲行きがおかしい?
無線で不穏なこと言ってる気がするんだけど……。
「お、伯父さん?」
「いやあ、なんだか良くない流れだね」
「ご同行願えますかな」
伯父さんは腕時計をちらりと見て、そしてボクの顔を見た。
「うーん……下手に時間を取られるとマズいからなあ」
そして家を出る時のようにひょいとボクを抱えて後部座席に投げ入れ、無駄のない動きでエンジンをかけた。痛い。頭打った。
車の前に立ちふさがるお巡りさんの横を掠めるように急発進して、そのまま車道へ飛び出す。
「逃げよう!」
「え、それ一番やっちゃいけない手じゃない!?」
「調書に付き合ってる時間が無い! 今の所、偽計業務妨害だね! 今から多分信号もいくつか無視する!」
「なんか変なこと言ってゴメン!」
「驚いたけど謝れるのは良いことだ!」
うなりを上げるエンジン音。後ろから追ってくるパトカー。
何だかとんでもないことになってしまった気がするけど、ボクのせいかな。いやまあ、ボクのせいだな。
後ろからうるさいサイレンとスピーカーから聞こえてくる止まりなさいの声。
「ね、ねえ伯父さん! これほんとに大丈夫なの!?」
「免許の点数は減るかな! でも、空を食べに行くのはそれよりも大事なことなのさ! 危ないからしっかり掴まってあんまり喋らないように!」
「わ、わからないけどわかった」
車はどんどん山道の方に向かって、そのうち舗装されてないような道を走っていく。
いつの間にかパトカーの数は増えて、もう謝ってすむ状況じゃなくなってる気がする。
とうとう祖母の家の近くまで来たけど、どうなっちゃうんだろう。
「ちょっと乱暴するから、ね!」
「わ、わ、わああああ!」
細い脇道に入って、急ターンして民家の庭に突っ込む。
あ、この家、おばあちゃんの家じゃん。でも、勝手に入っていいのかなこれ。
心臓がうるさい。いやもう、心臓がうるさい。
「上手い具合に外からは見えない場所だから、ここまで来たら大丈夫。美結ちゃん、チョコナッツバー食べるかね?」
「そんな場合か! 伯父さん、どうすんの!? ずっと逃げられるワケないじゃん!」
「姪っ子のお悩み解決と比べたら、ちょっと怒られて免許の点数が減るくらい、たいしたことないさ」
「たいしたことあるってー!」
「まあまあ。とりあえず家に入ろう。別に他人の家になった訳じゃないからね。たまに掃除にもきてる」
「いや、今その情報どーでもいい……」
静かに車のドアを開けて、家主不在の家の前に立つ。
小さい時の記憶が、少しだけボクを落ち着かせてくれた。
あんまりはっきりした記憶じゃないけれど、縁側でスイカを食べた思い出がよぎる。
確か、こっちの方から縁側の方に直接行けたよね。
……。
……? 縁側に誰かいるんですけど。
ボクと同じ年くらいの女の子、が……縛られてて、あ、目が合った。
「た、助けて……!」
彼女がそう掠れ声で叫んだのと、玄関の方でガラスが割れる音がするのが同時だった。
振り返れば転がり出てくる伯父さんと、知らない誰か。
「美結ちゃん、逃げろ!」
「ひっ」
足が動かない。
どういうこと? 何が起こってるの?
逃げろって言われたって、すぐに捕まるのがオチで、だからと言ってなんとかできるはずもなくて、だってボク、高校生で……
ああ、そうか。
分かった。ボク、自分が見えてなかったんだ。
ハムスターみたいに同じところでクルクル回ってるのが嫌で、だけど他に何もなくて。
ここは、学校とは違うんだ。逃げられないボクにできることなんて、あんまりない。じゃあ、それだけやればいい。
車に駆けこんで、思いっきりクラクションを鳴らす。
まだきっと、パトカーが近くにいる。いるはずだから。
○ ○ ○
警察署で話を聞かれて、すっかり夜。
怒られた。めっちゃ怒られた。
いやでも結果オーライじゃない?
