眠らない街
歌舞伎町。
新宿区にあるこの町には混沌としたイメージがある。
今日は一木に誘われて、たまにはと飲みに出かけてきたのだが……
「なんでこんなところを選ぶんだよ」
大声を出すと怖い雰囲気なので、なぜか小声になった。
「大人と言えば歌舞伎町! 歌舞伎町と言えば大人の街でしょう!」
まだ飲んでないのに、このテンション。
今日は仕事で起きた話をねだるつもりだろう。
おごるからと珍しく任せてみればこれだ。
歌舞伎町は大人の街。
確かにそんなイメージがある。
雑多とした狭い路地にには色とりどりのネオンが輝き、居酒屋やクラブ、パブなどがひしめいている。
ついでに風俗店も。
「オレ、歌舞伎町来たことないんだよ。なんか怖いイメージしかなくて」
「それ、親とかその上世代の話じゃないですか?」
そうかもしれない。
先入観と、それで行こうとも思わなかった場所だから、その後の情報が入るわけでもなく。
オレの頭の中では、今どきはいないだろうパンチパーマで黒地と赤のジョーゼットを着た、怖い人が闊歩する街、みたいなイメージしかない。
煙草の煙が充満したパブ……は、今はどうなっているんだろう。
完全分煙で、むしろ煙しかない感じがする。
それは今現在外から見てもそんな空気が見て取れる。
「そうかもしれない。じゃああれは?」
オレの目線を追う一木。
『注意!ぼったくり被害多発 客引きにはついていかない!』
めちゃくちゃ目立つ黄色い看板に、太ゴシックフォントの赤と黒文字。
警視庁新宿警察署と歌舞伎町商店街振興組合、新宿区の連名が無理やり最後に詰め込まれた感じで表記されていた。
「やだなぁ、先輩。客引きについていかなくちゃいいんでしょ!」
ちょっと待て、お前警官だよな。
客引きについていかなくても自分から足突っ込みそうな予感がひしひしするよ。
オレはもっと普通の店で軽く飲むくらいで十分だ。
「大丈夫! 大人向けのナイトスポットには違いないんでしょうけど、今は歓楽街ですよ」
昔も歓楽街だよ。
「オレが言うんだから間違いないです!」
「お前が言うから心配なの! 何を根拠に言ってるんだ」
「オレも来たことないから、先輩と一緒なら平気かなって」
不安要素が増えただけだった。
「あ、でも本当に外国人観光客が増えてから、治安はずっと良くなったらしいですよ。ロボットレストランとか、サムライミュージアムとかもあってそれっぽいし」
「そんなのあるの? ……外国人観光客が来ない今、どうなってんだ」
「人間は来ないけど、外国神魔観光客は来てるじゃないですか」
そうだった。
ロボットレストランは知らないが、サムライミュージアムは確かに異国の神魔にはウケそうだ。
しかし、警察庁の黄色い看板の真ん前に、黄色い風俗案内の看板があるのが、この街をまるごと現わしてるような。
今も、酔っぱらったサラリーマンの姿と、観光客の神魔たちの姿が入り乱れるよくわからない光景は目の前にあり。
都内生まれ故に、逆にどこの街とも違う異質さは感じられた。
「何事も経験です! ……あ、でもこの通りって結構危険らしいから一本となり行きましょうか」
「……わざわざ危ない通りに入った理由は」
「だから経験ですって」
地図を見るとこのいかがわしくも、以前よりは健全な(果たして風俗店の前を観光客が堂々通るのは、健全と言えるのか)この通りは、新宿区役所の割と近くにある。
……条例の取り締まりとかないんだろうかここは。
もはやこの辺り一帯が、自治区のように見えて仕方ない。
「ほら、神魔の人たちだって……」
「あのヒトたちは怖いことないだろ? 人間相手にぼったくられたらぼったくった方が命の危機だから」
「……」
「一木?」
指さしかけて止まっているその先を今度はオレが追って見る。
正面から、巨大な犬が歩いてきていた。
「!!?」
「神魔!? ですよね、あれ。普通の犬にしてはちょっと大きすぎるし!」
「いや、もろに獣タイプだから魔獣の類だろ。ここでフレンドリーさはいらないからな!?」
「オレ、魔獣タイプって初めて見ますよ! もふもふできるのあれ!?」
知らないから逆に怖がらないのか、それともこういう街だからなのか、その存在を特に気にかける店先のチラシ配りも神魔もいない。
こういう時は、知らない方が幸せ、というやつだろう。
「魔獣はふつうは神魔のペット扱いで意思疎通が難しいって言われてんだ! 黙って隣の通りに行くぞ」
「え~でも!」
言ってる間に近づいてくる。
見た目は狼っぽいというか、シェパードっぽいというか。
いずれにしても一回り大きい感じがするし、一木が騒いで興奮させたりすることが一番怖いわけだが、犬としても普通に怖い。
「……飼い主いるみたいですけど」
その言葉に、一木の腕を引っ張って横道に入ろうとしたオレもそれを見る。
まず魔獣が一匹でうろつくこと自体がないことだから、そちらに目がいって気づかなかった。
その向こう側にいるのは神魔よりはるかに小柄な人間だ。
「飼い主……?」
といっても、人間としては小柄でもないのか。
並んで歩いているのは、中背の女の人。
「すみませ~ん!」
「一木ぃ!!」
止める間もなく行ってしまった。
あいつ、何言うつもりなんだ。
飼い主っていうか……
リード付けてないですけど!?
