他人の身体はいろんな意味で、使いづらい(3)
「いいから、やるだけやってみなよ。でも無様な結果なら承知しない」
「なんでお前が承知しないんだよ。だったらお前がやればいいだろ!? スペック確認とか好きだろうがお前!」
「人の姿で何を言ってるんだ」
やめてくれ、という司さんの言葉は何の制御にもならない。
「わかった。じゃあやる」
「「は?」」
そういうと忍はポケットからアンプルを取り出した。
先ほど割ってしまったのとは違う色の小瓶だ。
「こういう風に使っていいのかは謎だけど。始末書にならない口裏合わせは必須」
「何? それ、さっきのと違うやつだよな。それで何を……」
言いかけたオレの口に素早くアンプルの封を切るとそれを突っ込んできた。
すぐに拒否る。
さすがに司さんの身体だけあって、すぐに振り切れた。
「口に入った?」
「入ったけど、数滴程度だよ!」
「よし」
何が。
司さんの制止も聞かずに残りは自分の口に入れる。
「……これって、平気なのか?」
「平気じゃないだろ……」
それが何なのか。司さんは知っているらしい。
いや、オレも知っていたはずだが……
思い出そうとする瞬間、意識が遠のいて昏倒した。
どさり、という音が聞こえたのは先に忍が倒れたからだろう。
無理心中みたいでいやな音だ。
すぐに消えた意識で思ったが、次の瞬間にはあっさり意識が戻ったので事なきを得る。
体を起こす。
「…あれ?」
なんともない。
というか、
「戻ってる」
自分の身体を確かめてから隣に目をやると、司さんが起き上がっていた。
司さんが…
「……」
「司さん……?」
「違う。俺は戻ってない」
だよねー。
思い出した。あのアンプルは割れたものがAタイプなら亜種のBタイプ。
霧散型ではなく、同時に経口した人間の人格を入れ替える物理的な手段のタイプ。
乾いた笑いを思わず浮かべてしまったが、司さんに入った忍の表情はほとんど無表情だ。
ある意味、通常運行だ。
「お前な……そこは俺に体を返してくれるのが一番だったんじゃないか?」
「それやると私の身体に秋葉が入る。ますますめんどくさいことになる」
「どういう意味だよ」
「それに私がやればいいと言ったのは秋葉だ」
買うなよ。売り言葉を。
「確かに、全然秋葉と違う。散々走り回ったのにほとんど疲労感もないし、センサーが高いというか、周りが見えるというか、元の身体に感覚が似ている感じ」
何それ。オレが鈍感ってこと?
あぁ、と司さんが何か合致がいったようだった。
「そうか、感覚的な感度が高いのか。違和感があまりなかった理由がそれか」
普段の神経の使い方ということだろうか。
忍は非・戦闘要員だが、観察力やらなにやらが趣味を兼ねていて、異様に高い。
仕事中に後ろを誰かが通りすがるとそれが誰だかいつも認識しているタイプだ。
前を見ているようで横にも後ろにも注意力があるというか。
比べらないでくれと思いたいが、自分の方がごく普通なのは知っているので、やめた。
それより、進展がありそうだ。
「体の使い方は秋葉の方で多少マシになっていると思うけど、助走距離ってどれくらい必要かな」
「経路にもよる。一気にあの高さまで上がるなら追ってきた勢いでないと難しいかもな」
それを聞いて、忍が後ろに数歩下がった。ほんの数歩だ。
その数歩を踏み込んで助走にする。
そして、一階のベランダの壁を足場にして一気に上に跳んだ。
「あれ、司さんじゃないですよね」
「俺はここにいる」
感心というより呆れに近いまなざしでそれを見上げる司さん。
初動で感覚が掴み切れるわけもなく、二階より高く上がりかけたところで、ベランダの手すりに手をかけて、すばやく体を反転させる。
にゃっ、という声が聞こえたその時にはベランダの壁の上で、当の案件を確保していた。
何それ、かっこいい。
「とったどー」
「やめろ」
しかし、フラットな口調で余計な演出をかけている。
そのまま躊躇なく飛び降りて戻ってきた。
「なんとか、収まったな」
それを持ち帰って、使用許可をもらえば晴れて戻れるのでほっと息をつく。
忍は黙って、何事か思考する間があった。
「? どうしたんだ?」
「いや、本当にハイスペックだなと思って。霊装強化受けるとこんな感じなんだ。いいなー」
「司さん、この場で戻ったほうがいいんじゃないですか。なんかあんまり使わせとくとそっち入りたいとか言い出しますよ、こいつ」
「入れないならこのまま司くんの身体ジャックしようかな」
「「……」」
冗談とも取れない口調で、はい、と猫を渡される。
「……アンプルは」
「ここにある」
猫だけであって、回収したアンプルは忍の手の中だ。
「お前、まさか……」
「これを返してほしくばどれくらいハイスペックなのか、私にもう少し試させてください」
「嫌だ」
駄目だ、ではなく嫌だという珍しい司さんのストレートな感情的表現。
「……」
あっ。
「逃げた!!?」
次の瞬間にはかなり遠くまで行っていた。
しかし、距離を取って振り返っている。
「あいつ……追いかけっこでもするつもりか……?」
「するつもりだと思います」
「……」
結論が出たところでとりあえず、追う。
身体に慣れていない間に確保すると司さんは言ったが、先ほどの動きを見てそれが可能かどうかは怪しい。
案の定。
「すみません……オレ、これ以上は……無理です」
さきほどの忍の気持ちがわかる。
そもそも職に就いてから全力疾走する機会なんて普通はそうそうないものだ。
ぜぇぜぇと息を切らしながら膝に手を置いてオレは止まった。
「これは無理だな。作戦を変える」
なんてハイスペックさの無駄遣いだろうか。
いい年をした男二人に追いかけっこをガチでさせるとか。
司さんも若干息を上げながら、追跡を断念。
そして、問題の姿が視界から消えると追うと見せかけて、路地に入った。
追いかけても捕まるわけがない。
だったら待ち伏せる。
確認に戻ってくるはずだ。
これはかくれんぼではないのだから。
待つ。
結構距離を開けた上に、追い過ぎず戻りすぎずの場所だ。
忍が戻れば必ず通る。
待った。
「……来ないですね」
「……」
待っている間に何事か、よからぬ可能性を想像し始めてしまったらしい司さんは手づまりな感じで黙っている。
カシャッ
その時、シャッター音がした。上からだ。
「おまっ そんなところで何やってるんだーーーーー!」
路地脇のビルの屋上に司さんの姿をした忍が自分たちにスマホのカメラを向けていた。
片手間に撮りました、みたいな感じなので撮影が目的ではなさそうだ。
「いつになったら気づくだろうと思ってたんだけど、気付かないから……」
2階建てなので、会話は普通にできる。
シャッター音は気付かせるためか。
いつからいた。
その疑問は司さんが思わずつぶやいた。
「大分前から」
「確かに索敵は上からの方が効率的だが……」
くっ、とどこか悔しそうな司さん。
待ち伏せるつもりが観察されていたのだから、それは悔しいだろう。
「なんであいつそんなところまで心得ているんだ」
「あれは教わったことじゃなくて、自分で考えてああなってるんだと思いますよ」
言ったところで忍は軽々と飛び降りて目の前に立った。
「なんかのど湧かない? ちょっと休憩しようか」
「たぶん、一番乾いてないの、お前だからな…?」
開口一番休戦を提案されて乗る。
いずれ、捕まえるのは無理だ。
接触距離が近くなるなら願ってもいないことなんだろう。司さんにとっては。
オレはオレの身体でできることは多分、ない。