結果として、たまたま祖母の家に潜んでた誘拐犯を見つけることができて、たまたまボク達を追ってたパトカーが駆け付けることができて、無事に逮捕できたワケだし。
伯父さんは管理してる場所に不法侵入されてたって事もあって、書類が増えるらしい。伯父さんの荷物重たいんだけどな。
正直なところ、お腹空いた。かつ丼出して欲しかったな、かつ丼。
「あ、あの……」
「あ、さっきの」
「助けてくれてありがとう」
「んー、ボクは別に何も……あ、そうだ」
「?」
誘拐されてた子が不思議そうな顔でこちらを見る。たぶん、ボクとおんなじ腹具合だと思うんだよね。伯父さんのカバンになら多分……ほら、あった。ボクは、ボクにできることをするのさ。
「チョコナッツバー、食べる?」
「……うん」
ボクはこの子のことを何も知らないし、この子も、ボクのことを知らない。
でも、お腹が空いてる事だけはたぶん本当。
ナッツをキャラメルとチョコで固めたカロリーの暴力みたいな食べ物だけど。
甘くて甘くて、飲み物がないのがボクながら空気読めてないなと思うけど。
「う、うぅ……」
泣きだしたこの子に、何もしてあげられないけど。
「甘ったるいね」
「ありが、とう……」
「ん」
しばらくして、名前も知らないあの子の両親が迎えに来て。ちょっと控え目にはにかみながら彼女は手を振って去っていった。
伯父さんもそれからしばらく経ってから出てきて、ようやくボク達は解放された。
建物から出て、大きく一つ伸びをして深呼吸すると、滑り込んできた空気が少し苦かった。さっきまで食べてたチョコナッツバーのせいだね、きっと。
なかなか、悪くない味だと思うよ。ああ、疲れた。
「すっかり遅くなっちゃったなあ。美結ちゃん、チョコナッツバー食べるかね?」
「もう食べた」
「そうかい。ごめんねえ、変なことになって」
「や、どっちかっていうとボクのせいだし。あの子も助かったし、いいと思う」
伯父さんが笑う。
「さて、そんなら帰ろうか」
「そだね」
車の助手席に座って、ヘッドライトの先に映っては消えていくアスファルトを見る。
「高校、何で行きたくなかったのか、なんとなく分かった」
「へえ、どうしてだった?」
「ん、と。与えられるばっかりだったのが、嫌だったみたい」
「そうかい」
そうとも。ボクにはボクのできることをやる。ボクにできないことはたくさんあるけれど、あれこれ心配されて、お膳立てされるようなお年頃でもない。
「自分で意味を見つけられたなら、勉強の甲斐もあるさ」
「かもね」
街の明かりが増えてくる。
「そういえば、結局、空を食べるってどういうことだったの?」
「ああ、あの家から少し歩いたところに、夕日が綺麗に見える所があってね。君の父さんが子どもの頃に見つけた秘密の場所さ」
「へえ、父さんが」
「あいつは嫌なことがあると、よくそこに逃げてた。夕焼け空を食べると元気が出るってね」
「あっはっは。想像できない」
伯父さんは微かな笑みを崩さないまま、運転を続けた。
これだけ大きなイベントがあったんだ。そろそろ引き籠り生活は終わりにしてもいい。
家の前に母さんが出てきているのが見えた。連絡してあったのだろう。
「そういえば、誘拐犯のことって――」
「実は美結ちゃんのお母さんに怒られるのが怖くて言ってない」
きりっとした顔で即座に言われたので、思わず吹き出してしまう。
「ね、孝行伯父さん。チョコナッツバーちょうだい」
「ん、ああ、どうぞ」
「これで口止めされてあげる」
「そりゃあ助かる」
「今度は夕日を見に連れてってよ」
「ああ、また悩んだ時に」
「約束ね!」
車を降りて、心配顔の母さんに、明日からは学校に行くと伝えると大げさに泣かれた。
ボクは多分、警察署の外で感じたあの少し苦い空気の味を忘れないだろう。
おいしいかどうかは別にして、空を食べた。そしたら、気持ちが軽くなった。
きっと、ただそれだけの話。