ホントに飼い主!?
「はい?」
女性、……いや、女子、か?
近づくと風貌が明らかになる。
大学生かもう少し上か。年齢は分かりづらかった。
ともあれ、なんとなく歌舞伎町を一人で歩くには、不釣り合いな雰囲気だ。
ぴく、と魔獣……あれ、犬? 和犬? ……よく種類が分からないそれは反応して……
めちゃくちゃ一木をじっと見ている。
「これ、君のペット? あ、オレ一木って言うんだけど」
「普通にナンパみたいなことやめろぉ!」
グーで叩く。
同時に唸りを上げて身を低くしかけていたそれは、構えを解いた。
やばかった……今のはやばかった……
「すみません! 悪気はないんです! こいつ神魔が好きで……」
「神魔?」
「え」
何のことかという表情に、思わず返す。
逆に察してくれたらしく、あぁ、と隣にいる犬のようなそれを撫でた。
「この子は神魔じゃないですよ」
「犬なんですか!?」
でけー!
と一木。
「犬……狼……? 狼犬?」
逆に口元に軽く握った手をあてて考えられてしまった。
「わからないんですか」
「あぁ、あまり気にしたことがなくて。預かっているもので」
一木じゃないけど、凄いな。
よくこんな大型の、神魔ではないっぽいけど犬っぽいもの預かれるよな。
本気で噛みつかれたら即、病院送りだよ。
「あ、オレ警官なんです。飲みに来たわけじゃなさそうだし、一人で歩いてるなんて物騒だなって」
それらしい理由を取ってつけた。
一木……お前の肩書は便利だけど、最初に言えよ……
「私服警戒中ですか?」
「……っていうわけでもないんですけど」
あはは、と笑ってごまかす。
「近道だから通っただけなんですけど……思ったよりいかがわしい通りですね」
どうやら彼女も、初めてらしい。
隣の犬は相当しつけがいいのか、その後はまったく警戒することもなく静かに撫でられている。
「そうだ、いきなり話しかけたお詫びに安全な道まで送りましょうか」
一木、口調は仕事モードオン。
お前、その巨大犬もふりたいだけだろ。
「大丈夫です、すぐそこなので。ボディガードもいますから」
あ、なるほど。
そのワンコがそうなのか。
確かに連れて歩けば、それだけで悪質なやつは寄りづらいだろう。
「……」
なぜか、オレの方をじっと見る。
あ、そういえばオレのことは何も言ってないからな。
この衝動の塊の一木のフォローをすることしか考えていなかった。
「あ、オレはただの連れなのでおかまいなく」
そうですか、と言って彼女は去っていった。
なんとなく見送りながら、一木。
「ざんねーん」
「どっちが? 犬か? あの女の人か?」
「あれ、先輩でもそういうこと言うんですね。ちょっと意外」
「じゃなくて、お前の思考回路に合わせてるだけだって」
ちょっと涼しい感じで、美人というかかわいいというか。
基準は人それぞれにせよ、誰が見てもマイナス評価にはならないようには見えた。
場所が場所だから、何か脳内補正かかってるかもしれないが。
「どっちもお近づきになりたいかも」
絶対近づいたら、あの犬にかみつかれて病院送りだな。
なんとなく見ると、さくら通りのアーチを抜けたところでその人はリードを犬の首輪につけていた。
……この街はなんでもありっぽい、法が混沌に負けてるっぽいから、ちゃんと言うことを聞く犬なら正解だろう。
そして、角を曲がって姿を消す。
「じゃ、思い出横丁にでも行ってみましょうか」
「思い出横丁?」
「昭和っぽい居酒屋とかあるみたいですよ。古すぎて新しい感じで神魔の人もたくさんいそう!」
結局はそれなのか。
オレは一体、何を聞かれるのだろう。
むしろ何も聞かれないで、このテンションに振り回され続けそうな予感を抱きながら、一木と路地を歩いた。
歌舞伎町は行ったことないですが、ストリートビューで歩いてみました(笑)